第10話 終わりの夜明け

 ラムランサンがこの城に来たのは今から13年前の夏だった。父は物心ついた頃から居なかったが、母一人子一人、ごく普通の人々に塗れながら暮らしていた。それまでは自分がタカランダ神の一族だと言う事も、父が生きていた事も、そして腹違いの兄がいる事も全く知らずに暮らしていた。何も無ければ次男であったラムランサンは自分の出自も知らないまま平凡な人生を送り、歳をとって死んでいくはずだった。

 だが、不幸な事が起きた。ある神託のせいで恨みを買った父が殺されてしまったのだ。兄は生まれながらにしてタカランダの跡目をとるため、父と祖父の元で暮らしていたが、父が殺された事を知ると、タカランダ神の男巫になる事を恐れ、何処かへ姿を眩ましてしまったのだ。今となっては生きているのか死んでいるのかさえ分からない。だからラムランサンは父の顔も兄の顔も知らずに育った。


 そんなある日突然、祖父と名乗る人がラムランサンを跡目にする為に彼の前に現れた。祖父はタカランダの宗主だ。その時ラムランサンはようやく10歳になろうかと言う頃だった。母から毟り取られるようにして彼は祖父の元へと引き取られた。

 最初の2年はタカランダの城から逃げ出すことばかりを考えた。しかし15歳の誕生日。祖父の命の灯火があと僅かと言う事を知った時、自分はこの宿命から逃れることが出来ないのだと思った。この先のラムランサンの人生はタカランダ神の手となり、口となり、世界を犠牲の少ない道へ導く男巫として生きる他はない。

 それは自我の目覚めたラムランサンが自ら選んだ道でもあった。

否定し、拒み、今更ただの人になれば自分が生まれてきた事の意味が無くなる。

 何の為に母と引き裂かれたのか。何のために父は死んだのか。祖父が、祖先が守って来たものを自分が捨てる勇気があるか。もし自分に神託の力があるならば、世界を少しでも破滅から遠ざける事が出来るのは自分だけなのだ。それを捨ててまで平凡な人生を選ぶのか。

 若さ故の正義感だったのかも知れない。意地だったのかも知れない。それがどんなに孤独で辛い道のりかも分からずに選び取った。

 そしてまた、その気持ちに応えるように、神託の輝石も彼を主人に選んだのだった。



 

それは長い寝物語だった。


 高く登った月明かりが二人を明るく照らしていた。

情交の後の充足感が、まるでこの月明かりのように褥を満たしている。二人は足を絡ませ、緩く手を握り合って静かに語らっていた。


「輝石がお前を選ぶって?どうやって選ぶんだ?」


「…秘密だ。あまりにショッキングだからね」


「そう言われるともっと知りたくなるじゃないか」


「教えたら無理やり輝石を奪いたいと思えなくなるかもしれないな」


「このっ、教えろっ」


「ダメだ」


「無理やり聞き出してやろうか」


 そう言うと、ノーランマークは戯れにラムランサンを襲う真似事をした。声を立てて笑いながら抗うフリをするラムランサン。それはまるで恋人達のような微笑ましい光景だった。


「親父さんを殺した人間は分かっているのか?」


「直接手を下した者は分からないが、企てた者は分かっている。遥か昔から我が一族をつけ狙う者達がいる。恐らくそいつらが裏で糸をひいている」


「いつかお前の命も狙われるのか?」


「そうだな、でもうちには優秀な執事がいる」


「彼が相当やれる男だとは思うが、じじいだぞ。それで大丈夫なのか」


「そんな事聞かれたら殺されるよ?今まで彼は全勝だ」


 あっけらかんと言ってはいたが、それは既に何度か襲われている事を物語っていた。いかにスーパー執事であろうと歳は取る。ノーランマークにはこの先の不安しか思い浮かばなかった。

 彼の過去を知った今、再び神託を止めろとはノーランマークには軽々しく言えなくなっていた。

 暫く沈黙が続いた。ラムランサンに話しかけても次第に応えがあやふやになり、ノーランマークも心地よい疲れに微睡み始める。やがて二人の寝息が聞こえ始め、互いの温もりを分け合いながら明け方までの短い眠りを貪った。


 ノーランマークが目覚めたのはまだ外が明けぬ頃だった。傍らを見るとまだ眠っているラムランサンがいる。

そっと指先を伸ばして頬にかかる髪を梳きなが安心した寝顔を眺めた。


「生きる道が決められているのは不自由なものだな。月は輝いて見えるがお前自身は月の裏側を歩くのか」


 輝石を使ってどのように神託がなされるのかは、まだノーランマークには分からないままだったが、世界を神託によって最悪から逸らすことが出来たとしても、それはあくまでも逸らせる事が出来るだけだ。

 さっきラムランサンが言っていた。「どんな選択をしようとも人は必ず死ぬ」と。世界はそれで救えても全ての人を救う事は出来ない。明と暗。動と静。白と黒。必ずどちらかが犠牲になる。それが世の中の不文律と言うものだ。

 神の意思とラムランサンの思いとは違う事だってあるだろう。それを押し殺して神の口寄せとして一生を捧げるのか。そう思うと彼の運命の重さが胸に迫った。


「オレと来い。オレのものになれ。

お前に本当の世界を見せてやる」


 ポロリと出た独り言のはずだった。


「止めろ。プロポーズに聞こえる」


 目を閉じたままラムランサンは腕組みをして寝返りを打つとノーランマークに背を向けた。


「もう直ぐ夜明けだ。遅刻するとイーサンに怒鳴られるんじゃないか?」


「そうだな」

 

 外は白み始めていた。

これでこの夜が終わった事を二人は共に感じていた。


「良い夜だった」

 

 そう言うとノーランマークはラムランサンの肩に口付けを一つ残し、甘い花の香りのする褥を後にした。


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