妖精のイタズラ
森へ入ってからどれくらいの時間が経ったのだろう。
予想通りというべきか、私は迷子になっていた。有名な童話のように(けれどパンはないから小石を)小石を目印にしていたのだけど、それもわからなくなってしまったのだ。
空はどっぷり沈み、ホーホーとどこかで鳥の鳴き声がする。
困ったな……どうしよう……。
進むことも戻ることもできなくなり、途方に暮れる私の耳が小さな声を捉えた。注意して聞かないと聞き漏らしてしまいそうなほど小さな、囁くような話し声。
誰かいる?
よかった、道を訪ねよう、これで帰れる!
そう思った私は急いで声が聞こえる方へ走り出す。
『ねぇもうやめようよぉ』
『ならお前だけ帰ってろよ』
『嫌だよ!なんでそんなこと言うのぉ』
『アア!モウ!』
そこに居たのは小人、だった。
だった、というのは私が小人を見たことがないからで――その身体的特徴から小人と判断したのである。
背丈はおよそ手のひらぐらいで、クリっとした大きな瞳はガラス玉のように透き通り、スラリと伸びた体躯がよりいっそう神秘的だ。
私は二人(二匹?)に見つからないようそっと隠れる。
人間以外は
(礼儀とか挨拶とか違うかもしれないし、失礼なことして怒らせるのもイヤだし)
葉の間から様子を覗く。
二人は何か言い合いをしているようだった。
私から見て右側の、弱気な子は瞳にたっぷり涙をためて今にもこぼれ落ちそうである。腰まで伸びた鮮やかな青緑の髪は、毛先にかけてまるで液体のように空中に溶けて馴染んでいる。
強気な子は弱気な子を叱咤しているようだ。小さな口が大きく開かれ回転する。カーマインの髪が声に合わせて揺らめいている様はまるで炎のようだ。
……出て行くタイミングを失ってしまった。
『ルチアーナが可哀想だよぉ!』
不意に私の名前が呼ばれてドキリとする。
――なんで私の名前を?
それから、堰を切ったように泣き出した弱気な子はその場にへたり込んで顔を覆った。おいおい泣く弱気な子を前に、強気な子はバツが悪そうな顔をして黙りこくる。
非常に気まずい。
これはどうやら自力で森をぬけた方が良いようだ。その場を離れようとゆっくりと後ろに足を踏み出して――パキ。心臓が跳ねた。
『ダレ?!』
枝を踏んでしまったらしい。足元で軽い音が鳴った。小さな音だけど、この静かな森では充分に響く。
存外、肝が据わっているのだろう、弱気な子が私に向かって真っ直ぐ飛んでくる。
飛ぶ?小人は飛べるの?
逃げるにも逃げられない私は思わずギュッと目を固くつぶった。
長い沈黙。
恐る恐る目を開けると、私の目の前で弱気な子がキラキラと文字通り瞳を輝かせている。その後ろで強気な子はポカンと口を開けていた。
「……えっと、こんばん――」
『ルチアーナだぁ!』
私の言葉に被せてその場を旋回して弱気な子が叫んだ。飛んでいるのは見間違いなどではなかった。
楽しそうに周りをクルクルと回って、何度も確かめるように私の顔を覗き込む。何が起きているのか、ついていけない私はその様子をただ見ているだけである。きっと、強気な子と同じ表情をしているだろう。
クフクフ笑いながら飛ぶ様子は、さながら水中の魚みたいで、私は見蕩れてしまっていた。
ヒレのように舞う髪から光の粒が溢れている。
光の粒は魔力の証だ。
よく見ると、強気な子の周りにも光の粒が舞っていることに気づく。
「綺麗……」
ハッとして口を抑える。
思ったことがつい口をすり抜けてしまった。
『キレイってぼくのこと?嬉しい!』
『お、おいアイレ……オレたちのこと見えてるぞコイツ』
『嬉しいよぅ、ルチアーナにぼくたちが見えてるなんて!フエゴも嬉しいでしょう』
アイレと呼ばれた弱気な子は、青ざめた強気な子(フエゴというらしい)とは違って私に見えていることが嬉しくて仕方がないという様子だ。
「あの、あなたたちはもしかして……妖精?」
私の言葉にアイレは飛び回り、フエゴはいっそう顔を青くする。
二人の反応からするに、妖精というのは正解らしい。
妖精って人間には見えないんじゃなかったの?強い魔力を持つ種族とか魔力を増幅する道具や薬を使えば存在を感知できるって聞いたことあるけれど――もちろん、私はそんなもの使っていないし魔力も一般的な人間の量しかない。
『ア!そうだよフエゴ!ルチアーナをはやく帰してあげて』
「え?」
『フエゴったら意地悪なんだよ。いつもいつもルチアーナを迷わせてぇ』
『バカ、やめろ!』
「あ、あなたのせいだったの……」
どうやら私が森で迷子になるのは、妖精のせいだったらしい。
いわゆる、
おまじないのようなものだ。
まず人間には妖精が見えないので、信じているものは少ない。
フエゴが青ざめているのは、そのイタズラがバレてしまったという焦りからのようだった。
「
さっきまでの強気な態度はどこへやら、小さくなって震える姿がとても可愛く思えて、そんな提案をしてしまう。
アイレとフエゴは目を輝かせて全身で頷いた。
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