Stage.33 Welcome to USA

 3月下旬。

 俺は、ギターケースを背負い、スーツケースを転がしながら、成田空港に向かっていた。


 これはこれで、結構疲れるのだが。



 話は前後するが、麻弥からアメリカ行きを告げられた後、まずパスポートを申請しに行くことになった。


 そもそも俺は海外に行ったことがなかったからだ。麻弥も同じく初めてだったから、一緒に取りに行った。


 アメリカに留学していた金山さんとウィスはもちろんパスポートを持っていたし(ウィスはイギリス国籍)、お嬢様の白戸先輩も海外は初めてではなかった。



 そして、ある時、ウィスが、

「せっかくアメリカ西海岸に行くなら、『Nirvana』の『Breedブリード』を練習してみたいです」


 と珍しく、そんなことを主張し、俺たちは、密かにこの曲を練習していた。


 『Breed』は、1991年リリース。アルバム『Nevermind』に収録されている曲で、キャッチーでパンキッシュな曲。特に粗めのサウンドの中で、ベースの歪み具合が絶妙だ。もちろん、ギターもディストーションを使ったエフェクターの効いた、歪みがあり、暗く、狂気を感じさせるような、特徴的な曲調だ。


 そして、ウィスが言うように、『Nirvana』は、アメリカ西海岸、特にシアトルに関係が深かった。


 今回、麻弥が計画した、「ロックの聖地」とは。


 カリフォルニア州サンフランシスコにある「ヘイトストリート」。ここは1960年代にヒッピームーブメント発祥の地と言われ、古着屋、レコード店、飲食店、タバコ屋などが並ぶアートな街。


 同じくビバリーヒルズにある「ビバリーヒルズ・ホテル」。『The Eagles』の『Hotel California』のレコード・ジャケットに描かれたホテルと言われている。ちなみに「ホテル・カリフォルニア」とは架空のホテルだ。


 ワシントン州シアトルにある、「MoPOP ポップカルチャー博物館」。『Jimi Hendrix』や『Nirvana』に関する展示があるそうだ。


 同じくシアトルにある「グリーンウッド・メモリアル・パーク・フューネラル・ホーム」。かの有名な『Jimi Hendrix』の墓がある。


 そして、俺がもっとも強く推したのが、同じくシアトルにある「ヴィレッタ・パーク」。大好きな『Nirvana』の『Kurt Cobain』が住んでいたのが、ワシントン湖を望む一軒家。その目の前にある小さな公園がここ。27歳で死んだ彼には墓がないため、この公園にあるベンチが墓標代わりになっている。


 他にもあるかもしれないが、おおむねこの辺りを計画。臨機応変に追加するかもしれない、とのこと。



 そして、冒頭に戻る。

 3月下旬、待ち合わせ場所の成田空港の第2ターミナルに向かった俺は、予定よりかなり早く着いた。


 が、そこには意外にもウィスがすでに待っており、所在なさげに携帯を見ていた。


「ウィス、早いね」

 と、声をかけると、


「あ、こんにちは、赤坂さん」

 そう言って微笑んだ。


 出発時刻は夕方の6時頃。飛行機はアメリカン航空だった。海外渡航は手続きがあるから、空港には早めに行くのが定石だが、それにしては、まだ午後3時。

 待ち合わせは3時30分だから30分も早い。


 ウィスは、ワンピース姿に、ベースケースを背負い、スーツケースを持っていた。

「どうしたの、こんな早い時間に?」

「そういう赤坂さんも」

「いや、なんだかワクワクしてしまって……」

「ふふふ、私もです」


 二人して笑いあった。初めて会った時は、オドオドしてて、自信がなさげだったウィスも、成長したのか、自然な笑顔を見せるようになったし、ネイティブ・スピーカーの彼女はこの旅にとって、ある意味、一番重要な存在だ。


