Stage.11 対バンの実力

 12月に入り、いよいよクリスマスライヴの日程が迫る中、俺たちは相変わらず河川敷で寒風に晒されながらも、連日練習を続けていた。


 そんな12月3日。いつものように放課後に河川敷で練習していると。


「あ、おったおった」

 土手の方角から、訛りの強い関西弁の女性の甲高い声が飛んできたので、俺たちは全員一旦手を止めて、そちらに目を向けた。


 すると。

 薄茶色のロングヘアーを、派手なパーマでまとめ、黒いジャケットに、同じく黒のホットパンツ姿という、いかにもギャル風の女の子が手を振りながら小走りに近づいてくるではないか。


 しかも、その後ろには男が三人、まるで彼女の付き人のように従っていた。


 一人は、どこにいても目立つような赤い髪が特徴的な中肉中背の男で、派手な赤と黒のジャケットにレザーパンツ姿。年は俺たちより少し大人びて見えるから、大学生くらいか。


 もう一人は、一際目立つ大柄な体躯の長身を持ち、肩までかかる長髪と、無表情が特徴的な細目の男だ。年はわからないが、大柄な体格なので、大学生くらいにも見える。


 そして、もう一人は、細身で涼やかな印象を与え、サラサラヘアーが目立ち、表情も明るく、目鼻立ちも整った、見るからにイケメンという感じの男。彼は俺たちと同じくらいの年に見える。


 俺は、彼らのいずれにも見覚えがない。

 だが、小走りで近づいてくる先頭のギャルを視認した麻弥姉と黒田先輩の二人が、ほぼ同時に反応していた。


「はるるん!」

春香はるかか」

 どうやら二人の知り合いらしい。


 三人はまもなく、河原の上で向かい合った。

「久しぶりやね、麻弥。それに沙織も」

 春香と呼ばれたギャル風の彼女が関西弁で話しかけている。


 一見すると派手な外見だが、よく見ると目鼻立ちが整っていて、小顔が特徴的な、なかなかの美人だ。


「本当だね。元気してた?」

「元気元気。二人も元気そうやね」

「ああ。で、春香。今日はどうしたんだ?」

 黒田先輩が尋ねると、丁度残りの三人が俺たちの練習していた河川敷に着いたところだった。


 それを横目で確認した彼女は、

「今日はちょろっと挨拶に来たんや」

 と屈託のない笑顔を見せた。


「挨拶って?」

「チャノケンさんから聞いたで。あんたら、『Star Dust』でライヴ活動始めたらしいやないか?」

「まあな」

「せやから、先輩として一言挨拶しとこ、思うてな」

 その一言に、麻弥姉は耳聡く反応した。


「えっ。先輩って、まさか……」

 するとこのギャル少女は、状況を見守っていた俺たちの方に改めて顔を向けた。他の三人の男もそれに続く。


「はじめまして、『NRA』のみなさん。うちらは『The Xeroザ・ゼロ』いうインディースバンドを組んで、活動してます。うちは桜野春香さくらのはるか。麻弥と沙織とは中学ん時の同級生なんです。ちなみに、うちはベースやっとります。メンバーを紹介しますね」


