Stage.39 麻弥の苛立ち

 あっと言う間に12月に入っていた。


 あのロックフェスでは、そこそこの人気を集めたはずだが、いまだにデビューの話は来ていなかった。


 そんな12月中旬のある日の夜だった。

 確かその日は金曜日で、俺は早く帰って、受験勉強をしていた。


 が、午後7時頃。

 麻弥から突然、俺のところに電話が入った。


 それがきっかけだった。


「あのさあ。ちょっと飲みにつきあってくんない?」

 電話越しの麻弥の声は、いつもより元気がないように思えた。


「いいけど、俺、まだ未成年だから酒飲めないぞ」

「付き合うだけでいいから。駅前で待ってるね」


 一方的にそう言われ、電話は切られた。

 嫌な予感がしたが、駅前に向かった。


 駅前、というのは、麻弥が大学に通う時によく使っている立川駅だった。


 立川駅北口を出た、ペデストリアンデッキの広場にあるベンチというか、円形の座るスペースに彼女は一人で腰かけていた。


「お前さあ。大学に一緒に飲みに行く友達とかいないの?」

 第一声からそう言ったのが、不服だったのか、彼女は、

「いや、あたしってほら、女の子にモテるから。そういう『お姉さま』とか言って、慕ってくる子たちとは、ちょっとね……」

 と歯切れが悪かった。


 だが、わかる気がした。翼が「アネゴ」と呼んでいるように、麻弥は昔から男勝りで、竹を割ったような性格だからか、確かに男より女にモテた。

 まして、音大付属高校も、音大も女子の方が数が多い。彼女を慕う女子が「お姉さま」と呼ぶのもわかるような気がした。


 で、とりあえず麻弥がよく行くという、駅北口にある飲み屋に向かった。


 着いたのは、普通の居酒屋。サラリーマンがよく行くような、全然シャレた店じゃなくて、庶民的なただの居酒屋だった。こういうところを選ぶのが彼女らしいが。


 早速、ビールを頼み、つまみに鳥串や焼き肉を注文する麻弥。完全に、サラリーマンのおっさんみたいだ。

 俺は、まだ飲めない年齢だから、仕方なくウーロン茶で我慢していた。


 だが。

「あれだけの演奏してるのに、なんでまだデビューの話、来ないかなあ」

 いかにも不満そうに彼女はそう呟いて、やたらとビールを頼んでいた。


「いや、まあそうなんだけど。仕方ないさ」

「仕方ないで済む話? なんのために音楽やってるか、わかんなくなっちゃった」


 こいつはこいつで、不安を感じていたのだろう。

 だから、身近にいて、話しやすい俺を呼んだのだ、と気づいた。


 だが、俺には、前に白戸先輩に言われたように、麻弥のことが本当に好きなのか、まだ確信が持てなかった。


 要は、まだ自分の感情が「わからない」のだ。

 こんなデートみたいなことをしておいて、なんだが。


 結局、その後も麻弥の愚痴を延々と聞かされることになった。


 そして。

「うぁぁ。飲みすぎた。気持ち悪い~」


 2時間後。

 何とか彼女を居酒屋から引き離したが、すでに酔いがかなり回っているようで、足元も覚束おぼつかなかった。


「しょうがない奴だな。とりあえず肩貸してやるから帰るぞ」

 と言ったのだが。


 彼女は、ふらつく足取りでベンチに腰掛けると。

「ヤダ。おんぶして」


 といきなり言ってきたから、俺は面食らった。

「はあ? 何言ってんだ、お前?」

「いいからおんぶして。もう歩けない」


 いつになく、子供のようなワガママを言う彼女だった。

 もうこのままだと、ここから動きそうにない。


 仕方ない。不本意だが、俺は自分の背中を彼女に貸した。


 俺の背中におぶさってきた、彼女の体は、酒のせいでかなり火照っており、熱かった。そして、思った以上に体は軽かった。


 だが、こうして幼なじみの彼女をおぶることなんて、これまでまずなかったから、俺は背中に当たる胸の感触と、息遣いに、少し胸がドキドキと脈打つのを感じていた。


