Stage.14 ポニーテールの約束

 翌日、土曜日。

 一応、うちは私立高校なので、土曜日も午前中は授業がある。


 結局、一晩中考えていて、一睡もできなかった俺は登校するも、授業中に散々寝ていて、教師に何度も注意されるハメになった。


 そして、放課後。

 本当は内心、もう来ないのではないかと思っていたが、麻弥姉は部室にいた。


 ただ、もちろん俺の方には一度も顔を向けなかったし、その両目が赤く腫れていた。

 つまらなさそうに、椅子に座って足を投げ出しながら、開口一番、

「もう部活もバンドもやめようよ。あたしも受験勉強があるし、誰かさんのせいで、やる気がなくなったから」

 気分屋の彼女らしく、いきなりそう口に出した。


 が、それに対し、俺が口を開くより前に、黒田先輩が珍しく、

「はあ。お前たち、まだ喧嘩してるのか。もうそんな場合じゃないんだぞ」

 と物静かに、だが諭すような口調で切り出した。


「そんな場合じゃないって?」

 麻弥姉が面倒臭そうに聞き返すと、黒田先輩は、俺たちの誰もが予想だにしていなかった一言を突然前触れもなく口走ったのだ。


「みんなには言ってなかったが、私はもうすぐ日本をつ」

「えっ。どういうこと、さおりん?」

 さすがにその一言には、麻弥姉も目を大きく見開いて反応した。


「母と話し合って決めたんだがな。私は卒業してすぐに、ピアノの勉強のためにウィーンに留学することになった」


 その唐突すぎる一言に、メンバーはさすがに動揺の色を隠せない。もちろん、俺にとっても寝耳に水だった。


「えっ。ウィーン? オーストラリアの?」

 麻弥姉もさすがに動揺している。ていうか国名を思いきり間違えている。


「オーストリアですよ、麻弥先輩」

 白戸先輩が苦笑しながら、フォローの手を入れた。


「わかってるわよ。それより何で? いきなりすぎじゃない?」

「いや、いきなりでもないんだよ。実は前から考えてはいたんだ。やはり私はピアニストになろうってな。だから、みんなとはもうバンド活動ができなくなるんだ」


「でも、そんな……。大体、ベースはどうすんの? せっかくライヴハウスで活動できるようになったのに……」


 いつもは明るく、力強いリーダーの麻弥姉も、さすがに親友が遠くに行ってしまうという事実に、大きな衝撃を受けているようだった。


「新しく探すしかないな。だからお前たちもいい加減、仲直りをしろ。4月からは私はいないんだからな」

 そう言って、いつもとは違う、少し寂しげな目を俺と麻弥姉に交互に迎える黒田先輩の姿が印象的だった。


「でも、向こうの学校って、9月からスタートじゃないんですか?」

 アメリカ留学が長い、帰国子女の金山さんが意見を言うが、

「ああ。本格的には9月からだが、その前にドイツ語の語学学校に半年間通うからな。オーストリアの公用語はドイツ語だしな」

 黒田先輩の説明は明確で、揺るがない意志を感じた。


「そうですか……」

 結局、金山さんもそれ以上は何も言えなかった。

「……」


 全員、言葉を失ったように、黙り込んでしまった。

 さすがにいきなりすぎたし、どう反応していいかもわからなかったのだろう。


 もちろん、俺もこの先輩には世話になったから内心、とても寂しいことだと思っていたが、人生は一度きりだから、ピアニストを目指して、本格的に世界に羽ばたこうとしている彼女の意思を止めるなんて、無責任なことはできないとも思った。


