Stage.22 北海道ツアー(後編)

 金がない、俺たち貧乏アマチュアバンドは、結局、この日もキャンプ場で一夜を過ごし。というか、俺だけ車中泊だったが。



 翌日。8月13日、月曜日。

 世間では、そろそろお盆休みが始まる頃だった。


 俺たちは、麻弥の運転するバンで、一路、北を目指して走っていた。


 目指すは日本最北の街、稚内わっかない

 車中、俺は思っていたことをみんなに提案していた。


「旭川で思ったんだけどさ。やっぱ駅前はダメかもな」

 当初、稚内駅前で演奏する予定だったが、旭川での惨状を考えるに、旭川より人口がはるかに少ない稚内では期待はできない。

「そうですねー。今は、地方はどこも人いないですし」

 白戸先輩も、昨日のことを思い出したように、寂しげに呟く。

「でも、それじゃどこでやるの?」

 金山さんが疑問を投げかける。


「観光地でやればいい。北海道は、観光で持っている側面があるから、観光地ならそれなりに人がいる」

「観光地って、どこよ?」

 ハンドルを握りながら、口だけ動かす麻弥。


「決まってるだろ。日本の一番北、つまりてっぺんの宗谷岬そうやみさきだ」

 その一言に食いついたのが、麻弥だった。

「なるほどね! 日本のてっぺんでライヴか。それは面白そうね」

 恐らくは、この「てっぺん」って言葉が、麻弥の心を刺激したんだろう。リーダーの鶴の一声で、俺たちは行き先を、宗谷岬に変えた。


 ところが。よせばいいのに、「どうせなら日本海を見ながら走りたい!」と駄々をこねる麻弥に従い、わざわざ遠回りになる留萌るもいから日本海側を抜けるルートを選んだ俺たちは。


「遠い! 全然着かないんだけど、宗谷岬!」

 と、文句を言いながら、車をかっ飛ばしながら、焦る麻弥だった。

 時刻はすでに夕方の5時を回っていた。


 夏の陽は長いとはいえ、早くしないと陽が沈む。


 だが、行けども行けども、北の大地の風景は変わらない。

 荒涼とした大地に、人家もまばらで、ひたすら道路だけが続く。

 つまり、北海道のこの辺りは、広すぎて距離感もわからなくなるのだ。


「だから言っただろ。早くした方がいいって」

 俺が文句を言っても。

「んなこと言っても、こんなに広いと思わなかったし」

 と麻弥は、テンパりながら答える。


 そして。

 夕方6時30分。夏の陽がもうだいぶ傾き始めた頃。

 俺たちのバンは、滑り込むように、宗谷岬に到着した。


 周りにあったのは、たくさんの色とりどりのバイク。ナンバーはほとんど本州のものだ。


 そう、ここはある意味、ライダーの聖地。毎年、夏には本州からたくさんのライダーが、この北の大地の、日本の一番てっぺんを目指して走りに来ることで有名だった。


 しかも、この時期は、一年でも一番ライダーが集まるから、100台近くはバイクが停まっていた。


 そして、彼らライダーたちが俺たちに味方することになる。


 慌てて、バンドセットを組む俺たちを、記念撮影などをしているライダーたちが遠巻きに、興味深そうに見ていた。


 今日のMCは俺だった。

「日本の一番北にいるみなさん。こんにちは。東京から来たバンド、『NRA』です。今日はここでライヴをやります」

 突然の発表に、ライダーたちは、楽しそうに拍手を送ってくれた。


 基本的に、バイク乗り、つまりライダーという人種は、楽しいことが好きだ。日常を忘れ、非日常に入り、走ること、食べることなどを楽しむ傾向にある彼らは、実は俺たちと似た人種なのかもしれない。


 1曲目は、『Guns 'N' Roses』の『You Could Be Mine』だった。

 

 出だしのドラムの音だけで、気づいたライダーがいた。


「お、『ターミネーター2』じゃん」

「懐かしい曲だなあ」


 そう。ライダーの年齢層は意外と高いから、多少古い曲でも知っている人は多い。ましてや、有名な曲だしな。


 そこからが面白かった。

 北の大地の一番てっぺんで、大勢のライダーたちに囲まれながら、俺たちは喚声を浴びながら、ノリノリで演奏できたのだった。


 特に、こんなバリバリのハードロックを、女子高生中心のバンドたちが、演奏しているし、ヴォーカルが女子なのに、バリバリの英語で、しかもきちんと男の歌をカバーしていることが大受けだった。


