Stage.35 デビューの行方

 金山加奈、17歳。


 ショートボブがよく似合う標準的な体型の、どこにでもいそうな平凡な少女だ。強いて特徴と言えば、キツネのように細い糸目が特徴的だ。


 好きな歌手は「ロックの女王」と言われた、アメリカの伝説的ロックシンガー、『Janis Joplin』。特にその名曲『Summertime』が好きだという。


 そして、帰国子女で、アメリカに小学校の途中から中学校の卒業までの5年間いたという。故に英語がペラペラ。


 元々、洋楽のロックやパンクばかり演奏してきた、俺たちにとって、この英語が上手い彼女がいたからこそ、持ってきたという側面があり、俺は、このバンドの要は金山さんだと思っていた。


 野球に例えると、リーダーの麻弥がチームの司令塔のキャッチャー、そして金山さんはエースピッチャーと言ったところか。


 とにかく、彼女がいないと、『NRA』自体の存続が危ぶまれる。


 だが、その事件は、その金山さんに一報の連絡が入ったことから始まる。



 5月のゴールデンウィーク後。

 珍しく金山さんが、グループメッセージで、メンバー全員を、いつもの喫茶店に集めたのだ。


 何事かと思っていたら。

「あのー。実は言いにくいことなんですけど……」

 いつもハキハキしている彼女にしては、珍しく歯切れが悪かった。


 ちなみに、金山さんは、バンドの中でも麻弥に次いで人気があるし、ファンも多い。

 まあ、特定の男性と付き合っているという形跡は、不思議とないようだが。


「どしたの、カナカナ。珍しくはっきりしないね」

 麻弥は、いつものように、アイスコーヒーを飲みながら、様子を伺っていた。


 すると、

「えーっと。実は、デビューしないか? って誘われまして」

 さすがにその一言に驚愕する俺たち。


 彼女は、順を追って説明してくれた。

「先日のことです。チャノケンさんから、ある芸能プロダクションの方が、私に会いたいと言ってると聞いて、会ってみたんです」


 固唾かたずをのんで見守る俺たちに対し、彼女ははっきりと言った。

「その芸能プロダクションの人が、音楽プロデューサーらしく、私の歌を聴いて、是非デビューを、と言うことらしいです」


「すごいじゃない、カナカナ!」

「加奈ちゃん、おめでとう!」

「Congratulations! ついにデビューですね」

「すごいですね、金山さん」

「おめでとう」

 と、みんなが賞賛と、祝いの言葉を述べるが、金山さんは、不思議に思えるほど、浮かない表情だった。


「でも、誘われたの、私だけなんです」

 その理由がわかった。


 そう。これはアマチュアバンドなどではよくある話だ。

 メンバーの誰か一人だけがプロデビューに誘われる。他のメンバーは誰も誘われない。

 もちろん、誘われた方はデビューしたいからデビューする。結果として、そのバンドは解散。

 ありがちだが、一番厄介な問題だった。


 俺はあえて、何も言わず、様子を伺っていた。

 すると。


「そんなの関係ないよ。カナカナ、歌でデビューしたいって言ってたじゃん。夢が叶うんだよ。あたしたちのことなんて、気にしなくていいからデビューしなよ」

 麻弥は、そう優しい口調で、諭すように言ったが。


「でも、それじゃ、このバンドはどうなるんです? 私がいないと歌う人、いなくなっちゃうじゃないですか? 英語で歌える人、いなくなっちゃう……」

「そんなの気にしなくていいの。何なら、英語がペラペラなウィスがやるから」


 麻弥に突然、振られたウィスは、

「ええっ! 私ですか? 私はちょっと……」

 と戸惑ったような表情を浮かべていたが、無理もない。


 ウィスは元々、イギリス人とは思えないくらい、引っ込み思案で、恐らく一番目立たないベースを選んだのも、そういう性格が影響している。

 それに、ウィス自体、歌が上手いかどうかもわからない。

 と、いうより俺の見立てでは、多分下手だ。


「でも……」

 やはり煮え切らないのか。明るいけど、優しい性格の金山さんは、俺たちのことを気遣っているようだった。


「せっかく夢が叶うところまで来てるんだよ。あたしたちのせいで、カナカナの人生が狂っても、申し訳ないし」

 麻弥は、やはり金山さんのデビューを応援したいようだ。

 俺もそうだが、ただ彼女の意志は尊重したいと思っていた。


 金山さんは、尚も沈んだ表情で、

「少し考えさせて下さい」

 彼女にしては、弱々しく返事をした。


 みんなと別れ際、俺は気になっていたことを、こっそり金山さんに聞いてみた。

「その音楽プロデューサーって、どんな人?」

 すると、彼女は、いつもの明るい表情からは、ほど遠い沈んだ表情のまま。


「うん。SKYスカイプロダクションの蘇芳すおうっていう男の人」

「ふーん」

 名刺も見せてくれた。確かに「芸能プロダクション」とは書いてあるが、聞いたことがない。



 気になった俺は、自宅に帰ってから、パソコンで調べてみた。

 すると。


 どうもそもそもこの「SKYプロダクション」という芸能プロダクションが怪しかった。資金繰りに相当、苦労しているようだし、ネットの情報だと、この「蘇芳」という男の評判がよくない。


