Stage.20 信頼関係

 7月に入った。


 俺たちのバンド、「NRA」が初めて世に出したインディースCDは、そこそこ売れているようで、ホームページを通してみる、動画投稿サイトにアップした演奏動画(実は、ウィスの荒療治の時に演奏していた路上ライヴをそのまま載せていた)も、なかなかの再生回数とコメントを重ねていた。


 そんな中、7月初めのある日。俺たちは麻弥に呼ばれ、何故か、いつも使っている新宿のライヴハウス『Star Dust』に呼ばれた。

 今日はそもそもライヴの予定なんか入ってなかったはずなんだが。


 ただ、麻弥から全員に回ったグループメッセージには、


「みんな、楽器はいらないからね」


と指示があった。


 早速、向かうと。

 麻弥は楽屋の中でクーラーをかけて、涼んでいた。


「みんな、暑い中、お疲れ様。悪いわね、呼んじゃって」

 と、傍若無人なところがある彼女にしては、妙に礼儀正しく、ねぎらいの言葉を放った。

「で、なんだよ?」

 俺が、面倒臭そうに口に出すと。いや、実際、炎天下の中、ここまで来るのは億劫おっくうだったのだが。


「いい知らせよ! みんなにファンレターが来たそうよ」


 そう言って、彼女が指さした方向には、ダンボールが1箱あり、そこに結構な数のファンレターが入っていた。

 なるほど。素人で、芸能人でもない俺たち宛てのファンレターは、活動しているこのライヴハウスに届くことになっているらしい。


 インディースバンドとはいえ、生まれて初めてもらうファンレター。

 俺ももちろん、普段は麻弥ほど感情を吐き出さない、白戸先輩も、金山さんも、ウィスも、喜色を面上に張り付けながら、ダンボールを囲み始めた。


 そして、俺たちはその中から、それぞれの宛先を分けていく。

 この作業がまたしんどい。というか、郵便局員にでもなったような気分だったが。


 意外にも結構な数のファンレターが来ているようだった。

 それぞれの名前、またはバンド名ごとに分けてみると。


 ある意味、予想通りの結果になった。

 ファンレター獲得数1位は、麻弥。ダントツだった。男女関係なく来ているが、やはりというか若い女性らしきファンが多い。

 2位以下はほとんど僅差で、金山さん、白戸先輩、ウィスと続いたが、この3人は、実質ほとんど差異がなかった。


 そして、俺はもちろん、ダントツの最下位。

 まあ、こんな女ばかりのバンドじゃ、そもそも期待してなかったけど。


 喜び勇んで、ファンレターを次々に開く4人に対し、俺は渋々ながらも、「赤坂優也様」と書いてあるファンレターを1枚ずつ開いて行った。

 というか、数的には10通にも満たないからすぐ終わりそうだ。


 まずは、若竹彩花。

 ああ、かつてのバイト仲間(そのファミレスのバイトはもう辞めたんだけど)で、前にライヴに招待したら来てたっけ。でも、この子、飽きっぽい性格だから、1回しか来なかったな。


「まあまあがんばってるみたいね。メジャーデビューしたら、CD買ってあげるから、それまでがんばって」


 何だか上から目線な気がしなくもない。つまり、こいつは「メジャーデビューしないとCDは買わん=インディースCDなんかいらん」って言ってるんじゃないかと思うわけで。


 続いて、松葉光。ああ、若竹と同じく昔のバイトで、確か黒縁の眼鏡をかけた三つ編みの子で、ほとんど印象に残ってない、地味な子だったような。同じく1回しか来なかった。


「がんばって」


 え、それだけ。という、超簡素な内容だった。色気も何もないな。


 続いて、常盤ひなた。同じく昔のバイト仲間で、ぽっちゃり体型の子だった。どうもこの子も印象が薄いが、実は3人の中じゃ、一番仕事もできるし、優しい子だった気がする。その割には彼女も1回しか来ていないが。


