Stage.32 Saori Strikes!

 津軽弁をしゃべるバンド『紅玉』とのバンド対決が終わってすぐの2月中旬。


 リーダーの麻弥が突然、俺たちメンバーを共通グループメッセージで、いつもの喫茶店に呼びつけた。

 俺は、また無理難題を言われるかと思っていたら。


 集まったメンバーに対し、彼女は興奮気味に語った。

「さおりんが帰ってくるって!」


 そう、元・ベーシストで、ピアノの留学のため、オーストリアのウィーンに旅立った、黒田沙織が帰国することを告げたのだった。

 何でも、麻弥のところに、ウィーンにいる黒田先輩から、直接、国際電話があり、近々、帰国することを告げたそうだ。


「本当ですか? また先輩に会えるんですね」

 喜色を満面に浮かべる白戸先輩。


「一年ぶりくらいですね。会えるの楽しみです」

 と金山さんも興奮気味。


「Oh. 黒田さんに会えるんですね」

 まだ会ったことがないウィスまで嬉しそうだった。


 が、俺は戦々恐々としていた。

 何しろ、麻弥と付き合うお膳立てをしてくれたのが、黒田先輩だ。

 確か、別れ際に、


「麻弥を泣かせたりしたら、承知しないぞ」


 って言ってたような。


 泣かせてはいないけど、結局、俺たちは別れてしまった。黒田先輩に知られれば、彼女はどんな顔をするかわからない。

 俺は、あの怖い先輩に怒られることを危惧していた。


「で、いつ帰ってきて、どのくらいいるんですか?」

 なので、正直、早く帰って欲しいと思い、聞いていた。


「3日後。早めの春休みをもらって、1か月近くも日本にいるそうよ」

 と、麻弥が言ったので、正直がっくりしていた。


 1か月は長い。

 やはりヨーロッパはその辺、おおらかなんだろうけど。

 その1か月の間、ずっと彼女に麻弥との関係を責められると思うと、気が気でなかった。



 そして、ついにその日が来る。

 成田空港まで出迎えた俺たちメンバーの前に、彼女が現れた。


 漆黒のジャケットを羽織り、ジーンズを履いた、長身の姿。長く艶のあるストレートの黒髪。

 そして、切れ長の目。

 黒田沙織その人だった。


「さおりん! おかえり!」

 と、親友に抱き着く麻弥。


「ただいま、麻弥。相変わらず、大げさだな」

 と、微笑む黒田先輩だった。


「先輩ー。お久しぶりです」

「お元気そうですね」

 たちまち、白戸先輩と、金山さんが彼女の周りを囲むように近寄る。


 俺とウィスは蚊帳かやの外かと思ったら。

「お前が、私の代わりのベースのウィスか。話は聞いてるよ」


 彼女はまずウィスに近づいた。


 ウィスは、人見知りをする方だが、何故か初対面の黒田先輩に対しては、その兆候を見せず、笑顔だった。

「はじめまして。ウィスタリアです。お話は先輩たちから聞いています」

 丁寧に頭を下げて、挨拶をしていた。


「まさかイギリス人が入るとは思わなかったが、礼を言う。バンドが解散しなかったのは、お前のおかげだ」

 相変わらず、男みたいな口調でそう告げる黒田先輩に、ウィスは、


「どういたしまして。私もまだまだ黒田先輩には及びませんが、がんばります」

 ウィスは、自信のある態度と、丁寧な日本語でそう答えていた。


 そして、彼女が俺に近づいた。怖い、怒られると思ったが。

「話は麻弥から聞いたよ、赤坂。別れたんだって」

 意外に冷静な声をかけてきた。しかも、麻弥には聞こえないように、小声で気を遣うように俺に話しかけてきた。


「ええ、まあ」

 しかも。


「私も無理にお前たちをきつけたからなあ。反省してるよ。結局、恋愛なんて、当人の気持ちの問題だ。まあ、気にするな」

 意外なほど、優しい言葉をかけてきたから、構えていた俺は、拍子抜けした。



 そして、空港のカフェで、俺たちは久しぶりに旧交を温めあった。

 その席上。


「さおりん。ピアノはどう?」

「順調だよ。向こうでコンクールに出たりしてる」

 コーヒーを傾けながら、冷静に言葉を返す黒田先輩。この感覚が懐かしい。


「へえ、すごいね。あたし、さおりんのピアノ、久しぶりに聞きたいなあ」

 麻耶が、また無茶を言っていたが。


「いいぞ」

 あっさり黒田先輩は認めていた。


「でも、どこで演奏してくれるんですか?」

 白戸先輩の疑問にも、

「学校があるだろ。私たちはOBだから、頼めば音楽室で弾かせてくれるだろ」