 派手なギャル風の外見とは対照的に、彼女は明るく、礼儀正しくそう挨拶をした。


「『The Xero』のリーダーで、ヴォーカルの橙野亮太とうのりょうただ。よろしくな」

 細く高い、よく通る声で気さくに挨拶をしたのは、先程の赤い髪が目立つ男だった。


 ていうか、この人がリーダーだったのか。てっきり桜野さんがリーダーだと思った。


「あだ名は『トノリョー』。うちらの中では最年長の大学一年生やね」

 桜野さんが軽く補足する。


 続いて、あの目立つ大柄な男が無表情のまま、口を開いた。改めて近くで見るとでかい。恐らく身長は190cm近くあるだろう。


山吹雅規やまぶきまさのりだ。ドラムをやっている」

 しかも、こんな大男が無口で、無表情だから余計に威圧感があって怖い。


 さっきから、この中で一番身長の低い白戸先輩が脅えたような表情を見せているのが、その何よりの証拠だ。


「あだ名は『ヤマ』。文字通り山みたいにでかい奴やけど、これでもまだ高一や。せやけど腕は確かやで」

 桜野さんがいちいち説明しているところを見ると、本当にこの人がリーダーみたいに見える。それよりこんな大きな体格で、俺と同じ年というのが意外だった。


浅葱和久あさぎかずひさ。かわいいい子がいっぱいいて、羨ましいなあ。僕もそっちに入っちゃおうかなあ」

「相変わらずやなあ、お前は」


 桜野さんが少し呆れ顔で、その男に目を向けるが、イケメンに「かわいい」と言われたメンバー、特に白戸先輩と金山さんが、顔を紅潮させている。

 何だか無性に悔しい。


「最後はこいつ。あだ名は『カズ』。担当はギターや。高二やな」

 以上で彼女の挨拶と、メンバーの説明が終わった。


 その後、世間話がてらに少し話をしていた麻弥姉と黒田先輩と桜野さんの会話を耳にしていると。


 どうやら彼ら、『The Xero』はもう一年ほど前から『Star Dust』でライヴ活動をしているインディースバンドらしい。


 既に二枚もCDを出していて、人気もそれなりにあるみたいだ。

 まさに俺たちの先輩格のバンドになるわけだ。


 ちなみに彼らの得意なジャンルは、ロックはロックでもラップを含めたラップ・ロックやラップ・メタルらしい。


 日本では「ミクスチャー・ロック」とも呼ばれるジャンルであり、俺たちがやっているハードロックやヘヴィメタとは少し違う。


「で、春香。お前、挨拶のためだけにわざわざここまで来た訳じゃないだろ?」

 世間話の切れ間を狙うように発した黒田先輩の一言に、桜野さんは不敵な笑みで返した。


「さすが沙織やな。そう、実は本題はここからやねん」

「本題って?」

「あんたら、クリスマスライヴに出演する予定なんやってな。うちらもそれに出るねん」

「えっ。マジで?」


 麻弥姉が大袈裟に反応する中、桜野さんはさらに続けた。


「マジやで、麻弥。つうか、チャノケンさんから何も聞かされてへんの? あのライヴは、うちらがメインで、あんたらは前座なんや」

「えっ」

 麻弥姉の表情が一気に、冷めていくのがわかった。


 まあ、無理もないだろう。

 楽しみにしていた初のライヴハウスでの演奏が、所詮彼らの前座なのがわかったのだから。


 だが、俺は以前に黒田先輩から少し聞いていたし、自分でもインターネットで調べていたから知っていた。


 初めてライヴハウスでライヴを開くバンドや、まだ知名度が低いバンドの場合、大抵が有名なバンドの前座として出演するらしい。


 もちろん、有名なバンドなら、ワンマンライヴを行うことも可能だが、逆に言えばこの『The Xero』も俺たち『NRA』も、まだワンマンライヴができるほどの実力はないということだ。


