005 早すぎる目標の挫折と再設定
薄暗い、ジメジメしたところだ。所々に苔が生えている。随分と、長い間、人が出入りしていなかったよう。人の気配は、当然だが、ない。どこまでも続く、真っ直ぐな階段。目の前は、暗闇に覆われていて、どこまでも奈落が続く。
コツリ、コツリと。靴裏が地面を打つ音だけが聞こえる。音が反響し、空気が震える。冷ややかな温度、冷めた感情。あるのはただ……、任務を達成するという、強い使命感のみ。胃に激痛がはしるが、すぐさま、回復魔法で治す。
宝具は、ダンジョンが作り出す芸術品だ。一つとして、同じものはない。それほどの価値をもっている。たった一つの宝具で、国同士で揉めることだってある。
盗まれたのは、
収納型宝具。
暗闇に向けて足を進めると、大きな扉が姿を表した。開くと、そこには紫の奔流が渦巻いている。王都の教会。その裏側にある魔法陣とよく似ている。一つ違うのは、この魔法陣を潜ったところで、暗部本部へと繋がることはないという点。
「!? これは驚いた! また、貴方様がここに来られる日が来るとは」
髭面の男。小太りで、腹が出っ張っている。清潔感はないが、着ている服は、貴族の服装によく似ている。顔は媚びた笑みを浮かべていて、少し気色悪い。
王国最大の闇市場。その支配人であるこの男は……、俺の昔の知り合いである。知り合いといっても、お互い利害だけの関係だ。俺は金を払い、情報や商品を買うだけの。こいつは俺が皇子だと知っているので……、大抵のことは融通してくれる。金払いのいい、カモとでも思っているのだろう。
「俺も、驚いた。まさか用心深いお前が、八年もあの道を放置していたとはな。」
「それはもう。殿下のことを信用してですヨ!」
王都の地下。はるか昔に、王族の緊急脱出用の道だった。俺が六歳のころ、王宮を探索していたら見つけた抜け道だ。なんでそこが、闇市場と繋がるのかというと、俺のせいである。
目の前の闇商人、ダグナスは、この闇市場のオーナーでありトップだ。国内の商品の流通は全て、把握している。この男から宝具を買ったこともよくある。商人としての腕ならば、間違いなく王国で五指に入るだろう。
「それにしても、驚きました……。殿下がご乱心されたと聞いて。すっかりワタクシ、ダグナスのことなど、忘れたと思ってましたヨ」
ダグナスが、俺のことを探るような目で見る。男に対して、全身を舐め回すような目で見るのは、やはり気色悪い。
それにしても、頭が痛くなる。半分現実逃避で確認しなかったのだ。
「齢七歳にして、王国学を全て極めし……、天才にして逸材。一人で魔法陣を完成させ、今日みたいに。その扉から入ってきた時は……、ワタクシとしても流石に肝を冷やしましたヨ。ホホホ、懐かしい」
「お世辞はいい。あれは、ただ、腕のいい職人に手伝って貰っただけだ。今も昔も……、俺一人で何かを成したことなど、ない。」
王国学は、直接
魔法陣を作った時もそう。王国に、偶々。腕利きの魔道具職人が滞在していた。丁寧に教わりさえすれば、誰だって出来ることである。むしろ、褒められるべきは、幼かった自分でも、解るように教えてくれた恩師たちだ。
「……その様子だと。記憶の方は、戻られたみたいですね。いやはや、よかった。殿下のような聡明なお方が、
「待て……、今なんて言った?」
「はい? 殿下は、ヒドイ記憶障害で、歩くことすら、ままならなかったのでは? もしや、ご存知なかったのですか。殿下。ご自身のことなのに。それは、おかしなことですヨ」
「……そんなわけ、ないだろう?」
俺はサラっと否定するが、実際、内心穏やかではない。もし、
何か致命的な問題……、それも外的要因。何者による妨害。それ無くして、俺の最高傑作が。我儘だとか、無能だとか、馬鹿にされるはずは–––––、ない。
というか。歩くことすらできなかったのか。それはなんとも、とんでもない醜態を晒したものだ。
「そりゃあ、そうでしょうヨ。殿下。まさか、八年もの間、殿下と何者かが、入れ替わっていたともあれば……。それは王国始まって以来の、大問題だ–––––。」
「あたりまえだ。」
食えない男だ。ダグナスは、持ち前の情報網から、何かを気づいている。俺の話から、疑惑を、確信へと変えようとしているのだ。そして、今納得したらしい。
だが、あえてそれを言わないのは、俺という
俺は、コイツの警戒レベルを、一つ引き上げた。
「殿下。それでは、
その一言で、場の空気が変わる。目つきが、媚びたものから。鋭い鷹のような目へと変化する。オンとオフの切り替えは、大事だとよくいうが……。この男は、言葉通り、普段の顔とは、別の顔を持っている。
俺は、不気味な緊張感のなか。落ち着いた声で目的を言い放つ。
「宝具を探している。数は、一ダース。種類は様々。俺の宝具が、今朝盗まれた。今日早朝から現在までで、売りに出された宝具は……、あるか?」
「ほぅ……、あの用途の分からぬ、宝具達のことですか」
「おそらく……、それだ。できれば、買い戻したい。いくら払えばいい?」
これは、賭けである。ダグナスが真に宝具の価値を理解していれば……、とんでもない値段をふっかけてくるはずだ。あれには、それだけの価値がある。
「残念ながら殿下。十二個の指輪のうち、既に六つは、とある宝具好事家の貴族に、売ってしまいました。
「クソ……、お前の仕事の速さには、つくづく、ムカつかされる。」
「ありがたきお言葉です。殿下」
「なら。今残っている宝具を先に買い取りたい。特に、
そんな安い宝具を、高く売ろうとしたら、俺の機嫌をそこなう。すると、困るのは向こうのほうだ。
「
「!? ……馬鹿な!! あれは、貴重な宝具ではないぞ! 何故、欲しがるッ!
