Stage.36 The Big Apple

 5月の金山さんの事件があってから、2か月間。


 俺たち『NRA』のメンバーは、ひたすらライヴハウスでライヴを行った。

 新たに緋室翼をリズムギターに加え、総勢6人になった俺たちは、以前にも増して、人気を集めており、インディースCDも売れ、動画配信やダウンロードコンテンツでも収入を得て、順調だった。


 が、何故かデビューの話はあれ以来、全く来なかった。



 そして、7月末からの夏休み。

 俺たちは再び自由の国に来ていた。

 もちろん、発案者は麻弥。彼女が前回言ったように「ロックの聖地巡り」第2弾だった。


 行き先は、彼女が行きたがっていた、ニューヨーク。そう「The Big Appleビッグ・アップル」とも呼ばれる、世界のエンターテインメントの中心地だった。


 しかも、今回は1週間以上の長旅になる。


 ニューヨーク ジョン・F・ケネディ国際空港。


 すでに、二度目の海外旅行になり、俺はすんなりとimmigration、入国審査を通過し、空港ロビーでメンバーたちと一緒に、タクシー乗り場に並んでいた。


 やがて、1台のまっ黄色のタクシーが乗り場に横づけされる。

 そう、ドラマや映画などで、有名なニューヨークのタクシー、「イエローキャブ」だった。

 今回は、6人いるため、2台に別れて乗車することになった。


 俺は、金山さん、麻弥と共に前の車に乗車。

 これは当然、金山さんとウィスが英語をしゃべれるから、前後に分けた配置だ。


 発進すると、金山さんは、あらかじめタクシープールで渡された識別番号が書かれた紙を運転手に渡し、流暢な英語で行き先を告げ、世間話を始めたが、俺と麻弥はやることがない。車窓を流れるニューヨークの街並みを見ることしかできなかった。