 ちなみに、彼らのように一緒に同じライヴに出演するバンドのことを、業界用語で『たいバン』とも言う。


「そんな……。あたしたちは、はるるんたちのオマケってこと?」

 ライヴハウスの事情などロクに調べていなかったに違いない麻弥姉が、悲嘆の声を上げるが。


「いちいちヘコむな、麻弥。最初はどんなバンドもそんなもんだぞ。それに、こいつらだってワンマンライヴができるわけじゃないだろ?」

 黒田先輩が親友に対して、そうフォローの言葉を入れたが、むしろその言葉が桜野さんの気分を煽ることになる。


「言ってくれるやないか、沙織。ほんならうちらのライヴ、見にこーへん?」

「いいわ。あんたたちの実力がどの程度か、見てあげる」


 黒田先輩の代わりに、メンバーに何の相談もなく、麻弥姉は鼻息荒く、というかもはや売り言葉に買い言葉のような勢いだけで、すかさずそう言い放っていた。


「決まりやな。丁度今週末の土曜日にうちらのライヴがあるさかい、見に来るんやな」

 言うが早いか、桜野さんはジャケットのポケットからおもむろにチケットを取り出し、俺たちに売り始めた。


 俺たちのリーダーが既に決めていたので、断ることもできず、俺たちはちゃっかり一人一枚1500円を払わされて、チケットを買わされていた。


 一通りチケットを配り終えると、桜野さんはおもむろに再び俺のところにやって来て、まじまじと俺の顔を見始めた。


 近くで見ると、スタイルもいいし、小顔といい、整った目鼻立ち、おちょぼ口気味の小さな口と、なかなかの美少女だから、俺の心臓の鼓動が心なしか速く脈打ち出した。


「ふーん。あんたが麻弥の幼なじみの優也くんか。ギターやっとるらしいな」

「え、ええ。まあ」

 麻弥姉から事前に俺の情報を聞いていたのだろうが、いきなり接近された俺はどぎまぎしていた。しかも、初対面でいきなり下の名前を呼ばれていたから尚更だ。


 麻弥姉も気が気でない様子で、こちらを見ているのがわかった。

「演奏、楽しみにしとるで」

 そう言って、破顔した彼女は、さすがにかわいいものだった。


「ほな、よろしゅう」

 彼女は明るい声音でそう言い残し、桜野さん以下四人のメンバーはあっさりと立ち去っていった。


 残された俺たちは、それぞれ唖然とした表情で彼らの背を見送った。


「まさか春香がライバルになるとはな」

「そうね。でも、負けるつもりはないわ。あたしたちは、あたしたちでがんばればいいだけよ」

 黒田先輩と麻弥姉が話しているところで、俺は気になっていたことを聞いてみることにした。


「麻弥姉。あいつらはどんな連中なんだ?」

「どんな連中って?」

「軽音部みたいな連中じゃないよな?」


 今年の学校祭の音楽コンテストでの、うちの高校の軽音部の横柄な態度が、まだ頭の中に残っていたから、内心不安だったのだが。


「ああ。それは大丈夫。はるるん以外はよく知らないけど、少なくともうちの軽音部みたいに中途半端な奴らじゃないから」

「どうして、そう言い切れるんだ?」

 すると、彼女は破顔して、

「あたしの勘」

 と、全く根拠のない答えを出した。


 俺はただ呆れるしかなかった。

「それにしても、あいつらのバンド名、どっかで聞いたことがあると思ったが」

 おもむろに、黒田先輩が口を開く。


「何、さおりん?」

「『The Xero』ってのは多分、『Linkin Parkリンキン・パーク』から取った名だな」

「えっ。マジで?」

「ああ。『Linkin Park』のデビュー前のバンドの名前が『Xeroゼロ』とか『Super Xeroスーパー・ゼロ』って言うんだ」


 それを耳にした我らがリーダーは、

「何、あいつら、バンドの名前の付け方、あたしたちのやり方をパクッたの?」

 と露骨に反応したのを、

「それ逆だろ。あいつらの方が先に名付けてるだろ」

 と俺が突っ込みを入れ、場が少しだけ和んでいた。


 ちなみに、『Linkin Park』は1996年に結成されたアメリカのバンドで、ジャンル的にはニューメタルやラップコアなどに分類される。


 こうして、俺たちはインディースバンドとしての先輩バンド、『The Xero』のライヴを見に行くことになった。



 12月7日、土曜日。

 その日、午後6時から始まるライヴに合わせて、俺たち五人は30分前の午後5時半にライヴハウス『Star Dust』の前に集合した。


 今日はあくまでも見学なので。全員私服で来ている。

 ライヴハウスの前には既に結構な人が集まっており、開演を待ちわびていた。


