第18話 ヘルベ歴248年 4月1日 王子港からコリーへ
王子宮では文官や軍人たちが静かに、しかし、意志を持って動いていた。荷物も中庭に一旦積まれ、そしてそのあと運び出されていた。
「ノックス殿」
頭頂の禿げた男が王子宮の中庭に入ったノックスに手を振る。
「ヴェラさん。あ、あと『殿』はやめてください。」
「では俺のことも敬称なしで、『ヴェラ』と。俺も『ノックス』と呼ぼう。して、彼らは」
「えーと、ホサンス様にワタクシの家族もルテチアに来てよいと言われたので、妻のボウアに娘たちのテメシスとセヴリナに息子達のスペールとファリゲです。で、ここにいるのはすでに一度お会いしたと思われますが、ワタクシの弟の」
「アヴィンです」
「ア、と親友の」
ノックスがサヒットに手を振り。
「サヒットです。こっちは俺の妻のイーヴと息子たちのドノアとドノヴァンです」
「みんな、こちらはカシヴェラヌスさんだ」
「なるほど賢者村の賢者達がそろって来るのか。これはあとで報告しよう、ホサンス様も喜ぶと思う」
「すみません、なんかいつの間にかこういう事になってしまって」
「いや、これは別段気にしなくていい。ただホサンス様はすでに進発しておる。なので我々もなるべく早く後を追うことが望ましいだろうな」
と移動には慣れているのかカシヴェラヌスは総勢十一人の手配を手短に済ませた。今日はすでに午後も遅いので、今夜は王子宮で一泊し、次の日の朝早くセヴル河を遡る船に乗り込むことが決まる。荷物は今夜と明日必要な分だけを取り分けると、残りは今回乗る船に載せるために早くも人足が持って行った。
そして、さっそく王子宮の中に案内される一行であったが、前回来ていなかった人は驚きながら宮殿を歩く。
「で、なぜ俺がここにいるかと言うと理由は二つだな。ホサンス様が見知った顔があった方が安心できるだろうと言ったのが一つで、もう一つはヘルベとサルベ以外の地域の政治の仕組みを説明するためと言うのが二つ目の理由だ」
「あ、ご配慮くださりありがとうございます。と、言うことはサルべ以降の話もこの道中聞かされるということですか?」
「まあ、そうなる。他の方々は聞いてもよいし、聞かなくてもよいぞ。初めての旅なら見たいものも多いから、そこはわかる」
「皆はどうする?」
「今決めなきゃだめ?」
「ボウア殿、別にその必要は無い。ただ広い部屋が必要になるかもしれないと言うだけだ」
「では今夜中に決めます。明日の朝にお伝えしますね」
「わかった。そして、もう敬語はやめてよいぞ」
「了解です」
そしてその日の夕食は牛肉か魚のどちらかを選ぶことができる会食となった。もっともノックス達一行の半数は牛肉を頼みもう半数が魚を選び、それを皆で分け合って食べたので選ぶ意味はあまりなかったが。
次の日の朝、朝食を済ませた一行は河を航行する船の中では大型の船に乗り込んだ。風は海から大陸側に吹いていたので順風満帆で船が進む。
「うーむ、まさかボウア殿とサヒット殿が船酔いとは。河での移動だからそんなに揺れてないはずなんだがなあ」
「すみません。一応甲板の上にいたほうがマシらしいので、お話は甲板の上で聞かせてもらってもよいでしょうか?」
「まあ、それでいいか」
ボウアが真っ青な顔で岸の風景を見ている。サヒットは顔を上に向けながらちょっと目をつぶって甲板に座っている。
「それにしても皆が背負っているその板はなんなのだ?」
「あ、これは救命胴衣です。この二枚の板の間にはコルクが入ってるのでぷかっと水に浮くんですよ。我々は水が苦手なので、これを付けていれば河に落ちても沈みませんから」
「ほう。これは面白いな。やはりホサンス様が賢者村と言うだけはあるな」
「そんな、賢者村だなんて、ただのセージ村ですよ」
そしてこの日の朝はカシヴェラヌスからホサンスの大陸統一事業の話を聞くノックスとボウアとサヒットであった。
サルベを大同盟に組み込んだあと、ホサンスはヘルベの兵を歩兵と騎兵でそろえ、サルべの兵は長槍兵として徴用した。またサルベには攻城戦のスペシャリストもいたので、彼らも軍勢に加えた。そうして、兵を鍛え、準備すること約半年でホサンスは打って出た。
ヘルベ歴241年12月12日、大動員でヘルベからの兵は二万五千を徴発。かつての傭兵を輩出していたころと同じくらいの兵を出す代わりに、糧食と金は出す必要は無い。またアキオリウスはヘルベに残り、若い男を新兵として教導する。豊かなサルベからの兵の数は二万五千に抑え、糧食と金を出すほうに重点を置く。そしてこの二つは狼の紋章の旗を用いる一つの勢力の軍勢として運営されることになる。