「いいぞ、姉ちゃんたち!」


 1曲目が終わると、もうほとんど陽が沈みかけていたが、ライダーたちは誰も宗谷岬から立ち去ろうとしていなかった。


 2曲目。持ち歌の『The sky is the limit』を演奏し始めると、盛り上がりはさらに大きなうねりとなり、ライダーたちは拍手、歓声、そして足や手でリズムを取る者たちも現れ始めた。


 そういえば、バイク乗りの一定数は、音楽好きだと聴いたことがある。中には、本当はやってはいけないけど、バイクに乗りながらイヤホンなどで音楽を聴く人もいるほどだという。


 2曲目が終わると予想していなかった、


「アンコール!」


 のコールが鳴り響いたから、これには俺も麻弥も驚いていた。

 正直、そんなに反応を期待していなかったから、準備してなかったのだ。


「どうする?」

 ドラムの麻弥に近づき、小声で聞くと。

「あんたがMCなんだから、勝手に決めちゃっていいよ。やったことがある、ノリがいい曲がいいわね」

 などと、結局注文をつけられた。


 仕方がない。

 俺は再びマイクの前に立ち。


「ありがとうございます。それでは、最後にこの曲、やります。『Nirvana』で『Smells Like Teen Spirit』!」


 結局、個人的に一番好きだった曲を選んだ。

 去年の学校祭で、弾いて以来だったから、多少不安だったが、何とか覚えていた。

 最初のギターソロ、そしてすぐに入るドラム。そこから続く、繰り返しのリフ。やがて入るヴォーカル。すべてが懐かしい。


 だが、やはりこの曲は有名だし、後世に与えたインパクトが大きいのが幸いした。グランジという新しいジャンルを生み出した、『Kurt Cobain』はやはり有名だったし、ライダーたちの中でも。


「うぉ、『Nirvana』じゃん」

「かっけー!」


 とか言ってくれる人たちが続出。

 しかも、ライダーなんて人種は、大半が男。つまり、女性よりもロックやらパンクにハマった野郎どもが多い。


 結果、大いに盛り上がった。

 もう陽が沈んで真っ暗になったのに、5分ほどもある、この長い曲はまだ続き、ライダーたちの歓喜の声は響いていた。


 やがて、演奏が終わると盛大な拍手。

 そして、舞台から降りようとすると。


「君たち、面白いね。動画アップしていい?」

 とか、

「どこかでライヴやるなら、見に行くよ」

 と、いつの間にか俺たちの周りに人垣ができていた。


 結局、しばらくライダーたちと、音楽談義、北海道の観光名所の話なんかをしていたら、もう午後8時近くになっていた。


 ようやく帰り支度をしていると。

「いや、面白かったね。バイク乗りって、あんなにノリがいいんだね」

 麻弥が楽しそうに声を上げた。

「そうですね。ある意味、彼らもロックと同じく、『体制に逆らう』部分があるから、共通点があるんじゃないですか?」

 金山さんが応じていた。

「俺も、意外だったけど、きっと俺たちとライダーは相性がいいんだよ」

 

 そう。金山さんが言ったように、バイク乗り=ライダーたちは、大抵の場合、家族や友人や恋人に、「バイク=危険な乗り物」だからやめろ、と「バイクに乗ること」自体を反対されながらも、それでも信念を曲げずに乗っている。


 それはつまり、ロックンローラーが「体制に逆らって」社会を批判したり、世間的にいけない、と言われていることを堂々とやっていくという姿勢に似ているからだろう。


 と、俺は思うのだった。


 意外な共通点を見出すと同時に、その日泊まった、稚内市の安宿で、何気なくホームページを見ていたら、早くも先程会ったばかりのライダーたちから、動画投稿サイトにコメントがあった。