 しばらく二人で話していると、やがて。

「お二人とも、早いですね」

「こんにちは。お疲れ様ー」

 やたらとでかいスーツケースを転がし、キーボードケースを背負った白戸先輩。そして対照的に国内旅行並みに、荷物が少ないボストンバッグ一つの金山さんが来た。


 そして、最後に。

「ごめんごめん。ちょっと寄り道してたら遅れた」

 と言って現れた麻弥。


 サングラスをかけて、カウボーイハットをかぶり、革ジャンにジーンズという、目立つ格好で、スーツケースを転がして歩いてきた。

 というか、こいつはアメリカを変に意識しすぎな気がするが。



 揃った俺たちは、チェックインを済ませ、時間まで土産物店や免罪店を冷かし、そしていよいよ機内に乗り込む。


 フライト時間は、約10時間。現地時間で12時頃に到着予定。機体が轟音を立てて、滑走路を疾走し、ついに日本を離れた。


 こうして、初めての海外旅行が始まった。



 機内の窓から、欧米風の建物が見えてきた。ここはもうとっくにアメリカ合衆国の領内だ。

 サンフランシスコ国際空港に降り立つ。


 初めての海外で戸惑いと、驚嘆の声を上げる俺と麻弥に対し、他の3人は慣れていて、落ち着いていた。


 まずは「immigrationイミグレーション」と書かれた入国審査に向かう。

 機内で、暇だったので、この辺りのことは金山さんやウィスに聞いて、やり方を勉強していた。


 要は、海外では必ず最初にここを通り、しかも会話は全部英語なのだ。


 緊張しながら、入国審査の列に並び、ついに自分の番が来た。


「Show me your passport.」


 これはわかりやすいから、まずはパスポートを出す。審査官はぶっきらぼうに感じる大柄の黒人男性だったが、つまらなさそうに、事務的にパスポートを見た後、


「What brings your here?」


 これは通常「What's the purpose of visit?」、つまり「あなたが入国した目的は?」と聞くものだが、面倒臭がりな審査官だと、略したり、別の言葉で言うそうだ。ひどいのになると、単語だけで聞いてくるとか。

 どうでもいいが、英語の発音が訛っているし、めちゃくちゃ早くて聞き取りづらかったが。


「Sightseeing.」


 金山さんからとりあえず、それだけ答えておけば大丈夫、と言われていたので、そう言ったが。つまり、「観光」ということだが。


「How many days will you be here?」


 ああ、何日滞在するか、と。なんとなくわかったので。


「5 days.」


 と、短く答えた。


「OK」


 短く答えた後、彼は、少しだけ表情を崩し、


「Welcome to USA. Have a nice trip.」


 そう言ってパスポートを返してくれた。



 第一関門は突破した。

 まずは、日本円をUSドルに両替し、ホテルがある市街地へ向かうのだが。

 簡単、かつ安い手段だけなら、シャトルバスや『SamTransサムトランズ』と呼ばれる、空港からダウンタウンに向かう路線バスを使えばいいそうだ。


 また、『BARTバート』と呼ばれる高速鉄道でも行ける。


 だが、荷物が多いし、不慣れな俺たちは、金山さんの提案でタクシーを使うことになった。


 まあ、この辺りは、金山さんが全部英語で話してくれるから、楽だったが。


「Inter Continental San Francisco,please.」


 早口の、綺麗な英語で、金山さんが運転手に伝える。


 そして、車内では。

 助手席に座った金山さんが、運転手と早口の英語で会話をはじめ、盛り上がっていた。

 というか、早口すぎて、俺には何をしゃべっているかわからない。

 さすがだ。


「空港からは、12マイル、だいたい20分くらいで着くそうです」

 助手席から金山さんが教えてくれた。


 アメリカという土地は、この「マイル」という単位をよく使うが、これが日本人には馴染みがないからわかりにくい。

 1マイルが大体1.6キロだった気がするから、12マイルだと、19キロくらいか。


 車は、高速道路っぽい道を走り、右手に海(サンフランシスコ湾)、左手にアメリカならではの高層ビル群を見ながら、サンフランシスコの市街中心部に入り、やがて街中の、一つのホテルで停まった。


