Stage.18 受難の時

 ここから先は、受難の時が連続した。


 第一の受難。麻弥との関係。

 4月末の連休前、俺が平凡な日常を送り、帰宅後に晩飯を食っていると。いきなり麻弥から携帯メッセージが送られてきた。


 その文面を見て驚愕する。

「あのさあ。別れよう」

 それだけだった。


 すぐさま、真意を確かめるため、食事を中断し、麻弥に近くの喫茶店に来るように指示。


 早速向かってみた。



 ところが、ここで驚くべきことを目の当たりにする。


 彼女のトレードマーク兼俺の望みの一つだった、ポニーテールが彼女の髪型から消え、昔のショートカットに戻っていたのだ。


 いつもよく来ている黄色いパーカー、ジーンズ姿の彼女の表情は暗かった。


「なんで、髪型変えたんだ?」

 最初にそれが聞きたかったのだが。

「もう必要ないから。義理は果たしたし」


 実にそっけない回答だった。仕方ないから核心に迫る。彼女の言う「義理」とは、きっと俺がかつてこの姉のような幼なじみに、「ポニーテールにして欲しい」と言ったことだろう。


「で、なんでいきなりそんな話に?」

 早速、注文を頼んでコーヒーを受け取ると席に着いて聞いてみた。


「優也。バンドの解散理由のトップって何か知ってる?」

「いや」

「人間関係とお金よ」

 そうかなあ、と思った。


「大体、バンドの解散なんて、音楽性の違いという最もらしい理由付けがされていても、本当はそんなもの。バンド内の誰かの恋愛関係のもつれで、ギクシャクして解散する」

 彼女はそう言ったが。


 俺に言わせれば、俺たちがよく演奏している、洋楽のロックバンドなんて、大抵アルコール中毒かドラッグ中毒になって、自殺したり、急性アル中でぶっ倒れたり、そんなのばっかな気がするが。


「だから?」

「わかんないかな。あたしたちは、ハングリーなバンドを目指してるの。中途半端な気持ちで付き合ってもダルいだけだし、他のメンバーにも悪影響を与える」


 何が言いたいのかよくわからなかった。

 が、彼女の瞳は珍しく真剣だった。

「中途半端な気持ち?」


 俺自身はそんなつもりはなかったのだが。

 次に彼女が発した言葉に、返す言葉がなかった。


「あんた。一度でもあたしのことを『好き』って言った?」


 そうだった。去年の10月、落ち込んでいる彼女を慰めるために、無理矢理プロポーズに近いような発言をしたが、それ以降、彼女の口から「好き」という言葉を聞いた半面、振り返ってみれば、確かにこの半年間、俺からは一度もその言葉を言ってなかった。