 意外な共通点と、バイク乗りたちとのシンパシーを感じた日だった。



 8月14日、火曜日。

 稚内の宿を出た俺たちが次に向かう地、それは。


釧路くしろ? お前、北海道の広さがわかっただろ? ここから行けなくはないが、行くだけで疲れるぞ」


 いきなり釧路に行こうと言い出した、麻弥を俺は押し止めた。

 そう、ここ稚内から、北海道東部の中心都市、釧路までは約440キロ。車なら8時間近くかかる。


 恐らく移動だけで疲れてしまう。


「うーん。そっか。まあ、仕方ないか。じゃあ、その手前あたりのキャンプ場を目指しましょう」


 リーダーの一言で、今日の俺たちは移動だけになった。

 目的地となる、道東、つまり北海道東部のどこかのキャンプ場を目指す。どこかがはっきりしていないのが、麻弥らしいが。


 いや、そもそも観光しながら、釧路まで行ったら、とても1日じゃ行けない。北海道は、俺たちの想像を超える広さを持っているのだから。


 そして、数時間後。

「ああ、もう飽きた! ひたすら真っすぐ、同じ道。眠くなる!」

 運転席の麻弥が文句を言っていた。


 最初の頃は、北海道特有の道路の広さ、スピードが出せることにはしゃいでいた彼女だが。

 そもそも、俺たちは麻弥以外は、誰も車を運転できない。


 連日の運転の疲れもあったのか、彼女はちょくちょく休憩を入れ始め、行程は意外と進まなかった。


 結局、途中の道の駅で休んではダベり、メシを食べ、おまけに突然。「網走刑務所に行ってみたい」と駄々をこねる彼女の要望に応え、観光しているうちに夕方になっていた。


 夕方、俺たちは道東にある、とあるキャンプ場に入り、テントを設営。キャンプに入った。


 そこは、周りに、ほとんど建物がない、草原の中のキャンプ場で、そして、その日は天気が良く、空は晴れていた。


 そして、そのことが、後の俺たちの運命をも決定づけることになる。


 この日の夜、忘れられない出来事が起こった。


 キャンプ場で、隣のキャンパーと親しくなった、麻弥が、事もあろうに未成年のくせに、もらった酒を飲んで、そのまま倒れるように眠ってしまったのだ。


 他のみんなは疲れもあったからか、早めに寝ていたのだが。


 夜遅くまで騒ぐ麻弥の声のせいと車中泊ということもあり、あまり眠れなかった俺は。

 夜中の2時頃に目が覚めた。


「寒ぃ」


 夏とはいえ、この辺りの気候は、夏でも夜には冷える。しかも車の中だし、なおさらだ。

 トイレに行って、車に戻ってひと眠りしようとしたら、麻弥らしき人影を、キャンプ場の、ちょっと小高い丘のようになっている場所に見つけて、近寄ってみた。


 彼女は、一心不乱に夜空を見上げていた。


 そして、そんな彼女と同じように、夜空を見上げる人たちが、ちはらほらいた。


「何、やってんだ、麻弥」

 声をかけると、彼女は、俺の方を見向きもせずに。

「ほら、見て。すごい星空」

 言われて、見上げると、そこは満天の星空。


 この日は、運よく、雲一つない晴天だったから、もの凄い数の星が空にまたたいていた。


「おお、ホントだ。これはすごい」

 俺もちょっと感動しつつ、夜空に目を向ける。

「東京じゃ、絶対に見れない星空ね」

 すっかり、酒も抜けたようで、彼女からは酒の匂いが消えていた。


 そして、

「あ、流れ星」

 夜空を駆ける流れ星を見つけた彼女が呟く。


 それも、一度や二度ではなかった。

 待っていると、数分置きくらいに、どんどん流れ星が流れてくる。


「すごいな」

「うん」


 俺たちが感動に浸っていると。


「君たち、知らないの? 今日は、ペルセウス座流星群の極大日だよ」


 近くで同じように、夜空を見上げていた、知らないおじさんが声をかけてきた。


「ペルセウス座流星群?」

「そう。毎年、この時期に流れる流星群のことさ。中でも今日は極大日だから、朝まで流れ星が見えるはずだよ」


 そんな知識を知らなかった俺たちは驚愕する。


 しばらくずっと2人で、無言のまま流れ星を見上げていると。


 後ろから誰かが来る気配がした。

「あ、先輩と赤坂くん。なんかいいムードですね」

 金山さんだった。

「何見てるんですか?」

 白戸先輩も後ろに続く。