 結局、この日は留学の話のショックが大きすぎて、まともな活動にはならなかった。



 週明けの月曜日。

 俺はついに決意した。


 黒田先輩がいなくなる以上、さすがにこのままではまずいし、後味も悪い。

 授業中に、こっそり麻弥姉にメッセージを送った。


「大事な話があるから、放課後部室に行く前に一人で屋上に来てほしい」

 もちろん、彼女からの返信はなかった。


 来るかどうかは一種の賭けだった。

 放課後、すぐに屋上に行くと、さすがにまだ人影がなかった。つまり、屋上には誰もいないことになり、俺にとってはチャンスだった。


 待つこと5分ほどで、彼女はゆっくりとした足取りで屋上へ現れた。


 黒田先輩に言われた「仲直りしろ」という言葉が、不機嫌全開の彼女の心を動かしてくれたのかもしれない。


 相変わらず、ポニーテールの髪型だけは今も変えようとしないのが、俺を少しだけ安心させてくれた。


「何よ。あんたと話すことなんてないからね……」

 いかにも不機嫌そうに、口元をへの字に曲げて、目も合わそうとしない彼女に対し、俺は、


「ごめんっ!」

 とりあえず思いきり頭を下げて、平謝りしてみたが。


「今さら謝られてもねえ。だったら最初からやんなきゃいいのに」

 とつまらなさそうに呟くと、彼女は、

「大体、あんたが軽率なのよ。カナカナだって女の子なんだから……」


 そう言い始め、説教を始める気配を見せた彼女に対し、俺は面倒臭かったので、一か八か思いきって強硬手段に出ることを決めた。


 このまま、まどろっこしいことを続けていても埒が明かない。


 俺はいきなり麻弥姉の目の前に顔を近づけ、一瞬驚いてこちらを見た彼女に対し、

「麻弥」

 そう静かに呼びかけ、

「えっ」

 驚いて目を丸くした彼女の唇に、半ば無理矢理自分の唇を押し当てた。


「んっ」

 突然の出来事に、さすがに動揺して身体を強張らせた彼女だったが、すぐに身体の力を抜いて、両目を閉じて俺に身をゆだね始めた。


 キス自体、そう長いものではなかったが、初めて触れる女の子の唇とはこんなにも柔らかいものなのか、と内心思いながらも、目を閉じたままの彼女と唇を重ねていた。


 ファーストキスは、特に味こそ感じなかったが、唇の異常なほどの柔らかい感触だけが頭に残った。

 やがて、唇を少しずつ離すと。


 麻弥姉はゆっくりと目を開き、頬を真っ赤に染めながらも、視線を逸らし、

「もう、いきなりすぎるよ……」

 そう恥ずかしがるのだった。


 そんな彼女の仕草が、たまらなく可愛らしいと思い、

「嫌だったか、麻弥?」

 改めて聞くと、

「嫌なわけないじゃないけど。ただ、初めてだからムードをね……って、麻弥?」


 ようやく彼女は、俺が呼び方を変えたことに気づいたようだ。

「ああ。俺たち、恋人同士だろ。お前だけ呼び捨てってのは不公平だしな」


 すると、彼女は意外にもその大きな瞳を俺に向け、

「やっと呼んでくれたね」

 そう甘えるようにささやき、俺の首に両手を回してきた。


 そして、今度は彼女の方から俺の唇にキスをしてくれるのだった。


 再度のキスが終わった後、俺と彼女は屋上の柵の近くに置かれているベンチに並んで腰かけた。


 彼女は俺の肩に寄りかかって、頭を寄せながら、甘えたような声でこうささやいた。

「ねえ。あたしがポニーテールにした理由、覚えてる?」


 俺の答えはもちろん決まっている。

「ああ、覚えている」

 そう、あれは忘れもしない。

 今から三年前の春だった。



 当時、俺は中学一年生、彼女は同じ中学校に通う中学三年生で、時期的にも丁度今頃だった。


 俺と彼女とは、両親が友人同士だった上に、家もすぐ近くだったから、幼い頃から互いの家を行き来しており、自然と姉弟のように仲良くなったのだが。


 丁度、三年前の今頃だった。

 うちの両親と、彼女の両親の仲が悪くなった。きっかけは何だかわからなかったし、うちの両親は教えてくれなかったが、子供心に、何かのっぴきならないことが起こったとは察せられた。