 今日の宿は、ここ「インターコンチネンタル サンフランシスコ」という中級クラスのホテルだった。



 とりあえず、無事にチェックインを果たし、俺は一人、部屋でくつろぐ。

 車窓からは、ビル群が見えているし、あちこちに英語の看板が目立つ。


 ついにアメリカにやってきた、と実感するのだった。


 携帯に麻弥のメッセージが来て、ひとまずロビーに集まれ、とのことだったので、1階受付前の広々としたロビーに集まり、ソファーに腰かけた俺たち。


「ついに来たね、アメリカ!」

 めちゃくちゃ興奮気味に、麻弥は声を上げた。


「とりあえず、おなか空きましたねー」

 と、白戸先輩が。時刻はちょうど午後1時くらいだった。


「それなら、いいところがありますよ」

 金山さんが、勇んで提案した場所。


 俺たちはそこに向かった。

dinnerダイナー」と看板に大きく書かれた店内に入る。

 そう、ダイナーとは、よくアメリカのドラマや映画で出てくる、カウンターがあるバーのような喫茶店、というかレストラン。


 そこで、俺たちはアメリカ的な伝統料理とも言える、ハンバーガー、フライドポテト、アメリカンクラブハウスサンドなどで遅い昼食を取った。


 その後は、もう完全に観光だった。

 サンフランシスコと言えば、真っ先に思いつく人もいるだろう。

 路面電車や、坂を登るケーブルカーに乗り、市内を散策。


 有名なゴールデン・ゲート・ブリッジを見て、アラモスクエアに行き、コイトタワーに上り、観光を満喫。


 気がつけば陽が暮れていた。


「じゃあ、そろそろあそこに行きますか」

 金山さんが提案して、先導してくれた場所、そこは「ツイン・ピークス」だった。

 サンフランシスコで、最も標高が高く、山の上から市街地を見下ろせるという。


 そこからの眺めは絶景だった。

 眼下に広がる住宅街、高層ビルの群れ、ライトアップされたベイブリッジなどが遠くまで一望でき、ちょうど陽が暮れた街並みが光の帯を作っていた。


「キレイ!」

 麻弥が興奮気味に叫ぶ。


「本当ですねー」

 と、白戸先輩。


「Beautiful!」

 と、ウィス。


 そして、俺は金山さんに、

「ねえ、金山さんはアメリカのどこに住んでたの?」

 気になることを聞くと。


「私? ニューヨーク」

 と意外な答えが返ってきた。


「ニューヨーク。全然反対側じゃないか。それにしては詳しいね」

 そう、ニューヨークはアメリカでも東海岸だから、こことは逆だ。


「まあ、私は5年もいたからね。アメリカのあちこちに行ってたし。ここも、ロスもシアトルも行ったことあるよ」

 自信満々に答える金山さんが、頼もしかった。


 1日目は、結局、単なる観光だけで終了した。



 2日目。

 やっと、麻弥が先導して、「ロックの聖地巡り」が始まった。


 まず向かったのが、「ヘイトストリート」。

 現地では「Haight-Ashburyヘイト・アシュベリー」と呼ばれているこの地区は、ダウンタウンからは離れているが、色とりどりの建物や落書きがあり、古着屋、レコード店、飲食店、タバコ屋、さらには明らかに怪しいドラッグを売っている店など、まさに昔のアメリカっぽいところだった。