「Oh, Shooting Starシューティング・スターね」

 ウィスが英語で答えた。


「そうなの。今日、ペルセウス座流星群が見える日なんだって。すごいよね」

 麻弥は感動を抑えきれない様子で、ひたすら夜空を食い入るように見つめている。


 結局、全員起きてきて、揃って夜空を見上げ始めた。

「Wow. 素晴らしい星空ですね」

「キレイ……」

「北海道まで来た甲斐がありましたね」

 それぞれ、ウィス、白戸先輩、金山さんも言葉を失ったように、感動している様子だった。


 そんな中、いくつもの流れ星を見送りながら、リーダーの麻弥は。

「決めた。次の新曲のテーマは流れ星で行きましょう」

 突拍子もないことを、いつものように言い出した。


「お前なあ。その場の思い付きで決めすぎだろ?」

「そんなことないって。今、ピーンと来たのよ。曲も、フレーズもね」

 ピーンと来た、などという超抽象的な思い付きをどこまで信じればいいものか。


 俺たちがいつものようにやり取りをしていると。

「うん。いいかもですね。流れ星の歌かあ」

 金山さんが、ちょっとうっとりしながら夜空を見上げたまま答えた。

「でも、流れ星を歌った歌って、いっぱいありますけどね」

 とは、白戸先輩の弁。

「素敵ですね。私はいいと思います」

 流暢な日本語で、ウィスも続く。


 こうして、次の新曲のヒントを、流れ星から得ることになった俺たちバンドだった。



 翌朝。つまり8月15日、水曜日。世間で「お盆」と呼ばれる日だ。さすがに深夜遅くまで流れ星を見ていたためか、この日の起床、準備、出発が全部遅れた。


 昼頃。ようやくキャンプ場を後にした俺たちは、一路釧路を目指していた。


 ここから釧路までは、車で約2時間の距離。そんなに遠くないはずだが。

 途中は、本当に何もない風景だった。


 北海道でもこの辺りは、人口密度自体が低い。


 極端に言うと、小さな街が荒野の中にあるだけだ。

 街―荒野―街、という、まるでアメリカ大陸のような、大陸的な風景が広がっている。


 そして、油断していたのか、麻弥が運転席のメーターを見ながら焦りだした。

「ヤバい。ガソリン、なくなりそう」

「えっ。お前、給油しなかったのかよ?」

「だって、普通は持つと思うじゃん」

「だから、お前は北海道をナメすぎなんだ。気づいた時に早めに給油しないと、ガソリンなくなるぞ」

「うっさいわね」

 俺たちが口喧嘩を始めると。


「ほら、お二人とも。ケンカしてる場合じゃないですよ。早くガソリンスタンド探さないと」

 白戸先輩がたしなめるように言って、金山さんは携帯で、近くのガソリンスタンドを探してくれた。

「ありました、麻弥先輩」

「どこ?」

「ここから20キロ先です」

「20キロ! 結構ギリギリだなあ」

 文句を言いながらも、渋々行くしかない麻弥だった。


 そう、北海道を旅する上で、最大の注意点。それが実は「燃料」、つまり「ガソリン」だ。


 本州の感覚のように旅をしていると、たちまちガソリンは尽きるし、隣の町まで20キロ、30キロも何もない荒野を走ることなんて、ザラにある。

 しかも、田舎だからガソリンスタンド自体が、たとえあっても早く閉まることが多い。


 俺たちは、金山さんが教えてくれた、最寄の、と言っても20キロ先のにある、小さな街のガソリンスタンドに滑り込み、なんとかギリギリで給油できたのだった。


 夕刻。釧路の街に入る。

 この辺りでは一番大きな街だが、それでも旭川に比べたら、かなり小規模な街だ。


 釧路では、恐らく一番人が集まる観光施設、「釧路フィッシャーマンズワーフMOO」に行って、そこで演奏することになった。


 釧路市街の中心部、幣舞橋ぬさまいばしにほど近い、釧路川沿いにある、この観光施設は、そこそこの観光客を見込めるはずだ。


 しかし、釧路は、「涼しい」を通り越して、「寒い」くらいだった。

 そのはずで、真夏のこの時期なのに、気温が17度しかなかった。


 やがて、目的地に着き、俺たちは一応許可を取ってから、この観光施設の前にある、川沿いの遊歩道で演奏することになった。

 建物の中は、観光施設や飲食店があり、さすがに許可が下りなかった。


 ただ、やはり寒いので、それぞれが上に1枚、ジャケットを着ていたが。


