6
真っ赤な太陽 沈む砂漠に
大きな怪獣が のんびり暮らしてた
ここではたくさんの物事が乾いている。深淵を溜め込んだ
ここはまるで砂漠のようだ。もうずっと以前から、
僕は遠い所に名前を置き去りにした。現在まで来てようやく気づいた。名前こそが人間性だ。僕の追憶にすら小奇麗な
それはさながら旅立ちの刻に贈られた記念品のジオラマのようだ。愛ばかりが散らばっているわけじゃないからこそ一等愛おしい、懐かしきあの灰色の街。そこに暮らす人々。僕は青いまま腐りゆきて。透明なガラスのような心像障壁に覆われているから、ジオラマより外には出て行かれない。だけれど、僕はそのことには気づかない。街から出て行こうとしないまま。この街からは出て行けないんだと知れないまま。
それはなんという幸福だろう。盲目という幸福だ。続けたければいくらでも続けられる、諸刃の幸福。ただし、世界が許してくれる間だけだ。
盲目から得られる幸福は煙草から得られる快楽物質に喩えられる。その行動理念もまた喫煙という行為に喩えられる。
僕が一時期中毒だった煙草のメーカーはかいじゅう17だ。立ち昇る紫煙で世界の輪郭を曖昧にぼやけさせて、自己防衛本能を触発されて貼り付いたニヒリズムな笑みをもくすませて、見せず、見せられず、己が紫煙で己が姿を隠すことでなんとか人のフリを保つことができていた。だけれど、かいじゅう17の喫煙が良しとされなくなった途端、裁かれて然るべき規律違反者となった僕は問答無用で咥え煙草をぶん取られて、世界から追い立てられる羽目になった。
〝盲目を許容するな〟
〝そこから得られる幸福は奪い尽くせ〟
自分が一番かわいいで利害が一致した大衆から沸き上がるシュプレヒコール。酸欠で喘いだ果てに死んだ魚のような、充満する煙に白く濁った瞳が、蒼白い鬼火のようにぼうっと浮かび、そこかしこで狂乱の宴をおっぱじめる機会を窺っている。
僕らの盲目を許容しない大衆は悠々と煙草をふかしている。一本どころではない、幾本も咥えて
否が応でもクリアな視界を授けられた僕は、嫌だったのに気づいてしまった。世界は深淵を溜め込んだ綻びにまみれている。
いつの間にやら世界の日常は深淵ありきになってしまっていたけれど、深淵の側はきちんと盲目な人々の異常な平常が目についていた。深淵を無視している時、深淵もまたこちらを無視しているとは限らないのだ。どころか、深淵は息を殺して、世界を侵す機会を窺っていた。
ある朝目覚めたら 遠くにキャラバンの
鈴の音聞こえたよ 思わず叫んだよ
当人にすら思い出せなくなるほど永い間被せられてしまいには癒着しきってしまった、咎められる隙をかなぐり捨てて摩耗しながら暴走し続けることを選んだ、義憤──では断じてない。加虐心。それはこれまでに沢山の命を食い荒らしてきた。
批判ノット誹謗中傷。
意見交換ノットマウント合戦。
唯一無二ノット多勢に無勢。
懲役ノット死刑。
それ相応の罰を求める。かいじゅうには人の街に無断で
海が見たい 人を愛したい
怪獣にも心はあるのさ
ある曇天の日、潮の香がビロードみたいに垂れ込める街の外れを歩いていたら、足元に空いていた深淵がもの悲しげな声音で言った。
〝もしも人々がこんな形でしか団結できないのなら、ある程度は仕方が無いだろう?〟
はぐれっ子のように、堪え切れない寂寥感が含まれた、外れに揺蕩う街の喧騒の余韻の最中で、そう不意に尋ねられたかいじゅうは、全身灰色の恰好から
出かけよう 砂漠捨てて
愛と海のあるところ
自分の欠落を他者から取り立てようとする人々。奪われた命と引き換えにして満たされる狂った承認欲求は目も当てられないほど醜悪であるけれどもしかし、大なり小なりみな抱えているものだという事実を受け入れたくない大衆は後ろ暗い絆を稼働させて暗黙の内に連携を図り、吹きかけた煙の最中まで事態を追いやって、根本的な原因の解決を先送りにしてしまう。それはこれまでに沢山の命を食い荒らしてきた。
かいじゅうは人間よりも犯罪率が高い。
引きこもりが多い。
