Stage.13 Blue Valentines
その暗雲を呼び込むきっかけとなったのは、皮肉にも麻弥姉の無二の親友、黒田先輩の一言だった。
年が明け、冬休み明け、そして新年最初の部活動が行われた1月8日の放課後。
「ギターがもう一つ欲しい」
黒田先輩が突然、そう言い出した。
「もう一つって、俺がですか?」
ギター担当の俺が、もう一つ別のギターを買うのかと思っていたが、彼女が言いたいことは違っていた。
「そうじゃない。リズムギターが欲しいんだ」
黒田先輩は、そう思惑を吐露した。
彼女によると、通常ギターパートは、リードギターと、リズムギター(あるいはサイドギターとも言う)に分けて、二本使うバンドが多いという。
確かに俺が知っている洋楽バンドでも、リードギターとリズムギターを持っているバンドは多い。
要はリードギターがメインで、リズムギターがサブだ。
その方が演奏の幅が広がるのだというが、確かに一理ある。
「でも、誰がそのリズムギターをやるんですか?」
白戸先輩の問いに対し、黒田先輩は、
「加奈。お前、やってみないか?」
と、ヴォーカルの一年生、金山さんに話を振った。
「えっ。私ですか?」
意外なことだったのか、目を丸くして驚く彼女に対し、
「ああ。ヴォーカルだけというのはもったいないしな。それに、リズムギターはリードギターみたいに本格的じゃないから、歌いながらリズムを刻む感じでいい」
そう補足説明を加えていた。
「でも。私、ギターなんて全くやったことないんですけど」
「わかってる。だから、赤坂。お前が教えてやれ」
いきなり自分のところに、話を振られて、
「えっ。俺ですか?」
今度は金山さんの代わりに、俺が目を丸くする番だった。
「何で優也なのよ。さおりんが教えた方がいいんじゃない?」
この提案に、明らかに不服そうに麻弥姉が顔をしかめていた。
「私でもいいが、ベースはともかく、ギターならもう赤坂の方が上手いぞ。私が徹底的に教えたからな」
自信を持って、そう言ってくれる黒田先輩の一言に、内心俺は喜んでいた。
ようやく、この人にも認められたのだ、と感慨深かった。
「わかりました。じゃあ、やってみます」
金山さんは、黒田先輩にそう告げ、続いて俺に向かって、
「じゃあ、赤坂くん。よろしくね」
そう屈託のない笑顔を向けた。
「……」
麻弥姉は、この決定に対し、難しい顔を示していたが、それ以上は特に何も言わなかった。
翌日、言い出しっぺの黒田先輩が金山さんを御茶ノ水駅の楽器店に連れていき、翌々日から早速、俺が金山さんにギターを教えることになった。
翌々日の放課後。
いつも練習している荒川の河川敷に現れた金山さんが持ってきたものは、『
色こそ違うが、オーストラリアの女性ロックミュージシャン・ギタリストの『
聞くと、彼女は『Janis Joplin』以外にも、『Orianthi』や『
他のメンバーが全員、男性のハードロックやヘヴィメタを好む中、彼女だけはメンバーの中で唯一、ガールズ・ロックが好きだということになる。
この年頃の女の子としては、ある意味、彼女は最もまともなのかもしれないが。
その日から、俺は金山さんにギターを教え始めた。
最初は基本的なコードから教え、徐々にストロークやリズムの刻み方、楽譜の読み方、リズムの取り方などと順を追って。
そして、教え始めると気づいてしまった。
金山さんは、見た目こそどこにでもいるような、普通の女の子なのだが、笑うと笑窪がとても可愛い、と。
おまけに、幼少期の多くをアメリカで過ごしたことが影響してか、男女の関係に関して非常にオープンなのだ。
普通、日本人の女性なら、ただの友人に対して、多少遠慮がちに接するところを、彼女にはそれがない。
クラスメートということもあり、教室でも休み時間などに、遠慮なくどんどん俺にギターの質問をぶつけてくる。
「赤坂くん。ここ、教えて!」
そんな調子だから、明るい声でそう言いながら、放課後の練習どころか、授業の合間の休み時間でさえ、彼女は俺のところにためらいもせず、積極的に質問に来るのだった。
俺と麻弥姉が付き合っていることを知らないクラスメートたちからは、俺と金山さんが付き合っていると思われていただろう。