 そして、MCは。当初は金山さんがやる予定だったが。

「せっかく『The Beatles』をやるなら、ウィス。あなたがやりなよ」

 金山さんの推薦で、あっさりウィスに変更になっていた。


 早速用意して、ウィスがマイクの前に立つ。

「釧路のみなさん、こんにちは。東京から来たバンド、『NRA』です。今日はここでライヴを行います」

 最初は緊張しすぎて、全然しゃべれなかったウィスが、今ではきちんとMCをこなせるまでに成長していた。


 ただ、やはり観光客のほとんどは観光施設に集中しているから、人影はまばらだった。


 そんな中。1曲目の『The Beatles』の名曲、『A Hard Day's Night』が流れた。

 超有名なフレーズとメロディーの、耳馴染みのある曲だが、いつもハードロックやパンクばかりやっている、俺たちバンドには、ある意味、新境地を展開する曲だった。


 どちらかというと、コーラスが重要な曲で、メインヴォーカル以外にも、バックコーラスとして、俺を含め、他のメンバーも歌わなくてはならない。


 ただ、有名なのが幸いした。


 ちょうど、夕方で、買い物を済ませた地元のおじさんやおばさんたち、観光客などが、少しずつ来るようになり、次第に人は増えていった。


 無事、演奏を終わると。


「ビートルズなんて、渋いね」

「いい演奏だったわ」


 などなど、客席からそこそこの拍手と歓声が飛んできた。


 2曲目の『The sky is the limit』は、打って変わって激しい曲調の曲だが。これはこれで。

 パンクで、疾走感のある曲調が、若者たちに受け、高校生を中心に歓声が上がっていた。


「ありがとうございました」

 アンコールこそなかったが、旭川の時よりも、満足な反応を得られ、俺たちは頭を下げて、引き上げるのだった。


 その日は、釧路の台所、和商わしょう市場で晩飯を食べる予定だったが。

 田舎ゆえに、すでに営業時間が終わっており、俺たちは明日の朝に回して、そのままホテルに入った。



 翌朝。8月16日、木曜日。

 朝から、釧路中心部の和商市場で、俺たちは勝手丼かってどんと呼ばれる名物を食べていた。

 これは惣菜屋でご飯を買い、市場内の海鮮屋や専門店で、魚介類を買い、それを好きなように乗せて食べられるというものだ。


 だが、「美味い美味い」と言って食っている、麻弥の横で俺は一抹の不安を抱えていた。

「なあ、麻弥」

「うん?」

「これで大体回ったよな。帰りどうすんだ? まさか、また下道で帰るつもりか?」

 ところが、彼女は表情をパッと明るくさせ、

「心配ないよ。ダウンロードとインディースCDのお陰で、お金は手に入れたからさ」

 と言ってきたのだ。


「いくらくらい売れたんだ?」

「うーん。ざっと5万くらいかな。まあ、大した額じゃないけどね」

 驚いた。彼女は、一見何も考えてないようで、実はこっそりダウンロードコンテンツで収入を得たり、インディースCDを売って、金を回収する算段を考えていたのだ。


「じゃあ、帰りはやっとフェリーに乗れるのか?」

「そう。苫小牧とまこまいからのフェリーを予約しておいたから」

 そうか。良かった。と思ったのも一瞬だった。

「って、のんきにメシ、食ってる場合か。今、何時だ。フェリーの出発時間は?」

 慌てて時計を見ると、12時近く。

「夕方の7時くらいだよ。全然余裕じゃん」

 と、言っては、また勝手丼を食っている麻弥だった。が、


「アホか。フェリーターミナルってのは、車なら手続きがあるから、出発の2時間前くらいに着いておかないといけないんだぞ。早くしないと間に合わなくなるぞ」

 麻弥の顔色から一瞬で血の気が引いていた。

 慌てて携帯で調べると。

 出発時刻は午後6時45分。車の客は4時30分までに着くこと。と書いてあった。


 ついで釧路から苫小牧までの距離、およそ300キロ。

 下道なら時間にして5時間30分はかかるが、これじゃ間に合わない。

 高速道路を使えば、約4時間で着くが、休憩を挟まずノンストップで行けば、だ。

 逆算すると、12時に出ても、結構ギリギリになる。


「ヤバい! みんな、行くわよ!」

 まだ食べている途中の、他の3人を差し置いて、麻弥は慌てて金を払って、さっさと出ていった。