 しばらくはビルだらけの街中を進み、やがて、運転手が、訛りのある英語で、


「This is Manhattan Bridgeマンハッタン・ブリッジ.」


 と、言ったのが聞こえた。


 そう、空港からブルックリン区を越え、いよいよこの橋の向こうに、ニューヨークの中心、マンハッタンがある。


 橋の向こうには、無数の摩天楼まてんろうが見えた。まさに、世界の中心都市、ニューヨークを象徴する高層ビル群だった。


「すごい! これがニューヨークか!」

 すでに麻弥は、その圧倒的な風景に釘付けになっていた。

 俺もまた、言葉にならない感動を感じ取っていた。


 タクシーは、そのまま橋を渡り、ロウアー・マンハッタンからホテルのある、ミッドタウンに入り、やがて十字路の前で停まった。


 金を払い、降りると、どこも同じような十字路の風景だった。

 そう、ここニューヨークは碁盤の目の街。


 縦横にいくつもの通りが十字に引かれており、一見すると自分がどこにいるのかわからなくなりそうだった。


 2台目のタクシーも到着し、とりあえずホテルにチェックイン。それぞれの部屋で荷物を下ろす。


 そして、サンフランシスコの時と同じようにホテルのロビーで、麻弥が行き先を決めてしまうのだった。

 その日は到着したばかりで、またすでに夕方の6時を回っていたから、行き先は限られていたが。


「やっぱ、最初はあそこでしょ!」

 喜び勇んで、彼女に連れられて行った場所。


 Times Squareタイムズ・スクエア


 だった。

 幸い、ホテルからは近かったため、俺たちは歩いて向かった。


 すでに夕暮れに包まれたそこは、無数のネオンサインと、無数のビルが立ち並ぶ、世界で最も有名な観光地の一つで、たくさんの人たちで賑わっていた。


「おお、これがタイムズ・スクエア! すごいね!」

 麻弥が興奮気味にビルを見上げている。


「確かにすごいな。映画やドラマの通りだ」

 と、俺。


「キレイですねー」

 と、白戸先輩が、うっとりとした表情を浮かべている。


「私は久しぶりですね」

 と、ニューヨークに住んでいた金山さんが、


「Wonderful! 実は私も初めてきました」

 と、イギリス生まれのウィスが、


「へえ。これが有名なタイムズ・スクエアですか」

 と、翼がそれぞれ呟いていた。


 そして、俺たちの二度目のアメリカ旅行が始まった。

 ちなみに、今回もそれぞれ楽器を持ってきていた。



 実は今回、麻弥からは具体的にどこを回るかという話はあまり、というかほとんど聞いていなかった。

 ただ、「ロックの殿堂」は絶対行く、という話と、何故か俺だけは、持っている『Led Zeppelin』のCD『Physical Graffitiフィジカル・グラフィティ』を持ってきて、肌身離さず持っていろ、と指示されていた。


 そして、翌日、麻弥がみんなを連れて向かった先は。


 ニューヨーク、ダウンタウンにあるイースト・ビレッジ。『St. Marks Placeセント・マークス・プレイス』の96/98番地。

 一体そこに何があるのか、と思っていたら。


「あっ」

 すぐにわかった。


 俺が鞄からCDを取り出して、ジャケットを見ると。

 ほとんどCDのジャケットと同じ構図、同じ建物が目の前にあった。

 古い四階建てほどのアパートメントが2棟立ち並ぶそこは、まさにあのアルバムのジャケットと同じ風景だった。


「そう。ここがそのCDのジャケットの場所。ここで撮影されたのよ。まあ、『Led Zeppelin』自体、知っての通りイギリスのバンドだけどね」

 麻弥が得意げにそう言って、他のメンバーも俺の持つCDジャケットと建物を見比べて、興味津々のようだった。


 不意にウィスが何かに気づいたようで、じっと建物を見つめ始めた。

 そして、


「Wow! ここは『The Rolling Stones』の『Waiting On A Friendウェイティング・オン・ア・フレンド』のPVで使われた場所ですね」

 と嬉しそうに言った。


 彼女によれば、ここはその曲のPV撮影にも使われた場所のようだ。『Waiting On A Friend』、日本では『友を待つ』という名で知られる『The Rolling Stones』の名曲だ。



 続いて、向かったのは、ロウアー・マンハッタン、ノーホー、そしてロウアー・イーストサイドの境界線くらいにあるBoweryバウリーというストリートだった。


 こんなところに一体何があるかと思っていたら。


 麻弥の足は、「john varvatos」と書かれたブティックの前で止まった。


「麻弥。ここ、ただのブティックだけど?」

 と聞くと、彼女は振り返って、不機嫌そうな顔で答えた。


「あんた、知らないの? ここはかの有名な『CBGB』があった場所よ。本当に無くなってるとはショックだけど」


 CBGB。それで思い出した。伝説的なライヴハウスと言われていた場所だ。

 CBGBは、元はカントリーやブルースなどのライヴハウスとして1973年にオープン。


 当時はアンダーグラウンドの最先端の音楽だったパンク、ニューウェーブのアーティストが多数出演し、ニューヨークの最もホットなライヴハウスとして変貌。


 『Ramonesラモーンズ』、『Televisionテレヴィジョン』、『Patti Smithパティー・スミス』、『Talking Headsトーキング・ヘッズ』など70~80年代に活躍したミュージシャンのデビュー前の主な活動場所だった場所だ。


 日本のバンドでも『THE BLUE HEARTS』、『ミッシェル・ガン・エレファント』などがここの舞台に立っている。

 2006年に家賃の問題で、閉店したという噂を聞いたが、残念ながら本当だったようだ。


 なお、『CBGB』とは「Country,Blue Grass and Blues」の略と言われている。つまりは音楽のジャンルを合わせたものだ。


「へえ。ここがあの有名な『CBGB』か」

 と、言ってみたものの、ただのブティックに変貌している姿に、往時の面影はなかった。



 昼食後、グリニッジ・ヴィレッジにある、『Electric Lady Studiosエレクトリック・レディ・スタジオ』へ向かった。


 通りに面して、さりげなく建っていたその古いそのスタジオは、元々は1970年に『Jimi Hendrix』が建てたという。


 だが、数多くのミュージシャンがここで録音を行ったことで有名だ。


「すごいよね。『Jimi Hendrix』、『Patti Smith』、『Eric Clapton』、『Led Zeppelin』、『Stevie Wonderスティーヴィー・ワンダー』、『The Rolling Stones』、『John Lennon』など、挙げればキリがないくらい、ここで有名なアーティストが録音したのよ」