 麻弥は、ここではしゃぎ気味に、古着や楽器などを見て回り、気がつけば結構な時間をここで潰していた。



 続いて、向かったのが「ビバリーヒルズ・ホテル」。『The Eagles』の『Hotel California』のレコード・ジャケットに描かれたホテルだった。

 麻弥はわざわざ日本で、そのCDを手に入れ、持ってきていた。


 そして、


「おお! これか!」


 大げさに感動し、CDのジャケットと風景を見比べる麻弥。

 俺たちもそのCDを改めて見せてもらう。


 確かにヤシの木が生えていたり、後ろに映る城のような建物など、雰囲気はそっくりだった。

 だが、実はここ最高級ホテルなのだ。


 なので、貧乏人の俺たちは、中には入らず、結局外観だけ見て、立ち去ることになった。


 結局、その後はまた観光の続き。

 サンフランシスコでは、正直時間が余り気味だったが、まあ慌てて旅をするよりは、のんびりできるからいいだろう。


 夜は、また金山さんのオススメの、バーでジャズの演奏を聴きながら、まったりと過ごした。



 翌3日目、俺たちは、今度は飛行機でシアトルに向かった。

 サンフランシスコからシアトルまでは、飛行機で約2時間。

 シアトル、タコマ空港に降り立ち、まずはホテルにチェックイン。

 ちなみに、手続きはウィスが全部やってくれた。こういう時に、英語がしゃべれる人がいると、本当に助かる。


 まず向かったのは。

 「MoPOP ポップカルチャー博物館」。

 なお、MoPOPとは「Museum of Pop Culture」の略。昔は、「Experience Music Project」という名前のポップスとロック・ミュージックの博物館だったが、その後、音楽だけではなく、映画やアートなども扱い、今の名前に変わったんだとか。


 まず、建物の外観が面白い。

 まるで、建物全体を布かなんかで覆ったような不思議な外観をしている。


 ここは、体験型の博物館。


 音楽でいえば、ギターやベースを実際に弾ける場所があったので、俺と金山さん、ウィスがそれぞれ体験。麻弥も何故かギターを体験。


 さらに、『Nirvana』に関する展示物が俺の興味を引き、『Jimi Hendrix』のフェンダー・ストラトキャスターまで展示されていて、俺は感動に身を震わせていた。


 それ以外にも「ターミネーター」、「スターウォーズ」、「エイリアン」、「マイケル・ジャクソン」のスリラーなど、様々な衣装やグッズが展示されていて、見ているだけでも楽しい博物館だった。


「めっちゃ面白い、ここ!」


 と、すっかりご満悦で、子供のようにはしゃぐ麻弥に付き合わされ、結局、昼飯を食べるのも忘れて、俺たちはここでしばらく時間を過ごした。



 昼食後、向かったのは、「グリーンウッド・メモリアル・パーク・フューネラル・ホーム」。

 シアトルの郊外、正確には「レントン」と呼ばれる場所にあり、タクシーで向かった俺たち。

 ここは、先程の騒がしい場所とは、打って変わって、荘厳そうごんな雰囲気を持つ、墓地だった。


 そして、一番の目当てで、すでに観光客が集まっていた場所、そこがかの有名な『Jimi Hendrix』の墓だった。


 特徴的な、少し円錐型の東屋のような形をした、その墓にはギターの彫像があり、『Jimi Hendrix』の生前の写真を模したイラストが描かれてあり、多くの花に包まれていた。