そのくらい、全くと言っていいほど遠慮がない彼女だから、俺にとって教え甲斐はあるが、親密な仲になるのも早かった。
毎日、河川敷の練習でもほとんど金山さんにつきっきりでギターを教えることになり、さすがに麻弥姉が不機嫌になるのに、時間はかからなかった。
金山さんにギターを教え始めて一週間ほど経った、ある日の放課後の練習前。
俺は麻弥姉に、土手の上に呼び出された。
「あんた、最近カナカナと仲よすぎじゃない?」
自分の彼氏が、他の女と仲良くしていれば、さすがにこうなることは予想していた。
が、俺はその時、彼女の気持ちよりも、前のライヴのことを思い出していた。
「お前の言いたいことはわかる。でも、金山さんはうちのバンドにとって、生命線なんだ。お前は金山さんの重要性をわかってない」
その一言が、麻弥姉をさらに怒らせることになる。
「何よ、重要性って?」
「金山さんが英語をしゃべれるから、洋楽中心の俺たちのバンドは持っているんだ。もし、彼女が部活もバンドもやめるって言ったら、どうする?」
だが、彼女は釈然としない表情のまま、
「それとこれとは話が別じゃない。何で、そんなにカナカナの肩ばかり持つの?」
と声を荒げて、目を細め、顔面を睨みつけてくる。
「同じだよ。彼女がいたから、俺たちはここまで続けてこられた。お前もリーダーなら、もうちょっとバンド全体のことを考えろ」
だが、この俺の一言が、俺たちの間に決定的な溝を作り出してしまうことになる。
「わかった。もういい」
「何だよ、もういいって?」
「あんたが鈍感で、わからずやってわかったって言ってんの」
「どっちがわからずやだよ」
もう喧嘩になっていた。
そして、こうなると元々が頑固な分、取り返しがつかなくなる。
「うるさい、わからずや!」
ついに怒鳴り始めた彼女に対し、俺も内心納得がいかなかったから、
「金山さんは、俺たちバンドの『強み』なんだよ。それがわからないお前はリーダー失格だな」
つい、こちらも売り言葉に買い言葉で返してしまった。
「あ、そう。じゃあ、あんたがリーダーやって、カナカナと仲良くやれば?」
そう捨て台詞を吐いて、彼女は
ただ、幸いだったのは、麻弥姉がこの一件でバンドをやめるとは言わなかったことだ。
確かに、俺としても彼女の気持ちがわからなくもないが、同時にバンドのことを考えると、金山さんにもっと成長して欲しいという気持ちも強かった。
結局、それ以降、俺と麻弥姉はほとんど口を利かない、一種の冷戦状態に入った。
正面切って喧嘩はしなかったが、気まずい雰囲気がバンド内に流れ始めた。
黒田先輩がそれに気づき、俺と麻弥姉の両方に仲直りを勧めるが、そもそも俺に対して、金山さんにギターを教えるように勧めたのが、他ならない黒田先輩だから、そこは難しいのだった。
そして、問題の金山さんはというと、元々が鈍感な性格なのか、それともアメリカ流のオープンな感性の持ち主なのかはわからないが、相変わらず俺に熱心にギターのことを聞いてくるのだった。
そんな冷戦体制がそれから一か月以上も続いた。
俺たちはその間、一度もライヴハウスで演奏していなかった。
それは黒田先輩が、
「次のライヴは、加奈がギターを弾けるようになってからがいい」
と言ったことが原因だが、もちろん俺と麻弥姉の不仲も影響していた。
そして、運命の日がやって来た。
2月14日、バレンタインデー。
恋人たちにとって、重要なイベントのこの日、未だに俺と麻弥姉の喧嘩は続いていた。
そんな状態だったから、当然のように朝から放課後まで、俺は、自分の彼女の麻弥姉からチョコレートをもらっていなかった。
しかし、放課後になると。
「赤坂くん、ちょっと来て」
ホームルームが終わってすぐに、俺は金山さんに誘われ、学校の屋上に連れ出された。
屋上に着くと、彼女は振り向き、鞄から包装紙に包まれた大きな箱を取り出して、俺の前に差し出した。
「はい、チョコレート」
少しの遠慮も躊躇もなく、彼女は笑顔で突き出してくる。
「でも……」
俺が少し逡巡していると、彼女は、
「わかってるよ。麻弥先輩に誤解されたくないんでしょ。でも、これは私の感謝の気持ちだから。赤坂くんのお陰でギターも大分上達したからね。そのお礼ってことで」
細い目をさらに細め、可愛らしい笑窪を見せる彼女からの贈り物を俺は断れずに、受け取った。