 と、麻弥はスタジオを外から見ながら、感慨深く呟く。


「そうだな。『David Bowieデヴィッド・ボウイ』、『AC/DC』、『The Crushザ・クラッシュ』、『The Carsカーズ』、『U2』なんかも使ってたな、確か」

 俺もそれに釣られて、名を上げる。


 すると。

「すごいですね」

 白戸先輩が呟く。


「でしょ? まさに世界の音楽をリードしたスタジオよ」

 その麻弥の回答に、白戸先輩は、


「いえ。すごいのはお二人です。よくそんなに覚えてますね」

 と、妙なところで感心されてしまった。



 そして、ここを立ち去ろうとした時だ。


 早口の英語で声をかけられた金山さんが、びっくりしたような声で、声をかけた男を見つめ、


Chrisクリス!」


 と、叫んでいた。


 クリス?

 知り合いか。


 と、思っていたら。


「Hey,Kana! Long time no see!」


 茶色の髪を短く刈り込んだ20歳くらいの若者だった。顔は、なかなかイケメンな白人の西洋人だった。


 俺たちは、嬉しそうな顔で話す、金山さんとChrisと名乗る男性の会話を見守っていた。( )内は俺が多分そうだろうと思って訳したもの。


「Why are you here?」(なんでここにいるの?)


「Because I 'm working close by live music club.」(この近くのライブハウスで働いてるからさ)


「I can't believe it! I didn't think I could see you again,so I'm very happy to see you.」(信じられない! あなたにまた会えるとは思ってなかったから、会えてすごく嬉しい)


「Me too.」(僕もだよ)


