『灼熱の太陽針の月★絶海の孤島』
mono黒
第1話 クロワッサンの君
ここホテル「コンチネンタル・ラ・マンダ」は、今夜パーティーの華やかな空気に包まれていた。
某国の第二王子の18歳の誕生日に集まった金持ちや政治家。その他の有名どころがここぞとばかりに着飾って、上部だけの世辞と下世話な世間話に花を咲かせていた。
彼らが身につけている高価な時計、高価な宝石。それらはこのノーランマーク卿にとっては全ては自分のためにあるのも同然だった。ただ、今のところはまだ自分の手元に無いだけだ。
「華やかな香りですね、美しいお嬢さん。青いドレスがとても貴女におにあいですね」
歯の浮くようなわざとらしい言葉に女は弱い。そんな事を考えながら極上の微笑みを相手に手向ける。
この男、その出自はいかがわしいが容姿だけは一級品であった。ヘーゼルグリーンの深い瞳と無造作にうねる金髪。骨太な体型の長身イケメン男。彼は名前をサー・ノーランマークと言った。青年の末期、ちょうど男として油の乗り始めたお年頃だ。
ノーランマーク卿などとまるで貴族の出身のような呼び名だが、それはあくまで仕事の都合上。相手を信用させるのに便利だったからだ。
さっきから女性への反吐が出るほどの甘い言葉と、強いカクテルを上手に使い、程よく酩酊状態にさせては巧みに高価なネックレスやイヤリングなどを相手に気づかれぬまま首から耳からスルリと盗み出す。
一方、男相手にはフランクな友達のような気さくさで、或いは難しい政治の話などしてみたり、相手次第で如何様にも己を変化させては様々な人々の間をスルスルと動き回っていた。泥棒で詐欺師。それが彼の職業だった。そんな時にふと耳に入ってきた噂があった。
「ねえご存知?今夜三日月の公子がこのホテルにいらしてるそうよ」
「三日月の公子?」
「あら、貴女知らないの?世界の運命を左右できる陰のフィクサーではないかと噂されている人よ。先祖代々、不思議な輝石の力で神託を行うそうよ?ほら、あそこの貿易商やあの大物政治家も困ったことがあると最後は三日月の公子の神託を受けると言われているわ」
「占い師?」
「違うわ、あくまでも神託なのだそうよ。だから必ず当ると言われているわ。この前の戦争も彼の進言だったのではないかと噂されているの」
「怖いわね、それじゃあ世界は彼に握られているみたいなものじゃ無いの」
飛び交う噂に聞き耳を立てていたノーランマークもそんな噂がある事は知っていたが、今夜その謎に満ちた三日月の公子とやらがこのホテルの何処かに紛れているという。それも稀なる輝石を伴って。三日月の公子にも多少の興味はあったが、それよりもノーランマークにとっては「神託の輝石」の方が何倍も食指が湧いた。
「へえ、その輝石とやらを拝みたいものだな。拝むだけか?……ふふっ、いやいや……」
独り言を吐く口元の笑みは企みでいっぱいだった。あわよくばその輝石は明日は自分のポケットの中だ。などと自惚れながら、誰にも気づかれることなくパーティー会場を煙のように抜け出していた。
「さてさて、どうやってその三日月の公子の部屋を見つけるか…だ」
首元で無造作に舞うゴージャスな金髪を後ろで一つにまとめあげ、着込んでいたスーツの前を開け、締めていたネクタイは外してポケットに突っ込むとノーランマークの戦闘態勢は整った。
ロビーに行く間、ノーランマークは注意深く辺りを観察する。客や従業員の何気ない動きや会話が糸口になる事も大いにあるのだ。
ロビーに出ると意外なほど静まり返っていた。客の往来もなく三人の従業員がフロントに詰めていた。
考え事をするにはロビーは格好の場所だった。人間観察しながら少し冷んやりした空気に包まれると、次第に頭が冴え冴えとするのを感じる。
客は皆パーティー会場にいるのだろうか。
今はやって来る客の姿も泊まり客の往来もなく、フロアはしんと静まり返っていた。
大理石の柱に背もたれ、目を閉じてみる。神経を研ぎ澄ませ耳をそばだてるとフロアを行き来する従業員の靴音だけが聞こえてくる。その足音が急に忙しさを増した気がしてノーランマークは目を開けてみた。
なぜだかフロントの動きが慌ただしい。従業員同士の耳打ちの姿が不自然に目に映る。ほんの数秒の違和感。
慌ただしく一人が奥へと引っ込むと、もう一人がさり気無くフロアをうかがう。
電話の前で構えているフロントマンに、大丈夫だとでも言いたげにその従業員はコクリと頷く。合図を受け取ったフロントマンは、おもむろに受話器を取ってこう言った。
「クロワッサンをお持ちします」
何気ない一言だったが妙にノーランマークには引っ掛かった。客に頼まれたクロワッサンを今から持っていくという事かなのか。しかしこんな夜中にクロワッサンとは。
クロワッサン…。クロワッサン…。クロワッサン…。
幾度かぶつぶつ呟いた時、ノーランマークははたと気がついた。クロワッサンとは三日月と言う意味もあると言う事に。
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