「CDまで出すなんてすごいね! 応援してるからがんばってね」


 おお、一番まともなファンレターだ。と妙に感動した。


 が、次に開いたファンレターを見て、俺は反応に困り、固まった。

 なになに。名前は。


 緋室翼ひむろつばさ


 なんだ、このペンネームみたいな名前は。というか、これ本名か。偽名なんじゃないかとまず疑う。

 そして、中を開くと。


 ファンレターとは思えないくらい、赤い薔薇ばらの絵が一面びっしり描いてあり、手紙の中央に黒く、丸文字で、


「赤坂優也様 あなたの演奏、とても素敵です。いつも応援してます♡ がんばって下さい。いつも見ています♡」


 と書いてあった。

 おお、なんだこの熱烈なメッセージは。

 ただ、何か強烈な「愛」に近い感情を感じる。こんなの初めてだ。

 しかもハートマークまで書いて、きっと差出人は可愛い女の子に違いない。

 と思い、ニヤニヤしていると。


「なに、あんた。キモいわね」

 横から麻弥が睨んできた。

「そのファンレターに何か書いてあるの。見せて」

 と横からいきなり取り上げられた。


「あ、返せ!」

 と奪い返そうとするも、彼女は素早く、立ち上がり、しかも声に出して読み上げ始めた。

 しかし、女の感想はやはり男とは違うものだった。


「うっわ。何、この子、ストーカー?」

「いや、ストーカーじゃないだろ」

「いや、でも。いつも見ていますって……。何か怖くない?」

「怖くないって。きっと可愛い女の子だよ」


 俺と麻弥がそんなやり取りをしていると、他の3人も釣られてやってきて、俺宛てのファンレターを見始めた。

 なんか途方もなく、気恥ずかしい気分だった。

 ところが、女性陣の感想は。


「赤坂くん。この子、ヤバいって」

 金山さんが。

「そうですよ。それに、可愛い女の子とは限らないですよ」

 白戸先輩が。

「熱烈すぎて、逆に怖いですね」

 ウィスが。

 3人とも、それぞれ言葉は違うが、否定的だった。


 そして、麻弥は。

「はあ。男って、ホンっとバカで単純ね。ちょっとハートマークつければ、可愛い女の子だと思うなんてね。きっと、そいつの正体は、ブスでデブで根暗なオタクよ」

 と勝手に、この緋室翼の容姿まで特定していた。

 酷い言われようだな、翼ちゃん。と、ちょっと同情したくなる。


「いや、なんでお前が容姿までわかるんだよ」

 俺が咄嗟に反論するも、

「女の勘よ」

 と言ってきたが、こいつの勘ほど当てにならない物はない。


「へえ。名前は緋室翼『ちゃん』ね」

 麻弥は手紙を離さないまま、俺に取られないために、わざと高く持ち上げてさらに見始めた。こいつ、絶対楽しんでるな、そういう顔だった。しかもわざと『ちゃん』だけ、若干大きめの声で言ってるし。