「じゃ、戻って練習行こうよ」
彼女は明るくそう言って、校舎に戻りかけた。
その時、丁度強烈な横風が吹き、金山さんは、
「痛っ」
と、目頭を押さえた。
「どうしたんだ?」
それに気づいた俺が声をかけると、
「うん。多分目にゴミが入ったんだと思う。私、コンタクトしてるから。ちょっと見てくれないかなあ」
相変わらず、遠慮のかけらもなく、全く俺のことをを警戒しない彼女は、俺に向かって、少し背伸びをして、右目を見せてきた。
そもそも彼女がコンタクトレンズを使っていたこと自体、知らなかったのだが。
「しょうがないな」
俺が校舎を背にして、内心ドキドキしながらも、彼女の右目を覗いてみた時だった。
「あ、優也」
校舎の入口に現れた人影から声がかかり、慌てて振り向くと、麻弥姉が手に何かの包みを持って立っていた。
だが、次の瞬間、向かい合って立っている俺と金山さんの様子を視認すると、青ざめた表情に変わり、そのまま踵を返し、物凄い勢いで校舎に戻って行った。
まずい。俺は直感した。
あの立ち位置から見れば、俺と金山さんが向かい合って、キスをしているように見えなくもない。
咄嗟にそう思い立った俺は、
「ごめん、金山さん!」
悪いとは思いつつも、彼女を残して、足早に屋上から校舎に向かった。
そのまま校舎の階段を降りると、麻弥姉がどんどん階段を降りていく姿が見えた。
目指す先は恐らく下駄箱だろう。
そう思った俺は、一気に階段を駆け降り、一階の廊下を走り抜け、下駄箱でようやく彼女に追いついた。
「麻弥姉、待って」
何とか彼女の左腕を取るが、振り向いた彼女は、
「付き合ってるのに、他の子とキスしてるなんて。信じらんない!」
と、目に涙を浮かべて訴えていた。やはり予想通りだった。
だが、
「誤解だ。金山さんが目にゴミが入ったから取ってくれって……」
言いかけた俺に対し、
「よくそんな嘘つけるわね。この最低男!」
と、もはや聞く耳を持たない。
「嘘じゃないって。何なら金山さんに聞けばいい」
しかし、そんな俺に対し、彼女は、
「うるさい! 人の気も知らないで! あんたなんか死んじゃえ!」
言うや否や、俺の顔面に向かって、右手に持った何かの箱を思いきり投げつけてきた。
不意を突かれ、態勢を崩す俺に対し、彼女はその隙に俺を腕を振り解き、泣きながら走り去って行った。
床に落ちた箱を見ると、それはハートの形をした箱だとわかった。バレンタインデーのチョコレートであることは言うまでもない。
さすがに、これは俺が悪いし、申し訳ない気持ちで一杯になってしまった。
推測だが、恐らく麻弥姉は黒田先輩に言われ、俺と仲直りをすべく、こっそりチョコレートを用意していたに違いない。
そして、この日の放課後に俺に渡すつもりだったのだろう。
それがまさかこんなことになろうとは。
金山さんにも多少の責任はあるかもしれないが、不幸なことに、あのタイミングで麻弥姉が屋上に現れてしまい、最悪の事態を呼んでしまった。
家に帰って、何度か麻弥姉に電話やメッセージを送ってみたが、一向に出る気配も、メッセージが返ってくることもなかった。
俺たちの仲は決定的に破滅した。最後に、喧嘩中で、しかも彼氏の浮気の瞬間を見たと思っているはずなのに、結局はチョコレートの箱を投げつけてきたのが実に彼女らしいが。
その日の夜、麻弥姉から投げつけられたハート型の包みを開けてみると。
不揃いな形のチョコレートが四つほど並んでいた。
普段、料理なんてしまい彼女が苦労しながらも作ってくれたのがよくわかり、俺は罪悪感に苛まれながら、それらのチョコレートを口の中に入れていた。
(ごめん、麻弥姉)
食べているうちに、自然と涙が出てきて、チョコレートは少し涙の味がした。
こうして、恋人たちのイベント、バレンタインデーは苦い思い出となって過ぎ去った。
俺は恋人の麻弥姉に対し、どうやって誤解を解いて、仲直りをするかを、その夜、一晩中かかって考え込んだ。
さすがにこのままでは、後味が悪すぎる。
俺は、こうなった以上、一か八かの賭けに出ることを心に決めたのだった。
だが、その前にメンバー全体を揺るがすような出来事が発生することになる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます