Stage.5 初ライヴ

 7月下旬のある日の放課後。俺たち四人のメンバーは、黒田先輩の家の前にいた。彼女にベースとして戻ってもらう為に、各々の楽器を持っていた。最もドラムの麻弥姉はスティックしか持っていないが。


 そこは高級住宅街として有名な田園調布の一角にある豪邸だった。そう、少なくとも俺はそう思っていたし、麻弥姉も金山さんもその大きさに圧倒されていた。


「改めて見ても凄い家ね」

 麻弥姉は黒田先輩の親友だから、来たことはあるらしいが、それでも驚いていた。


「ピアニストって儲かるんですね」

 と金山さんが大きな家を見上げながら呟く。

 だが、


「そうですか? 普通の家ですよねー」

 一人だけ次元の違う金持ちの白戸先輩は笑顔で平然としている。この反応を見る限り、彼女の家はもっと大きいということだろう。


 ああ、格差社会を感じる。

「じゃ、行くよ」

 麻弥姉がそう意を決して、インターホンを押す。


 しばらくして、綺麗な女性の声で、

「はい」

 と返事があった。

「あの、青柳麻弥です。沙織さんのクラスメイトの」

「あ、麻弥ちゃん。ちょっと待ってね」


 その後、出てきた女性は、年齢の割には若々しく、黒髪が美しい、細見で中年の女性だった。そう、ピアニストの黒田沙希だ。黒田先輩の母親に当たる。


「ごめんね、麻弥ちゃん。あの子、まだ帰ってないのよ」

「そうですか。では、待たせてもらってもいいですか?」

「いいわよ。どうぞ」

 ということで、家の中に案内されたのだが。


 内装も豪華で、家具や調度品も一流のものが使われていて、一目でわかる高級感が漂っていた。


 リビングに通された俺たちは、白戸先輩以外は緊張した面持ちで、高級そうなソファーに腰かけた。


 そんな俺たちに対し、黒田沙希さんは。

「でもよかったわ。麻弥ちゃん以外にもこんなに友達ができたのね。あの子、愛想がないから友達全然いないと思っていたわ」

 と言って微笑んだ。だが、俺はそもそも黒田先輩の「友達」ではないと思う。白戸先輩や金山さんにしても、そこは微妙なところだろう。


 沙希さんは、俺たちに一通り紅茶とお菓子を出した後、

「もう少しで帰ってくると思うから、悪いけど待っててね」

 と爽やかに言って、台所へと立ち去って行った。


「何だかちょっと緊張しますね。沙織先輩、戻ってきてくれるでしょうか?」

 白戸先輩の一言に対し、麻弥姉は、

「大丈夫。こうなったら、もうやるだけやってみようよ」

 と、妙に落ち着き払っていた。


 そのまま30分程度、経った頃だろうか。

「ただいま」

 素っ気ない声と共に、黒田先輩らしき人が、玄関に現れた気配があった。

 そして。


 リビングのドアを開けて、懐かしい顔が現れた。

 あの一件以来、親友の麻弥姉でさえ、彼女とは学校の教室以外では会っていなかったし、その二人も、ほとんど会話をしていなかったらしい。まして、俺をはじめ白戸先輩も金山さんも彼女とは全く会ってはいない。