 やはりこういうところの詰めが甘い、というか彼女は何も考えていない。


 12時に釧路を出発。麻弥は相当焦っているようで、一般道をガンガンぶっ飛ばし、やがて高速道路に乗ってからも120キロくらいでぶっ飛ばしていた。

「先輩。スピード出しすぎです。怖いですよ」

 後ろで白戸先輩が、かなりおびえている。

「先輩。休憩もしないで行くつもりですか?」

 金山さんの質問すら、彼女は無視して突っ走っていた。

「Crazyですね」

 最後のウィスの一言が、何気に怖い。


 結局、俺たちは、ロクに休憩もしないまま、もちろん水分補給も食事休憩もほとんど取らずに、北海道を東西に貫く道東自動車道をひた走り、ようやく午後4時20分。

 苫小牧西フェリーターミナルに到着した。


 早速、麻弥は、

「車、置いてくるから、あんたはさっさと手続きしてきて!」

 と言って、俺を強引に下ろして、去って行った。


 仕方ない。ダッシュで手続きするため、受付に向かう。

 時刻はタイムリミットの5分前。午後4時25分だった。


 正直、めちゃくちゃギリギリだった。

 どうしてこう俺たちの旅は余裕がないんだ。


 何とか手続きを終えて、フェリーターミナルの待合室に行くと。


 麻弥たちは、ライダースーツを着た、数名の男と話していた。

 近づくと。

「あっ」

 宗谷岬で会ったライダーたちだった。

 そうか彼らもこれから帰りか。


 奇妙な偶然だった。

 しかも、

「何とか間に合ったみたいね。それより優也。この人たちから面白い話を聞いたんだ」

 麻弥が嬉しそうに声を上げていた。

「面白い話?」

「そう。船って、20時間くらいかかるらしいんだけど、夜は暇だからショーをやったりするらしいの。だから、ちょっと責任者に頼んで、あたしたちも演奏させてもらおうと思って」

 ほう。確かになかなか面白い演出ではある。


 聞くと、毎年のようにフェリーで、夏にバイクで北海道に来ているというこのライダーのおじさんが、船では大抵、そういうイベントをやってるらしいから、「ショーに出てみたら?」と教えてくれたのだそうだ。

 ライダーの知識って凄い。ある意味、助けられている。


 ということで、乗船後、すぐに責任者である船長のところに行って、交渉してきた白戸先輩が、満面の笑みで。

「OKです」


 と言ってきたので、あっさり決まってしまった。

 まあ、後で聞いた話だと、本当はあらかじめこういう出演は決めておくんだそうだが、今回は暇で、出演者も少なかっから、特例で認めると言われたそうだ。

 話のわかる船長でよかった。


 午後6時30分。

 俺たちは、約10日間を過ごした、思い出深い、北海道を離れた。


 そして、午後8時。

 夕食も終わり、そろそろビールでも飲もうかと考えている乗客たちの前に、俺たちは現れた。


 最後のMCを務めるのは、この旅で唯一、MCをやっていなかった、彼女だった。

「乗客のみなさん。お疲れ様です。私たちは、東京で活動しているアマチュアバンド、『NRA』です。今日は、船長さんから特別に許可をもらって演奏します」

 金山さんが、元気いっぱいに声を張り上げる。

 しかも、今回は北海道でのライヴみたいに時間制限もほとんどなかったから、色々アドリブを入れられるとか。


「メンバー紹介します。ギター、優也!」

 俺はいきなり振られ、慌てて、『Deep Purple』の冒頭のギターリフをちょっとだけかき鳴らした。


「ベース、ウィス!」

 ウィスも慣れてきたのか、軽くフィンガーピッキングで弦を鳴らす。


「キーボード、凛!」

 白戸先輩も同じく、軽やかに音を奏でる。


「そして、ドラムでリーダーの麻弥!」

 麻弥のドラムが今日はいつも以上に力強く、走っていた。


「最後は、私。ヴォーカル兼リズムギターの加奈です」

 船中、ロクな娯楽もなく、暇なためか、かなりの客が集まっていた。

 しかもやはりライダーが多い。


「では、1曲目、行きますよ。『Judas Priest』で『Judas Rising』!」

 緩やかなギターリフから始まり、徐々に大きくなっていくメロディー。そして、ドラムの力強い音が入り、『Metal God』のハイトーンヴォイスを、どちらかというと小柄な少女、金山さんがシャウトする。