「どこかの歌劇団の人みたいな名前ね」

 ああ、なるほど。確かに言われてみれば、〇〇歌劇団の花組とかに属している、男役の女性みたいな名前ではある。


 とりあえず、残りのファンレターも見てみたが、この緋室翼という子以外に何通か来ているファンレターは割とまともだった。

 だが、この緋室翼こそが、後に波乱を呼ぶことになるのだが。それはまた別の話だ。



 7月上旬。夏休みも近くなるが、一応学生の俺たちには試験があるので、その対策で忙しい頃だった。

 またも麻弥からメンバー全員にグループメッセージが届く。


「夏休みについて聞きたいことがあるから、みんなで放課後、ファミレスに来て」


 これも後に波乱を呼ぶことになるのだが。


 とりあえず、俺たちは、ある日の平日の放課後に、麻弥に指定されたファミレスに向かった。

 麻耶は、大学生らしく私服姿、即ち赤いチェックのネルシャツに、デニムのショートパンツという恰好だった。


 各自、注文を取り、席に着くと、彼女はいきなり切り出した。

「夏休み。ツアーに行くわよ」

 こいつの突拍子のなさと思い付きはいつものことだが、今回は輪をかけて意図がわからん。


「ツアーって何だよ?」

「ツアーはツアーよ。せっかくの夏休み、暑いしライヴハウスで演奏ばかりじゃつまらないでしょ」


 至極真っ当なことを言っているように聞こえるが、この適当な性格の女にはそもそも計画性という物がなく、思い付きで言うから信用できない。

 去年も、いきなり「暑いから合宿行く」と言い出し、結局、俺が避暑地の箱根の宿を取ったり、奔走させられた。

 俺が、その時のことを思い出していると。


「麻弥先輩。演奏をしながら、どこか行くってことですか?」

 金山さんが、興味深げに口を出していた。

「そう。えーと、ほらなんて言ったかな。よく昔の芸能人とかが地方を回ってたじゃない。あれのこと」


「ドサ回りか?」


 俺が口に出すと、麻弥は嬉しそうに、

「そうそう、それ!」

 と反応した。

 いや、っていうか、ドサ回りってもう死語じゃないか。完全に昭和の言葉な気がする。今時、地方巡業のドサ回りって。


「へえ。面白そうですね。でも、行き先はどうするんですか? あと交通手段もですけど?」

 白戸先輩が、良識ある反応を示す。


 ところが、麻弥の口から洩れた言葉は、俺の予想の斜め上だった。

「行き先ならもう決まってるわ。北海道よ」

「えっ! なんで北海道? 大体、ライヴツアーとかやるなら人が多いところの方がいいから、名古屋とか大阪の方がよくないか?」

 と、俺は、当たり前のように思ったから意見を口にしたのだが。


「えー、だって暑いしー」

 麻弥の答えはそれに尽きた。

 そういえば、こいつは、暑がりだった。


「このクソ暑い中で、演奏しても、なんか疲れちゃうじゃん。その点、北海道は涼しいしさ」

「でも、お前。北海道ってそんなに人いないんじゃないのか? ヒグマ相手に命がけのライヴなんて俺はイヤだぞ」

「んなわけないって。大丈夫。それに札幌は大きい街だって聞くし」


 などと俺と麻弥が、変な北海道話をしていると。

「あ、あのー。それで、どうやって行くんですか?」

 控えめなウィスが恐る恐るという感じで質問した。


 ところが、麻弥は不敵な笑みを浮かべ、勝ち誇ったように、腰に手を当てて。

「それは、あたしに考えがあるわ。出発は8月8日予定。その日の朝、みんな、各自楽器を持って、とりあえずあたしの家に来て。多分、1週間くらいは行くから、ご家族にも話しておくこと」

 と言ったが。

 こういう時の彼女は、昔からロクなことを考えてないのを、よく知っている幼なじみの俺は一番不安だった。



「で、今日集まったのは、実はそのツアーで演奏する楽曲を決めようと思ってね」

 運ばれてきたアイスクリームを口に運びながら、器用にも麻弥はしゃべる。


「えーと。どういう構成で行くんですか?」

 現・ハードロック同好会会長の白戸先輩だ。


「そうね。とりあえず、新曲の『The sky is the limit』は入れたいけど、各都市を回ってライヴやるから、体力面も考えてせいぜい2、3曲ね。で、大体5都市くらいは回りたいから……」

「10~15曲ってことか? 多いって」

 彼女が答える前に俺が反論していた。


「でも、せっかく北海道に行くんだし」

「だから、『The sky is the limit』ともう1曲洋楽を入れるだけで十分だと思うぞ、俺は。それでアンコールが来たら、今までやったことがある曲をやればいい。どうせお前のことだから『夏はやったことがない新しい洋楽をやりたい』とか言うんだろ?」