 黒田先輩は俺たちの姿を一瞥すると、

「何の用だ? 私はバンドをやめると言ったはずだぞ」

 と相変わらず、無愛想に口を開いた。


「あのね、さおりん。あたしたち、あの後、必死に練習したんだ。だからさあ、とりあえず演奏を聴いて欲しいんだ。戻る、戻らないはそれを聴いてから決めて欲しいんだ」

 努めて明るい声でそう提案した麻弥姉だが、黒田先輩は頑なだった。


「無駄だな。この一か月、お前らが何をしていたのかは知らないが、たかが一か月で劇的に変化するとは思えない」

「さおりん……」


 麻弥姉が珍しく、寂しそうに俯いている。

 他の二人はそれに対して、口を開こうともしない。


 俺はそんな麻弥姉を見て、不憫に思えてきた。こういう彼女を見ているのは、俺としても辛い。もちろん、黒田先輩の発言に納得がいかなかったのもあるが。

 そして、俺は決意した。


 この女と、真正面からぶつかってみようと。なけなしの勇気を精一杯振り絞って、俺は思いきって口を開いた。

「黒田先輩。いい加減にして下さい」

 一か月前に彼女に言われた言葉をそのまま返してみた。


「何だと?」

 さすがに彼女も、不機嫌な声音を上げ、その吊り目で俺を睨みつける。


「あなたはピアノから逃げたと聞きました。本当はできるのに逃げた、と。そんな人にそんなことを言う資格はありません」

 突然の俺の発言に、周りの四人は面食らっていた。特に、麻弥姉は見たこともない驚愕の表情を貼りつけている。


「そんなこと、お前には関係ないだろ」

「関係あります。先輩に言われたように、俺は確かにギターに対して不真面目でした。でも、特訓して今は大好きになりました。ギターに対して真剣に向き合っているんです。聴いてもらうくらいはいいんじゃないですか。それでもダメだと言うなら、潔く諦めます」

「優也……」


 麻弥姉が珍しい物でも見るように、大きな目で俺を見つめていた。

 黒田先輩は小さく溜め息をつくと、

「……わかった。聴くだけは聴いてやる。ついて来い」

 ようやく決意してくれた。


 俺たちは黒田先輩の後に従って、リビングを出る。

「優也、やるじゃん。ちょっとだけ見直したよ」

 俺の右肩を強く叩き、麻弥姉が笑顔を見せる。正直、ちょっと照れ臭かったが、悪い気はしない。


 黒田先輩は一階から階段を降りた。地下室のようだ。そして、その地下室全体が小さなスタジオになっていた。


 10帖ほどの簡易スタジオには、グランドピアノが中央に置いてあり、その他にギターやベース、ドラムセットまで置いてある。

 さすがは有名ピアニスト。自宅に簡易スタジオを持っているとは思わなかった。


 黒田先輩に促されるまま、俺たちは各々の楽器を取り出して準備をする。麻弥姉は以前にも来たことがあるようで、ドラムセットがここにあるのも知っていたようだ。


 チューニングを終え、俺たちはパイプ椅子に腰かけて、こちらを睨むように見つめる黒田先輩の前で演奏を始めた。


 曲目は『AC/DCエーシー・ディーシー』の名曲『Highway To Hellハイウェイ・トゥ・ヘル』だ。日本では『地獄のハイウェイ』という名で知られている。


 実はこの曲は『AC/DC』が好きだという白戸先輩の意見を、麻弥姉が受け入れて、例のスタジオで密かに特訓をしていたものだ。


 俺は緊張しながらも、自分のできる精一杯の技術で、必死にギターパートを演奏し、リフを刻んでいった。


 特に、この曲はイントロにギターソロがあるから緊張したが、何とか失敗せずに一通り弾くことができた。


 他のメンバーも精一杯演奏しているようだった。普段、どちらかというと走りすぎな印象がある麻弥姉のドラムは正確で、且つ力強いリズムを刻んでいたし、キーボードの白戸先輩にも特にミスは見当たらなかった。ヴォーカルの金山さんもいつも以上に気合いの入ったハスキーボイスを張り上げている。