ダグナスは、何が面白いのか、笑みを浮かべている。
「いいえ。殿下。確かにあの宝具には……、
刻まれた名前は–––––、ゼロ。
教会最強のプリーストにして、
間違いなく、この世界におけるッ。
ゼロという名が刻まれた宝具。それが一体どれほどの価値を持つのか、俺には計り知れない。
だが、大事なのは価値よりも、価格だ。その二つは、必ずしも一致するとはいえない。売る人、買う人によって価格というものは、上がったり、下がったりする。ゼロの宝具という希少価値により、今回の場合は。相当。吊り上がったほうだろう。
いつもより、ずっと調子が良さそうだ……、ダクネスの奴は。俺の宝具で、随分と荒稼ぎをしたらしい。
「……お前は、俺のおかげで儲けたと言っても過言ではない。」
「えぇ。そうともいえますネ」
「その利益は、おそらく、情報量の値段を遥かに上回っている。だから、教えろ。宝具を買った貴族のことを。」
「教会最強の男が関わってくるとなると……、協力しないわけにはいきません。いいでしょう。」
ダクネスが、もったいぶる。表情は、得意げな顔であるが、こちらの隙を窺ってるように見える。抜け目のない男だ。
「貴族の名前は、ラズ・ラズベリー。」
「!? ラズ・ラズベリー、だと!? クソッ! なんでそんな偏屈野郎に、売っちまったんだ!」
ラズ・ラズベリーは、宝具収集家として有名だ。何故有名かというと、すごぶる性格が頑固なのだ。頑固で、偏屈。
できれば、会いたくはない。社交界の場に呼ばれすらしないほど、他の貴族から敬遠されている。
「殿下。ワタクシは、大事なお客様の情報を伝えた。今度は、貴方の番です。貴方は、ゼロの指輪を持っていた。はたして、殿下はゼロと、どう言ったご関係で??」
「………」
まずいッ! 勘が、良すぎる。やはり危険な男だ。神の名の下で、殺るか?
いや、まだ早い。核心に迫る前に、話を逸らす。これ以外方法はない。ダグナスにはまだ……、生きていてもらわねば、困る。
「さすがに、口は割りませんか。ならば……、私を、ゼロに紹介してください。ホホホ、無理でも構いませんよ、私の名前を、伝えるだけでも、商業効果として十分な期待が見込めますからね」
「……仕方ないな。」
内心安堵する。流石に、この男とはいえ、ゼロと俺を結びつけるには、情報が少なすぎたか。
「エクセレントッ!! ならば……ッ、殿下。ワタクシ、貴方様の、今ある宝具を、特別価格で、お売りいたしましょう!」
「……いくらだ」
「よくぞ、聞いてくださいました! 殿下。本来ならば、相当な金額を積まなければなりません。しかし、私と殿下の仲。今ならば、六つの指輪合わせて–––––、金貨百万枚で、どうでしょう?」
※
王宮に戻った頃には、既に日は暮れていた。夕日が落ちかけで、辺りはすっかり赤い。普段はもっとオレンジ色の空模様なので。どこか不気味である。
聖勇者との出発時間は、もうじきである。
俺は、最後に、入念に、
安心したまま、王宮を出る。
「あー! おっそいよ、ロゼ。まったく。時間ギリギリだなんて、感心しないな。僕なんて、三十分前から待ってるんだから!」
「知るか。五分前には着いてる。いいか? 五分前は……、ギリギリとは……、言わないッ。遊びに行くわけじゃ、あるまいし。それに、早く来すぎるのは……、逆に、迷惑になる可能性が、ある。」
「……そうだね。デートじゃ、ないもんね。……ハハ。ごめんね。なんだか、僕一人だけ盛り上がっちゃって」
しゅんとした様子で、落ち込む男は。黒目黒髪の美男子。聖勇者、シオン。俺の
男の割には華奢な肉体。肉付きは良い方だから、筋肉は、おそらくあると思う。パッと見、聖勇者には見えない。
だが、シオンを勇者たらしめているのは、見た目じゃない。威厳を感じさせる伝説の鎧。フェンディルの鎧を身につけていることだ。
「あー、そういえば、さっきさ––––」
シオンが何か言いかけた時、影が伸びた。
夕方特有の。冷ややかな風を感じる。真っ赤な空からはゆっくり手が伸び、俺の袖をそっと掴んだ。
真っ赤な髪、真っ赤な目。セミロングの長さの髪は、真っ赤な夕日を背後に、美しい。
そこには、泣きそうになったマルタが、いた。
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