 そのクリスの英語は、比較的日本人にもわかりやすく、聞き取りやすい英語だったから、何とか俺も会話の内容がわかったが。

 金山さんが、今まで見たことがないような、嬉しそうな表情で男を見つめていた。


 すると、麻弥が。

「なに、カナカナの彼氏? それとも元カレ? 随分親しそうだけど」

 と、俺にひそひそ話で伝えてきた。


「そうなのかな。アメリカ流の挨拶のような気がするけど」

「でも、あんなに嬉しそうな加奈ちゃん、見たことありませんよ」

 否定しようとしたら、妙にニコニコしている白戸先輩に突っ込まれた。


 何だか、金山さんに彼氏がいるとか想像してなかったから、悔しいような残念のような。


 と、思っていたら、ウィスが金山さんに何か英語で声をかけ、金山さんはようやく我に返ったように、俺たちに振り向いて、照れながら、


「みなさん、ごめんなさい。この人は、クリスと言って、私のニューヨーク時代の友人です。今、ライヴハウスで働いてるそうです」

 そう言ってきた。


「えっ、カナカナの彼氏じゃないの?」

 麻弥が当然のことのようにそう聞くが。


「ええっ。違いますよ。大体、中学生の時以来の再会ですよ」

 と、慌てて否定しているが、金山さんの顔は心なしか赤いように見える。まったく好きでもないというわけでもないらしい。


「本当かなぁ。実は好きなんじゃないの?」

「ち、違いますよ」

 と、珍しく麻弥にからかわれていた。


「ところで、ライヴハウスで働いてると言ってましたよね。その人の力で、ボクたちもライヴとかできないですかね?」

 それまで黙っていた、翼が唐突に、図々しいことを言い出した。


 すると、金山さんは思うところがあったのか、早口の英語で、クリスと会話を始めた。


 ややあって、

「大丈夫だそうですよ。今夜、少し待ってもらうけど、それでもいいなら是非演じてくれって」

 と、笑顔で答えた。

 っていうか、サンフランシスコといい、ニューヨークといい、アメリカはその辺、適当というか、自由というか。

 日本流の段取りとかはないのか、と俺は思ったが。


「おお、面白くなってきたね!」

 麻弥はすでにノリノリだ。


「では、一旦ホテルに戻って、準備しましょう」

 白戸先輩がそう言い、俺たちは、クリスと別れるのを名残惜しそうにしている金山さんを連れ、一旦ホテルに戻った。



 曲目については、実は麻弥の指令で「アメリカ出身のアーティストに限る」と言われ、出発前に何曲か練習していたのだ。

 そのうち、今回は『Bon Jovi』と『Ramones』をやることになった。


 『Bon Jovi』はアメリカを代表するロック・バンドで、何より麻弥が好きなバンドだし、『Ramones』も古いが、アメリカでは特に有名だからだろう。

 アンコールが来た場合は、MCの金山さんに任せることにした。


 選ばれたのは練習していた2曲、『Bon Jovi』は『Livin'On A prayerリヴィン・オン・ア・プレイヤー』、そして『Ramones』は、『Rockaway Beachロッカウェイ・ビーチ』だった。


 解説をすると。

 『Bon Jovi』はアメリカを代表するロック・バンド。ヴォーカルのジョン・ボンジョヴィの特徴的なガラガラ声のハスキー・ボイスが有名。デビュー早々に成功を収め、トータルセールスは1億3000万枚を超えている。日本国内でも高い人気を誇り、知名度も高く、日本にもゆかりがあるバンドだ。2018年には「ロックの殿堂」入りを果たしている。


 『Livin'On A prayer』は、1986年リリース。トミーとジーナという貧しいカップルを題材とした歌詞で、俺と麻弥が初めて買ったアルバム『Slippery When Wet』に収録されている。なお、「prayer」とは「祈る人」のこと。


 『Ramones』は、アメリカのニューヨークで1974年に結成されたパンク・ロック・バンドで、ニューヨーク・パンクと言われ、後のパンク・ムーブメントに大きな影響を残している。

 1976年以降のロンドン・パンク・ムーブメントにも影響を与えたと言われている、言わばパンクの元祖みたいなところがあるバンドだ。

 メンバー全員に「Ramone」という苗字がついているが、血縁関係はない。


 『Rockaway Beach』は1977年リリース。ニューヨークにある『Rockaway Beach』から取られた曲で、ノリのいいパンクな曲だ。



 午後8時。まだ約束の時間には早かったが、俺たちはクリスが教えてくれた、ロウアー・マンハッタンにある、ライヴハウスへ向かった。


 実際に行ってみると、そこはライヴハウスというより、クラブに近かった。

 バーカウンターが置かれて、酒が販売されており、中はクラブのようなダンスホール風になっていた。

 クリスが「live music club」と言っていた通りだった。ちなみに「ライヴハウス」は和製英語で、海外では通じない。


 金山さんは、クリスの姿を見つけると、そのまま駆け寄って行き、少し話をしてすぐに帰ってきた。


「演奏は10時頃からやるそうですので、とりあえず他の演奏でも見てましょう」

 と言って、楽屋というか控え室に行く前に、ホールに行ってしまった。


 麻弥は、

「お酒飲みたいなあ」

 と、ぐちぐち言っていたが、演奏前だからやめておけ、と俺が釘を刺したら、すごい不満そうな顔をしていた。


 やっと、20歳になり、大手を振って酒を飲めるのが余程嬉しいようだ。将来、アル中にならなければいいが。


 演奏を見ていると、上手い奴もいるし、下手な奴もいる。

 雑多なライヴハウスというか、クラブだった。


 まあ、クラブ色が強いから、実際に踊っている奴らが多いし、酒が入ってる奴らも多いのは確かだった。



 やがて、10時になり、そろそろちらほらと帰り始める客も出る頃。


 俺たちはステージに上がった。


 見たこともない、日本人の高校生か大学生くらいの若者たちがステージに立ち、急にざわめき始める会場。


 そんな中、MCの金山さんがマイクを握った。


「Hi,everybody. We are from Japan. Thanks to my friend, we had the opportunity to talk about playing as a live.」