 元々、コーラスが入る曲ではあるが、今回は練習なので、バックコーラスは省いており、金山さんのメインヴォーカルだけの簡易仕様ではあるが。


 演奏の最後の締め、ドラムの音が鳴り響き、俺たちはそれぞれ俎上の魚のように、黒田先輩からの判定を待った。


 彼女は演奏途中からずっと目を閉じて、何やら考えているようだったが、しばらくして目を開け、

「……まあ、悪くはない」

 と、静かな声で言った。


「本当、さおりん! じゃあ戻ってきてくれる?」

 麻弥姉は飛び上がるような勢いで、ドラムセットのところから黒田先輩のところに駆け寄った。


「どうせ私がいないと、ベースできないだろ。不本意だが戻ってやる。ただし、またレベルが落ちるようなら、私は抜けるからな」

 この一言で、メンバーのみんなは一様に安堵の表情を浮かべ、麻弥姉は、

「もう素直じゃないんだから。このツンデレ!」

 とか言っているが、それをお前が言うか。自分だってツンデレのくせに。


 とにかくこれで黒田先輩が復帰することになり、事態は一件落着となった。

 スタジオから出ようとする俺に、黒田先輩から、

「お前にしてはまあ、がんばった方だ」

 と、いつものように素っ気なくだが言われたことが、俺には何よりも嬉しかった。



 黒田先輩が復帰し、メンバーが元通りに戻ったところで、間もなく夏休みに入った。


 だが、夏休み期間中ももちろん俺たちは練習していた。さすがに白戸先輩の好意に甘えてばかりはいられないので、屋上や部室が練習場所になった。


 幸い、夏休み期間中は屋上も静かだったし、うるさい軽音部もたまにしかいなかった。


 そんな折、一つの提案が黒田先輩から上がった。それは。

「オリジナル曲が欲しい」

 ということだった。


「でも、オリジナル曲って言ってもねえ。作詞も作曲も誰もできないんじゃないの?」

 麻弥姉の疑問に対し、

「作曲なら私ができる」

 と黒田先輩が自信のある声を上げた。


「あ、そうか。さすがピアニストの卵だね」

「茶化すな、麻弥。それより作詞はお前たち全員で考えろ。いい詞だったら、そのまま作ってやる」

 こういうところは、さすがに頼もしい。


 それからは全員で作詞を考えた。

 が、季節は真夏である。部室でクーラーをつけていても暑い。みんなで、ああでもない、こうでもないと考えるも、一向に意見は出ず、無駄に時が過ぎていく。


 そして、数日後。

「ああ、もうダメね。こう暑いと考えなんて浮かんでこないよ。大体、せっかくの夏休みなのに、何で部室に籠ってなくちゃいけないわけ」


 麻弥姉が、会長専用の椅子にふんぞり返り、下敷きで胸元に風を送りながら愚痴をこぼした。

「しょうがないだろ。それにどうせ別の場所で考えても暑いのは変わらん」


 黒田先輩の一言に、麻弥姉は難しい顔をしていたが、突然立ち上がって、

「そうだ! 合宿に行こう!」

 と、またいつもの思いつきを口にした。


「合宿って、どこに行くんですか?」

 唯一の二年、白戸先輩が口を開く。

「そうね。暑いから海、と言いたいけど、今は山の気分ね。それに海なんて行ったら、そこのスケベ男に水着見られるからイヤだし」

「誰がスケベ男だ!」

 などと、俺と麻弥姉がやりとりをしていると、


「では、うちの会社の合宿所を使いますか?」

 白戸電機の金持ち娘の一言に、麻弥姉は、

「え、マジ? でもなあ、スタジオの件でも凛ちゃんには甘えたから、さすがに申し訳ないなあ」

 と、意外にも殊勝な反応を見せる。


「そうですか。私は全然構いませんけど」

 白戸先輩はいつもの屈託のない笑顔でそう口にするも、