 あっさりと、そう返していた。


「いいね! 早速優也から頼んでおいて」

 と、麻弥に言われ、結局、学校との交渉を俺が担当することに決まる。



 翌日、早速、校長に直接、許可を取りに行ったが。


「OBならもちろん構いませんよ」


 と、めちゃくちゃあっさり了承してくれた。

 まあ、この辺りは、黒田先輩は確かにOBだし、音楽を学ばせる学校だから、ピアノを弾くくらいは訳ないのだろう。


 ということで、黒田先輩は、部活動で音楽室を使わない、次の土曜日に、ウチの高校に来て、ピアノを弾いてくれることになった。



 当日、学校の音楽室に行ってみると。

 俺たちバンドメンバーはもちろん、それ以外にも麻弥から聞いたんだろう。懐かしいOBで、前・生徒会長の緑山先輩、さらに完全に部外者のはずの桜野さんまで来ていた。


 一通り再会を喜び合った黒田先輩は、音楽室のグランドピアノの前に腰かけた。その様子が様になっている。

 俺は、彼女がピアノを弾くのを聴くのは初めてだった。


 優しいピアノの音色が響く。どこかで聴いたことがあるような曲だった。軽やかに指を鍵盤に弾ませる彼女。

 普段、クラシック音楽など聴かない俺でさえ、その鮮やかな音色、指さばきに聴き入って、見とれていた。


 正直、ピアノのことはわからないが、素人目にも、彼女の技術が高いと感じられる。

 中盤に入ると、曲調は激しさを増すが、それさえもきちんと強弱をつけて、見事に演奏している。


 たまたま隣に座っていた、白戸先輩に小さな声で聞いてみる。

「白戸先輩。この曲、知ってます?」

 金持ちのお嬢様の彼女なら、知っているかもしれないと思ったのだ。確か彼女の家にはピアノもあった。


 すると、

「これは、モーツァルトのピアノソナタ ハ長調 KVケッヘル.545ですね」

 丁寧に教えてくれた。


 彼女によれば、今、弾いてるのは、その第一楽章「アレグロ」で、ピアノ初心者の練習に最適な曲だそうだ。


 要は、初心者向きの簡単な曲ということか。

 ただ、黒田先輩の指の動きを見ていると、とても簡単そうには見えなかったが。


 さらに、続く第2楽章の「アンダンテ」、そして第3楽章の「ロンド:アレグレット」も軽やかに弾く黒田先輩。


 曲調は、都度様々に変わる。

 特に緩やかな演奏だった、第2楽章に対し、第3楽章は、対照的に、元気よく、跳ねるように演奏している。


 ピアノの奥深さを感じた。


 演奏が終わると、周りから盛大な拍手が起こった。

「さすがね、さおりん。腕は全然落ちてないみたい」

 彼女のピアノの腕をよく知る、麻弥が拍手しながら、黒田先輩に言った。


「まあ、これくらいはな」

 黒田先輩は、照れ笑いを浮かべた。


「ところで、お前たち。まだライヴで演奏しているんだろう?」

「もちろんよ」


 すると、黒田先輩は、ある意外な提案をしてきた。

「久しぶりに私もステージに立ちたい」

 と言い出したのだ。


「でも黒田先輩。ベースはもうウィスがいますよ」

 俺が当然ながら、そう告げたが、彼女は予想通りといった表情で、


「わかってる。だから、私はピアノをやる。ピアノ曲が入るロックの曲だって、あるだろ?」

 と言って、麻弥の方を見た。


「もちろん、たくさんあるわよ!」

 自信満々に麻弥は宣言した。



 そして、事態は意外な展開を見せる。

 翌日、早速ライヴハウスに行って、臨時メンバーとして黒田先輩を次のライヴに呼ぶことを、チャノケンさんに伝える麻弥。

 結果としては、


「面白いからいいんじゃない」


 と、彼はあっさりOKしていたが。なんというか、アバウトなブッキング・マネージャーなのか、それともこのライヴハウスが緩いのかはわからないが。


 とりあえず、練習と、黒田先輩の離日の時間もあるから、俺たちは、比較的やりやすい曲で、ロックの中にもピアノが入る曲を探した。


 2曲決まった。

 『Queen』の『Don't Stop Me Now』、そして『The Beatles』の『Let It Be』だ。

 どちらの曲も、超がつくほど有名で、誰もが一度は耳にしたことがある曲だろう。

 そして、どちらもピアノが重要な位置を占める。


 『Don't Stop Me Now』は、1978年リリース。『Queen』を代表する名曲で、『Freddie Mercury』のピアノ演奏が主体で、ハーモニー・ヴォーカルも入っている。