精神疾患患者が多い。
凶暴だ。
思慮や献身に欠ける。
夜を好む。
陽を嫌う。
人混みを苦手とする。
寡黙だ。
人々はそれぞれ
──〝そういえば〟あの子はどうにも人と違うところが多かった〝ような気がする〟。だから、〝そう言われればそうかと納得できる〟
刺々しい電波に乗って放映された声はさもさも知ったげに語り、経験があるかのように恐れ、仇のように憎悪する。
──〝こわいですね〟
──〝そうですね〟
僕らには誰かからよぅく注意を向けられていた覚えなんてないんだけれど、おかしいな。涙が出てくる。笑いすぎて。おかしくて。ほんとうだ。いや、単なる
僕らは人の眼をなによりもこわいものとした。いつだって、そこは悪意が一番初めに表れるところだった。
真っ赤な太陽に昇るたつまきを
大きな怪獣は 涙で見つめてた
深淵は街を起点にいまなお生まれ続けている。まるでこの惑星の表層に誕生した
退屈でも安寧さえ獲得できればいい僕は、こんな劇的で
この世界では僕らの心なんてないものだ。かいじゅうたちは殺され続けている。幾人も。幾人も。幾人も。幾人も。幾人も。やがては、幾匹も。
自分の足跡に 両手をふりながら
東へ歩いたよ 朝昼夜までも
皮膚だったり髪だったり、心許ない身体のありとあらゆる部分から色素の抜けた、なんとも格好つかない灰色の恰好をしたかいじゅうは、さながら敏感過ぎる小動物のように、音のした方角を振り返った。
──パンッ。
それは波の砕ける音に似ていたけれど、草もまばらな高原のようにささくれだった僕の鼓膜は妙に悲しげな囁き声で〝銃声だ〟と伝えてくれた。
背景の曇天と曖昧に入り混じった輪郭は、味気ない蜃気楼のように揺らいでいる。
そこは人の街だった。僕の知らない街。だけれど、街は僕を見張っている。かいじゅうを見つけたと
僕は肌を粟立たせる。遠方から響く銃声に、僕はよくよく怯えてしまう。
足元に空いていた深淵は言った。
〝これはわたしたちが生まれた音だよ。街のほうから聞こえただろう? こんな空模様の日には、わたしたちがよく生まれるんだよ。あいつらはなんでもかんでも自分の思い通りにならなけりゃ気が済まない。空に向かって唾を吐いたりするんだ〟
〝そうなの? この音は、僕の懐かしい心像風景……あの街のジオラマから漏れた音なのかと思ったよ。あんまりに鮮明な銃声に聞こえたから、つい、郷愁に浸ってしまったよ〟
〝これは銃声だよ。わたしたちの生まれる音だよ〟
深淵は可笑しそうだった。そして悲しそうだった。
憤っているようだった。
僕の姿形を侮蔑して、己が姿形を嫌悪した。
温もりに飢えていた。
眼つきは冷え切っていた。
〝仕方が無いんだ〟
僕にどんな返答をする気も起こる気配が一向にみえないと知るや、深淵はまるでにがい食べ物に気を悪くしたみたいに吐き捨てた。銃声の音が絶え間なく響いていた。まるで海の側にでも立ち尽くしているような感じだった。
〝こんな形でしか、人々が団結できないのなら〟
深淵は粟立つ肌から滑り落ち続ける僕の灰色を浴びながら、泣き疲れた迷子みたいに茫然としていた。僕はもうかいじゅうになり果てていたから、取りなすように、ただ首肯してやった。
僕には僕の楽しさも悲しみも怒りもまるでどこか遠いところに暮らしている誰かの微睡みみたいに感じられた。人々からないものとして扱われ過ぎると、僕らは僕らの心をないがしろにするようになってしまう。
僕は色を抜かれたかいじゅうだった。僕は久々に笑みという表情の歪みを作った。
人々はなにが望みなんだろう。灰色の手を億劫がりながらも差し伸べる。深淵はなにもこわがらずに僕の諦観を食べようとした。どうせまた、すぐに吐き捨ててしまうくせに。
〝君たちはなにが望みなの〟
僕は問う。
〝こんな深淵を幼い命たちが遊ぶ世界に蔓延らせて、取り返しのつかなくなったことから都合よく目を背け続けて……人々の心はいったいなにを獲得すれば、いつになったら、優しい凪を迎えるの〟
〝そんなのないよ〟
深淵は考える素振りも見せずに答えた。