 実際、うちの両親からも、

「青柳さんの家にはもう遊びに行くな」

 と釘を刺された。


 だが、子供同士の交流だから、いくら親から止められても、普通は遊びに行こうとするだろう。


 俺も最初はそう思っていたのだが、幼なじみの男女というのは、他人から見れば羨ましく思うのだろうが、一種独特の間柄でもある。


 小さい頃から一緒に過ごしていれば、それこそ実の姉弟のように仲良くはなるが、思春期になると、ある時突然恥ずかしくなるのだ。


 つまり、相手を異性として意識し始めるからだ。

 丁度、俺が中学一年生の時に、そうした感情を持ち始め、彼女とは少し距離を置いていたいと思っていたから、両親の言葉はかえって渡りに舟だった。


 だから、積極的に彼女の家には遊びに行かなくなったし、恐らく彼女も同様だったのだろう。


 家には遊びに来なくなった。

 それとは別にもう一つ、当時の俺は今よりもはるかにヘタレで、もっと言うといじめられっ子だった。


 小学生高学年から中学生にかけて、よく学校で男子にいじめられ、その度に男勝りな麻弥姉に助けられていたから、クラスの男子からも、

「女に助けられる女々しい奴」

 とまで言われていた。ありていに言えば、泣き虫だったわけだ。


 そういうこともあり、その頃から彼女とは一定の距離を置くようになっていた。


 しかし、麻弥姉の中学校の卒業式の日。

 さすがに、高校に入学すれば、今以上に彼女に会う機会がなくなると思った俺は、式の後に思いきって彼女に会いに行ったのだ。


 その頃の麻弥姉は、ショートカット、それもベリーショートに近い、男みたいな容姿をしていたが、それでも中学一年生から見れば、中学三年生は少しは大人に見える。まして、その年頃の女の子は男よりも、精神的に大人びている。


 ショートカット、それもベリーショートに近い髪型の当時の彼女でさえ、同学年の女子よりも大人びて見えたものだ。


 麻弥姉は、突然久しぶりに会いに来た俺に笑顔で接してくれた。


 そして。

「優也。しばらく会えないかもしれないから、一言だけ言っておくね。あんたはもっと男らしくなりなさい」

 心なしか、表情を緩め、優しいお姉さんのような笑顔で、そう言われたのがすごく印象に残っている。


「男みたいな麻弥姉には言われたくないよ」

 咄嗟にそう返し、ふて腐れた態度を取っていた俺は、きっとまだまだ子供だったのだろう。


 しかし、彼女はそんな俺を見て、ケラケラと明るく笑い、

「そうだね。だったら約束しよう?」

「約束?」

「そう。あんたは男らしくなる。あたしは女らしくなる。それでおあいこ」

 そう言われて、俺は彼女と無理矢理、指切りさせられた。


「でも、男らしくなるってどうすればいいのさ?」

「それは自分で考えるんだね」

「ズルいよ、麻弥姉」

 俺が抗議の声を上げると、


「わかった。じゃあ、あんたはあたしにどうしてほしいか言ってごらん。どういう風に女らしくなってほしい?」

 そんなことを突然言われても、さすがにピンとは来なかった。


 だから、俺はその当時好きだったアイドルグループのセンターを務める女の子が、丁度たまたまポニーテールの髪型をしていたことを思い出して、


「じゃあ、ポニーテール」

 と言ったのを覚えている。


「えっ。ポニーテール?」

「うん。ポニーテールの髪型にして、今より女らしくなって」


 そう言われた彼女は、少し難しい顔で考え込んでいたが、

「ポニーテールだから女らしいってのなんか違うと思うけど。まあ、いいよ。でも、あれって結構メンドくさいんだよね」


 ぶつぶつ文句を言いながらも承知してくれたのだった。


 そう。それが彼女が髪型をポニーテールにした理由だった。つまり、俺が言った何気ない一言がきっかけだったのだ。


 そして、その後の中学二年間。

 俺はほとんど彼女に会いに行かなかった。いや、正確にはただの一度も会ってはいない。というよりも、会うのを意図的に避けていた。


 それはきっと自分が本当に男らしくなったかわからないから、彼女に会うのが怖いという気持ちと同時に、思春期特有の気恥ずかしさがあったのだろうと思う。


 だから、去年の四月に高校で突然再会した彼女を見た時は、自分の目を疑うほど驚いた。


 自分が想像していたよりも、はるかに女性らしく、可愛らしくなっていたし、髪型も約束通りのポニーテールだったのだから。最も中身はそれほど変わっていないように見えたが。