 さらに階段を降りて、地下一階に行ってみると、既に防音ドアの外側にも関わらず、かなりの人数がひしめき合っている。


「すごい人ですねー」

 緊張感のない声を白戸先輩が上げる。


「人が多けりゃ、いいってもんでもないでしょ。それに見てなさい。あたしたちもすぐにこれくらい人を呼べるようになるから」

 自信満々にそう豪語する麻弥姉だが、黒田先輩は無言のまま厳しい表情を浮かべていたし、金山さんもどこか浮かない表情だった。


 受付でそれぞれチケットを渡し、バーになっているカウンターで、飲み物を受け取った後、早速防音ドアの向こう側に入ってみる。

 が、俺たちは入ってすぐに現実を思い知らされた。


 軽く100人以上、いやもしかしたら200人くらいはいるかもしれない。

 このライヴハウスは、500人は収容できるキャパシティがあるから、それでもまだ余裕はあるが、それにしても予想を上回る人数だった。


 現実に直面し、一同はいずれも言葉を失ったが、本当に驚愕するのは、それからすぐのことだった。


 前座のバンドが二組入って、演奏し終わり、ついに今日のメインのバンド、『The Xero』の番だ。


 先日会った四人のメンバーがステージ上に上がると、早くも会場は大歓声に包まれる。

 それぞれが派手なステージ衣装に身を包んだ『The Xero』のメンバーは早速演奏を始める。


 ある意味、衝撃的だった。

 それは、俺が初めてライヴハウスで生の演奏を見た瞬間だったからというのもある。


 巨大なアンプから溢れ出た音は、場内に反響し、まるで腹の底から音が響くように感じるのだ。


 そして、バンドのメンバーはきらびやかなスポットライトに照らされ、大音量で好きなように歌い、演奏する。


 客は、このメインイベントを楽しみに来た連中ばかりだから、盛り上がり方が違う。


 正直に言うと、音楽コンテストの時にも、俺たちの演奏で確かに盛り上がってはいたが、会場にいた全員が一体感を持って聴き入っているのとは少し違った。


 教師や父兄連中、一般の客、生徒会の連中などはそれぞれの役目もあるし、興味の有無や好みもあるから、必ずしも全員が一致して喜んでいたわけではない。


 だが、ここにいる連中は違う。

 わざわざ金を払ってチケットを買ってまで、彼らの演奏を聴きに来る連中だから、気合いの入り方が違う。


 場内はまるでライヴハウスというより、どこかのクラブのような盛り上がり方で、実際に身体を動かして踊っている連中もいた。


 声を上げて一緒に笑う者、踊る者、酒を飲みながら聴き入る者など、人によって見方は違うが、少なくとも皆が一方向に向かって、完全に集中している。


 そこが音楽コンテスト、つまり学校のイベントとは大きく異なる部分だ。

 俺を含め、メンバーのみんなは、その異常な盛り上がり方を唖然と見守っていた。


 『The Xero』が演奏したのは、彼らのバンド名の由来になった『Linkin Park』の他に、同じくラップロック系の『Limp Bizkitリンプ・ビズキット』や『Red Hot Chili Peppersレッド・ホット・チリ・ペッパーズ』であり、最後のアンコールは彼らのオリジナル曲で、ヒップホップ系のラップコアの曲だった。


 彼らは演奏技術も確かなものだった。

 ヴォーカルでリーダーの橙野という男は、細く高い声で、リズミカルにラップを刻んでいた。


 ギターの浅葱はただのイケメンではなく、演奏まで正確で、何よりも場慣れしているし、ベースの桜野さんも黒田先輩といい勝負というくらいの技術を持っている。


 ちなみに、彼の使用ギターは、型はわからないが、黒い『Rickenbackerリッケンバッカー』を使っているようだ。一方の桜野さんの赤いエレキベースは、恐らく『Gibson Thunderbirdギブソン・サンダーバード』と思われる。


 圧巻はドラムの山吹という男だ。冬にも関わらず半袖のTシャツ姿の彼の腕はかなり太く、筋肉質であり、しかもその腕力から力強く、正確なスティックさばきが生まれている。


 結果的に、人気の面でも、技術の面でも俺たちが負けているのは明らかだった。


 しかも、これだけの腕前があるのに、彼らはメジャーデビューをしていない。いや、正確にはできないのだろう。


 俺たちは「上には上がいる」という現実を嫌というほど突きつけられた。


 『The Xero』の全ての演奏が終わり、場内が万雷の拍手と歓声に包まれる中、俺たちは麻弥姉の意向により、桜葉さんたちに挨拶をすることもなく、そのまますごすごとライヴハウスを出た。