「うーん。やっぱ今回はいいや。ごめんね。ってことであんた」

 と麻弥姉は珍しく頑なに断る。と、思っていたら俺のところにとばっちりが来た。


「何だよ?」

「適当に合宿所、探してきて。ただし、首都圏に近くて、適度に山で、適度に涼しくて、あと駅からのアクセスがいいところね」


 つくづくワガママな女だが、断れば断ったで後が面倒臭い。

「……わかったよ」

 渋々ながらも頷くしかなかった。



 一週間後、俺たちはその合宿所に来ていた。

 東京からはさほど遠くもなく、山もある風光明媚な観光名所、箱根だった。ここなら温泉もあるし、練習後の疲れも癒せるだろう。


 合宿所は、俺がインターネットで探し、何とか見つけたものだった。箱根登山鉄道の強羅ごうら駅を降りて、少し歩いて早川を渡った先にそれはあった。


 一見すると、民宿のような古い建物だが、中には練習ができる音楽スタジオがあり、もちろん温泉もある。一番条件に合致していたのがここだった。


「へえ。あんたにしては、珍しくまともなところを見つけたのね」

 麻弥姉は着くなり、相変わらず一言多い。

 早速、中に入り、荷物を置いて、持ってきた各々の楽器をスタジオに運び込んだ。


 スタジオは宿の建物の離れにある10帖ほどのスペースで、入って右隅にはグランドピアノが置かれてあったし、ドラムセットも同じく左隅に一通り配備されていた。


 俺たちはとりあえず、『AC/DC』の『Highway To Hell』を一通り練習し、感覚を掴む。

 演奏後、麻弥姉は、


「うーん。ここなら涼しいし、いい考えが浮かぶかも。早速、考えよっか」

 と大きく伸びをしながら口を開いた。


「ここでか?」

「うん。音楽を考えるなら、楽器に囲まれた場所の方がいいからね。思いついたらすぐに音を試せるし」

「しょうがないな」


 俺たちはスタジオの中心で、輪になって向かい合い、互いの考えを出し合った。


 それから数時間後。すでに日が西に傾き、陽光が山の端に隠れようとする頃になって、ようやく試行錯誤の末に一つの歌詞が出来上がった。


 しかし。

「うーん。ダメね。この歌詞にはソウルを感じない」

 我らのリーダーはご不満のようだ。

「そうか? 疾走感に溢れてて、いいと思うんだけど」

 俺としては、それほど悪いものには感じない。


 が、

「ダメったら、ダメ! やっぱロックはソウルなんだよ。ソウルを感じない歌なんて、ロックじゃない!」

 無駄に熱くなって反論する麻弥姉。さっきからソウル、ソウルとうるさい奴だ。そんなにソウルが好きなら、韓国にでも行けばいい。


 などと俺が思っていると、

「じゃあ、聞くが麻弥はどうすればいいと思うんだ?」

 そろそろ呆れ気味になってきた黒田先輩の弁だ。


 麻弥姉は、

「うーん。そうねえ……」

 と、腕を組み、眉間に皺を寄せて考えていたが、突然何を思ったのか、

「そうだ! 英語よ、英語!」

 と叫び出した。


「英語、ですか?」

 白戸先輩はきょとんとして、目を丸くしている。

「そう、英語。ほら、あたしたちってみんな、洋楽好きじゃん。だから英語の歌詞、フレーズ、メロディに慣れ親しんでいる。この歌詞に感じた違和感はそれね」


「しかし、英語になっただけで、劇的に詞がよくなるとも思えないんだが。それに誰が英訳するんだ?」

 黒田先輩の意見も最もだ。俺も彼女と同じく、麻弥姉がただ思いつきで、英語にしたいと言っているようにも思えた。それにもちろん訳の問題もある。


 だが、

「あ、でしたら私が訳しますよ」

 今まで黙って話を聞いていた金山さんが、珍しく前面に出た。


 麻弥姉はそれを見て、ようやく思い出したようだ。