 今の自分があの時よりも男らしくなったかどうかは、自分ではわからないが、少なくとも彼女はあの約束を覚えていてくれて、今も約束を守り通しているのだ。



 長い回想から戻り、俺は、

「でも、よく覚えていたな。あの約束」

 と呟くと、彼女は、


「当然でしょ。女はね、好きな男に言われたことは忘れないの」

 少し照れ臭そうにそう返してきた。


「好きな男?」

 俺がきょとんとした表情をしていたのだろう。彼女は、

「呆れた。気づいてなかったの。あたしはね、ずっと前から優也のことが好きだったんだよ」

 といきなり改めて告白されていた。


「えっ。いつから?」

 俺が驚いて聞いてみても、彼女は、

「うーん。いつからかなあ。忘れた。気がついたら、かなあ」

 相変わらず、適当な答えだった。


「なあ、麻弥。俺は少しは男らしくなったのか?」

 今度は俺の方から聞いてみたのだが。


 彼女はまるでいたずらをする子供のように、

「さっきの強引なキスとか、去年の駆け落ち発言とかは、十分男らしいと思うけど」


 そう言って、クスクスと笑ってきたから、さすがに俺は照れ臭くなり、

「やめろよ、恥ずかしい」

「あんたが聞いてきたんじゃない」

 二人して、自然と笑顔になっていた。

 その時だった。


 校舎と屋上を結ぶドアが突然開き、三人の女子が姿を現したのだ。


 俺と彼女は咄嗟に互いの身体を離す。


「全く、見てるこっちが恥ずかしくなるな……」

 黒田先輩が、珍しく顔を赤らめて目を逸らしている。


「二人とも、ラブラブですねー。でも、校内であんまりイチャつかないで下さいね」

 白戸先輩も、心なしか顔を紅潮させているようだ。


 そして、金山さんは。

「麻弥先輩。ごめんなさい! 私のせいで誤解させちゃって……。お二人とも、とてもお似合いです!」

 何故か兵士のように直立不動でそう言って、腰を曲げて大きく頭を下げていた。


 一方、隣の麻弥はというと。見る見るうちに、顔面をタコのように真っ赤にしていき、

「い、いつからいたの?」


 恐る恐る黒田先輩に聞いていた。

「『麻弥』のあたりからかな」

 それって、ほとんど最初のあたりということだな。道理で今まで誰一人として屋上に人が来なかったわけだ。


 何か不自然だと思っていたが、あいつらがわざと封鎖していたんだな。


 つまり、キスシーンも含めて、ほとんど全部見られていたということか。


 麻弥は、真っ赤な顔のまま、

「……バカ!」

 大きな声で叫ぶと、そのまま物凄い勢いで走り出し、屋上から校舎へと立ち去って行った。余程恥ずかしかったのだろう。


 ともかく、この一件は無事に片がつき、俺は自分の彼女をようやく名前で「麻弥」と呼ぶことになった。

 まさに「雨降って地固まる」とはこのことだろう。



 翌日の授業中。その恋人の麻弥から俺宛に一通の携帯メッセージが届いた。


 文面は、

「放課後、部室に寄らずに真っ直ぐ駅前に来るように」

 という、何とも味気のない事務的な内容だった。


 デートの誘いにしては、あまりにも味気ない。まるでクラスメートに回覧を伝える内容みたいだ。


 不信感を抱きながらも、メールに従い、放課後に駅前、つまり御茶ノ水駅前に行ってみると。


 何故か麻弥以外に、白戸先輩と金山さんもいた。そう、黒田先輩だけがいなかった。


 麻弥はそのまま俺たちを先導し、近くのファーストフード店に入る。

 それぞれ注文を取って、二階のテーブルに向かい合って座る。


 麻弥は、

「みんな、わざわざごめんね。実はさおりん抜きで話したかったんだ」

 と口を開いた。


 親友をわざわざ除け者にするとは珍しい、と思っていると。


「みんな知っての通り、さおりんは卒業後にウィーンに留学しちゃうでしょ。だから、その前にサプライズライヴを開こうと思うんだ」

 また、いつもの勝手な思いつきを口にする麻弥だった。だが、そもそも「サプライズライヴ」なんて言葉、初めて聞いた。


「サプライズライヴって何ですか?」

