Stage.16 Sehen wir uns wieder

 結果から言うと、もちろん俺たちメンバーは、卒業ゲリラライヴに参加していない黒田先輩と、他校の生徒の桜野さんを除いて、全員教師に怒られた。


 まあ、予想はしていたが。


 しかし。以前の音楽コンテストの時と同じく職員室に呼ばれると思っていたら、四人ともいきなり直接校長室に呼ばれた。


 校長は、口髭を生やした初老の紳士で、体格はかなりがっちりしている人だ。恐らく若い頃に何かスポーツをしていたのだろう。


 その校長室で、俺たち四人は体育教師に説教されていた。


 特に麻弥は。

「全くお前という奴は。学校祭だけでなく、卒業式までやるとはな」

 リーダーとして、またこの卒業ゲリラライヴの計画者として、真っ先に叱られていた。


「……すいません」

 一応、頭を下げて申し訳なさそうにしているが、それが形だけのものであることは、俺にはすぐにわかった。


 体育教師に頭を下げながらも、彼女は俺の方を見て、微笑みながらウィンクをしてきたからだ。


 全く、食えない奴だと思っていると。


「青柳。お前はホントなら停学なんだが、卒業式は終わっちまったからなあ。代わりにお前ら三人、停学にするか」

 などと、体育教師は矛先を俺たちに向け始めた。とんだとばっちりだ。大体、麻弥が責任を取ると言っていたはずなのに。


 だが、その時だった。

 今までずっと黙って腕を組んだまま、窓の外をじっと眺めていた校長が、振り返って、渋い声を上げた。


「まあまあ、落ち着いて」

「しかし、校長」

 抗議の声を上げる体育教師に対して、校長は麻弥のところまでやって来ると。


「青柳さんはとても面白い人ですね」

 皺の多い顔に、さらに皺を作って笑顔を浮かべて、そう言ってきたのだ。


 だが、一口に「面白い」と言っても、色々な意味がある。

 俺がその真意を計り兼ねていると。


「面白い、ですか?」

「ええ。普通の感性の持ち主なら、とてもあんなことはできません」


 まあ、こいつが普通じゃないのはわかっているが。変わり者であることに違いはない。


「でも、そこがいい」

 校長は破顔して、さらに皺だらけの顔を作り、麻弥に微笑みかけた。


 麻弥はくすぐったそうにしているだけだったが。

「校長!」

 そんな、甘い校長に体育教師は大きな非難の声を上げるが。


「よく日本人は『個性がない』と言われますよね。それは我々教育者にも責任があるのです」

 何だか難しいことを言い出しそうな校長だったが、彼は、

「私はね。彼女みたいな生徒がいた方が面白いと思うんですよ」

 そう言って、今度は体育教師に向き合った。


「しかし、校長。こいつらは大事な卒業式を台無しにしようとしたんですよ。責任を取らせないと、示しがつきません」

「確かに。それには一理あります」


 結局、どっちなんだ、この校長は。敵か、味方か、などともどかしい思いを抱いていると。


「でも、考えてみて下さい。彼女は卒業式が一通り終わってから、行動を起こした。つまり、卒業式にはちゃんと出席し、全てが終わって、卒業生退場の段階になってからはじめて、ライヴを決行した。そうですよね、青柳さん?」

「ええ、そうです」

 ちゃっかり力強く頷いて、校長に同意するあたり、彼女はしたたかだ。


「でしたら、もういいじゃないですか。それに彼女はあんなにも盛り上げてくれたのです。音楽というのは、人を幸せな気持ちにする物です。私はむしろ、この子たちの若者らしい行動力を羨ましく思います。それに、実に音大付属高らしい卒業式じゃないですか」


 その一言で、ぐうの音も出なくなった体育教師の提案は却下となり、俺たちは奇跡的に全員不問となった。


 だが、実際にはこの結果には裏があり、今回の大規模ゲリラライヴは、外部にも噂になり、メディアに取り上げられるくらい騒がれたから、学校としても今更俺たちを処分はしづらいという事情があったらしいが。


 しかし、まさか校長があそこまで話がわかる人だとは思わなかったが、このゲリラライヴはこうして意外な結末を迎えたのだった。



 その後のことを少し話すと、ライヴの準備やバンド活動で、ロクに受験勉強もしていなかったはずの麻弥は、奇跡的に推薦枠に入り込み、付属の東帝音楽大に入学できることになった。


 まあ、実際には勉強はほとんど黒田先輩に教えてもらっていたらしいが。


 ちなみに、その黒田先輩はと言うと。勘のいい彼女は、俺たちがこっそり何かを計画していることには気づいていたらしいが、さすがに卒業式にゲリラライヴをやるとは思わなかったらしい。


 ただ、何となく気づいてはいたが、あえて突っ込んだ質問をしてこなかったのが彼女らしい。


 最も実情は、卒業後に迫った留学の準備に追われていただけで、そんなことを気にする余裕がなかっただけかもしれないが。



 そして、俺たちのバンドにとって、運命の日とも言えるその日がやって来た。

3月30日、日曜日。午前11時00分。

 俺たち五人のメンバーは、成田空港第二ターミナルの出発ロビーにいた。


 目的はもちろん、ウィーンに旅立つ黒田先輩を見送るためだった。見送りには彼女の友人の桜野さんや、母親でピアニストの黒田沙希さんの姿もあった。


 出発時刻は午後12時30分。

 海外渡航の場合、空港には大体出発時刻の2時間前には到着するのが原則だ。


 黒田先輩は、カウンターでチェックインをし、重そうなスーツケースを預ける。


 税関を通ることも考え、出発の1時間前には出国手続きをするから、俺たちが共有できる残された時間は、わずか30分ほどしかなかった。


 その間に、俺たちは挨拶を済ませる。


「黒田先輩。本当にお世話になりました。向こうに行ってもお元気で」


 金山さんが、まずは先頭を切った。


「ああ、加奈もな。お前の歌の才能はまだまだ伸びる。がんばれよ」


 そう言われ、我慢していたのか、彼女は少し涙ぐみながらも、頷いた。


 次は白戸先輩だ。彼女は泣き虫だから、もうすでに両目に涙を一杯溜めていた。


「ううう……。先輩。もうお別れなんてイヤですー。こんなのってないですよー」


 だが、そんな彼女に、いつもは厳しい表情ばかり見せる黒田先輩は、


「泣くなよ、凛。別に今生の別れってわけじゃないんだ。たまには手紙くらい書くから」


 そう優しげな口調で言って、白戸先輩の右肩にそっと手を置いた。


 続いて、桜野さんが前に出る。


「沙織。向こうに行っても元気でな。日本食が恋しくなったら、たこ焼き送ったるさかい」

「何でたこ焼きなんだよ?」

 すると、桜野さんは明るい声と表情で、

「ちゃうやろ。そこは『何でやねん!』って突っ込むところやろ」

 と関西弁で陽気に返す。


「相変わらずだな、春香は。まあ、お前も元気でな」

 黒田先輩は苦笑いと共にそう言った。


 いかにも真面目な関東出身の黒田先輩と、こてこての関西出身の桜野さん。二人は一見合っていないように見えるが、かと言って仲が悪いわけでもない、ちょっと不思議な間柄に見えた。


 そして、ついに俺の番だ。


「黒田先輩。色々ありましたけど、今は本当に先輩がいてよかったと思っています。今まで本当にありがとうございます」


 つい深々と頭を下げていた俺に対し、


「大袈裟だな、お前は。まあ、お前ももっと自分に自信を持っていいぞ。ギターはかなり上達したしな。後、麻弥と仲良くな。泣かせたりしたら、承知しないぞ」


 笑顔でそう言ってくれる先輩は、いつになく頼り甲斐のある、実年齢よりももっと年上のお姉さんに見えた。


「わかってますよ。先輩もお元気で」

 そう。

 思い返すと、この人とは本当に色々なことがあった。


 去年の4月に出会い、最初は口も利いてくれなかったし、6月にはギターのことで散々怒られ、メンバーに復帰した後も、麻弥のことで発破をかけられた。


 さらに、12月にも同じく発破をかけられ、そして地獄の特訓。


 だが、改めて思い返すと、この人がいたから、俺と麻弥はこうして、今付き合っているとも言える。


 大袈裟に言うと、彼女は俺と麻弥にとっては「恋のキューピッド」だったわけだ。


 そして、俺は彼女に接していくうちに気づいた。この人は不器用だけど、本当はすごく優しい人だと。ぶっきらぼうなのは、それを隠す照れ隠しにも見える。


 最後は麻弥だ。

 無二の親友の彼女はというと。


「さおりん……」


 いきなり黒田先輩に向かって、ゆっくりと抱き着いた。感動屋で大袈裟な彼女らしいが。


「おい、麻弥」


 さすがに少し困ったような表情で、しかし黒田先輩は優しく麻弥の身体を受け止めていた。


「本当に色々ありがとう。あたし、さおりんのこと、一生忘れないから……」


 両目に大粒の涙を浮かべたまま、そう呟く彼女に、


「だから今生の別れじゃないって。まるでもう二度と会わないみたいな言い方するなよ」


 先輩は、ちょっと苦笑していた。


「じゃあ、いつ日本に帰ってくるの?」

「それはわからないな」

「どうして?」

「向こうでどうなるかわからないからな。ピアニストとして成功するか、失敗してすぐに帰国するか。先のことはわからない」


 自信家の彼女には珍しく、いつになく不安げな表情と口調で、そう口にしていた。


「さおりんなら大丈夫だよ。頭もいいし、何よりも努力家だからね」

「ありがとう、麻弥」


 二人は尚も女同士で熱い抱擁を保ったまま、会話を続ける。


「麻弥。向こうに行ってもお前たちのバンド活動は楽しみにしている。インディースのCDが出来たら送ってくれ」

「うん、もちろん」

「それと……」


 黒田先輩は、麻弥と身体を密着させた状態のまま、彼女の耳元に口を近づけ、何かを小さく囁いた。


 次の瞬間、麻弥は弾けるように彼女から身体を離し、そして顔面を真っ赤に染めた。


「な、何言ってんのよ、さおりん……」


 一体何を言われたのか。

 内心、気にはなったが、きっと女同士の秘密の話だろう。


 俺は深く聞こうとはしなかった。

 やがて、出国手続きをする時間になると、彼女は最後に、


「母さん。身体に気をつけてな」

 母親に向かって、静かな口調でそう言った。

「うん。あなたもね」


 一見すると、この親子は冷めているようにも見えるが、決して仲が悪いわけではないようだ。


 短いやりとりだが、互いの目が相手を気遣っているのが、どことなくわかった。

 そして、ついに。


 黒田先輩は、機内に持ち込む小さなショルダーバッグを肩にかけて、「出発」と大きく記載されたゲートに向かって歩き出した。


 最後に、


「じゃあ、みんな元気で」


 という短い言葉と、爽やかな笑顔を残して。


「さおりん!」


 背中を向けていた黒田先輩が麻弥の言葉に足を止めて、振り向く。


「何だ?」

「どこにいても、あたしたちは親友だよね?」


 その問いかけに対する彼女の答えと表情に迷いは一切なかった。


「当たり前だろ」


 心なしか、照れ臭そうにそう笑顔で返し、


Sehen wir uns wiederゼーエン・ヴィア・ウンス・ヴィーダー


 その謎の言葉を残し、出発ゲートへと消えて行った。


「今、何て言ったの?」

 きょとんとして、目をしばたたく麻弥。それは俺や他の三人も同様だったのだが。


 黒田沙希さんは、くすくすと小さく口元で笑い、


「あの子、何カッコつけてんのよ」

 そう言い出した。


「えっ」

 俺たちが彼女に目を向けると、


「あれはね、ドイツ語で『またね』って意味よ」


 沙希さんはそう説明してくれた。


「英語の『Good Bye』みたいなものですか?」


 英語に堪能な金山さんが口を開く。


「うーん。どっちかというと『See you again』ね」


 こうして、黒田先輩は、ヨーロッパでも屈指の音楽の都として知られるウィーンへと旅立った。


 同時に、それは俺たちのバンド、『NRA』にとって、不動のベース担当が完全にいなくなったことを意味する。


 俺たちのバンドの前途は、やはりまだまだ多難続きだった。

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