 見ると、みんなの顔に何とも言えない疲労感というか、絶望感が漂っている。


 まあ、無理もないだろう。実力が違いすぎる。

「はあ。音楽って何だろうね。どうしてこうまで違うのよ」

「何だ、麻弥。珍しく弱気だな」

 いつになく落ち込んで、口元をヘの字にしている麻弥姉に、黒田先輩が静かに声をかける。

「だって……」


「私、もう自信なくなってきましたー」

 白戸先輩も、同様に気弱な声を上げて、天を仰いでいた。


「音楽の世界は奥が深いですね」

 金山さんは、落ち込んでいるというよりも、むしろ感慨深そうに呟いていた。


「まあ、しょうがないよ。誰だって初めからあんな演奏ができるわけじゃない」

 俺がそう口に出すと、珍しく黒田先輩が俺の発言に相槌を打った。


「そうだ。赤坂の言う通りだ。自分たちの今の実力がどの程度か、わかっただろう? それだけでも見に来た価値はある」

「さおりん……」


 麻弥姉が、物珍しそうに黒田先輩の横顔に視線を送っていた。


 今、この瞬間だけは、麻弥姉ではなく黒田先輩がバンドのリーダーに見えた。それくらいこの先輩はしっかりしているから、頼り甲斐がある。


「みんな、来週からライヴまで特訓だな。私がビシバシしごいてやる」

 そう言って、微笑んだ黒田先輩が少し不気味に思えて、俺は不安になった。


 そして、俺が感じたその不安は、翌週から恐怖という形で現実のものになる。



 翌週明けの月曜日の放課後、「特別訓練メニュー」と表題に書かれた大学ノートを持ってきた黒田先輩によって、彼女の指導による「特訓」が、荒川の河川敷で始まった。


 そして、それは俺たち四人の誰もが想像していないほどの「超」がつくほどのスパルタだった。


 特訓は大きく二段階に分けられていた。

 まずは「全体練習」。


 放課後、すぐに河川敷に集まり、ひたすら様々な曲の演奏をさせられた。しかも、ジャンルは俺たちが得意とするハードロックやヘヴィメタに限らず、ポップソングや邦楽も含み、幅広いものだった。


 しかも途中、ほとんど休憩を挟まず、延々と数時間も音を合わせる練習だ。この段階で既に相当疲弊する。


 午後5時頃にようやくそれが終わり、20分ほどの短い食事休憩を挟む。


 続いて午後9時頃までは「個別練習」だ。これは文字通り、各個人に割り当てられたそれぞれのパートの練習だが、その内容が過酷だった。


 ヴォーカルの金山さんは、腹筋を鍛えるために、標準的な腹筋運動。さらに下半身強化のためにヒンズースクワットとランニング。


 ドラムの麻弥姉は、腕と肩の筋肉、そして握力を鍛えるために、鉄アレイを使った運動と、ハンドグリッパーを使った運動、さらに足腰を鍛えるために、金山さんと同じくランニング。


 彼女たち二人は「基礎体力」をつけることが中心らしい。黒田先輩によると、動きの激しいドラマーや、腹式呼吸が必須のヴォーカリストには、これらの体力強化が必要なんだとか。