 白戸先輩がニコニコしながら口にすると、

「文字通り、さおりんを驚かすためのライヴだよ。卒業式後に派手なゲリラライヴをやろうと思うんだ」


 また、うちのリーダーは突拍子もないことを言い出した。

「ゲリラライヴって、勝手にやったらまた停学になるぞ」


 俺が学校祭の時を思い出しながら、そう口にすると、

「大丈夫。責任はあたしが全部取るから。それにあたしも卒業だから、もう停学とか関係ないし」


 この適当不良娘は、相変わらず滅茶苦茶な発言を口にする。内申書とか気にしないのか、こいつは。それ以前に、責任を取るつもりなんてないだろう。


「でも、沙織先輩抜きでやるんでしたら、ベースはどうするんですか?」

 今度は金山さんが、口を開くが、麻弥は、

「それも考えてる。外部から強力な助っ人を呼ぶから」


 と自信たっぷりに言い、

「とにかく、明日の放課後からみんなでスタジオに行くよ。さおりんにはあたしから適当に誤魔化しておくから」


 その一言だけを言うと、後は適当に世間話をして、その日は解散となったのだが。


 そもそも、嘘が下手な麻弥が何かやっても、黒田先輩は鋭いからすぐに察するんじゃないか、と俺は思うのだった。



 さらに翌日の放課後。

 俺たちは再度、麻弥からメッセージによる指令を受けて、放課後に指定されたスタジオに向かった。


 そこは、白戸先輩の父親の系列会社が経営しているスタジオではなく、普通のどこにでもあるスタジオだった。


 スタジオの前には、俺たちの知っている、ある意外な人物がすでに待っていた。


「やっほー、麻弥。あと、みんなも」

 桜野春香だった。

 『The Xero』のベース担当で、麻弥や黒田先輩の友人だ。


 彼女はベースのソフトケースを肩から背負っている。今日の彼女は、黒いニットプルオーバーに、赤と黒のチェック柄のスカートという、オシャレな格好だった。


「桜野さんなのか。お前が呼んだ助っ人って?」

「そう。これ以上、いないくらい強力な助っ人でしょ」

「まあな。でも、よくOKしてくれたな。ライバルだろ?」


 俺の疑問には、桜野さん自信が答えてくれた。

「ライバル言うても、ライヴハウスの中だけの話やろ。それに、沙織のことは聞いたで。私もあの子がいなくなるんは寂しいな。協力するで」


 何だかんだ言っても、彼女は麻弥や黒田先輩にとって、いい友人らしい。

 そのことに少し安堵した。


 確かに彼女が助っ人になってくれるのは、非常に心強い。


 ライヴを見ても、わかるように、彼女は黒田先輩にも劣らないほどの確かなベースの技術を持っている。


 早速、スタジオに入り、10帖の部屋を借りて、まずは曲の選定から始めた。


 麻弥の説明によると、卒業ゲリラライヴは、もちろん先生にも生徒にも無告知で、卒業式終了後にすぐにステージで告知し、そのままグラウンドで開く予定らしい。


 外部の桜野さんはおろか、何と白戸先輩の会社の社員を使って、卒業式の間に、一気にグラウンドに簡易ステージを造るという、かなり大がかりで、思いきった作戦らしい。


 曲は思いきって、アンコールを含めて、五曲もやるらしい。


 麻弥が、まずは金山さんの方を見て口を開いた。

「二曲はカナカナが決めていいよ。バレンタインのこととか、バカ優也のせいで散々誤解させちゃったし、それにせっかくギターの練習もしてることだしね」

 そう言われた金山さんは、少し驚いたように細い目を丸くした。


「えっ。でも、いいんですか? 私の方こそ誤解させちゃって……」

 申し訳なさそうに、瞳を逸らして呟くが、


「いいの、いいの。悪いのはぜーんぶ優也だからね」

 と彼女には妙に甘い。


 全て自分のせいにされた俺は納得いかないが、確かに金山さんの得意な曲を聴いてみたい気はする。


 すると、彼女は。

「では、『Avril Lavigne』の『Complicatedコンプリケイティド』と、『Orianthi』の『According To Youアコーディング・トゥ・ユー』を」