 一方、『Bryan Mayブライアン・メイ』のギターパートは極端に少なく、ソロパートもないし、その後もわずかに音が流れる程度。

 つまり、俺としては楽な曲だ。


 『Let It Be』を知らない人はいないだろうと思うが、軽く説明すると、1970年リリース。アメリカの世界的に有名な音楽雑誌『Billboardビルボード』で4週連続で1位に輝いている。

 この曲もほとんどピアノとヴォーカル、ドラムだけの曲だ。


 つまり、2曲とも、ギターの俺はほとんど出番がないし、白戸先輩のキーボードも同じくほとんど出番がない。と、いうか、前者は白戸先輩の出番が全くない。

 俺も白戸先輩もバックコーラス中心に担当し、金山さんもギターは弾かず、ヴォーカル専用とした。


 まあ、前回のライヴは、ギターの俺が主役だったから、今回はいいだろう。

 せっかく黒田先輩が帰ってきたんだ。花を持たせてやりたい。



 それから1週間ほどの練習で、俺たちはこの2曲を物にした。

 元々、抜群の音楽センスを持つ、音楽家のサラブレッドの黒田先輩の助けもあったが。



 3月初めの土曜日。

 ついに、そのライヴが、ライヴハウス『Star Dust』で開かれることになった。


 前回のライヴが衝撃的だったのか、観客は大入りだった。

 俺たちは、もちろんメインのイベントとして、取り上げられ、一番目立つ役回りだった。


 ピアノは、ライヴハウスの方で用意してくれた。


「いよいよね。さおりん、緊張してない?」

 と聞く、麻弥に、

「私を誰だと思ってる」

 自信満々に、答える黒田先輩が頼もしかった。


 ステージ上に立つと、観客はほとんど、ライヴハウスいっぱいなくらいに入っていた。

 このライヴハウスの最大収容人数は500人ほどだが、それに近いくらいの人だったように思える。


 そして、ライヴが始まった。

「みなさん、こんにちは。『NRA』です。今日は、あたしの親友で、ウィーンから一時的に帰国している、黒田沙織を呼んでます」

 MCは、黒田先輩の親友の麻弥が務めた。


 この一言だけで、会場は盛り上がっていた。

「黒田さん、お帰り!」

「待ってました!」


 と、ファンが歓声を上げていた。


 照れ笑いを浮かべる黒田先輩。

 メンバー紹介の時も、


「久しぶりに帰国しました。今日は、私のピアノを披露します」

 と妙に神妙な表情をしていた。

 なんだかんだ言っても、彼女も少し緊張しているのかもしれない。


 そして、1曲目。

 『Queen』の『Don't Stop Me Now』が始まる。


 ヴォーカルの金山さんの声と、かろやかで穏やかなピアノの音が混じる。

 ハーモニーコーラスを担当する俺と白戸先輩の声、そしてドラム音が入り、曲は盛り上がっていく。

 後半、やっとギターの出番が来る。俺は、黒田先輩に学んだことを思い出しながらも、必死にギターを奏でる。


 終わってみると、予想以上に大成功だった。


「Queen、いいね!」

「黒田さん、素敵!」


 客席から、盛大な拍手と、歓声が送られていた。


 そして、2曲目。

 『The Beatles』の『Let It Be』だ。

 穏やかなピアノ音から入り、ヴォーカルの金山さんが、有名なフレーズを歌う。

 ほとんどピアノとヴォーカル、そしてドラムも入るが、全体的に穏やかな曲だ。

 金山さんのヴォーカルがいつも以上に冴えわたっていた。

 キーボードの白戸先輩は、後半のパートから入る。

 いつもの激しい曲調とは違うが、客席ではいつもと違い、サイリウムが左右に穏やかに揺れているのが印象的だった。


 終わってみると、こちらも大受けしていた。


「ビートルズ、最高!」

「さすが黒田さん。ピアノ、上手い!」


 という声があちこちから飛んできて、一旦袖に戻った俺たちに、


「アンコール!」


 の声が盛大に送られる。


 実は、この時、アンコールについては、あまり考えていなかったらしい、麻弥だったが。


「とりあえず、『ペルセウス座流星群』、あとは『Rock'N Roll』かな」