 成り行きで付き合ったという経緯があるから、仕方ないが、確かに本気で愛しているか、と問われると、少し自信がなかった。


 元々が、姉のような存在だったから、今さら改めて言うのも気恥ずかしいという気持ちがあった、とも言えるが。


「言ってないよね。女はね、愛するより愛される方が幸せを感じる生き物なの。ってことで、もう無理ね」


 ぐうの音も出なかった。

 たまにデートはしていたが、別れ際にキスくらいしかしていないし、こちらから強引に彼女を求めることもなかったのも事実だった。


 正直、自分の気持ちが本当に彼女に向いているか、わからなくなった。

 なので、俺はもう頷くことしかできなかった。


「わかった。別れよう。そもそも成り行きで付き合ってた感じだったからな」


 内心納得がいかない部分もあったが、その気持ちを押し殺し、俺は了承した。


「じゃ、そういうことで。メンバーにはあんたから話しておいて」

 そう言って、彼女はあっさりと席を立った。


 元から飽きっぽいし、気まぐれだし、熱しやすく冷めやすい性格で、いまいち行動予測が掴めない奴だったが、こうして俺は、たった半年間で、幼なじみの彼女と別れた。


 というより、きっと一方的にフラれた、が正しい。


 ただ、今にして思うと、せめて一発くらいヤッておけばよかった。と、思春期真っ盛りの俺は後悔するのだが、もう遅い。



 翌日の放課後、部室でその話を切り出すと。


「ええ! 別れちゃったんですか? そんなの黒田先輩が聞いたら、激おこぷんぷん丸ですよ!」


 白戸先輩が珍しく吠えるように言った。その言い方が何とも愛らしい。もういっそこの人と付き合ってしまおうと一瞬思ったが。


 そもそも彼女の「可愛い」は、どっちかというと子供を愛でる可愛らしさに近い。身長も150センチないし、胸も平に近いからな。


「ありえない! 後で絶対後悔することになるよ。あんな魅力的な彼女、もう二度と現れないって」


 金山さんも怒ったように表現する。


 ウィスは、というと。事情をよく知らないからキョトンとした顔をしていた。


「とりあえず、元気出して下さい」


 そう精一杯、慰めの言葉をくれたが。


「いや、どっちかというと、俺が一方的にフラれたんだけどね……」


 俺は、せめてそう言い訳くさく、発言するしかできなかった。


 メンバーは、呆れたような表情で、もうそれ以上何も言ってこなかった。

 こうして第一の受難は終える。


 ただ、麻弥の呼び名だけは、今さら変えるのも面倒だから、俺は変えず、彼女もまた特に否定はしなかった。



 続いて第二の受難。

 作曲。


 新しくウィスが入ったことにより、ようやくライヴ活動を再開しようと思ったのか、5月連休明けのある日、リーダーの麻弥が俺たちメンバーを喫茶店に集めて、こう発言したのがきっかけだ。


「そろそろ新しい曲が欲しいな」


 そう。俺たちのバンドのオリジナリティーは、今のところ『Rush Up』しかない。他は結局、洋楽のコピーバンドに過ぎない。


 これでは、さすがにアイデンティティーが不足している気がするのも正直なところだった。


「で、誰か作曲できる人、いる?」


 真っ先に手を挙げたのは白戸先輩だった。

「一応、出来ます。授業でソルフェージュも習ってますし」


 ソルフェージュ。フランス語が語源の言葉で、要は西洋音楽において、楽譜を読むことを中心にした基礎訓練のことである。


 具体的には「読譜」、つまり楽譜を読むこと。「初見」、つまり試演せずに演奏すること。「聴音」、つまり「耳コピ」をすること、などに分かれるが、簡単に言うと、最終的には作曲ができるようになる。


 音大付属高校の我が校のカリキュラムには、このソルフェージュが授業で取り入れられており、ちゃんと真面目に習っていれば、作曲もできるようになる。


 最も、元々普通科で、あまりその辺りに興味がなかった俺や金山さんは、ほとんどできなかったのだが。


「ただ……」

「ただ、何、凛ちゃん?」

「私、黒田先輩みたいな天才じゃないので、ちょっと時間がかかりますよ」


 確かに黒田先輩は、ある種の天才だった。

 ピアニストの娘に生まれ、音楽理論を小さい頃から叩き込まれ、ピアノに限らず、ベース、ギターも弾けるし、作曲もたった1日で仕上げてしまったほどだ。


 ある意味、彼女が抜けた穴は、とてつもなくでかい。


「まあ、いいわ。ついでに作詞もやってもらわないといけないし」

「誰がやるんだ?」


 俺と麻弥は、別れたとはいえ、意外にもそんなにギクシャクした関係ではなかった。元の鞘に収まったといえば、いいのか、こいつはこいつで無理をしているのか、わからなかったが。


「誰でもいいよ。ただ、全編英語の歌詞にしたいから、やっぱカナカナかウィスたんがいいな」


 そう呼ばれた二人は。

「わかりました。私も時間がかかるかもしれませんが、考えておきます」

「OKです。なんとかしてみます」

 そう答えていた。


 麻弥によれば、来月、つまり6月には新曲を引っ提げ、ライヴハウスで演奏したいとのこと。

 ところが、こいつがなかなか難航することになる。



 そして、第三の受難。

 ウィスだった。

 知っての通り、彼女は極度の上がり症だった。


 話は前後するが、ウィスが何とかハードロック同好会に加入した4月下旬。麻弥はウィスの演奏技術を知りたいと言って、音合わせのために、スタジオを予約した。


 その日、現れた彼女が持っていたベースは。


FENDERフェンダー Steve Harrisスティーヴ・ハリス Precision Bassプレシジョン・ベース Maple Olympic Whiteメイプル・オリンピック・ホワイト」。


 イギリスの世界的ロックバンド、『Iron Maidenアイアン・メイデン』のベーシスト、Steve Harrisが使っているのと同じモデルだった。色は白で違うけど。


 ちなみに、彼女が好きなバンドは。『The Beatlesビートルズ』、『The Rolling Stonesローリング・ストーンズ』、『The Whoザ・フー』というイギリス3大ロックバンドに加え、『Iron Maiden』だった。