「あ、そっか。カナカナは帰国子女だったね。向こうに何年行ってたの?」

「5年です。エレメンタリースクールの途中から、ジュニアハイスクールの卒業までですね」


 それを耳にした麻弥姉は、お菓子を与えられた子供のように大袈裟に喜び、

「さすがカナカナ。じゃ、訳は任せたよ」

 と相変わらず、変わり身が早いというか、調子がいいというか。


「はい。わかりました」

 それから、俺たち全員で考えた日本語の歌詞を、全て英訳する作業が金山さんの手によって行われたのだが。


 彼女は慣れた手つきで、ものの10分ほどで、ルーズリーフに歌詞の英訳をまとめてしまった。何だかんだで帰国子女ってのは本当らしい。


「できました、先輩」

 麻弥姉はその英訳されたルーズリーフを感慨深く眺めていたが、

「すごいね、カナカナ。でも、これ歌えるの?」

 と最もな疑問をぶつける。


 が、金山さんはまるでそれが愚問とでも言うように、

「はい、大丈夫です。むしろ私は英語の歌の方が歌いやすいので、逆に助かります」


 と、自信満々に細い目をさらに細めて、笑顔を見せた。普段、どちらかというと目立たないが、この子はこの子でやっぱり凄い子だと、俺は改めて思うのだった。


 ちなみに歌のタイトルは『Rush Upラッシュ・アップ』。日本語では「駆け上がる」とか、そんな意味だ。


 ロックでソウルな歌がいいという麻弥姉の提案で、やたらと熱いフレーズの多い歌詞になっている。


 その後、黒田先輩が持ってきたノートパソコンによって、彼女はこの詞を元に作曲を始めた。


 彼女は性格的に「やる」と言ったら、何があろうと必ずやり遂げる人なので、翌朝にはもう完璧に仕上がっていた。


 で、早速音合わせを行うべく、俺たちは朝食後、帰路に出発するまでの短い時間、スタジオに入った。

「さおりん、大丈夫?」

 目の下にクマを作ったまま、スタジオに入ってきた黒田先輩に麻弥姉が声をかけた。

「ああ、平気だ」


 黒田先輩も真面目というか、一途というか、とにかく無理をしすぎる。徹夜をしたのは明らかだった。

 ともかく、俺たちはこのオリジナル曲の音合わせを始めた。


 この曲は前奏から激しいギターリフが入り、ヴォーカルも激しくシャウトするし、キャッチーなメロディだが、全体的に動きは激しい曲調に仕上がっていた。


 だが、何分、自分たちにとって初めて演奏する曲で、戸惑いも、慣れていない部分もあったから、途中で自分を含め、何人かが演奏を間違えたりしていたが、一通り通して演奏することはできた。


「うん、いいじゃない!」

 リーダーが大きく頷き、

「そうだな。思っていたより悪くはない」

 黒田先輩も、そして白戸先輩も金山さんも、

「私もいいと思いますよー」

「私もこれなら歌えます」

 と、それぞれ頷いた。


「俺もこれでいいと思う」

 全員の一致を得たこの曲が、この「ハードロック同好会」にとって、初のオリジナル曲となった。



 結局、一泊二日の短い合宿だったので、その後すぐに帰ることになり、この二日間はほとんど詞を考えていただけだった。


 その帰り道、電車の中で偶然隣に座った黒田先輩が俺に身を預けるように、身体を傾けてきた。


 長い髪から嗅いだことのないシャンプーの香りが、俺の鼻腔に漂ってきて、俺は少し心臓の鼓動が早くなっているのを感じていた。

 もちろん彼女は寝ていた。


 俺たちの為に、徹夜で作曲をしてくれたのだから当然だろう。

 普段はキツい性格の彼女だが、こうして穏やかな寝息を立てて、眠っている姿は十分可愛らしい年頃の女の子だった。


(ありがとうございます、黒田先輩。お疲れ様です)

