雲の龍の管理人~時給三千円の不思議なバイト~

輪目洒落

昼日中~天色の空~

第1話 「バイト募集」

——【バイト募集!】時給三千円!——


 この謳い文句が目に入り、僕は思わず歩みを止めた。急いでいると頭では分かっていても、目は勝手に文字を追っていってしまう。


【条件】

・動物好きであること

・連続出勤することができること

※年齢は問いません。


 この二つの条件が大きく張り紙の下の方に書かれている。なぜかその隣には白い龍のイラストが描かれており、まるでそこにいるかのようにその瞳は輝いていた。だが、それ以外はいろんなところに煤のような汚れがついていて、張り紙の端も長年そこに貼られていたかのように破れてしまっている。


(連続出勤……)


 僕は袖をまくり、腕時計を確認した。夏休みまであと一週間。特にやることのない僕にとって、いかに時間をつぶすかを考える大変な期間が夏休みだ。

 そんな夏休みにバイトを入れるのもいいかもしれない。しかも、僕は生粋の動物好きだ。条件に『動物好きであること』と書かれているということは、おそらく動物に関連する仕事なはず。それなら喜んで仕事をすることができるだろう。


「住所……じゃなくて、学校!」


 遅刻寸前であることをやっと思い出し、僕は張り紙から目を離して学校への道を走り始めた。

 いったいあの張り紙はいつ貼られたのだろう。いつも同じ道を通っているから、昨日はなかったのは確認済みだ。つまり昨日の夜に貼られたということになるが、それにしてはずいぶんボロボロだったような気がする。


 僕は学校に着く直前までそんなことを考え、無事に先生に怒られたところで、その考えを頭から追い出した。きっと、あそこは人通りが多いから汚れてしまったのだろう。そうに違いない。


  ◇◇ ◇◇


「……?」


 僕はメモ帳に書いておいた住所をスマホに打ち込み、思わず眉根にしわを寄せた。


「森じゃないか」


 スマホとにらめっこしながら、僕はぼそっとつぶやく。そう、地図上のピンが指し示していたのは、完全に森の中だったのだ。この町の西端に位置している神社から、かなり奥に進んだところにピンが刺さっている。


(間違い?)


 本当はしっかりとした事務所かどこかの住所を表示させるつもりだったはずが、何かの手違いでこの森を示してしまった……とか。


(まあ、一応行ってみるか……)


 掲示して一日でこの間違いに気づいているとは思えないが、何か掲示があることを期待して行ってみるとしよう。もともと森や神社の類は大好きだ。あまり人と会わずに済む。


 その時、首筋にチクチクした視線を感じて僕は顔を上げた。僕の背後——窓に目を向けてみるが、人どころか猫一匹すらいなかった。自分で言うのもなんだが、僕は人の視線とかに敏感な方だ。気のせいなのだろうか。


 もしこの時、この視線の主に気付けていたら——気づきようもなかっただろうが——、僕は全く違う夏休みを送っていたことだろう。あれほど怖い、痛い思いだってしなかったはず。

 でも逆に言えば、あれほど嬉しくて楽しい思いもしなかっただろう。


  ◇◇ ◇◇


「はっ、はっ、はっ……」


 頭上でミンミンとセミが鳴いている。ただでさえ暑いこの空間に、このセミの声がさらに熱を加えていた。一歩動くたびに、普段使われない足の筋肉が悲鳴を上げ、僕は袖で頬を伝う汗をぬぐった。


(こんな猛暑なら、来なきゃよかった……)


 比較的今日は涼しめだと聞いてやって来たというのに、今日の気温はむしろ逆、近年まれにみる猛暑だった。普段は空にある真っ白な雲はすっかり姿を消し、青い空の中で太陽の光がギラギラ照っていた。


「……ん?」


 スマホを見つめながら山を登っていたが、なぜかその画面がふっと真っ暗になってしまった。いくら電源ボタンを押してみても、元の地図の画面には帰ってこず、黒い画面に僕の汗だくの顔が映っているだけだ。


(あれ? 充電してきたと思ったんだけどな……)


 夜の間ずっと充電器にさしていたのだから、まさか充電切れなんてことはないはず。山奥で圏外になったとしても電源は入るだろうし、まさか壊れてしまったのだろうか。


「あーもう!」


 スマホを地面に投げつけたい欲求を抑えつけ、僕はそう声を上げてからため息をついた。時給がいいから、と惹かれてやってきたのが間違いだったのだろうか。というかそもそも、あの張り紙自体がただの嫌がらせだったという可能性もある。ただただ人を森の中に誘い込んでそれを見て笑う……なんてあくどいいたずらという可能性。


(まあ、ここまで来たら……)


 最後に見た地図の中では、そろそろカーナビが『目的地周辺です』とか言って案内をやめてしまう距離まで近づいていたはずだ。あとは車同様、自分で探さないといけないが、なんとなく目の前に道は続いているし、すぐにたどり着けるだろう。


