Stage.29 ウィスの憧れの人

 12月に入った。


 俺はバンド活動をしながらも、自動車教習所に頻繁に通い続けていた。

 平日はもちろん、土日もできる限り、行っていた。


 普通免許も持っていない俺は、実技試験だけでなく、学科試験もあるので、その教習本を練習場所に持ち込み、たまに勉強もしていた。


 このまま行けば、何とか今年中に免許が取れそうだ。


 バイクは、インディースCDやダウンロードで曲が売れた分と、動画投稿サイトに上げていた演奏動画から収入を得た分を、各メンバーに、麻弥が均等に分担していたし、たまにバイトもしていたので、ある程度は溜まってきていた。


 買うバイクは、初心者なので、維持もしやすくて、そこそこのパワーもある250ccにしようと、漠然と思っていた。メーカーなどはまだ決めてない。



 そんな12月の後半。

 その出来事は起こった。


 ある日の土曜日。俺たちメンバーは、バンド練習をするために、スタジオに向かって、待ち合わせをした国立くにたち駅から電車に乗り、新宿駅を目指していた。


 この時、メンバーの中で、ウィスだけが欠席していた。


 いつもは欠席などまずしない、ウィスがいないことに一抹の不安を覚える俺。

「珍しいわね。あの真面目なウィスたんが欠席なんて。具合でも悪いの?」

 リーダーの麻弥が吊り革に捕まりながら、白戸先輩に聞いている。


「いいえ。なんか今日は大事な用があるそうですよ」

「大事な用って、何の用でしょうね」

 金山さんが、好奇心旺盛に、目を輝かせながら発した。


 俺たちは、新宿駅で電車を降りて、しばらく街中を歩き、予約したスタジオに向かったわけだが。


 その途上、急に先頭を歩く麻弥が何かに気づいて立ち止まった。

「どうした、麻弥?」

「あれ、ウィスたんじゃない?」


 彼女の視線の先を見ると、確かにウィスがいた。

 しかし、その様子がいつもと違っていた。


 明らかに着飾っている。

 今日の彼女は、水色のワンピースのドレスを着て、可愛らしい白いハイヒールを履き、おしゃれな白いハンドバッグを持っていた。


 そして、隣にいたのが、金髪姿の長身の外国人男性だった。

 しかも、その顔は超がつくほどのイケメンだったのだ。


 驚く俺たちに対し、

「皆さん。バレるといけないので、こっちでちょっと会話を聞いてみましょう」

 金山さんが、素早い動きで、俺たちを死角になっている、電柱の陰へ誘導する。


 そこからはわずかに二人の会話が聞こえてきた。

 以下、金山さんが同時通訳を買ってでて、訳してくれた。


「Long time no see!」(久しぶりね!)


 実際には、このセリフの前に、何か言っていた彼女だが、それは聞き取れていなかった。そもそもそこが問題だったのだが。

 ただ、ウィスの表情は明るかった。

 むしろ、今まであんなに嬉しそうな表情をする彼女を見たことがなかったから、俺は驚きを隠せなかった。


「Hey, Wis.You're become beautiful.」(やあ、ウィス。キレイになったね)


「You're flattering me.」(恥ずかしいわ)


「You're shy as usual.」(相変わらず恥ずかしがり屋だね)


「I've missed you as you haven't contacted me recently.」(最近、なかなか連絡ないから寂しかったわ)


 ウィスのそのセリフを聞いて、俺は絶句し、同時にショックを受けた。

 あのウィスがあんなことを言うなんて。

 もう彼氏確定か。

 なんだか寂しいな、と思っていると。


「うぉ。大胆な発言ね、ウィスたん」

 麻弥がのけぞるように驚き。

「相当あの男性のことがお好きなようですね」

 白戸先輩も、興味津々に見守っていた。

「お二人とも、静かに。続き、行きますよ」

 金山さんが、再び集中して訳に入る。


 二人は路上にいながら、立ち話をしていたが、まだ続いていた。


「Are you still busy with your work?」(相変わらず仕事、忙しいの?)