灰色のかいじゅうはやるせなさに苦しみながら、ただ、首肯してやった。
たとえ、僕らがこの世界から
みんな、孤独でカラカラなんだな。
そして、恐ろしく怠惰だった。
〝自分に活ける花を自分で探しに行けばいいだろ。蹴落とすためだけについた足なのかい。愛おしい手のひらで底を塞いでもらえばいい。親指ばかり立てていたってどうにもならなかったじゃないか。水なんて幾らでも湧くんだよ。僕らは本当は枯れない井戸を持ってるんだ〟
刹那、深淵は僕を一呑みにした。沸騰した静脈血のような中身が僕の輪郭に隙間なく纏わって、どんどん、溶かして、喰い破っていく。世界中に蔓延る人々のくぐもった声が一斉に僕の中枢までなだれ込んできて、嗚咽が絶え間なく洩れてしまうくらいに揺さぶってきた。
〝ろくに知りもしないくせに! 知った風な口を利くな! ろくに知りもしないくせに!〟
〝知ってるよ……君たちに奪われてしまったんだ。知りもしないくせになんて言うなよ〟
少し、意図の読めない間が空いていた、ような気がした。
〝仕方が無いんだ〟
海が見たい 人を愛したい
怪獣にも望みはあるのさ
うだるような炎天が鉄臭さ混じりにけぶっていたとある夏の日、異質の排斥を良しとする風潮がとうとう世界を取り巻いて、狂った嵐が沢山を奪った。
かいじゅうは人間よりも遥かに数が少なかったから、散り散りになって逃げることが、僕らにとって一等可能性のある生存戦略だった。だけれど勿論、生まれ育った街に留まるかいじゅうもいた──かいじゅうたちは望まぬ変化を毛嫌いする。だから、こういう選択を取ったかいじゅうは多かった。僕らのほうこそが特殊だったと言い換えてもいい──し、時間を経ていくごとに
かいじゅうを庇う人々もいた。かいじゅうを排斥する人々との争いが勃発した。結果がかつてないほどに明白な、第~次と継がれることは一度としてないだろう〝世界大戦〟だった。
人間社会の圧力に負けじと声を上げる人間なんて言わずもがな極極少数で、そういう人々はかいじゅうの家族だったり、恋人だったり親しい友人だったりして、かいじゅうと心を通い合わせた──言ってしまえば、かいじゅうが人間とされていた頃はかいじゅうと共に排斥される側に回されてしまいそうだった、人に染まり切れない人々──僕にも幾人か覚えがある、そういう人々が、無抵抗なかいじゅうの代わりに抵抗する姿はあんまりにも痛々しくて、僕はまともに眺める度に、罪悪感と自己嫌悪の波に打ちのめされて、溺れた。そのまま浮上せずに消失したかいじゅうも多くいた。彼らは時間の流れが残された人々の悲しみを気がつかないくらいにゆっくりと腐らせて、ついにはあえて感じなくなるくらい心の許に還してくれると信じていた。
弾幕が頭の天辺の間近を飛び交う線引きも分別も無い戦場の最中で、かいじゅうたちは的みたいにやり返すことをしなかった。哀しい光をたたえた瞳に
僕らは正しく怒る方法を知らなかった。怒りの火は諦観の灰の最中ではあんまり長くも強くも燃ゆることはできない。かいじゅうとか呼ばれているくせに、僕らは誰かとぶつかり合うのに向いた構造には作られていなかった。教室でもどこでも、小さな社会的集団が形成されている戦場には鋭利な刃なり重厚な銃火器なりを内蔵した鋼鉄のロボットが要りようだけれど、僕らはそんなおっかないものを内側に隠し持つことすらもままならなくて、燃料だけ喰っててんで役に立たずに稼働する目障りなガラクタとして、頭を垂れつつ日陰を選んで暮らしていた。それらをいざ引っ張り出して壊すとなれば、これほど容易い戦争も無かった。
もしも、コミュニケーションが感情と感情をぶつけ合い、砕け散った互いのそれから共通の核を見つけ出してハッと気づき合う、そんな瞬間のために在るものならば、僕らはやはりまともには生きていかれない。この世界ではいつだってコミュニケーションが要求された。僕はその都度失敗して、やがては億劫になって、先んじて拒絶するようになった。