 意識していることを悟られないように、なんとか歩いて帰ることにする。

 ここからだと彼女の家までは少し遠いが、さすがにこの状況で電車には乗りたくなかったからだ。

 幸い歩けない距離じゃなかった。


 夜の街を酒臭い彼女を背負いながらひたすら歩く。

 やけに静かだな、と思ったら、彼女はいつの間にか眠っていた。


「のんきなもんだな」

 と口ずさむが。


 きっと、麻弥は麻弥なりに、リーダーとしてみんなを引っ張ってきて、ストレスもあるのだろう。

 それなのに、がんばっても、報われず、デビューの話も一向に来ない。


 まあ、気持ちはわからなくはなかった。


 俺は小さい頃のことを思い出していた。


 小さい頃は、むしろこの姉のような彼女の方が体つきも大きかったし、頼り甲斐もあった。

 だから、逆に、俺が転んでケガをして、彼女におんぶしてもらって、家まで連れて帰ってもらったこともある。


 今は立場が逆転している、と思うと、何だかむずがゆいというか、くすぐったい気がした。

 背中で眠る彼女をチラりと見る。一時期、ショートカットに戻していたが、最近また髪が伸びてきて、ショートからセミロングに近くなっていることに気づく。


 歩くこと30分。


 ようやく彼女の家の前に着く。


 俺は、背中で眠る麻弥を起こす。

「うーん、どこ?」

「家に着いたぞ」


 そっと、下ろしてやると。

「ありがと。じゃあね」

 と、どこか寂しそうに一人ふらふらと玄関に向かって行く彼女。


 その時、俺は咄嗟に声をかけていた。

「麻弥」

「ん?」


 寝ぼけ眼のように、半開きの目を向ける彼女。


「週末、ちょっと俺に付き合え。気晴らしに連れて行ってやるから」

 そう言うと、彼女は、驚いたように目を見開いた。


「えっ。あんたと?」

「そうだよ。ストレス溜まってるんだろ。バイクでどこか連れて行ってやるから」

 そう言うと、心なしか、彼女はわずかに微笑み、


「わかった」

 とだけ言って、家に入って行った。


 恋人として、付き合うことをやめてから、もう1年半以上が経過していたが、俺と彼女の曖昧な関係に再び変化が訪れようとしていた。



 土曜日。

 俺は約束通り、自分のバイクで彼女の家に向かった。

 そう、普通二輪免許を取得して、ようやく1年が経っていたから、タンデム、つまり二人乗りができるようになったからだ。

 もっとも、高速道路の走行はまだできない。

 父が持っていた、昔使っていたというヘルメットをリュックに入れ、俺は家を出発した。


 カワサキのニンジャ250にまたがって道路を走るが、今日は晴れているとはいえ、寒い予報だったので、冬用のジャケットを着て、麻弥にも冬支度で来いと言ってある。


 彼女の家は近所だからすぐに到着する。

 バイクの音で、気づいたのか、エンジンを切ったら、彼女が家から出てきた。


「おはよう」

 と、声をかけると。

「おはよう。優也、バイクがだいぶ様になってきたね」

 などと言って、少し微笑んだ。


 とりあえず、ちゃんと冬用のコートを着て、ジーンズで来た彼女を見て安心する。バイクは危険な乗り物だから、軽装では乗れない。


 俺はバイクにまたがったまま、リュックからヘルメットを取り出し、彼女に渡す。

「とりあえず、後ろに乗って。説明するから」


 そう言うと、ステップに足をつけて、彼女は俺の後ろにまたがって乗って、ヘルメットをかぶった。

 あとは、簡単に説明をする。


 タンデムとは、バイクの二人乗りのことだが、これにはコツがいる。

 大抵、普通二輪免許教習でも教えてもらうのだが。


 まずは、タンデム者、つまり後ろに乗る者は、運転者、つまりライダーの腰に手を回すこと。両肩を掴むのは、タンデム者が緊張して力が入ったりすると、ライダーの上半身の身動きが取れなくなり、危険なのだ。