「Nothing much.」(変わりないよ)


「By the way, What brought you to Japan?」(ところで、何しに日本に来たの?)


 そう問うウィスに対して発言した、次の一言が決定的だった。

 男は、頬を緩ませて、彼女の瞳を正面から見て、決め台詞のようにこう言った。


「I flew 12 hours just to see you.」(君に会うために、12時間、飛行機に乗ってきたんだ)


「Really?」(本当?)


 一方のウィスは頬を赤らめて、もじもじしている。

 いかん。これは見てられない。

 ウィスに彼氏がいたということがすでに大きなショックとなって、俺は目をそらそうとしたが。


「I'm just kidding.」(冗談だよ)


 イケメンの男は、何でもないことのように笑って答えた。


「In fact, I'm here on business trip.」(実際は仕事だよ)


 俺たちは、拍子抜けした。

 この男は最初から冗談を言って、からかっていただけなのだ。


 同時に、ウィスを泣かせたら承知しない、と思っていた俺だったが。


「あれ、みなさん?」


 何かの気配に気づいたのか、不意にこちらを振り返った、ウィスによって、俺たちはあっさり見つかってしまった。

 というか、彼女、妙に勘が鋭い。


 とりあえず、申し訳なさそうに、ウィスと、イケメン男の前に出る俺たち。


「偶然ですね。何をしてたんですか? 今日は確かバンド練習でスタジオに行くとおっしゃってたはずですが……」

 きょとんとするウィス。


 対して、

「ちょっと、ウィスたん。どういうこと? 彼氏がいるならいるで教えてくれないと」

 麻弥が噛みつくように食ってかかった。


 が、

「彼氏?」

 むしろウィスの方が困ったような、不思議な顔をしていた。


「ボーイフレンドってことでしょ?」

 彼氏の意味がわからないのか、と思い、麻弥がいら立ち気味にそう言ったが。


「Boyfriend? No,no. 違いますよ、この人は私の兄です」


「え、兄貴?」

「なーんだ、ビックリした」

 俺と麻弥が。


「それにしては、やけに親密でしたね」

「とりあえず、ウィス。紹介して」

 白戸先輩と金山さんも食いついていた。


「では、紹介しますね。私の兄、Grayグレイです」


「ハジメマシテ。Grayデス」

 男は、超カタコトの日本語で、かろうじてそれだけを言った。


 後は、ウィスとそのGrayさんが再度英語で会話を初めてしまったのだ。


 俺たちは、スタジオに行くことも忘れ、みんなで近くの喫茶店に向かった。


 喫茶店で、注文を取り、早速、この兄について聞いてみることになった。


 ウィスの兄、Grayさんは、金髪碧眼の超イケメン。それがスーツを着ているから、なかなか様になっている。

 おまけに長身で、無駄な脂肪がないスラっとした人だから、ちょっとした、雑誌のモデルみたいにも見える。


「お兄さん、すごいイケメンね。それにウィスとはだいぶ年離れてるように見えるけど。いくつなの?」

 矢継ぎ早に質問責めに入るのは麻弥だった。

「ありがとうございます。兄は今年で24歳です」

 24歳。もうしっかり社会人という年齢だ。


 しかもこのGrayさん、イケメンな上に、ものすごく落ち着いて見える。


「仕事は何、してるの?」

 俺が聞くと、意外な回答が返ってきた。

「lawyer、えっと弁護士です」

 弁護士というのは、簡単になれる職業じゃない。

 優秀なお兄さんだとわかった。


 そこで、Grayさんが早口の英語で何かをしゃべった。

 ウィスが少し照れ臭そうにしながら通訳する。

「兄は、『妹のウィスがいつもお世話になっています。恥ずかしがり屋な娘ですが、仲良くしてあげて下さい』、ですって」


「もちろんよ。えーと英語で……」

「Of courseだろ」

 俺でもわかるから突っ込むと、麻弥はキレながら答えた。

「わかってるわよ。Of course!」

 改めて、ウィスの兄、Grayさんに向かって言って笑顔を見せると、Grayさんは軽く笑っていた。


「ところで、随分親しそうでしたけど……」

 白戸先輩が、不意に口を開く。

「あ、はい。兄は私の憧れなんです。というのも私たち、年が10歳近く離れてます。それに両親が忙しいので、兄には小さい頃から色々とお世話になったというか……。とても頭が良くて、勉強もベースも教えてもらいましたし」