僕の諦観はここから湧いてくるのかもしれない。たとえば理不尽な攻撃に曝されたとして、それは僕がコミュニケーションを拒絶しているせいだ、これは不誠実な不戦敗に回ってきたツケだと、どこへも行けない
みんなやれているのに、僕だけができない。言い返すこと。喧嘩をして、険悪になって、でもやがては握手をして仲直り。血みどろなラブアンドピース。そういう場合は、きっと、結果オーライを適用してもいい。
『郷に入って郷に従え』が世界で最も利口な生き方なら、僕らの生き方はやはり下手くそだった。
新しい太陽は燃える 愛と海のあるところ
新しい太陽は燃える 愛と海のあるところ
あちこちで乱立するスピーカーや拡声器から奏でられている歌。澄み切った後悔と茜色の憂愁を抱えながら、僕は砂漠を歩いていた。
これは、とうとう圧力に押し潰されそうになるまで追い込まれた人々がやっとの思いで絞り出した声──僕の旅路のテーマソングだ。
小学生の頃、合唱コンクールで自由曲として歌った覚えがある。あの思い出も散りばめられた伏線の一つであるのなら、よくできていると思うし、まったく良くないなぁと思える。
僕は砂漠を歩いている。海が近いような気がしている。
その海を踏み越えたら島があるかもしれない。孤島だ。安寧と愛に満ち溢れたかいじゅうたちの孤島がある。
僕はとても苦しくて、侵蝕してくる深淵や沸き立つ
真っ赤な太陽 沈む砂漠に
大きな怪獣が のんびり暮らしてた
俯きがちになりながら、放浪に痛む足を繰り出した。まるで春一番のように噴出してくる心像があまりに眩くて、僕は僅かばかり目を細めた。
ある朝目覚めたら 遠くにキャラバンの
鈴の音聞こえたよ 思わず叫んだよ
僕は街を出て、世界の動向を見つめる使命を全うした。いつかの僕が予見していたように、かいじゅうたちの心はないものとされた。みんな、世界を取り巻く嵐に巻き込まれているフリをした。小狡いやり方で、自分らに責任が向かないように、無知で無罪な義憤を装いながら排斥を進めた。
海が見たい 人を愛したい
怪獣にも心はあるのさ
いままで下手くそなりにも人間として生きてきた過去は幻だったのかと思えるくらい、かいじゅうたちはなんの躊躇いも疑念も抱かれないまま、元は同じだった人間に排斥された。
出かけよう 砂漠捨てて
愛と海のあるところ
ここよりずっと西の空でナパームが光った。上手いこと実感が湧かないくらい、膨大な数のかいじゅうが死んだ。人々は隔離されていたので無事だった。よかったねと謳い合う晴れやかな声だけが電波に乗せられて放映された。それだけが失われた命と引き換えにして生まれた感情のすべてではないと、いったいどれだけの人が、まだ、考えることができただろう。
真っ赤な太陽に昇るたつまきを
大きな怪獣は 涙で見つめてた
旅の途中、幾つもの煙が立ち昇っている情景を幾度も見かけた。僕のスケッチブックに溜まっていった灰色の絵は、その内の幾枚かを省いたやつ以外は、僕の趣味嗜好とはなるたけ距離を置いて描かれた写実的なスケッチだった。きっと、煙の立ち昇る頻度が増していくにつれて、空模様が曇天になる傾向も高まっていたのだ。垂れ込める暗雲から降り注ぐ雨粒もけぶるほどに充満していた煙のせいで、僕は絶えず、にがみのある涙をくすむ眼に張っていた。
自分の足跡に 両手をふりながら
東へ歩いたよ 朝昼夜までも
かいじゅうたちが減少したおかげで、その分、人類の領土を取り返すことができたという。食い
海が見たい 人を愛したい
怪獣にも望みはあるのさ
僕はかいじゅうだった。名前も心も望みも奪われてしまった。砂漠に残った足跡を辿ってくれるような人がもしもいるならば、僕のことなどはもう、どうか忘れてほしかった。懐かしきジオラマに暮らす僕のようには最早どう足掻いたって戻れはしなかった。僕はかいじゅうだった。仕方が無かった。これだけが、いまの僕にとっての愛のすべてだった。
新しい太陽は燃える 愛と海のあるところ
新しい太陽は燃える 愛と海のあるところ
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