『James M "Jimi" Hendrix 1942~1970』


 と、刻まれた墓石と、彼の写真を模したイラストが、強く印象に残った。

 日本では「ジミヘン」として知られる彼は、わずか27歳で亡くなっているが、その死因には、実は不可解な点が多いと言われている。


 一般的には、睡眠前に、酒と睡眠薬を併用し、睡眠中に嘔吐して、窒息死したと言われているが。


 彼の死亡時に、一緒にいた、モニカ・ダンネマンという女性には、かなり不可解な点がある。

 つまり、彼女はすぐに救急車を呼ばなかったり、救急隊員の証言と異なる証言をしていたらしい。

 もっとも、このモニカ・ダンネマンもその後、自殺してしまったから、今も真相は闇の中だ。


 偉大なギターの先輩、そして偉大な英雄の前に、俺たちは、ただ黙って手を合わせ、黙とうするのだった。



「さて、じゃあ、やっと行けるな」

 俺が呟き、

「まあ、しょうがないね。シアトルと言えば、ニルヴァーナ、そしてカート・コバーンってくらい有名だしね」

 と、麻弥が呆れ気味に了承してくれた。


 再び、シアトルの市街地に戻った俺たちは、ワシントン湖に面した小さな公園に向かった。


Viretta Parkヴィレッタ・パーク


 そう呼ばれるも、そこは小さな、どこにでもある公園だった。


 だが、その一角にある、古ぼけた木造のベンチこそが重要だった。


 ベンチには、花が置かれ、そして数々の英語の落書きがされていた。


「Nirvana」


 と書かれた物はもちろん、他にもハートマークが書いてあったり、様々な落書きがあった。


 ここに「カート・コバーンがいた」という事実。

 それに、俺の魂は震えた。


 そうとしか思えない感情が沸き上がってきた。


 俺は、気がついた時には、ギターをケースから出して、そして、『Smells Like Teen Spirit』のギターリフを奏でていた。


 もちろん、アンプにつないでいないから、ショボショボした音だったが。


 他のみんなは、俺の演奏を黙って聴いたり、目を閉じたり、ベンチをじっと見たりしていた。


 すると、


「Excellent!」


 と語る、中年男性の声が聞こえてきて、振り向いた。

 そこには、白人の中年男性が立っていて、俺の演奏を凝視していた。


 そして、彼は、早口で俺に何かを言った。

 俺は早すぎて、聞き取れず、演奏の手を止めて、金山さんに聞く。


「なんだって?」

「いい演奏だって。なんなら、ウチのバーに来て、ちょっと演奏してみないか? だって」


「えっ」

 さすがに一瞬、自分の耳を疑った。演奏する?


 さらに、金山さんが興奮気味に、

「この人、そこのバーのオーナーらしくてね。せっかくだから、『Nirvana』を演奏してくれないか。客も盛り上がるから、だって。すごいね、赤坂くん!」

 と言ってきた。


「おお! おもしろそうじゃん! やりなよ、優也。あたしたちも演奏するからさ」

 早くも、麻弥が興奮で顔を紅潮させていた。


「いいですねー」

 白戸先輩も、


「アメリカで『NRA』、初演奏ですね」

 とウィスまで嬉しそうだった。


 まあ、俺も演奏するのは、いいのだが。

「でも、こんな、どこの馬の骨ともわからない、日本人でいいの?」

 と、心配になって、金山さんに通訳をお願いすると。


「ノープロブレム。音楽に『国境』はない、だそうよ」

 嬉しそうに微笑む金山さんだった。


 なんというか、ものすごい偶然だ、と思った。たまたま俺たちがこの時間にここに来て、そしてこの曲を俺がたまたま弾かなければ、この出会いはなかった。



 と、いうことで、俺たちはその日の夜、シアトルのダウンタウンにある、このオーナーのバーに呼ばれた。


 ちなみに、オーナーさんは、Matthewマシューさんという55歳の男性で、昔、ちょっとだけ音楽をやっていた関係で、今もシアトル市内でバーを経営しているという。


 夜8時。俺がギター、ウィスがベース、白戸先輩がキーボード、麻弥がドラムスティック、金山さんがマイクを、それぞれ持って、早速店に伺ってみると。


 バーというより、ちょっとしたライブハウスに近い空間だった。

 地下になっている空間に、カウンターといくつかのテーブル、椅子があり、小さなステージがある。


 客席とは比較的距離が近く、庶民的な雰囲気の店だった。


 行くと、結構な人が集まっており、各々がビールやウィスキーを傾けながら、楽しそうに歓談していた。


 マシューさんは、金山さんに気づき、笑顔を見せた。

 早速、金山さんが、話に入った。


 で、すぐに戻ってきて、

「準備が出来たら、いつでもOKだそうですよ。少ないけど、謝礼も出すって言ってくれました」


 実にアバウトだ。さすが自由の国、アメリカ。と、俺は思うのだった。



 俺たちは、早速準備をして、ステージに上がる。


 曲目については、事前に打ち合わせをしており、『Nirvana』の『Breed』、そして『Smells Like Teen Spirit』をやるということに決まった。

 アンコールがあれば、『The Sky is the limit』をやる予定だ。


 ステージには、ちゃんとアンプも、ドラムセットもあったし、マイクも用意されており、脇には小さなオルガンが置いてあった。


 いつも演奏する、ライヴハウスより小さいが、こういうのもいいだろう。


 アメリカ人たちの視線が、俺たち奇妙な一団に向けられる。

 まあ、それはそうだろう。

 ベースを除いて、みんな日本人だし。


「Hi, everybody. We are from Japan. I heard that Seattle is the placed related to a famous musician "Nirvana". So, we will play "Nirvana" tonight. Please enjoy!」