 それだけで盛り上がっていた。

 特に反応がよかったのが、やはりライダーたちだった。


「おお、『Metal God』じゃん!」

「女だから『Metal Goddessゴッデス』だな!」

 と、酒を飲み、機嫌よく顔を赤らめながら、楽しんでくれている様子がわかった。


 バイクに乗っている人間は、結構怖いと思われがちだが、実際は全然そんなことはない。

 むしろ、俺たちと近い人種で、親しみが持てる。

 俺はそう感じていた。


 演奏が終わると、かなりの数の拍手と歓声に包まれていた。

 元から、ただの暇潰しに来た奴、興味本位で来た奴ら、たまたま通りかかって興味を引かれたから立ち止まった奴など。

 色々いたが、みんな一様に楽しそうだった。


 東京の狭いビルに挟まれた街で、通勤や仕事のストレスに追われて、苦しめられている、サラリーマンのような顔をした人間は、そこには一人もいなかった。


 2曲目は、オリジナルの『The sky is the limit』だ。

 この曲は、元々がかなりパンクを目指して作られているから、熱い曲調、スピード、そして速弾きが重要になってくる。

 つまり、俺の役どころも大きいのだ。

 だが、なんとか順調に終わると。


「宗谷岬でも聴いたけど、いい曲だな」

「後でCD買うよ!」


 と、気前のいいライダーたちから歓声が上がっていた。

 なんだかんだで、俺たちの味方になってくれる、彼らが頼もしい。


 3曲目。

 ここで、MCの金山さんが、一旦切って、マイクの前に立つ。

「ありがとうございました。次は、私が好きなアーティストの曲を歌いますね。『Orianthi』で『According To You』!」

 久しぶりの曲だった。

 確か、3月の卒業式の時にやって以来だ。 


 ヴォーカルの金山さんの技量ももちろん重要だが、この曲自体が、ギタリスト向けの曲だから、ギター担当の俺の責任は重大だ。

 しかも中盤からは、あのかなり難しいギターリフが連続して入る。


 だが、このギターリフをなんとか失敗せず上手くできたことが、観客に受けた。


「カッコいい曲!」

「ギターリフ、すげえ!」


 そもそもこの曲を知らない観客から、様々な感想が飛んでくる。

 成功だった。


 挨拶をして立ち去ろうとすると。


「アンコールッ!」

 思いもよらないアンコールが飛んできた。


 金山さんは先頭に舞台に戻り、

「ありがとうございます! では。イギリス出身のウィスのために、この曲を。『Sex Pistols』の『Anarchy In The UKアナーキー・イン・ザ・UK』!」


 意外だった。『Sex Pistols』なら『God Save The Queen』で来ると思ったからだ。

 この曲自体、元々は黒田先輩が好きだった曲で、ライヴハウスや学校では全然やったことがない曲だったが。

 俺たちは黒田先輩と練習していたから、よく知っていたのだ。

 ウィスの場合は、イギリス人でベースを弾いてるから、元から知っていた。


 古い曲だが、『Sex Pistols』では『God Save The Queen』と並んで有名だから、観客には受けた。


 リリースは1976年。ギターリフや、特徴的な『Johnny Rottenジョニー・ロットン』のヴォーカルが印象的な、初期のパンク・ロックを代表する名曲だ。


 終わってみると。

 大歓声に包まれ、


「ピストルズ、最高!」

「楽しかったぞ!」


 という声が飛んできた。


 俺たちの地方公演は、最後の最後に成功を見た。

 しかも、場所が、海の上というのが面白い。


(バイクの免許、取ろうかな)

 一方で、俺は、全然別のことを考えていた。


 バイクに乗って、自由に走ってみたい。そう思うのも、きっと自分がハードロック中心のバンドのギターをやっているから、かもしれないし、単にライダーたちに感化されたからかもしれない。


 翌8月17日は、午後に大洗に着いて、そのまま高速で東京に帰り、無事に到着。


 こうして、俺たちの熱い夏休みの、北海道ツアーは終わった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る