 それと、もう一つ。カーブを曲がる時には、バイクの傾きに合わせて、無理のない姿勢でライダーと一緒に傾くこと。無理に体を起こそうとするとかえって危険だ。


 それらのことを、経験がある俺が説明すると、意外にも彼女は、

「うん、わかった」

 と、素直に聞いてくれた。


 まあ、バイクの運転というのは、常に危険が伴うから、彼女もその辺の安全については意識しているのかもしれない。


 とりあえず、出発する。

 だが、重い。


 何しろ、今までタンデムなんてやったことがない。

 つまり、人一人分の体重が余計にかかるから、バイクが思った以上に進まないのだ。


 こういうものか、と思い、徐々にスピードを上げる。

 向かう先は、ここから1~2時間で行けて、高速も使わなくて済み、日帰りができる観光地。

 埼玉県の秩父ちちぶだった。


 走っていると、後ろで彼女が


「気持ちいいー!」


 とか言っている声が聞こえてくるが、運転中は俺自体、運転に集中しないと危ないので、とりあえず走っていく。


 やがて、国道16号に入り、脇道を抜け、国道299号に入り、交通量が少なくなるとスピードを上げる。


 ただ、この時期の朝は、寒いのと、後ろに人を乗せているから、いつものようにスピードが出ない。


 1時間半ほどで、道の駅ちちぶに到着。


 彼女を先に下ろしてから、俺も降りる。

 ヘルメットを脱いだ麻弥は、満面の笑みを浮かべていた。


「いや、バイクって、想像以上に面白いね! あたしも免許取ろうかなあ」

 などと言っている。


「いいんじゃないか。お前、運動神経いいし、向いてるかもな」

 そう言ったら、嬉しそうにしていた。


 ここで小休止を取った後、いよいよ秩父の中心街に入る。

 今日の行き先は、日帰り温泉と、食事だった。

 あらかじめ、タオルを持ってこいと彼女に言ってあった。


 秩父中心地からは、国道140号を真っすぐ進む。

 しばらく進むと、市街地から田舎になり、人家は減り、そして森の中を抜ける清々しい道に入る。


 この辺りは、「ライダーのメッカ」的な部分もあり、その日は土曜日だったから、実際に走っているライダーが多かった。


 40分ほどで道の駅大滝温泉に着く。


 そこは、道の駅の中に日帰り温泉も併設されているのだ。


 麻弥は、上機嫌に、

「温泉いいね! 入ってくる!」

 と言って、子供のように走って温泉に入りに行ってしまった。


 まあ、彼女のストレスを軽減できるなら、いいだろう。

 そう思い、俺も日帰り温泉に浸かりに行く。


 土曜日とはいえ、まだ午前中だったからか、温泉は意外にも空いていた。


 そんな中、まったりと温泉に浸かる。

 ライダーは温泉好きが多いが、バイクというのは走るだけでも疲れる乗り物だから、ライダーと温泉は相性がいい。

 ましてや、冬は寒いので、特に温泉に入りたくなってしまう。


 俺は30分ほどで上がったが、麻弥は満喫しているのか、1時間くらいしてやっと出てきた。


 二人して、休憩室になっている、畳敷きの大部屋に行き、畳の上に寝転んだ。

「温泉、気持ちよかったぁ。これはハマりそう」

 気持ちよさそうに、そのまま目を閉じる麻弥。


 これは寝るな、と思ってしまうが、今日は彼女の好きなようにさせてやりたかった。そんな気分だったから放っておいた。


 1時間後。

 俺も、うとうとして、少し居眠りしていたら。


「おなか空いたー!」

 子供のように、駄々をこねる麻弥に起こされた。


 仕方がないので、秩父名物の「わらじカツ丼」でも食べに行くか、と思い、俺は再び彼女を乗せ、秩父市街に戻ったが。


 ちょうど、昼時ということもあり、秩父の有名な「わらじカツ丼」屋はほとんど満席状態で、行列ができていた。


「すごい。こんなに人並ぶの?」

 と、後ろの彼女は驚いていたが、


「ああ。有名だからな」

 と、俺は答え、代替案として用意していた、小鹿野町おがのまちに向かってバイクを走らせた。


 秩父ほどではないが、ここでも「わらじカツ丼」を食べられる。

 やがて、小鹿野町に入り、そこそこ混んでいるが、秩父ほどの行列を作っていない店を選んで、中に入った。


 メニュー表を開きながら、ワクワクした顔をしている彼女。こんなに上機嫌な麻弥は久しぶりだった。


「へえ。これがわらじカツ丼かぁ」

 注文がテーブルに届き、その大きさに驚く彼女。


 そう、わらじカツ丼とは、秩父地方の名物で、店によっても違うが、丼にかなりの大きさの「わらじ」のようなカツ丼を乗っけていることから、この名がついたと言われている。


 しかし、元々、食が太いし、パワフルな彼女は、それを残さず食べきっていた。


「ふう。食った食った」

 満悦している彼女に。


「麻弥。まだ時間あるけど、どこか行きたいところはあるか?」

 と、問うと。

「どうしたの? なんだか今日はやけに優しいけど。まるでデートみたいだね、これ」

 などと、言い出すから、俺は少しだけドキッとしていた。


「いや、お前がストレス抱えてると思ったから……」

「あはは、わかってるよ。あたしたち、別に付き合ってないもんね」


 あっけらかんと笑っているが、なんだか少しだけ残念な気もした。俺はやはり彼女に未練があるのかもしれない。


「そうだねえ。キレイな景色見て、また温泉に入りに行きたいな」

 と、言う彼女の要望に応え、再び走り出す。


 向かったのは、秩父市街を見下ろすことができる、羊山ひつじやま公園の展望台。そして、再び今度は別の日帰り温泉だった。


 夕方。

 日帰り温泉に入り、また休憩室になっている畳の上で寝転がっていたら、風呂から上がった彼女がやってきて、


「ねえ、優也」

 なんだか深刻そうな表情を向けてきたから、俺は体を起こした。


「今のあんたは、あたしのこと、どう思ってるの?」

 唐突すぎる質問だった。


 一瞬、答えに窮する俺。

 実際、別れた後も色々と考えたが、自分の中で結論は出ていなかった。つまり、本当に彼女のことが、異性として「好き」なのかわからなかった。


「……わからない。少し考えさせてくれ」

 かろうじて、それだけを言ったが、きっと彼女は怒る。機嫌を悪くする。そう思ったが。


「あ、そう。まあ、いいわ」

 そうあっさりと告げた後、


「じゃあ、帰ろっか」

 彼女は意外にも笑顔でそう言った。


 すでに陽が暮れかかっている。冬の陽の短さを感じながら、俺は行きと同じように道をたどり、夜になって、ようやく彼女を無事に家まで送り届けた。


 ヘルメットを返しながら、

「ありがと。今日は楽しかった。いい気晴らしになったよ」

 そう言って、笑顔を見せる彼女がまぶしく見えたし、可愛らしい女の子に見えた。



 こうして、あっさりと俺と麻弥の気晴らしツーリングは終わった。

 そして、いよいよ「その時」が俺たちに近づいていた。

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