 早口の英語で挨拶をする金山さん。なんとなくだが、意味はわかった。

 要は打ち合わせ通り、シアトルにゆかりがある「ニルヴァーナ」をやるということだ。

 『NRA』とわざと言わなかったのは、彼女なりの配慮かもしれない。何しろ、全米ライフル協会と同じ略語らしいからな。


 1曲目は『Breed』だ。


 この曲はディストーションを使ったエフェクターが重要だ。要はギターの「音」を「歪ませる」。

 ギターもベースもこのひずみや歪みがイントロから入る。


「Wow!」


 早くも前方にいたアメリカ人から驚きの声が上がっていた。


 ヴォーカルの金山さんが、ハスキーボイスを上げる中、俺たちは、この名曲を演奏していく。


 歌詞のフレーズ的には、同じことを繰り返す、韻を踏んだ曲だが、この狂気にも似た、独特の暗く重苦しい雰囲気が、まさに「grungeグランジ」なのだろう。


「She said」


 というフレーズを繰り返した後、ギターリフが入る。その間も、特徴的なベースの歪みが流れる。


 終わってみると。


「Fantastic!」

「Brilliant!」


 という声と共に、盛大な拍手と歓声が送られてきた。


 俺たちは2曲目に入る。

 『Smells Like Teen Spirit』だ。


 『Nirvana』を代表する名曲だからか、イントロのギターリフから、観客は大盛り上がりだった。

 元々、アメリカ人は日本人よりノリがいい。


 口ずさむ者、リズムを取る者が続出。

 酒も入っていたからか、バーは、ライヴハウスやコンサート会場のような賑わいを見せていた。


 さらにヴォーカルの金山さんが、『Kurt Cobain』を真似てシャウトすると、さらに歓声は大きくなった。


 ギターパートの俺は、楽しい気分になって、この曲に集中していた。

 もうすでに何度も弾いている曲だ。


 今さら、迷いはない。


 5分ほどもある長い曲だが、終わってみれば。


「Bravo!」

「Amazing!」

「Very nice!」


 俺でもわかるくらい簡単な単語だったが、みんなが喜んでくれた。音楽を通して、国境を越えた。そう思うと感慨深いものがあった。


 さらに、


「Encore!」


 という叫び声が聞こえてきた。ちなみに、英語では「エンコアー」とか「アンコアー」に近い発音だ。


 やがて、


「Thank you. Next,our original song, "The sky is the limit"!」


 そして、その「The sky is the limit」を奏でる俺たち。

 一応、これも全編英語で作った曲だし、ノリのいいパンクの曲だから、客席はさらなる盛り上がりを見せ始めた。


 日本人より、感情表現や豊かで、よく笑い、よく怒るアメリカ人たち。わかりやすく喜んでくれた。


 演奏後。


「Cool!」

「You rock!」

「That's neatニート!」


 など様々な賞賛の声が響いた。

 なお、「rock」は、動詞で「揺さぶる」、「揺り動かす」という意味があり、「心が動く」、つまり「最高」という意味だそうだ。


 あと、「neat」とは、日本的な引きこもりの意味ではなく、元々「整頓された」、「こぎれいな」という意味があるが、スラングで「めちゃくちゃいい」という意味だそうだ。