 そこはやはりイギリス人。地元のバンドが好きなようだが、趣味が妙に古い。というか古すぎる。


 まあ、ここの連中はみんな似たり寄ったりだが。


 で、とりあえず、彼女がよく知っているという『Sex Pistols』の『God Save The Queen』を演奏して音合わせしてみた結果。


 ちなみに、ウィスは、前・ベースの黒田先輩とは違い、ピックを使わずに直に指を使うフィンガー奏法を基本にしている。


 ベーシストにはこのどちらかのタイプがいるが、フィンガー奏法の方が人数的には圧倒的に多いと黒田先輩から聞いたことがある。


「うん。まあ、及第点ね」

 麻弥がなんだか偉そうに、上から目線で感想を述べた。


「そうですね。さすがに黒田先輩にはかないませんが、いいと思います」

 白戸先輩が。


「私はよくわからないけど、下手じゃないと思うよ。自信持って」

 金山さんも。


 そして、俺も。

「とりあえず、演奏自体はいいんじゃない」

 と言うと。


「ありがとうございます」

 丁寧に頭を下げたウィスだった。

 が、ここからが問題だった。


「で、次のライヴを5月中にはやりたいんだけど」

 と言う麻弥に対し、彼女は恐る恐る口を開いた。


「あ、あの。ライヴハウスのライヴって、何人くらいお客さん来るんですか?」

「うーん。あたしたちは、まだそんなに人気ないから50人~100人くらいかな」


 ところが、リーダーの麻弥の発言に、ウィスは目を丸くした。

「ご、50人! 無理無理無理です!」

「じゃ、何人くらいならいいの?」

「え、えーと。3、4人くらい」

「それじゃライヴの意味ないじゃん!」


 さすがに麻弥がキレ気味に不満をぶちまけた。

「うーん。どうしましょう?」

 白戸先輩が、いつものように、のんびり口調で口を開く。


 麻弥はしばらく考え込んだ後。

「わかった。じゃあ、ウィスたんには、荒療治あらりょうじが必要ね」

「荒療治って何ですか?」


 どうやらその日本語の意味を理解していなかったウィスだったが、麻弥は不敵な笑みを浮かべながら、楽しそうに続きを口にした。


「路上ライヴよ!」

「ろ、路上ライヴですか?」

「そう。繁華街の真ん中で、じゃんじゃん、バリバリ演奏するから、それで人に慣れること! わかった?」


 ビシッと、ウィスの鼻先に指を突きつけ、宣言する麻弥。

 対して、ウィスはどんどん表情が沈んでいくように見えた。


「ええ? そんな大勢の前でやるんですか?」

「当たり前じゃない! バンドなんて、見てくれる人がいなきゃ、意味ないんだし。芸術家ってのは、他人から評価されてナンボでしょ。一人でやっても意味ないって」


 まあ、至極当然な意見ではあるが、恐らく今までずっと一人で演奏してきたウィスには酷な話だ。



 ということで、そこから先は、毎週週末になると、俺たちはリーダーの気まぐれな選択によって、都内でゲリラ的な路上ライヴを始めた。


 最初の場所は、新宿だった。


 週末の金曜日。

 会社帰りのサラリーマン、OL、そして学生たちが数多く飲みに繰り出し、待ち合わせ客などでごった返す新宿駅東口広場。


 そこで麻弥はいきなり路上ライヴを行った。


 なお、可搬式のアンプは、白戸先輩が用意してくれた、以前河川敷で行ったものをそのまま持ち込んだ。


「皆さん! 初めまして。あたしたちは『NRA』というバンドです。今日はこれから路上ライヴを行います」


 麻弥が仕切り、いよいよ始まる初の路上ライヴ。


 曲目は、ウィスもよく知る『Sex Pistols』の『God Save The Queen』が選ばれた。

 これなら、多少の緊張もほぐれるだろうという麻弥の目論見、いや配慮だったようだが。


 ところが、肝心のウィスはというと。

 見るからにわかるくらい、緊張してガチガチだった。


(大丈夫かな)


 と、ギターの俺のすぐ隣にいた、彼女を横目で気遣っていると。


 始まった途端、いきなり音を外していた。


 『God Save The Queen』自体、そんなに難しい曲じゃないはずなんだが、以前スタジオで聴いた彼女の演奏より、かなり酷かった。


 結局、終盤のコーラス「No Future~」と流れるところまで、彼女は緊張しっ放しで全然演奏が様になっていなかった。


 終いには、ギャラリーから。

「ベース、下手すぎ」

 とヤジられ、さらに委縮してしまうのだった。


(これは想像以上にヤバいな)