 キーボードの白戸先輩は、地味だがひたすら楽譜を一から作って、音楽理論を学ぶ練習。これはこれで相当神経を使う。


 そして、ギターの俺はというと。

 ギターに関する全てのコードを最初から全て形にして、何も見なくても弾けるようにする練習と、それを応用したコードストロークの練習だった。


 だが、これが想像以上に大変だ。

 そもそも、ギタリストと言っても、別に全てのギターコードを覚える必要はないのだ。

 自分が演奏する曲に出てくるコードをその都度、覚えていけばいいわけだし、そもそもほとんど使わないコードだってある。


 だが、黒田先輩は、

「覚えておいて損はない」

 という理由で、俺に覚えさせた。


 しかも、彼女は楽譜を作る白戸先輩と、ギターの練習をする俺とを交互に、つきっきりで監視していた。


 少しでもコードを覚えていなかったり、間違ったりするだけで、容赦なく厳しい声が飛んで来るのだった。


 俺たち四人は、さすがに辛くなり、間もなく根を上げた。


「もう無理だよ、さおりん。あたし、このまま続けてたら筋肉ムキムキになっちゃう」

 麻弥姉が苦しそうに肩で息をして、訴える。


「私ももうダメです。もう走れません……」

 金山さんもランニングから帰ってきて、地面にへたり込んでいる。


「沙織先輩。もう手が動きません。これ以上はムリですよー」

 白戸先輩も、同様に泣きそうな顔で訴えている。


「コード表って、全部覚える必要なくないですか? それにもう指の感覚がないんですが……」

 俺も同じように弱音を口に出していた。


 が、

「お前たち、それでもロックンローラーか。いいか、人間死ぬ気でやれば何でもできるんだ」

 と、もはや精神論でしかないことを言い出していた。しかも、心なしか楽しそうに笑顔で言うのだ。


 この人、絶対に「ドS」だな。俺はそう思った。

 俺たちは、まるで戦前の旧日本軍の鬼のような指揮官となった黒田先輩によって、まるで新兵のように徹底的に特訓させられた。


 だが、俺は知っていた。

 麻弥姉や金山さんがランニングに行って、俺や白戸先輩が個人練習をしている間、黒田先輩は俺と白戸先輩の面倒を見ながら、自らも必死にベースの練習をしていることを。


 他人にも自分にも厳しい。特に音楽に関してはストイックなところがある黒田先輩らしい。


 こうして、地獄の特訓が始まったわけだが、一週間ほど経った頃だった。


 ある日、個人練習で麻弥姉と金山さんがいつものように、荒川のサイクリングロードにランニングに向かったことを見届けた黒田先輩が、不意に俺のところに来て、


「赤坂。ちょっと話がある」

 と言って、俺を河川敷から少し離れた土手の上に連れ出したのだ。渋々ながらも彼女の後に従い、土手の上まで行くと、彼女の足が止まった。


「何ですか?」

 次の瞬間、振り向いた彼女の口から漏れたセリフは、俺の意表を突くものだった。


「お前、麻弥とはどこまで行ってるんだ?」

 てっきり、ギターの演奏に関して、注意されると思っていた俺は、予想外の問いに面食らっていた。


「えっ」

「だから、どこまで行ったかと聞いている。キスぐらいはしたのか?」

「い、いいえ。まだしてませんけど」


 すると、先輩は肩の力を抜き、嘆息した。

「お前たち、本当に付き合ってるのか?」

「ええ、まあ」

「麻弥はいつも元気そうに見えるが、あれで意外と寂しがり屋なんだ。彼氏のお前が支えてやらなくてどうする?」


 いつになく、突っ込んだ質問や提案をしてくる黒田先輩だった。


「でも、付き合ってるって言っても、いきなりキスなんてできませんよ」

 俺がそう訴えると、

「そこはムードだろ。もうすぐクリスマスだ。いきなりキスをしろとは言わないが、せめてプレゼントくらいはしてやれよ」


 いつもながら、ぶっきらぼうな態度と口調だが、彼女は静かにそう言った。

「……わかりました」

「じゃ、頼んだぞ。話は終わりだ。練習に戻るぞ」


 そう言い残し、すたすたと急ぎ足で河川敷に戻ろうと先輩の背中に向かって、俺は、

「黒田先輩」

 と思いきって、声をかけてみた。


「何だ?」

 振り返った彼女に、

「どうして俺たちのことを、そんなに気にかけるんですか?」

 そう尋ねてみた。


 すると、

「別にお前のことなんか気にかけてない。私は麻弥のことが心配なだけだ」

 いつものように、憎まれ口を叩く彼女が印象に残った。


 初めて黒田先輩に会った時は、無口で無愛想で、とても怖そうな人に思えたのだが、今は少し印象が変わった。


 よく憎まれ口を叩くところは変わらないが、親友を気遣ったり、さりげなくバンドのメンバーのことを気にかけたりしている彼女を知ったからだ。


 いつだったか、麻弥姉が黒田先輩を「優しい」と言ったことがあったが、その真意がわかった気がした。


 よく、人の印象は「第一印象で八割方が決まる」なんて言葉を聞くが、それも当てにはならないと思った。


 同時に、俺は彼氏らしいことを何一つ麻弥姉に対して、していないことに気づかされた。


 たまには、彼氏らしいことをしてやるか。

 そう思った俺は、翌日から自分の彼女にあげるプレゼントを探すことを心に誓った。

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