 以上のことは、後で金山さんに聞いたのだが。


 とにかく、俺たちは、初のアメリカでの演奏を無事、終了したのだった。

 マシューさんは、大げさに喜んでくれて、謝礼金に色をつけて、チップを弾んでくれた。



「いやあ、最高に盛り上がったね!」

 ホテルに戻る道すがら、すっかり上機嫌な麻弥だった。


「楽しかったですねー」

 と、白戸先輩が笑顔で答える。


「アメリカ人って、基本的にノリがいいですからね」

 と、金山さんも、上機嫌だった。


「私も楽しかったです。いい思い出になりそうです」

 ウィスも嬉しそうだった。


「ここで『Nirvana』が出来るとか、最高だ」

 俺もそれしか言えなくなっていた。



 翌朝、4日目。

 俺たちは、シアトルから130キロ南西にある、小さな街、『Aberdeenアバディーン』にバスで向かった。


 当初、麻弥はあまり乗り気ではなく、プランにも入れていなかったが、時間が余ったのと、俺がどうしても行きたいと主張したからだ。


 そこには、『Nirvana』の『Kurt Cobain』の生家がある。



 結局、バスで直通はなく、タコマまで行って、乗り換えて、片道4時間もかけて、着いたそこは。


 アバディーンは、寂れた小さな町だった。

 街の入口には、丁寧に。


「Welcome to Aberdeen: Come As You Are」


 と、書かれた標識がある。


 『Come As You Are』は、1992年にリリースされた『Nirvana』の曲で、アルバム『Nevermind』に収録されている。


 「カート・コバーン」の生家はすぐに見つかった。


 黄土色っぽい壁の三角屋根の、どこにでもあるような小さな家だ。


 俺は、ここでみんなに、自分が知る限りの「カート・コバーン」の生い立ちを話した。


 カート・コバーンは、ここで8歳まで幸せに暮らしていたが、両親が離婚してからが悲惨だった。


 母親、叔父、祖父母、そしてまた母親と転々とし、明るい性格だったカートはどんどん暗い少年になっていった。さらに今度は叔父が自殺。


 そして、そんな暗い陰に入ったカートを助けたのが、パンク・ロック・ムーブメントだった。


 間もなく音楽にハマり、ハイスクールを退学し、母親の元から追い出されたカートは、友人の家や橋の下で寝泊まりしていたという。


「かわいそう」

 と同情がちな表情を浮かべる白戸先輩に対し、


「まあ、ロックミュージシャンの生い立ちって、大体悲惨なもんよね」

 と、麻弥は妙に達観していた。


 そして、その橋に着く。


 通称「カート・コバーン・ブリッジ」。

 この、カート・コバーンが青春期に寝泊まりしていた橋には、今では多くのファンが英語の落書きをしていた。


 そして、橋の脇には、ファンによって建造された、「カート・コバーン・リバー・フロント・パーク」があった。


 公園内には、「カート・コバーン」の写真を模したイラストがあったり、ギターのモニュメントが置かれてあった。


 俺は、ベンチに座り、みんなに対し、口を開く。


「この時のカート・コバーンのツラい気持ちが、実は『Something In The Wayサムシング・イン・ザ・ウェイ』という歌の歌詞になっているんですよ。今度、和訳つきで聴いてみて下さい」


 この曲は、非常に暗い雰囲気の曲だが、歌詞は、「Underneathアンダーニス the bridge」つまり「橋の下」から始まる。


 彼がこの橋の下で、過ごしたツラい心情を歌っている、特徴的な曲だ。

 和訳で聴くと、本当にツラくて、浮かばれない生活だったことがよくわかる。そもそも『Something In The Way』自体が、「壁が道を塞いでいる」という意味だ。



 俺たちは、「カート・コバーン」の青春の跡を見て、思いに浸った後、その日もシアトルで1泊した。


 翌日、つまり最終日の5日目の午前。


 俺たちは、シアトルのタコマ国際空港から成田行きの飛行機に乗った。


 機内では、麻弥が隣だった。行きは金山さんだったが。


「麻弥、面白かったよ、アメリカ。ありがとう」

 そう告げると、彼女は何故かやたらと得意げに、


「そうでしょ! やっぱ面白いよね。また行きたいよね?」

 と聞き返してきた。


「そりゃ、金と時間があればな」

「そんなの何とでもなるよ。次は、絶対『ロックの殿堂』と、ニューヨークに行くわよ!」

 やたらと張りきっていた。


 というか、また行くつもりだな、彼女は。

 ちなみに、『ロックの殿堂』は、ニューヨークからはかなり離れた内陸の、オハイオ州クリーブランドにある。


 そして、この時の予感が後に現実の物となる。

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