 俺が先に言ってしまったことが気に入らないのか、麻弥は口をすぼめ、不満げに頷いた。


「まあ、そうだけど……」

 何か言いたげな表情だった。

「そうですね。きっと移動しながら何曲もばんばん演奏するのは、大変ですよ。夏ですし、ハードだと思いますので、それくらいでいいんじゃないでしょうか?」

 白戸先輩が、相変わらずのお嬢様、じゃなかった丁寧な口調で、俺の提案に乗ってくれる。


「ですね。いくら北海道でも暑いでしょうし、あまり炎天下で歌うと熱中症になるかもですしね」

 金山さんが。

「赤坂さんの言う通りです。それに私、せっかくだから、北海道の観光もしたいです」

 ウィスも乗ってくれた。


 一気に4対1と追い込まれる麻弥。

「ああ、もう。わかったわよ。それでいいよ」

 渋々ながら彼女は頷いた。

 結局、曲目的には大体5曲、余裕を持たせて6曲選べばよさげだ。

 結果的には、この時のこの決断は間違いではなかったと、後で気づくことになるのだが。


「で、問題の曲ね」

 麻弥は、暑いのか、追加のアイスクリームを注文した後、ルーズリーフを取り出して、ペンを走らせた。


 そして、


夏休み北海道ツアーで演奏する曲

Sum41サム・フォーティーワン』の横に『No reasonノー・リーズン


と書いた。

 俺にはすぐにわかった。それはバンド名と楽曲名だ。同時に彼女の意図することも。

「麻弥。お前、『Sum41』が夏休みの41日目に、フェスに行って、感銘を受けて、活動を始めたから、それにあやかって、演奏するつもりだな?」

 麻弥は、気まずいような表情で、

「ま、まあそうだけど」

 と、苦々しげに頷いていた。


「いいですね、Sum41! 私も大好きですよ」

 元々、ウチのメンバーの中では一番パンク好きな白戸先輩が喜ぶ。

 他の2人も納得した。

 1曲目は決まった。


 説明すると、『Sum41』ってのは、カナダ生まれのパンクロックバンドで、先程話したように、夏休みの41日目に、ワープドツアーというフェスに行ったメンバーが感動して、音楽活動を始めたのが、バンド名の由来だ。


 『No reason』は中でも、かなりパンクで、いきなりシャウトしまくるような派手派手な曲調で、その疾走感のあるメロディーとテンポの良さが素晴らしい曲だ。リリースは2004年。


「じゃあ、次。なにかやりたい人、意見聞くよ?」

 真っ先にリーダーに反応したのは、意外にも白戸先輩だった。

「はい。私、『Helloween』の『Power』がやりたいです!」

「お、いいねー、凛ちゃん」

「はい。今年の夏はちょうど演奏したい気分です」


 誰も反対意見はなかったので、即決定。

 麻弥がルーズリーフに書き足していく。


 俺はむしろ、入学した去年の春くらいから、『Helloween』が好きだと聞いていたのに、演奏できていなかった彼女の望みがかなって良かったと思ったが。


 『Helloween』はドイツ出身のバンドで、メロディック・スピード・メタルとかジャーマン・メタルと呼ばれる分野の先駆的なバンドだ。


 ちなみに、バンド名は「Halloween」にかけて「Helloween」にしているが、これは「Hell」つまり「地獄」という言葉を入れたいとの願いを、ベーシストの『Markus Grosskopfマーカス・グロスコフ』が言ったから、だと言われている。


 『Power』は、その名の通り、非常に力強いギターリフとドラム、そしてサビが最高にカッコいい曲だ。ヴォーカルの『Andi Derisアンディー・デリス』のメロディーラインも素晴らしいし、後期『Helloween』の名曲だ。リリースは1996年だ。


「じゃあ、俺は『Guns's N' Rosesガンズ・アンド・ローゼス』の『You Could Be Mineユー・クドゥ・ビー・マイン』だな」


 と言うと、

「おお、ついに来たね。ガンズ! ターミネーター2の曲でしょ」

 何故か麻弥が一番嬉しそうに反応し、あっさり決まった。

 さらに書き足す麻弥。


 『Guns's N' Roses』は、アメリカのロックバンドで、1980年代からヒットを連発し、全米4000万枚、全世界1億枚以上を記録。一時、停滞していたが、2000年代中頃からまた活発に動き出した。

 日本では、略して「ガンズ」とも呼ばれることがある。


 そして、『You Could Be Mine』 は、麻弥が言ったように、映画『Terminatorターミネーター2』の主題歌にもなっていたことでも有名。

 

 イントロからドラムの疾走感のある音と、ギターのグルーブ音が混ざり合い、中盤に至るまでヴォーカルが入らないが、非常にロック臭に満ちた曲だ。

 最も終盤からは、ヴォーカルが大変そうなくらい、シャウトするシーンがあるんだけど。


 『Guns's N' Roses』には、もちろん、他にも様々な名曲があるが、知名度を優先して、俺はこれを推薦した。


 3曲が決まった。残りは。

「私はいいから、ウィス、決めなよ」

 金山さんが優しく譲ると、ウィスは、何故かもじもじしながらも、


「えっと。それじゃ、『Iron Maiden』の『The Wicker Manウィッカーマン』。あと、『The Beatles』の『A Hard Day's Nightア・ハード・デイズ・ナイト』がやりたいです」