 つまり、「友人のお陰で、今日ライヴができるという話になった」ということだろう。

 彼女に感化され、俺も少しは英語がわかるようになってきていた。


「We will play "Bon Jovi" and "Ramones" tonight. Let's enjoy!」


 観客の歓声の中、1曲目、『Bon Jovi』の『Livin'On A prayer』が始まった。


 シンセサイザーの音に始まり、特徴的なバックコーラスやドラムの音が入り、徐々に盛り上がり、ヴォーカルの金山さんが、ジョン・ボンジョヴィばりのハスキーボイスでシャウトする。

 特にサビの「Livin'On A prayer」のところの金山さんの気合いの入り方が違ったし、新しく入ったギターの翼が思った以上にいい演奏をしてくれたのも幸いした。


 結果的には、この曲はよく知られているからか、観客には大受けだった。


「That's great!」

「Incredible!」


 などの、感嘆符が飛んできて、大歓声に包まれ、拍手が飛んできた。


 2曲目。

 『Ramones』の『Rockaway Beach』だ。


 いきなり、激しいドラムとギター音が入り、ヴォーカルの声が響く。何よりもノリのいいパンク曲で、しかも古いが、ニューヨーカーには馴染みのある『Rockaway Beach』を冠する曲だからか、客席は先程以上に盛り上がり、ダンスホールでは、踊りだす連中が出てきて、場内は一層の歓声の坩堝るつぼと化していた。

 2分半ほどの短い曲なので、すぐに終わってしまったが。


「Fine!」

「Marvelous!」


 などの声と共に拍手と歓声が入り混じる。


 そして、


「Encore!」


 のコールが流れた。


 金山さんは。


「Thanks! We will play "Janis Joplin"!」

 

 と、叫んでいた。

 きっと彼女自身が、楽しくなってしまったのだろう。

 一番好きな曲を持ってきた。


 『Janis Joplin』の『Summertime』だった。

 まさかの選曲に、客席も大盛り上がりだった。特にアメリカではよく知られた名曲だ。


 あの特徴的なハスキーボイス、そして魂が震えるようなインパクトのある叫ぶような歌声。

 それを金山さんは、完璧なまでに演じきっていた。

 そう、それはまさに「演じる」に等しい行為。


 彼女は、もしかしたら「演劇」の才能があるのかもしれない。役者が役になりきるように、『Janis Joplin』になりきって、歌っているように見えた。


 やがて、曲が終わると、面白いことが起こった。


 客席からはもちろん、大歓声が響いていたが、ここは客席とステージが比較的近いホールだったからか、アメリカ人たちが金山さんに興味を持って、英語で盛んに話しかけてきたのだ。


 俺には、早口で聞き取れなかったが、

「You killed it!」

 とか聞こえたから、一瞬、


(え、殺す気?)

 とか思って、ビックリしたが、これは「完璧だ!」という意味だと後で金山さんに教えてもらった。


 他にも、


「You have talent in singing.」(あなたには歌う才能があるわ)

「You are ingenious!」(お前、マジ天才だな)


 という、賞賛の声が金山さんに注がれる。


 戸惑いながらも、

「Thank you.」

 を連発し、照れ笑いを浮かべている金山さん。


 俺は改めて、

(この娘には才能がある)

