第2話 「〈雲の世界〉へご案内」
森の中を進むにつれ、僕は奇妙なことに気付いた。この森は、そんなに広くないはずなのだ。ただでさえ町の西端に位置している小さな森であることに加え、まだ地図が仕えた時ですでに森の端の方に来ていたのだ。それなのに僕と男は、まるで縄文時代にタイムスリップしてしまったかのようにずっと森を歩き続けている。
「こんなに森、広かったでしたっけ?」
思わず質問が口を突いて出た。男はちらりと僕を見下ろし、再び前に向きなおる。
「いいえ。ここはすでに、先ほどまでいた森とは違っています」
「違うって……え!? じゃあここはどこ!?」
「〈雲の世界〉、とでも言っておきましょうか」
「〈雲の世界〉……あっ!」
『雲』という言葉につられて空を見上げてみると、驚いたことにそこには、先ほどまでなかったはずの雲が大量に浮いていた。今まで見たことがないほど雲は真っ白で、晴れ渡っているわけではないのにそれ以上の明るさを感じた。
「どどど、どういうことなんですか!? ここはどこなんですか!?」
「ここは〈雲の世界〉。それだけです」
「ぼ、僕、帰ります!」
不安と恐怖が募ってきて、僕はそう口にしていた。いきなり『龍』とか〈雲の世界〉とか言われて、あまりにも怪しすぎる。新手の宗教か何かに放り込まれてしまいそうな雰囲気だ。
「帰るなら帰るで構いませんが……」
男はそう言い、ちらりと視線を道の先へ向けた。
「目的地に到着したということだけは、お伝えしておきますね」
僕は男の視線を追い、目を瞠った。そこには、大量の花々、草木が周りで咲き乱れる真っ白な建物が悠然と建っていたのである。普通、建物の白と言えばある程度灰色っぽくなってしまうものだが、目の前の建物は、それこそ夏の雲のように真っ白だった。
「こ、ここが仕事場……?」
「正確には、事務所のような場所ですけどね。本当の仕事をする場所は、こことは別な場所です」
建物から僕に視線を戻し、男は真剣な表情で言った。僕は真っ白な建物から目を離せず、ぼーっと男の言葉を聞いていた。
「どうされます? 帰っていただいても構いませんが、ここまで来たなら……」
僕は少しだけ考えこんだ。言葉の一つ一つに男心をくすぐられるが、新手の宗教か詐欺会社かのどちらかとしか思えない。好奇心のままについていって、取り返しのつかないことになってしまったら後悔のしようすらない。
「帰ります……」
そうつぶやくと、男は心底残念そうな顔をしてうなだれた。
「そうですか……。いえ、お気になさらないでください。慣れっこの反応です」
少し悪い気もしたが、僕はすぐに回れ右をした。面倒ごとに巻き込まれるのは御免だ……と思った矢先のことだった。
「あれー? お客さん?」
「あ、こらこら……」
小さな女の子の声が聞こえ、僕は自然とあたりを見回した。だが、子供らしい子供の姿は見当たらない。代わりになぜか、男が妙に焦った様子で辺りをきょろきょろしている。
「……? 事務所に子供がいるんですか?」
好奇心交じりに問いかけると、男は冷や汗の滲む表情で手を振った。
「い、いえいえいえ、お気になさらず。どうぞ、お帰りください」
「お客さーん?」
「こら、戻ってなさい!」
男が怒鳴った直後、僕はとんでもないものを目にしてしまった。男の背後から、とあるものが飛び出してきたのである。
トカゲ……ではない。その背にはコウモリ翼がついており、頭には二本の角がついている。背骨に沿うように薄水色の——空の色のような——ふさふさ毛が生え、口の端からはサーベルタイガーのような牙が生えている。
「ど、どどどドラゴン!?」
そう、突然飛び出してきたそいつは、ドラゴンとしか思えない見た目をしていたのだ。大きさは中型犬程度しかないが、アニメや漫画に出てくるドラゴンをそのまま縮小したかのような姿をしている。
「あっ、ちょ、これは夢です! ゆめゆめ!」
男がちびドラゴンの前に立ちふさがりながら、両手を全力で振っている。だが、僕の方は夢とか言われてももう信じられない。いきなりそのちびドラゴンが飛びかかってきたのだ。
「ぎゃあ~! 襲われる!」
「お客さんだ、お客さんだ! 珍しいなあ!」
「食べられる!」
「ねーねー、一緒に遊ぼ? ね?」
「こら、こら、離れなさい!」
しばらくこの場はカオスと化した。ちびドラゴンは『遊ぼ』を連呼し、男は狼狽しきった様子でちびドラゴンを引きはがそうとし、僕の方はこのちびドラゴンに襲われたと勘違いして腰を抜かしてしまっていた。
「いい加減にしなさい!」
「はーい」
さすがに本気で怒られ、ちびドラゴンはやっと僕から離れてくれた。僕は痛いほどに早鐘を打つ心臓を落ち着けようと左胸を押さえ、目の前にいるちびドラゴンをまじまじと見つめた。ロボットとは思えない。当然ホログラムとかでもない。
「ほん……もの……?」
「……はあ、そうです、本物です」
もうどうにでもなれ、とで思ったのか、男はあっさり認めた。それと同時に、ちびドラゴンがぴょんぴょん跳ね始める。
「お仕事するの? ここで?」
「ま、まさか、管理人って……」
「考えていらっしゃる通りです」
男は嘆息交じりに言い、目をつむった。
「この子たち、『雲龍』の管理人、でございます」
「じょ、冗談でしょう……?」
「冗談に思えます?」
ちびドラゴンを指しながら、男は冗談めかして言う。僕はそろそろと起き上がり、目の前にちょこんと座っているちびドラゴンの頭に触れた。あたたかい。ずっと人肌に触れさせた皮バッグに触っているような感触がする。
「じゃあ、ここが〈雲の世界〉っていうのも……」
「ええ、本当です。この子たちのような雲龍が暮らす、私たち〈地の世界〉とは異なる次元に存在する世界です」
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