 金山さんが譲った分、一気に2曲も上げた。


 さすがにイギリス人。二つとも有名だが、まさか『The Beatles』を持ってくるとは。興味深い選曲だった。


 リーダーは。

「さすがロンドンっ子! 『Iron Maiden』、マジでカッコいいよね!」

「『The Beatles』かあ。いいね、めっちゃ有名だしね。きっと、北海道のおじさんたちも喜んでくれるよ」

 と大はしゃぎで、ルーズリーフにアルファベットを書いていく。


 『Iron Maiden』は、世界でも最も著名なハードロック・ヘヴィメタルバンドとして知られるイギリスのバンドだ。

 「NWOBHM」(New Wave Of British Heavy Metal)、つまり1980年代初頭にイギリスで起こったヘヴィメタルの潮流の代表格とも言われている。

 全世界の売り上げは、1億枚以上。


 『The Wicker Man』は2000年リリース。アルバムの最初に収録された曲だ。非常に疾走感があり、親しみやすいサビもあり、メロディアスで明るい曲調だ。ある意味、非常に『Iron Maiden』らしい王道チューンとも言える。


 そして、『The Beatles』。まあ、彼らに関しては、ほぼ説明不要なくらい有名だから、詳しくは省くが、確か「ローリング・ストーンズの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」の1位だったはず。


 むしろ、全世界で知らない人の方が少ないバンドだろう。


 『A Hard Day's Night』は、日本語名は「ビートルズがやって来る ヤァ! ヤァ! ヤァ!」っていうんだけど、この日本語名もどうかと思う。今にして思えばカッコ悪いような。

 曲自体、CMなどでも流れたことがある、非常に有名で、親しみやすいフレーズの、いわばノリのいい曲だ。

 1964年リリース。古い。恐らく俺たちのバンドで演奏した曲では最古の年代じゃないだろうか。


 結局、金山さんだけが自分の主張をしていないが、いいのかな。と思ったが、リーダーが。


「これで5曲か。ただ、余裕を持ってもう1曲くらい入れたいところね」

 と口にした。


 ところが、ここで「はい」と手を挙げた金山さんの口から出たバンド名と曲名が、俺には意外すぎるものだった。


「『Judas Priestジューダス・プリースト』の『Judas Risingジューダス・ライジング』がいいです。予備曲でいいので」


 確かこの娘、『Janis Joplin』とか『Avril Lavigne』とか『Orianthi』が好きだったはず。

 みんな女性シンガーばかりだったのに。


「おお! カナカナ、よく知ってたね、『Judas Priest』。大丈夫。歌えそう?」

 リーダーが心配しているには、きちんとした理由があるが、後で説明する。


「大丈夫です。今まで散々男のロックバンドの歌を歌ってきましたし。それにこの間、たまたま『Judas Priest』を聴いて、気に入ったからやってみたいんです」

 と彼女は言うが。


 いや、そもそもたまたま『Judas Priest』を聴く状況って、一体どんな状況だ、とそっちの方が不思議に思うのだった。

 彼らは、世界的には確かに有名だが、日本というこの小さな島国じゃ、実は一般的にはそんなに知名度なかったりするし、街中で気軽に流れたりはしない。


 『Judas Priest』は世界的に非常に知名度の高いヘヴィ・メタルバンドであり、ヴォーカルを務める『Rob Halfordロブ・ハルフォード』は、通称「Metal Godメタル・ゴッド」と呼ばれているくらいだ。


 彼らは、ロック界において、ハイトーンヴォーカルの先駆者的存在であり、その声域は4オクターブ以上と言われている。

 まあ、この『Rob Halford』自体が、そもそも『Janis Joplin』の影響を受けたと言っているから、その辺が金山さんの琴線に触れる要素だったんだろうと思う。

 麻弥が心配したのは、そのハイトーンヴォイスに対応できるか、という辺りだが、『Janis Joplin』をも難なく歌うこの娘だから、俺は心配していなかった。


 『Judas Rising』は、2005年リリース。長年、ヴォーカルを務めてきた『Rob Halford』が、プロジェクトを巡り、レーベルと契約問題で揉め、メンバーを脱退。その後、数年間、ヴォーカル不在のバンドだった彼らだったが。