こうして本人はヘルベ歩兵を一万とサルベの長槍隊五千を率い、妹のシャアはヘルベの騎兵を三千率い、弟のシュキアはサルべの長槍隊五千と補給用の兵と攻城戦用の兵を合わせて五千率いた。この約三万の正規兵に付いていこうと、志願兵の軽装兵や弓兵も約一万集まった。この総勢約四万の軍勢が北に向かう。
弟のクリーニャはヘルベ歩兵を一万人、ルクタンはヘルベの騎兵を二千人、そしてゴルミョはシュキアと同じ編成の軍を率いる。クリーニャの下にも軽装兵や弓兵が約一万集まったので、約三万の軍勢は南のナルボに向けて進発した。
「俺はホサンス様と一緒に北に向かったから南の方の話は後でインデゥから聞いてくれ」
ノックスが妻の手をさすりながら頷く。
「で、当初は問題なかった。ヘルベ兵は文句なしに大陸最強であろう、これは実際に俺の眼で見てそう思う。そして戦の無くなったサルベがその余力を軍の援助に向けられるし、甘海の海岸に沿って北上しただけだから補給も船によって行われるので、物資は潤沢。進むところ敵なしだった。が、サルべから三百里くらい離れたリンゴネが最初の難敵として立ちふさがった」
「セカナ河とアンカムナ河に挟まれた都市国家ですか?」
「そうだ。あそこにはゾウ兵がいた。数は多くなかったが最初にゾウ兵に会敵したときはサルべの長槍兵が恐慌状態に落ちた」
「そこまでですか?」
「ゾウが鼻を伸ばして兵を掴み、そのあと空に投げ飛ばしたり、地面に叩きつけるんだぞ。あんなのを見たら逃げ出したくもなるわ」
「俺も逃げるわ」
サヒットもいつも間にかカシヴェラヌスの話を聞いている。
「しかも兵の槍がゾウの皮膚を貫くことができん。あれは天然の鎧をまとっているようなものだし、その上に鎧も付けている」
「げえ」
「ダメ押しにゾウの背中に乗ってる兵が槍を投げたり、弩や弓を射ってくる」
「そんなのにどうやって勝ったんですか?」
「ホサンス様が兵達の前に出て、馬から降りて、剣を抜き、『ここで俺が死んだらお前たちも死ぬぞ。槍を構えろ、死ぬ気で抗え! 弓兵はゾウ使いを狙え!』って言ったら、百人長が二人ホサンス様を庇うように飛び出て、それを見た長槍隊も槍を構え直してギリギリ戦線は持ちこたえた。そしてそのあとは弓兵の活躍によってゾウに乗ってる兵達は狙い撃ちにされてなんとかなった。いくらゾウとは言え指揮する人がいなければ所詮はケモノ、脅威ではなくなる。が、あのまま長槍隊が崩されていたら、ヘルベ兵だけで勝つのは難しかったと思う」
「話を聞くだけでもギリギリって感じがしますね」
「ホサンス様も人生でこれで終わりと思ったのは二回だけで、一回は最初に『ほのかな希望』をやった時でもう一回は生身でゾウに立ち向かったこの時だと仰ってたな」
「でもリンゴネは落ちたんですよね?」
「ああ、そうだ、あの戦のあとリンゴネはあっけなく落ちた」
「え、なんでだ?」
「サヒット殿、それはあの町では奴隷が多かったからだ。なんてことはない、ホサンス様はそれを知ると、『奴隷が多いってことは借金まみれの連中も多いはずだぞ』と言って、二つのことを約束した。奴隷たちにはリンゴネで蜂起したら自由を約束し、借金を抱えてる連中には蜂起したら借金を棒引きにすると」
「そしたら?」
「案の定次の日の夜には城門が開いて、ホサンス様の軍は攻城戦をやらずにリンゴネを攻略した。もっとも、リンゴネの町自体は酷い有様だったがな」
「ああ、なんかオチが読める」
「ああ、俺もだ。蜂起のあと略奪が街中であったのですか?」
「その通りだ。これ以降だなホサンス様が奴隷制はダメだと確信したのは。もともとヘルベやサルベには奴隷はほぼいないし、あまり奴隷の事を知らなかったのであろう」
「アペルドナルにも奴隷はほぼいないですね」
「うん、そうだな」
「そうか、それはいいことだと思う。多くはないが奴隷はエルギカにもいるし、アキタにもいる。制度としてはアペルドナルもセノーネも残っているのであろう?」
「制度としてはそうかも、シーラが王都で見たって言ってた」
ボウアもいつの間にかヴェラの話を真剣に聞いてる。
「まあ、今はこれくらいにしよう。お昼時だ」
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