 と、思い直すのだった。


 結局、金山さんはしばらくアメリカ人に囲まれるようにして、話をしていた。


 終わった後、金山さんはクリスのところに行って、また何事か話していたが、笑顔で戻ってきた。


「おつかれー、カナカナ。すごい人気だね」

 と、麻弥が労うと、


「いえいえ。みなさんのこともちゃんと褒めてましたよ」

 と、金山さんは満面の笑みで言ってくれた。

 それが彼女なりの気遣いなのか、それとも本当にそう言われたのかは、わからなかったが。



 翌日は、完全にフリーになった。

 なので、この日は観光に徹した。


 朝から「自由の女神」を見にいき、「セントラル・パーク」のあまりの広さに驚き、「ロックフェラーセンター」に昇り、「トップ・オブ・ザ・ロック」から夜景を堪能。


 「トップ・オブ・ザ・ロック」という名前が余程気に入ったのか、麻弥が。


「よし、みんなでここで誓いを立てよう!」

 と言い出した。


「誓い?」

「そう! ロックの頂点を目指すのよ!」

「それって名前だけじゃん」

 俺が不満そうな声を漏らしたのがわかったのか、みんなは。


「いいじゃないですか。ロックの頂点にあやかって、誓いましょう」

「そうですね。面白いと思います」

「Excitingですね」

「まあ、なんでもいいんじゃないですか?」

 それぞれ、白戸先輩、金山さん、ウィス、翼の声だが、最後の翼だけは投げやりだった。


「じゃあ、みんなでロックの頂点を目指そう!」


「ったくわかったよ」

「ふふふ。私も誓います」

「同じく、誓います」

「Yes. がんばります」

「あー、はいはい。アネゴは熱血ですね。しょうがないから誓います」


 なんだかやたらと気合いが入っている麻弥に合わせ、俺たちは名前にあやかって、そこでロックの頂点を目指すことを誓い合った。


 そして、その夜遅く、ホテルに帰ると、メンバーは麻弥によって、ロビーに集められた。


 今度は、何を言われるかと思ったら。

「明日から『ロックの殿堂』に行くわ」

 と、突然言い出した。


 それ自体は予想していたことだし、どうせ飛行機で行くだろうと驚きもしなかったのだが。


「何時の飛行機で行くんですか?」

 と、問う白戸先輩に彼女は、


「レンタカーで行くわ」

 いきなりそんなことを言い出した。


「レンタカーって。お前、国際免許は?」

「あるわ。っていうか、免許さえ持ってれば、そんなのすぐに取れるのよ」

 自慢げに国際免許証を取り出す彼女。


「クリーブランドだったか。何時間くらいかかるんだ?」

 もう彼女の破天荒な行動に慣れていた俺は、諦めてそう尋ねると。


「うん。ハイウェイを使えば7時間くらいだけど、今回は時間もあるし、せっかくだからアメリカの広大な大地を走って行きたい」

「で、それだと何時間くらいだ?」

「12時間くらいかな。大して変わらないでしょ」

「いや、5時間も違うけど」


 呆れて、俺が溜め息交じりに呟くと。

「細かいこと、気にしないことね。たったの472マイルしかないのよ。大したことないわよ」

 と言っているが。


 試しに携帯についている電卓で計算してみた。

 1マイルは1.6キロだから、472マイル=約755キロ。


 俺は、その数字を見て、一気に疲れる。

「お前なあ。それって、去年の夏に青森まで下道で行ったのと変わらない距離だぞ」

 しかし、彼女は、あっけらかんとしていた。


「そうだっけ? まあ、何とかなるでしょ。それにせっかくだから、アメリカの大地をドライブしてみたかったのよ」


 金山さんとウィスは、

「いいですね、麻弥先輩! 私も中学生までしかいなかったので、あまり長距離ドライブしなかったので、楽しみです」

「アメリカは広いですからね。面白そうです」


 一方、白戸先輩と翼は、

「アメリカって銃があるんですよね。大丈夫でしょうか? ちょっと怖いですね」

「大体、無謀すぎるんですよ、アネゴは」

 と、どちらかというと否定的だった。


 俺は、

「もうお前の好きにしろ。ただし、事故だけは起こすなよ」

 そう言うのが精いっぱいだった。


 もうこうなったら、麻弥を止めることはできないことを、幼い頃からの付き合いで、よく知っているからだ。


 俺たちは、翌日から無謀なアメリカ大陸のドライブを敢行することになった。

 もう、音楽とか関係ない気がする。

 まあ、これはこれで「ロック」な行動なんだろうけど。

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