 2003年に、『Rob Halford』が復帰。そして、満を持してリリースしたアルバムに収録されている。


 そのため、彼らの、特にこの『Metal God』の復活を待ちわびたファンにとって、まさに完全復活を喜ぶ曲になっている。

 相変わらずのハイトーンヴォイスの『Rob Halford』のシャウトする声が光る名曲だ。


 6曲決まった。


 これで終わりかと思ってたら。

 ドリンクバーでコーラを継ぎ足して戻ってきた麻弥が、


「じゃ、次はMC決めよっか」


 と軽い口調で提案してきた。


「MC? 金山さんじゃダメなのか?」

 俺の意見に、しかし彼女は、


「あんたねえ。いつまでもカナカナに頼ってないで、たまにはやりなさいよ。あと、凛ちゃんとウィスもね」


 と俺だけでなく、白戸先輩とウィスにも釘を刺した。


 まあ、要はウチのバンドで、いまだにMCをやってないのは、この3人だからそろそろやれ、ということだろう。


「まあ、あたしも鬼じゃないから、5日やるとしたら、毎日交代制で行こうと思うんだ。だから、クジ引きで順番を決めることにする」


 そう言って、恐らくあらかじめ用意していたんだろう。1~5と書いてある細い短冊みたいな紙を取り出し、俺たちに引かせた。


 順番は。


1. ウィス

2. 麻弥

3. 白戸先輩

4. 俺

5. 金山さん


 に決まったが。

 何という不運。

 上がり症のウィスが一番最初とは。ある意味、この娘は何か「持っている」ような気がする。


 最後に、麻弥が。

「みんな、夏休み前に試験勉強もあって、大変だと思うけど、しっかり練習しておいてね。とりあえず、今の6曲だけはできるようにしておいて。他は、なんかあったら、簡単な曲選ぶから」

 と言い、最後に、

「あと、絶対補習にならないようにね! 北海道に行きたかったら、勉強がんばんなさい」

 そう言って、さっさと立ち去ってしまった。


 なお、曲目の順番、つまりどの街でどの歌を歌うかは、直前に決めるそうだ。相変わらずその辺が適当な麻弥だった。


 残った俺たちは、唖然としているしかなかった。

 あと1か月で6曲か。結構キツいなあ。



 なんてことを思いながら、俺たちは試験勉強期間に入った。


 この間は、他の部同様、あまり放課後の活動には力を入れられない。

 はずなんだが、試験直前のある日の放課後。

 部室なら、誰もいないし、勉強できるかも、と思った俺は、しばらく行ってなかった、ハードロック同好会の部室に向かった。


 そこで、ある意外な人物から、意外な助言を受けることになる。


 部室に行くと、鍵が開いていた。てっきり閉まってるだろうから、職員室に借りに行かないと、と思ってたから、拍子抜けした。

 