 照れ臭そうに、ちょっと恥ずかしそうにウィスは視線をそらした。その仕草がなんだかとても可愛らしい。


 そうか。ウィスが今年で16歳。お兄さんが24歳。8歳も離れた兄妹か。

 兄弟がいない俺にはわからない感覚だが、こういう兄妹もいいものだ。


「そういえば、確かにウィスはベースをお兄さんに習ったって言ってたよね。お兄さんは今もベース弾いてるの?」

 金山さんが興味津々に質問する。

「ええ。一応は持ってるみたいですが、兄は仕事が忙しく、こうしてたまに日本に来ることはあっても、最近はやっている暇がないそうです」


「Do you still play the bass? 」(ベース、まだ弾いてるんですか?)


 英語が得意な金山さんが、直接Grayさんに聞くべく、話しかけていた。こういう物おじしないところは、さすがにアメリカ帰りだ。


「Sure. But,unfortunately I have been to busy to play bass these days.」(もちろん。でも、残念ながら最近、仕事が忙しすぎて、ベースは弾けてないよ)


 滑らかな英語で答えるGrayさんだった。


 その後、仕事がある、と言って、Grayさんは爽やかに別れを告げて、行ってしまった。


 残された俺たちは、ウィスを質問責めにしていた。

「しかし、カッコいいお兄さんだな」

 と俺が。


「そうですね。私、一人っ子だから羨ましいです」

 と白戸先輩が。


「ですね。羨ましい」

 と金山さんも。


「あたしも一人っ子だけど、出来の悪い弟みたいのじゃなくて、兄さんが欲しかったなあ」

 麻弥だけは、俺の方を見て、恨めしそうにしていた。

 いや、そもそも俺はお前の血のつながった弟じゃないんだけどね、と俺は思っていたが。


「でも、兄妹の割には、仲良すぎじゃない? ウィスってブラコンなの?」

「ブラコン?」

「ええと。brother complexかな。和製英語だっけ?」

 俺が言うと。


「多分そうね。Actually,do you love your brother,Wis?」

 ええと、つまり、「実際のところ、兄のことが好きか」ということか。

 ストレートに金山さんが英語で聞くと、ウィスは恥ずかしそうに。

「Umm……Yes」

 そう答えた。


 誤解しないように言うと、この場合の「love」は、特別な異性として愛しているという、いわば日本的な意味じゃなく、家族にも使われる意味だが。要は単に「大好き」っていう意味らしい。


 忙しい両親、日本で孤立していじめられていたウィスにとって、きっとお兄さんは、かけがえのない存在なのだろう。


 まして、たった一人で遠い異国まで来て、頑張っている彼女だ。

 気持ちはわからなくはない。


 とにかく、ウィスに彼氏が出来たわけではなかったことに、俺は妙に安心したのだった。

 いずれは、彼女にもきっと好きな男が出来るだろうが、今はまだこのままでいて欲しい、と身勝手ながら思ってしまうのだった。


 ちなみに、最初の「Long time no see.」の前に、ウィスは「Hey,bro」(お兄ちゃん)って言ってたらしい。俺たちがそれを聞き逃したから、今回の一件は、誤解を生んだ。



 年の瀬も迫る12月中旬の平日。

 俺は、自動車教習所にいた。


 今日は卒業検定の日だった。

 俺が「今日は卒検」ということを、部室でついメンバーに漏らしてしまったのが、いけなかったが、その噂がメンバーから麻弥に広がり、結局、麻弥がメンバー全員を連れて教習所に来ていた。