「歌手を使い潰す」

「捨て駒にする」

「金を取られる」


 など様々なよくない噂がネットの掲示板には溢れていた。

 まあ、こういうのは、面白半分に書いているのもあるから、真相はわからないが。


 とりあえず、気になった俺は、麻弥に連絡。

「なに、芸能プロダクションが怪しい? あんた、カナカナを手放したくないからって、適当なこと言ってない?」

 いきなり、電話口で、俺が悪いみたいに言われたが。


「そんなわけないだろ。俺は金山さんのことを心配してるんだ。なんか胡散うさん臭いんだよな」


「わかった。それなら、今度直接行ってみよう」


 ということで、金山さんには内緒で、その「SKYプロダクション」とやらに行ってみることにした。



 土曜日、渋谷。

 多くの芸能プロダクションがあり、スカウトマンが多くの若者をスカウトする、言わば「若者の街」渋谷。


 その日も、多くの若者がスクランブル交差点を行きかっていた。


 その芸能プロダクション事務所は、渋谷駅から少し歩いた、道玄坂どうげんざかにあった。


 狭い雑居ビルの2階にあるようだったので、直接行ってみた。


 いきなり尋ねたことで、受付の人からは不審な顔をされたが、「金山加奈のことで話がある」と伝えると、意外にもあっさりと通された。


 粗末な椅子と机、いくつかのパソコンがある一室で、パーティションで仕切られた一角にソファーがあり、そこに通された俺たち。


 やがて、大柄な40代くらいの男が現れた。

 そいつの見た目が、なんというか、筋者すじものっぽいというか、あまりカタギには見えなかった。

 まあ、芸能界なんてのは、そういう「ヤ」のつく職業と裏でつながっていると聞くし、それ自体にはそんなに驚かなかったのだが。


「金山加奈さんのことで話があるとか?」

 厳つい容貌の割に、態度は柔らかい男だった。


「はい。あなたが蘇芳さんですか?」

 俺が聞くと、

「そうです」

 と、男は素直に答えた。


「で、具体的に彼女をどう育てるつもりですか?」

 いきなり単刀直入に麻弥が聞いていた。


 すると、男は。

「まずデビューするまでに、個人レッスンを受けてもらいます。その費用はそちらで負担していただくことになりますが」

 いきなりそんなことを言い出した。

 まず、その時点で怪しいことを、俺はネットの情報から知っていた。


 つまり、大手の、ちゃんとした事務所なら、所属者には給与が支払われ、芸能活動に必要な宣伝・衣装・CDリリース代金などは、基本的にすべて会社が負担するはずだ。


 そのことを俺が伝えると。

「そんなことはないですよ。それに弊社は、他の事務所より安い所属費、プロフィール写真代、広告費でできるんです」

「そもそも大手芸能プロダクションだと、所属者に金を払わせるようなことはないと聞きましたが」


 そう言うと、蘇芳は、少し面食らったような表情になった。が、気を取り直したのか。

「それは偏見ですね。それに、金山さんほどの逸材はなかなかいません。彼女は特別です。すぐにデビューできるでしょう」

「というより、元々、すぐにデビューできるから、お金なんてかからないんじゃないんですか?」

 麻弥も何かに気づき始めたのか。強気に突っ込んだ質問をしていた。


「芸能界はそんなに甘くありません。ただ、金山さんの実力なら、すぐにデビューできるでしょう?」

「すぐって、いつ頃?」

「それはわかりません。半年後か、1年後か。ただ、私たちは、ちゃんとレッスンを受けさせて、デビューまで面倒を見ます」


 その後、いくつかの質問をしたが、どうもこの男は、「いいこと」しか言わないようだった。

 メリットばかりを言う。


 つまり、自分たちにとって、不都合なことは言わない。

 そして、必要以上に「デビュー」させる人、金山さんのことを持ち上げる。

 詐欺にはよくある手口だと思った。



 とりあえず、お礼を言って、足早に俺と麻弥は事務所を離れ、近くの喫茶店に入った。

「どう思う?」

 コーヒーを受け取って、俺が聞くと。