 女子ほどではないが男子の中では体力が少ない方の僕にとって、山登りは結構な重労働だった。ここに来るのに給料の倍はもらいたい気分だ。それにしても、時給三千円とはいったいどういう了見だろうか。相当難しくて危険な仕事なのだろうが、動物関連でそこまで厳しいとなると、なんだか続けていけるか不安だ。


 そんな不安を抱えながら森を歩いていくと、突然目の前に看板が現れた。僕は急いでそれに駆け寄り、看板に書いてある文字を読んだ。


『バイトの方はこちらへ→』


 どうせ道の向こう側が目的地だろうと思っていた矢先のことだった。なんと、看板に記されていた矢印は、道から大きく外れた東の方向を示していた。その方向を見てみるが、道どころか獣道の一つさえ見当たらない。しかし、看板の矢印は確実にそちら側を示している。


(こうなったら行くしかないか~)


 その矢印の示す方向へつま先を向け、僕は思い切って道を外れた。


 学校の席は一番端の窓側、家では親――親代わりの人間と言うべきか――の怒鳴り合いをBGMに屋根裏部屋で勉強をする。友達なんてこの世に存在せず、せいぜいいるとすれば本が友達だ、なんていうのが僕だ。別に陰気なわけでもなければ嫌な奴ではないはずなのだが、なぜか誰も近寄ってこない。

 前に思い切って隣の席の奴に聞いてみたことがある。そうしたら、少し言いにくそうにしながらもこんな返事が返ってきた。


『完璧人間すぎるから、みんな遠慮して近寄れねーんだと思う』


 確かに、成績優秀であるという自負はある。運動神経だって悪い方ではないし、性格も悪くはない……はず。だがそれにしたって、学力は一位だったわけではないし、運動だって記録らしい記録は残したことがない。完璧人間の名に相応しい奴は、ほかにもっといるはずなのだ。


 そんなことを考えていると、いつの間にかかなりの距離を進んでいたようで、僕の体は葉っぱだらけ、周りは木々だらけになっていた。ただ自分の感覚を信じて歩いて来ていたから、ここが本当にあそこからまっすぐの東なのかも分からない。コンパスでも持ってくればよかった。


「おや、バイトを希望の方でしょうか」


 さすがに不安になって引き返そうとしたとき、誰かの声がこの森に響いた。低くよく通る声で、声を聞いただけでその男の紳士さが伝わってくる。


「え、えっと……」


 声の出所を見つけられず、僕は困って言葉に詰まった。自分の姿が確認されていないことを察したのか、声の主はゆっくりと姿を現してくれた。


「こんにちは」


 姿を現した男は、二十代後半くらいで、かなり整った顔をしていた。立ち姿は中世の貴族を思わせるように美しく、手は前で組まれている。夏場なのにもかかわらず真っ白なコートを羽織っており、さらにその中にも白いシャツを着ているようだった。


「こ、こんにちは」

「ここにいらっしゃったということは、バイトでよろしかったでしょうか?」

「えっと、は、はい」


 この男のあまりの純白さに気圧され、僕はしどろもどろになりながらもなんとか答えた。唯一白くないとすれば、その髪と瞳くらいだった。髪はこの男に不釣り合いなほど真っ黒で、瞳も珍しいほどに黒い。


「それでは、仕事場の方へ……」

「ちょちょ、ちょっと待ってください!」


 まだ仕事内容さえ聞いていないのに、いきなり仕事場へ行くのは早すぎる。まだ僕は詐欺とかいたずらの可能性を捨てきれていないのだ。


「なにか?」

「いや、張り紙に詳しい仕事内容が書かれていなかったので……」

「ああ、そのことについてでしたか。それに関しては、仕事場へ行って実際に見てもらわないとうまくイメージできないかと思います」

「でも、ちょっと直接行くのは……」

「そうですね……」


 疑っているのがやんわり伝わってきたのか、男は顎に手を当てて考え込んだ。


 しばらくして、男はゆっくり顔を上げてそのまま天を見上げた。相変わらずセミがミンミン鳴いていて、太陽が照りつけている。


「この仕事は、いわゆる『管理人』になる仕事です」

「管理人? 何の管理をするんですか?」

「龍、です」

「へ?」


 龍、とは、架空の生き物であるヘビのようなアレのことだろうか。緑とか金色の鱗を持ち、なんかすごいひげをたくわえ、頭には長く鋭い角。翼が無くても空を飛ぶことができ、四肢にはなんでも切り裂く爪がついているとかついていないとか……。


「おそらく、あなたがイメージしていらっしゃる龍のことです」

「え、でも、龍って架空の生き物じゃ……」

「……となってしまわれると思ったので、実際に見てもらいたいなーと」


 男は遠慮気味に笑い、僕の返事を待たずに身をひるがえした。本来なら、ここでさっさと帰ってしまうべきだったのだろう。龍の管理人? 頭がおかしいとしか思えない。

 だが僕は、『龍』という言葉、そしてあの男の不思議さに惹かれて思わず後についていってしまっていた。これが僕の運命の分岐点であるとは知らずに。


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