夏の始まる日

尾八原ジュージ

夏の始まる日

 夏の始まる日は、玄関から声がするのでわかる。




 その日が来ると、私はガラスの鉢にキャンディーやグミやチョコレートを入れて、ダイニングテーブルの上に置いておく。


 それを見た母が、「もうそんな時期なの」と言って、花を買いにいく。


 私は、普段はあまり触らないピアノの蓋を開け、10年前によく弾いていたブルグミュラーの練習曲集を取り出して、片っ端から弾く。


 母から連絡を受けた父が、フルーツタルトを4個買って帰ってくる。


 母が窓辺に一輪挿しを飾る。時折、風もないのに花が揺れる。


 夏の間、我が家はずっとこんな感じだ。




 10年前にベランダから転落して亡くなった私の妹はまだ幼かったので、おそらく帰ってくる時期をずっと間違えている。


「夏にはお盆というものがあって、死んだ人が帰ってくるんだよ」と誰かに教わったのを、「夏には死んだ人が帰ってくる」と誤解したままなのだ。




 玄関から「ただいま」と小さな声がすると、私は「今日から夏が始まったんだな」と思う。


 妹はダイニングテーブルのガラスの鉢に小さな手を伸ばし、窓辺に飾った花をじっと眺める。ピアノの下に踞って、私が弾くブルグミュラーをじっと聞いている。フルーツタルトの上のフルーツだけをつついて、満足そうな顔をしている。


 そして夏が終わると、「またね」と言って玄関から出ていく。




 ガラスの鉢に入れたお菓子は、当然ながらまったく減らないので、夏の間に私が時々食べている。


 みっつにひとつくらい、味がまったくしないものがある。私はそのお菓子を、他のものよりゆっくりと、時間をかけて食べる。

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夏の始まる日 尾八原ジュージ @zi-yon

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