第3話 「カラスの管理人」

「じゃあ、ここが〈雲の世界〉っていうのも……」

「ええ、本当です。この子たちのような雲龍が暮らす、私たち〈地の世界〉とは異なる次元に存在する世界です」


 そんなことってありえるのだろうか。架空の生き物とされてきたドラゴンが存在し、僕らが普通に生活してきた世界のほかに、また別な次元が存在するなんて。

 話だけ聞いてみればとことんファンタジー要素しかないが、逆に男の言った言葉が嘘だと思える個所はただ一つもなかった。目の前のちびドラゴンは確実にロボットではないし、〈雲の世界〉と〈地の世界〉という話も、空の急な変化を考えれば説明がつかないこともない。


「ね、ね、働いてくれるの? あたし、おにーさんと遊びたい!」

「え、えっと……」

「ん? もしかして、この子の声が聞こえているんですか?」

「え、え、はい」


 まだまだパニックから立ち直れておらず、僕はきょとんとして返事をした。すると、途端に男は目を光らせて僕に詰め寄ってきた。


「冗談じゃ済みませんよ、本当に聞こえているんですか?」

「だ、だから、聞こえてますって! 遊ぼ遊ぼって連呼されてます!」


 妙な迫力に気圧されながらも、僕はなんとか言い切った。男は険しい表情で何やら考え込み、空を見上げた。その仕草はまるで、空にテストの答えが書かれている、とでも言いたげだった。

 男が考えこんでいる間、僕は目の前のちびドラゴンをもう一度観察した。基本的に鱗の色は白で、ふさふさの毛や角、翼の皮膜は淡い水色になっている。その瞳は、太陽のように金色に輝いていた。


「クロウ、何を考えてるの?」


 不思議そうにちびドラゴンは男のことを見上げた。クロウ《カラス》。あだ名か何かだろうか。


「君のせいで、いろいろと困ったことになってるんですよ」


 クロウはため息をつき、僕のことを上から下まで眺めまわした。本当に仕事を引き受けさせるのに値するのか、それを判断しているようにも見える。


「あの、そんなに考えこむんだったら、張り紙なんか出さなきゃよかったじゃないですか」


 バイト募集の張り紙を出したからには、当然——かなりのへまをしない限り——仕事をさせてもらえるものだと思っていた。だが、目の前にいるクロウは、難題を前にしているように眉間にしわを寄せている。


「いや、あれは私が作ったのでは……」

「私だ」


 またまた違う声が割り込んできて、僕はげんなりすると同時にやはり辺りを見回した。その声はクロウにも引けを取らないほどよく通り、彼よりは少し低い。


「ピクエノを見られてしまった時点で、もう雇うよりほかないだろう」


 声の主は姿を現した……が。相手の姿を見て、僕は目を白黒させた。

 僕の三倍はあろうかというほどの巨大な龍が、目の前にふわふわ浮いていたのである。


 ピクエノ——おそらくちびドラゴンのこと——はザ・ドラゴンという見た目をしていたが、この新たな生物はザ・龍という姿をしていた。

 トカゲというよりは蛇に近い体。その背に翼はないが、体は常に宙を舞っている。口の周りには威厳を感じさせるひげ。鼻のわきからはナマズのような二本の太いひげも生えている。瞳はピクエノの金色とは違い、夜闇のような群青色だった。

 だが、こんな凛々しい龍にもピクエノとの共通点があった。それは、白と水色を基調としているということ。体表は白で、それ以外の部位はすべて水色。まるで、空のような配色だった。


「りゅ、龍……」


 目の前に次々と空想上の生き物が現れ、僕はすっかり混乱状態に陥ってしまった。ゲームや小説の中だけだと思っていた生物が、まさかこの世に存在するなんて。


「あなたが勝手に貼り紙を出すから……」


 その言葉を聞いて、僕はとあることに気が付いた。あの貼り紙に描かれていた龍は、まさしくいま僕の目の前にいる龍そのものだ。相当絵が上手いのかと思っていたが、目の前に本物の龍がいるところを見るに、あれは写真だったのかもしれない。


「雇う……んですか?」

「当り前だ。そのための貼り紙だ。しかも、話を聞くに、この子は私たちの声が聞こえるそうじゃないか。都合がいいぞ」

「いやいや、それ以前に驚くべきことがあるでしょう。この子は、あなたたちの声——〈雲の声〉を聞き取ることができるんですよ。これは……」

「君は彼を雇わないつもりなのかね? だとしたら、それ以上の情報の漏洩はお勧めできないかな」


 龍はクロウに鋭い視線を向けた。彼はしまったというふうに口をふさぎ、僕に向きなおった。


「えー、えー……」

「これからどう説明するつもりかね? 私たちは夢だ、だとでも言うつもりかね」


 我ながら、それは無理がある。もう僕はピクエノの体に触れてしまったし、いま一瞬で気絶させられてベッドに担がれたとしても、これを夢とは思えないだろう。幻なんてさらに無理な話だ。


「……これは夢、です」

「無理ですね」


 僕は速攻で答えた。すでに龍に対する恐怖心や不安のようなものはなくなっていて、僕はどうしようもない好奇心にとらわれていた。


「君は私たちの『管理人』だ。だから、基本的な物事の決定権は君ある。どうするかは君次第さ」

「そう思うのなら、貼り紙を張り出す前に一声かけてくれれば……」

「どうせ断っただろう」


 どうやら、あの貼り紙は龍の独断で貼りだしたらしい。クロウがそのことを知ったのは貼ってから少しした後で、もう回収するには遅いと判断して、渋々バイトの受け入れをしようと考えたのだろう。しかしなぜか、バイトにやって来た僕という高校生は、本来聞こえるはずのない龍の声——〈雲の声〉が聞こえてしまった。だからこうして悩んでいるのだろう。


「あなたの方は構わないのですか? あまり声を聞かれたくないと言っていましたけど」

「君には聞かれたくないな」

「……そうですか」


 無事に微妙な仲になったところで、僕は居心地悪さに足を踏みかえた。険悪な空気にしたいのなら、身内だけでやってもらいたい。僕は一応まだ赤の他人なわけであって、人のケンカ見たさにこうして山を登ってきたわけではないのだ。


「あのー、で、僕はどうすれば……?」


 正直、ここで『ダメです』と言われても、僕はあまり帰る気がなかった。ここまでドラゴンや龍をさんざん見せておいて、いまさら帰れなんて言われても素直には従えない。


「……分かりました、分かりました!」


 もう何を言ったところでどうしようもない、とでも言いたげにクロウは言い放った。僕はその言葉に喜ぶと同時に、いまさらながらに不安があふれてくるのを感じた。


「そ、そういえば、管理人の仕事内容って……?」

「そんなに難しいものではありません。あ、そういえば」


 クロウは話題を変え、自らの右手を差し出してきた。


「私の名前は白浜黒兎シラハマクロウです。君がこれからする管理人の先輩ですね」

「ぼ、僕の名前は木龍琥白キリュウコハクです。よろしくお願いします!」


 クロウはにっこり微笑んだ。

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