 そこにいたのは、白戸先輩だった。


「あれ、どうしたんですか、先輩」


 珍しく一人で部室にいる、この小さな先輩に声をかけると、彼女は笑顔で応じてくれた。


「あら、赤坂くん。あなたこそどうしたんですか? 試験勉強しなくていいのですか?」

「ここなら勉強できると思ったんですよ」


 それにしても、後輩が相手でも、いつも必ず敬語だな、この人は。いいところのお嬢様ってのもあるんだろうけど、礼儀正しい人だ。

「そうなんですか? 私も同じ考えでした」

 微笑みながら、教科書を開いている彼女の机に気づいてしまった。


 なんだか、同じことを考えていたようで、ちょっと気まづいというか、気恥ずかしいなどと考えていると。


「そうだ、赤坂くん。せっかくだから、ちょっと麻弥先輩のことでも話しましょうか」

 どうも、黒田先輩といい、この白戸先輩といい、俺と麻弥をやたらとくっつけたがる気がしてならないのだが。


「別にいいですけど、話すことなんてないですよ」

 俺がちょっと拗ねたように言った言い方がおかしかったのか、彼女は、会長専用のオフィスチェアーに腰かけながら、くすくすと小さく笑った。

 俺と、白戸先輩は放課後の誰もいない部室で、少し離れた位置で座って向き合った。


「まだ、ケンカしてるんですか? いい加減、仲直りして下さい」

「ケンカなんてしてないですよ。別にケンカして別れたわけじゃないですから」


 そう訴えるも、彼女は、意に介さず。

「じゃあ、どうして別れたんですか?」

「一方的にフラれたって話したじゃないですか。そもそも、俺自身があいつを本当に好きなのか、わからなくなりましたし」


 ところが、彼女は、

「うーん。そうですか。でも、私から見れば、お二人は信頼関係で結ばれてるように見えるんですけどねえ」

 と言ってきたが、どういう見方をしているんだろう。


 すると、

「ねえ、赤坂くん。『信頼』の反対って何か知ってます?」

 唐突にそんなことを聞いてきた。


「いいえ」

「それは『無関心』です」

 そこからの彼女は、まるで大人が小さい子を諭すように、優しい口調で語りだした。


「人間にとって、一番ツラいのは、実は『無関心』なんですよ。人に対して、全く興味がなければ、人間関係なんて、一歩も前進しませんからね。お二人がよくケンカしているのは、お互いをよく見て、よくわかってるからじゃないですか。相手のいい面も悪い面も見えている。そういうのを『信頼してる関係』って言うんですよ」


 驚いた。

 こんな中学生にしか見えない、小さな子が、まるで大人びた教師のようなことを言う。

 この子は「心理学」でも勉強しているのか、と思った。

 ある意味、バンドメンバーの中で、一番大人びているのは、この一番背丈の低い、彼女かもしれない。

 意外すぎる一面だった。


「言い換えると、『家族』みたいなものですね」

「家族?」

「ええ。誰だって、基本的に家族に対してなら、遠慮せずに言いたいことを言えるでしょう。もちろん例外はありますが」


 そう言われて、確かに感じる部分はあった。


 幼い頃から、それこそ実の姉弟のように育った俺と、麻弥。

 だからなのだろうか。いざ「付き合う」ことになったとしても、姉みたいな存在にしか見えないんだろう。


 実際、本当の意味で、俺が彼女に「恋愛」感情を抱いていたか、と問われるとあまり自信がないのはそのせいだ。


 なので、別れる話になった時、麻弥が言った「あたしのことを好きだと言ってない」というのが妙に納得いったのだ。


「きっと、お二人は、今まで距離が近すぎたんですね。ですから、お互いの良い部分より、悪い部分の方が気になってしまうのですね」

 ある意味、そうかもしれない。


 改めて、この子は凄いと思ったのだった。

「でも、きっと大丈夫ですよ。それだけお互いのことをわかっていれば、パズルのピースがハマるように、しっくり来る時がきっと来ますよ」


「俺が麻弥を好きになるってことですか?」

「と、いうより、お互いが、ですね」


「最も、人の気持ちは常に一定ではないので、断言はできませんけどね。そういう意味では、一度離れてみるという麻弥先輩の行動もわからなくはないですけどね」


 深い。発言の一つ一つが、とても深い。

 まるで大学教授とでも話しているような気分だった。


 俺は、ふと、このあまりにも小さい先輩を眺めながら、思っていたことを主張した。

「白戸先輩って、先生みたいですね。それも優しい先生」


 白戸先輩は、いつものふんわりした雰囲気をまといながら微笑んだ。

「ありがとうございます」


「あと、いい奥さんになりそうです」

 だが、そう口にすると。


 突然、恥ずかしくなったのか、彼女は視線を逸らし、

「もう、そういうことは私じゃなくて、麻弥先輩に言ってあげて下さい」

 ちょっと照れ笑いしながらも、怒ったような顔でこちらを見た。

「はい……」

 それ以上は、何も言えなかった。

 

 白戸先輩の意外すぎる一面だった。

 部員全員はもちろん、一般的な高校生でも小さい彼女。


 確か、日本人の高校生の平均身長は、男子が170センチくらい、女子が157センチくらいだった気がする。

 白戸先輩の場合、どちらかというと、11歳から14歳の間くらいの女子の平均身長に近いのだ。


 ウィスが170センチくらいあるから、二人並ぶと、大人と子供に見えるくらい違う。


 その割には、中身はものすごく大人に見える。

 大体、女ってのは、中学生、高校生くらいになると、外見はともかく、内面が一気に大人びる奴がいるからな。

 半面、男ってのは、いつまで経ってもバカでガキで、中学生みたいなものだから、大人に見えても不思議はない。


 ちょっと、白戸先輩を見直した、そんな夏だった。

 そして、もうすぐまた暑い夏休みがやってくる。

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