第2話 ヘルベ歴248年 1月34日 王の責務
大陸統一を掲げホサンスが征服事業を開始したのは六年と半年前、ヘルベ歴241年十二月、十二歳のときであった。一年は二十四か月、九百六十日あるので統一には約六千日かかった。彼が武人の世界に身を投じるのは237年にホサンスの双子の兄が殺されたあとである。ホサンスは兄の敵討ちのために傭兵となり、頭角を現し、地元ヘルべの統一と近隣のサルベ北部の併呑を行った。
また彼の妹と弟が初めてあぶみと本格的な鞍を開発し、馬の背中全体に体重を分散させることに成功し、体重の重い猪人でも鎧を着て長い時間馬に乗れるようになった。馬に車を引かせる戦車は以前からあったが、騎兵は猪人世界で初めてである。字のごとく馬に奇なる乗り方をした兵である。
このあと騎兵の育成が軌道に乗り、サルべ南部の兵をも合わせて五千の騎兵と約四万五千の正規兵が揃った十二歳の時、十分に勝算はあると思いホサンスは大陸統一に踏み切った。このとき内戦の絶えなかったヘルベ・サルべ地方で兵が地元に残れば反乱が起きるかもしれないとも思い、ホサンスは全兵力を二分し、南北同時に打って出た。
南方には一番下の三つ子の弟たち、クリーニャ、ルクタン、そしてゴルミョを送り出した。クリーニャには精鋭のヘルベ兵を含む約一万の兵を、ルクタンには二千の騎兵を、そしてゴルミョに約一万の兵を預けた。北方にはホサンス自身とすぐ下の双子の姉弟が出た。ホサンスが一万五千の兵を引率し、妹のシャアは三千の騎兵を、そして弟のシュキアは一万の兵を率いた。
狼の紋章の旗を掲げる二つの軍は破竹の勢いで進み、厳しい戦いのあと大陸東部を征服した。この次の問題は大陸東部から山脈を迂回して大陸西部に入ることであった。未だかつて大兵団で大陸横断をしたものはいない。それをホサンスとクリーニャは北と南でやった。大陸横断では船は使えず、すべては陸上輸送に頼らざるをえない。なので補給を集め、満を持して、遠征軍は大陸西部に入った。
そして西部に入っても軍は勝ち続けた。ただ幾度も立ちふさがる問題は東部との補給が切れたことだ。食料は完全に現地調達に頼らざるをえない状態に陥り、人員の交代もほぼ不可能になった。唯一できたのが兵馬、それも主に馬、の補充であった。なのでホサンスにとって猪人文化の中心都市であるルテチアにいても、ラティス大湖沼地帯の主要都市コリーにいても、そしてついに大陸西部最大の都市アペルに入ってもやってることに変わりない。食料の調達だ。
「なあ俺って昨日の王になる前と今日とやってることは変わってないよな」
旧王都アペルの大きな宿屋を借り切って、そこの一階の食堂で書類仕事をホサンスとスアドリ向かい合ってしている。
「何をおっしゃいます。陛下は王としての責務をこれからはしっかりと全うしてもらいます」
「じゃあなんで王がこんな粗末な木の椅子に座ってるんだ」
「その椅子はこの宿屋の椅子だからですよ」
「はあ、お前に聞いた俺がアホだったわ」
「でも陛下が座っている以上玉座ですね。はい、補給官からの書類でございます。食料が相も変わらず足りません」
「これが俺の玉座なのか。しかし書類に飯って、絶対に前にやってたことと変わりねえぞ」
とホサンスは書類に目を通し、ため息をつく。そしてとなりの机を見て、弟のシュキアがいないことに気付き、この部屋の奥のテーブルの一つに座って仕事している三人の方を向いて言う。
「おい、コリーからなんか連絡はないか?」
「いいえ、わたくしの知るかぎりここ数日で新しい報告はありません」
答えを聞くとホサンスが小さくつぶやく。
「金が無いのはなんとかなるが、食料が無いのはまずいな」
「では略奪をしますか?」
ホサンスは白髪を肩まで伸ばしたスアドリの方を向き声を荒げる。
「できるわけないだろ! 俺に嘘つきになれと言うのか」
「ですがお金が無くては食料調達もむずかしいですよ」
「コリーから調達できるはずなんだが」
「あそこで我が君の軍がクリーニャ将軍とゴルミョ将軍の軍と合流しましたし、そのあとコリーには西部諸国の軍が集結したので食料をほぼ食べつくしたと思いますが」
「いや、それはわかっているが、一応アペルへ出立する時にルテチアからコリーへ物資を送れと頼んだ」
「ルテチアも我が君の軍が約半年ほどいたので食料が無いと思われますが」
「でもそれは一年前の話だろう、何回かの収穫がすでにあったはず。なのでその余剰をこっちに送れと言った」
「ちょっと待ってください」
スアドリが立って、ホサンスが机として使っている食堂の大テーブルの隣でシュキアの使っているテーブルの上に山のように置いてある書類の中を探す。少ししてからついに一枚の書類を探しあて、それをホサンスに提出する。
「これですね」
「なんだ。え、ああ、あいつらアペルに来ないと思ったらこんなことしてるのか」
額に手を当てるホサンス。
「なのでコリーへの輸送はほぼ不可能だと思われますね」
「ルテチアの連中は俺が猪人同士の争いを無くそうと思って統一事業を始めたことを知らないのか? ちゃんと言ったはずだよなあ」
机に指をトントンさせるホサンスを見ながら、スアドリが元の席に戻り書類仕事に戻る。
「ですが王子港は旧アペルドナル王国の一部ですし、旧セノーネ王国の悲願は海へ出る港を得ることです。我が君の敵である旧アペルドナル王国の王子港を今なら分捕っても問題ないと思われたのでは。私もそう思い、敵の側面をも突くので、この報告の重要度は低いと思いましたのであっちのテーブルに」
「いや確かに俺たちの背後を襲われないようにそっち方面に軍が行くのは悪かないが、決着はもう着いた。それに俺たちの食料がここまで無いのならセノーネの軍には引き返せと連絡を送れ。あと軍を引き返すんだから食料を代わりにコリー、そしてアペルへ送れともう一回言え」
「はい」
「いや待てよ。うん。こうなったからには王子港とセノーネの軍は使える」
「と、言いますと」
「あそこはまだ戦場になってないから食料があるはずだ。それも戦争になったとは聞いてるはずだから籠城用にかなり集めてるはずだ。それを貰う。セノーネから送るにしても首都のルテチアにはもうそこまでは無いだろうな、あいつらの軍が動いたのだからな。だったら、セノーネの軍が王子港に着いたちょっと後に俺たちが行って仲裁して、その代償として飯を貰う」
「それは」
「なに言ってやがる、お前らは俺にもっと酷いことしただろうが。それにルテチアもルテチアだ。なんで今頃火事場泥棒みたいな真似をするんだ。あとなんだこの報告は、どうして俺たちの食料があと八日分しかないんだ? どう考えても途中で誰かが計算間違いをしてるだろうが」
「さあ、そこまでは私の管轄ではないのでわかりませんが」
「俺が数字をお前らに教えたんだから計算はもっと楽になったはずだろ。なんで文官とくに補給官が一向に増えないんだ?」
「さあ、それはやはり計算が苦手と言う人は多いからではないのでは?」
「うがああ、ルクタン、私の部下を返せええ!」
ホサンスが天井に向かって吠えた。
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