 いきなりそれだけを指示してきた。


 もっとも、だいぶ演奏にもライヴ活動にも、場慣れしてきていた俺たちには、それだけで十分だったが。


 アンコール1曲目。『ペルセウス座流星群』。

 穏やかな曲調の曲で、前の2曲と同様に、サイリウムは左右に揺れていた。黒田先輩はコーラスで参加。

 初めて歌うにしては、ちゃんと歌えていた。

 恐らく麻弥に事前に教わっていたのだろう。


 再び、盛大な拍手と歓声。

 そして、再度のアンコール。


 麻耶の予告通り、『Led Zeppelin』の『Rock'N Roll』。

 それまでの曲とは、180度変わり、いきなり激しいロックンロールだが、これがまたアンコールにふさわしく、盛り上がった。


 ギターパートの俺も、この曲は大好きだったから、自然と張りきって、演奏していた。


 終わってみれば、大観衆から、万雷の拍手と歓声が送られていた。

「みなさん。今日は本当にありがとうございます。私は、またすぐウィーンに帰ってしまいます。ただ、ここで演奏したことは、決して忘れません」


 最後に黒田先輩がマイクの前でそう語り、再び大きな拍手に包まれて、このライヴは終わった。



 3月中旬、俺たちメンバーは、再び、成田空港で黒田先輩を見送ることになった。


「さおりん。また、寂しくなるね」

 そう親友に語る麻弥の背中が泣いているようだった。


「一時の別れだろ。それにもう私がいなくても、お前たちは立派に演奏できるとわかった。きっと、プロデビューの日も近いだろう」

 予言めいた一言を残して、彼女は全員に挨拶をした後、再度オーストリアへと旅立って行った。


 そして、帰ろうとする俺たちに向かって、リーダーの麻弥がとんでもないことを口走ったのは、その時だった。


「よし、決めた。アメリカに行こう!」


「えっ! アメリカ。お前、何言ってんだ、正気か」

 さすがに食いつく俺。


 こいつの思いつきや、気まぐれにも困ったものだと思っていたら。


「やっぱロックと言えば、アメリカよ。ちょうどみんな、もうすぐ春休みでしょ。ライヴ活動は一旦休止して、みんなでアメリカに行くわよ」

「まさか、また北海道の時みたいに、ツアーでもやるつもりか?」

 さすがに心配になった、俺が尋ねると。


「大丈夫。今回は、観光がメインだし、アメリカは広すぎて、そんなことできないし。ただ、一応、各自楽器は持ってくること」


「いいですねー、アメリカ」

 白戸先輩は乗り気だった。


「私は、アメリカが第二の故郷みたいなものですから、大歓迎です!」

 アメリカに5年も留学していた金山さんも笑顔だ。


「USAですか。それなら私が通訳しますよ」

 ウィスが自ら積極的に通訳を買ってでていた。確かに、英語のネイティブスピーカーの彼女がいれば、非常に心強い。


「はあ。わかったよ。で、どこを回るつもりなんだ?」

 諦め気味に聞いてみると。


「本当はニューヨークとか『ロックの殿堂』があるクリーブランドに行きたいんだけど、今回は時間が取れないから西海岸ね。サンフランシスコとシアトルがメインね」

 もうプランまで考えている、気が早い麻弥だった。


 結局、なし崩し的に決められていた。



 麻弥によれば、出発は3月下旬の春休み。みんな学校があるので、5日ほどの旅になるそうだ。

 主な目的地は、アメリカ西海岸のカリフォルニア州のサンフランシスコと、ワシントン州のシアトル。


 ここを中心に、ロックの聖地巡りをするということだった。


 資金は、これまでインディースCD、ライヴ売り上げ、動画配信などである程度は溜まっていたから、問題ないが。


 ただ、本当にアメリカに行くことになるとは。


 いつだったか、バンド名を決めた時、金山さんが『NRAは、アメリカでは全米ライフル協会の略』と言っていたことを、俺は思い出していた。


 不安な旅立ち前だった。


 いきなり銃で撃たれたりしないだろうな。

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