 4人も女の子に応援されると逆に緊張してしまいそうだが。


 とりあえず、卒業検定を受ける人間が集まる、教習所の入口の受付棟に行き、ゼッケンを受け取って、俺はコース脇にある二輪車用控え室に向かおうとするが。


 ここから先は、部外者は立ち入り禁止だ。


 その前に、俺に声をかけてくれたのが、メンバーたちだった。


「とりあえず、全力でやってきなさい」

 麻弥が、腕組みをしながら、何故か偉そうに見送っていた。


「がんばってくださいねー」

 白戸先輩は、相変わらず、穏やかな表情を浮かべている。


「ここまで来たら、最後はやるだけでしょ。がんばって」

 金山さんも背中を押すように笑顔だった。


「My best wishes. 上手くいくように願ってます」

 ウィスが控えめながらも、優しく英語で言ってくれる。



 そして、俺は勝負の時を迎えた。

 二輪の卒業検定は、決められたコースをバイクで走り、持ち点の100点から減点していく減点方式だ。


 その中で、最大の難関と言えるのが、「一本橋」(平均台)と呼ばれるもので、これは長さが15メートル、幅が30センチメートル、高さが5センチメートルしかない、一本の細い通路の上をバイクで走り抜けるというもの。


 それも、タイムは7秒以上かけないといけないし、万が一、脱輪して落下すると、そこで一発試験中止、不合格となる代物だ。


 個人的には、たとえバイクで路上に出たとしても、こんな道があったら、そもそも避けて通るから、必要ない。と思うのだが。


 二輪教習には、他にもスラロームという、コーンを旋回する練習や、クランクというS字コースを通る練習、急制動などがあるが、正直これに比べれば、難易度は下がる。


 だが、俺は今までの知識と経験をフル動員して、何とかこいつに臨んだ。


 コツは視線。


 狭い通路を通るという恐怖感から、どうしても下を見がちだが、こいつは下を見ると脱輪する確率が上がると聞いていたからだ。


 むしろ、前を見て、半クラッチをうまく使い、アクセルを開ける方がバイクの車体は安定する。


 ということを理解した上で、緊張せずにやっていたら、何とか通過できた。

 秒数に関しては、自分ではわからないから、感覚を掴むしかないのだが。


 そして、スラローム、S字クランク、急制動などを何とか無難にクリアし、俺はコースを間違えることなく、走りきった。


「お疲れ。どうだった?」

 バイクのことは、何もわからない麻弥が聞いてくる。

「なんとか、やるだけはやったよ」

「そう。じゃあ、あとは結果発表ね」


 しばらく待機の時間が入り、俺は結果発表を待つ。

 やがて、受付棟の1階ロビーに集められた受験生たち。


 今日の卒業検定を実施した、教習官が前に出る。

「では、合格した人だけ、発表します」

 緊張の時だった。


「赤坂優也さん」

 あ行から呼ばれるから、いきなり最初に名前を呼ばれた。


「よかったわねー。おめでとう」

 周りをはばからず、麻弥が近寄ってきて、祝福してくれた。


「おめでとうございます」

 続いて、白戸先輩が。


「よかったね。これでやっとバイクに乗れるね」

 金山さんも。


「Congratulations!」

 ウィスが英語で。


 みんな、なんだかんだで心配してくれてたようでありがたかった。


 こうして、俺は無事に普通二輪免許を取得。


 年が明けてすぐに、自分のバイクを買いに出かけた。


 選んだのは、カワサキのニンジャ250。

 ホンダのバイクと悩んだが、デザインの良さに惹かれたからだ。


 バイクを選ぶ基準なんて、意外とそんなもの。

 バイク乗りは、「あれがいい、これがいい」と、初心者に色々と勧めるものだが、結局、バイクなんてものは、主観で決めるもの。


 「乗りたい!」と思った時に、教習所に行けばいいし、「乗りたい!」と思ったバイクに乗ればいい。


 北海道で出会ったライダーたちは、みんな1000ccクラスの大型バイクに乗っていたが、そもそも都内や周辺を少し乗る程度なら、大型バイクは必要ない、と俺は思っていた。


 麻弥といつかタンデムしてみたい、という気持ちは心のどこかにはあったが。

 まずは、バンド活動、そしてバイク自体に慣れることだった。


 いきなり事故っては、さすがに格好がつかないし、メンバーにも申し訳ない。

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