 と思う初日だった。

 麻弥は、演奏が終わった後、溜め息を尽きながら、

「ダメダメね」

 と、呟いていた。



 2週目。次は渋谷に繰り出した。


 今度も同じように委縮してしまい、ウィスの演奏はつたないものに。


 荒療治とはいえ、本当に大丈夫か不安になっていた。

 ところが、演奏が終わってから意外なことが起こっていた。


 この日、選んだ曲目は『GREEN DAY』の『American Idiot』。そう、かつて白戸先輩がやりたがっていた曲だ。


 アメリカを代表するパンクロックバンド、『GREEN DAY』の中でも、特に有名で、キャッチ―でシンコペーションの聴いた、非常にテンポの速い曲だ。


 この曲は、曲名が「バカなアメリカ人」くらいの意味だから、歌詞も思いっきりアメリカやアメリカ人をこき下ろしている曲なのだが。


 同時に当時、起こっていたイラク戦争に対する反戦の意味も込められた歌になっている。


 歌詞の中に「fuck America」なんていう放送禁止用語に引っかかるようなものが入っている、非常にパンクな曲だ。


 まあ、ぶっちゃけて言うと、この曲自体が、超有名で、人気があるのが幸いした。


 今回は、多少のミスがあっても、気づかないくらい、麻弥が思いっきりドラムを叩いて、ベースの音をかき消す勢いだったのもあったが。


 終わった途端、大きな拍手と歓声に包まれていた。


「いい曲だよね、American Idiot!」

「いい演奏だったぞ!」


 と言ってくれる客たちが何人かいて、中にはおひねりをギターケースなどに入れてくれる人たちもいた。


 全身汗まみれになりながらも、麻弥は近くにいたウィスに。


「どう? 楽しいでしょ? 音楽ってのは、『音を楽しむ』ものだから、細かいことなんて、気にしなきゃいいのよ」

 笑顔で声をかけていた。


 ウィスは、まだ多少緊張した面持ちながらも。

「は、はい。楽しかったです」

 と言って、わずかに微笑んでいた。

 とりあえずは、成功だった。



 そこから先は、さらに毎週末、都内を練り歩いて演奏した。


 池袋、秋葉原、上野、品川などなど。


 時には、「勝手に演奏するな!」と怒られ、時にはほとんどの客に無視されながらも、俺たちはひたすら演奏した。

 


 あっという間に1か月が過ぎた。

 6月初旬。

 傍目にも、わかるくらい、ウィスの演奏は安定してきた。


 ようやく本来の彼女の演奏が出来るくらいにはなったようだ。

 ただ、やはりまだ緊張しているのか、たまに凡ミスをすることはあったが。


 俺は、ある時、そんな彼女に、演奏後に声をかけた。


「どう、ウィス? 少しは慣れてきた?」

 彼女は、ちょっと恥ずかしそうに。

「は、はい。前よりは。それより」

 その先の発言が、特に印象に残ったのだった。


「私、日本に来て良かったです」

「え、どうして?」

「本当は来たくなかったんです」

「いじめられたから?」

「ええ。日本には、あまりいい思い出がなかったんです。ただ、日本の人、いじめるだけじゃなかったです。優しい人、いっぱいいますね」


 彼女が、一時嫌いになりそうだったこの国を、好きになってくれる。

 そう思えば、これは嬉しい発言だった。


 なお、余談だが、ウィスに聞いてみたところ。


 イギリス人ってのは、他のヨーロッパの民族のように、あまりオープンじゃないんだとか。


 よくフランス人なんかは、挨拶代わりにキスをしたり、ハグをしたりということを平気でやるから、日本人は、一くくりにヨーロッパの人間はみんなそんなことをやると思っているが。


 実際には、イギリスって国は、日本と同じような島国だし、「紳士の国」と言われるように、男も女も礼儀正しく、優しいらしい。


 また、他のヨーロッパ諸国の人のように、いきなりスキンシップをすることを好まないらしい。スキンシップは、友達や家族、大切なパートナーに限るらしい。


 ただ、日本人と違うのは、彼らは自分の意見ははっきりと言うこと。


 日本人ってのは、とにかく遠慮がちで他人の目を気にして、自分の意見が言えない奴が多いが、イギリス人は、幼い頃からディベートやディスカッション、つまり討論をやるから、自然と自己主張をするようになる、らしい。


 そういう意味では、実は彼女も芯が強いのかもしれない。

 もっとも、ウィス自体、イギリス人より、日本人の気質に近い気がするけど。



 とにかく、この一件で、ようやくウィスはまともな演奏ができるようになったのだが。


 問題はこの1か月間、ウィスに付きっきりだったから、俺たちのバンドは一度もライヴハウスで演奏していなかったこと。


 そして、麻弥が望んでいた新曲が全然出来上がっていないことだった。

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