「うーん。優也の言う通り、ちょっと怪しいかも」

 彼女も同意していた。


「なーんか、胡散臭いというか、いいことしか言わないし、レッスンにお金がかかるってのが、納得いかないのよね」

「とりあえず、金山さんに話してみるか」


 と、いうことで、翌日、俺と麻弥は彼女を喫茶店に呼び出した。他のメンバーは混乱するといけないと思い、あえて呼ばなかった。


 芸能プロダクションやプロデューサーのことを伝えると。

 意外にも彼女は、

「そうですか。実は、私も少しそんな気がしていたんですよ」

 あっさり、明るい表情でそう言った。


 改めて、詳しく聞くと、その芸能プロダクションは、やたらと性急に事を進めようとしていて、すぐに契約書にサインして欲しいとか、金山さんの親が同伴することを嫌っていたという。


 ますます怪しい。

「で、カナカナ。結論は出た?」

 麻弥が促す。

「まあ、待て、麻弥。そう急がせることもない」

 と、俺が制したのだが。


 金山さんは、吹っ切れたような笑顔で、

「決めました」

 と言ったから、俺たちは二人して、驚いて、彼女を見つめていた。


「私、このバンドが好きなんです。だから、断ります」


「ホントにそれでいいの、カナカナ? あたしたちが調べたのだって、表面的なことで、本当はちゃんとデビューだってできるかもしれないんだよ」

 そう言う、麻弥の真面目な表情に対し、彼女の笑顔は、いつもの明るい物に戻っていた。


「いいんですよ、麻弥先輩。私はみんなと一緒に、『NRA』としてデビューしたいんです。だって、このバンドが大好きですから」

 そう言って、微笑む金山さんの笑顔が可愛らしく見えた。


「カナカナ……」

 感極まった麻弥は、そのままそっと、金山さんに近づき、優しく抱きしめていた。


「ちょっと、麻弥先輩。恥ずかしいですよ」

 金山さんが照れて、戸惑ったようあ表情を浮かべる中、


「何、言ってんの、アメリカ帰りでしょ。ハグくらい挨拶みたいなものでしょ」

 と、麻弥は口では言っていたが、目にはうっすらと涙が浮かんでいるように見えた。


「いや、そうですけど……」

「ありがとう、カナカナ。ホントはね、寂しかったんだ」

「麻弥先輩……」


 素直に心情を明かす麻弥に対し、金山さんも感じるものがあったのか、少しだけ涙ぐんでいるように見えた。

「ずっと一緒にやってきたし、『NRA』のヴォーカルは、カナカナ以外には考えられないから」

「もう、それなのにあんなこと言ったんですか?」

「ごめん……」


 なんだか見ているこっちまで、もらい泣きしそうだった。

「金山さん。麻弥の言ったこと、許してやってくれ。こいつは、『ツンデレ』なだけなんだ。きっと、本心では君にいて欲しかったんだよ」

 俺が代弁するように告げると。


「誰がツンデレだって?」

 麻弥に思いっきり睨まれた。


「お前意外にいるか」

「なんだと」


 俺と麻弥が言い争う様子を見て、金山さんは、泣き笑いのような表情を見せて、笑い出した。

「もうお二人とも、やめて下さい。笑っちゃいますよ」


 そして、彼女は、いつもの明るい笑顔に戻って、はっきりとこう言ったのだった。

「やっぱり私はこのバンドが好きです。デビューするなら、みんなで一緒にデビューしましょう」

 その決意の籠った、力強い眼差しを見ると、俺たちはそれ以上、彼女に何も言えないのだった。


 こうして、金山加奈のデビューの話は消えた。


 なお、後で調べたら、やはりあの「SKYプロダクション」というのはかなり怪しいらしく、そのプロダクションからまともにデビューした芸能人は、ほぼいないとわかった。

 ましてや、歌手なんか一人もいなかった。


 要は、調べた通り、レッスンと称して、金をむしり取る事務所だったわけだ。

 そして、実際に、そういう悪徳事務所というのは、確実にこの世界に存在する。


 金山加奈の危機は、こうして無事に解決した。

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