 と提案をしてきた。


 それを聞いて、リーダーは弾けるように元気のいい笑顔を見せた。


「いいね! 二つともナイスな選曲だよ。盛り上がりそう」

 と、右手の親指を立てて、金山さんに見せている。


 具体的に何がナイスな選曲なのか、相変わらず抽象的すぎて、わかりにくいが、彼女があの一件以来、すっかり機嫌がよくなったのは非常にいい傾向だ。


「じゃあ、凛ちゃんとはるるん、優也は何かやりたいものある?」


 続いて、白戸先輩と桜野さん、そして俺に話を振ってきた。


「私は何でもいいですよー」

「うちも外部の人間やから、任せるで。何でもOKや」

 二人は特にこだわりがないようだった。


「俺も別にいいよ。どうせ『Rush Up』はやるんだろ? 親友のためなんだから、お前が決めればいい」

 最後に俺がそう言うと、


「じゃあ、やっぱ『Deep Purple』の『Smoke On The Water』だね。前のライヴじゃできなかったし」


 彼女は予想通りの言葉を、嬉々とした表情で口にした。


 前のライヴで出来なかったことが、相当悔しかったのだろう。

 だが、次に彼女が口にした曲は、俺たちにとっては少し意外なものだった。


「アンコールは『Bryan Adamsブライアン・アダムズ』の『18 Til I Dieエイティーン・ティル・アイ・ダイ』でいくわ」

 声高らかに、満面の笑みで、左手を腰に当てながら、そう宣言した彼女。


 トリに『Bryan Adams』を持ってくるとは少し意外だった。


 が、考えてみれば『18 Til I Die』は名曲だし、最後を飾るには相応しいかもしれない。


 同時に、この曲が俺たち「ハードロック同好会」の、現在のメンバーでの最後の曲になるわけだ。

 曲順は以下のように決まった。



 1曲目   『Complicated』     『Avril Lavigne』

 2曲目   『According To You』  『Orianthi』

 3曲目   『Rush Up』      オリジナル

 4曲目   『Smoke On The Water』 『Deep Purple』

 アンコール 『18 Til I Die』    『Bryan Adams』



 曲の説明をしておこう。


 『Complicated』は、カナダの女性ロックシンガーとして有名な『Avril Lavigne』の代表曲として知られている。


 この曲は彼女の最初のシングルで、発売は2002年。最初のアルバム『Let Go』に収録されている。


 全体的に、ロックにしてはゆったりとしたテンポの曲だが、そのキャッチーで、リズミカルなメロディーが非常に耳に残る、2000年代初期の名曲にして、『Avril Lavigne』の名を高めた曲だ。


 一方、『According To You』はもっと最近の曲で、2010年に発売された、オーストラリア出身の女性ギタリスト、『Orianthi』のアルバム、『Believe』に収録されている曲だ。


 2009年に『Michael Jacksonマイケル・ジャクソン』のドキュメンタリー映画『THIS IS IT』でリード・ギタリストに起用され、一躍有名になり、今や世界的な若手女性ロックミュージシャン、そして天才ギタリストとして名を馳せる彼女の代表曲である。


 非常に疾走感があり、かつ天才的なギタリストとしての彼女の、驚異的なギター技術、特にその素晴らしいリフが非常にかっこいい曲だ。


 元々、男のハードロックしか聴かない俺でさえ、あの演奏を初めて聴いた時は、鳥肌が立った。同じギタリストとして、学ぶことの多い曲だ。


 実際、この曲は世界中で大きな反響を呼び、インターネットでのダウンロード回数が世界的に物凄い数に上ったらしい。

 近年、稀に見るロックの名曲とも言える。


 『Smoke On The Water』は前にも説明したから省略する。


 そして、麻弥が推した『18 Til I Die』。

 これはカナダのミュージシャン『Bryan Adams』の曲で、代表曲だ。


 日本語にすると、「死ぬまで18歳」という、その強烈なインパクトを与えるタイトルもそうだが、中身も素晴らしい。


 『Bryan Adams』の非常に透明感のある声と、キャッチーなメロディーと、非常にロックンロールな曲なのだが。


 皮肉なことに、この曲が世に出た1996年は、すでに世はハードロックよりも、ラップやヒップホップがメインストリーム化していた。


 そのため、アメリカでのセールスが大幅にダウンし、逆にイギリスでは好評だったため、彼自身はアメリカよりもイギリスに活動の拠点を移していくことになる。


 ちなみに、これをリリースした時、当の『Bryan Adams』は37歳だった。

 だが、その歌詞を見ると「55歳になっても18歳」とあり、非常に興味深い。

 まさに、ロックに生きたオヤジの曲だ。


 こうして、俺たちは上記の曲の練習に取り組み始めたのだが。

 卒業式までは、残り二週間程度しか時間がなかった。


 卒業式は3月1日、土曜日に行われる。

 だが、俺たちは毎日、放課後にスタジオに通い、練習を続けた。


 幸い、あの黒田先輩のスパルタ特訓が効いたせいか、以前よりも音を合わせる時間が短縮できた。


 彼女のお陰で、俺たちは成長できたと言えるし、そんな彼女のため、そしてこの高校を卒業する麻弥のため、もちろん全ての卒業生、つまり三年生のためにも、俺はひたすら曲を繰り返し練習するのだった。


 そして、二週間の日々はあっという間に過ぎていった。

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