 心の中で、俺は彼女に礼を言っていた。

 この二日間で、俺は一つのことに気づいた。


 人間は二つのパターンに大きく分けられる。

 一つは天性の才能があり、それをさらに努力して伸ばす「天才型」。もう一つは決して生まれつきの才能があるわけではないが、必死に努力して才能を開花させる「努力型」。


 俺の見る限り、前者は黒田先輩と金山さんだろう。

 黒田先輩はもちろん母親の英才教育もあるだろうが、元々音楽の才能を持っていたと思える節がある。彼女は絶対音感の持ち主でもある。


 金山さんは黒田先輩ほどではないが、それでも歌の才能にかけては天才的な部分がある。


 一方、俺や麻弥姉や白戸先輩は後者になるだろう。

 俺はもちろん、二人も陰で見えない努力をしているのは、演奏を通じて伝わってくる。

 こうして、夏合宿は終了した。



 8月に入った。俺たちが目指す学校祭の音楽コンテストは10月13日に開かれる予定なので、残り二か月を切った。


 俺たちは、残りの夏休み期間中も引き続き、部室で練習を重ねた。

 この頃は特に新しくできたオリジナル曲『Rush Up』の反復練習を繰り返していた。


 ギターの技術面に関しては、特訓の成果もあり、大分慣れてきた俺だったので、後はひたすら練習して、コードやメロディを体に覚えさせる必要があった。


 そんな8月中旬のある日。

 部室に行くと、珍しく麻弥姉だけがいなかった。

「あれ、麻弥姉は?」

「まだ来てない」

 黒田先輩の言葉は実に簡単明瞭だが、必要最低限な感じだ。


 などと思っていると、部室の出入口のドアが物凄い勢いで開き、麻弥姉がずかずかと入ってきた。


 右手に何らかのチラシを持っており、息を弾ませている。

「みんな、大ニュースだよ!」

 相変わらず、いちいち大袈裟な奴だ。


「何だ、何だ。騒々しい」

 注意する俺を無視し、彼女はその手に持ったチラシを全員に見えるように前に突き出し、

「これよ、これ!」

 そこにはこう書かれていた。


「夏祭り開催につき、イベントに参加していただけるメンバーを募集中」


 さらに細かい文字を順を追って確認していくと。


 どうやらこの「夏祭り」とは、俺や麻弥姉が住む東京郊外の街で8月31日に開かれるものらしい。


 で、その夜のイベントで「パフォーマンス」をしてくれるメンバーを募集しているという。

 何ともアバウトなものだ。


 そもそも何を持って「パフォーマンス」を指すのかわからない。単純に漫才や芸人を募集しているだけにも見える。


 だが、麻弥姉によれば、

「パフォーマンスって言うからにはバンド演奏だってOKでしょ? それに人数は10人までOKらしいから大丈夫!」


 という相変わらず大雑把な説明だった。どうやら先方に詳しい確認すらしていないらしい。彼女らしいといえば、彼女らしいが。


「こんな怪しいイベントに参加するのかよ」

 不服の声を上げる俺に、意外にも黒田先輩が、珍しく明るい声をかけてきた。


「いいじゃないか、赤坂。たとえどんなステージでも、ステージはステージだ。そこで精一杯演奏することに意味がある」

「さすが、さおりん。わかってる」

「初ライヴかー。楽しみですねー」

 白戸先輩もいつも以上に明るい声を上げる。

「私も思いっきり歌います」

 金山さんまで同意の声を上げる。


「わかったよ。じゃあ参加しよう」

 メンバーにここまで言われては、俺一人反対するのもおかしいから、俺は内心不本意ながらも頷いた。


 が、

「よし、じゃあ決定! あ、当日は衣装借りるからよろしくね。それと、優也には特別衣装を用意しとくからよろしく」

 そう言った麻弥姉の一言に、俺の「嫌な予感」がまた頭をもたげて来たのだった。



 そして、あっという間に8月31日がやって来た。


 俺たちは麻弥姉が指定した、近所にある大きな神社の入口にある大鳥居の前に午後6時に集まった。俺は何故か麻弥姉に「カミソリ」を持ってくるように言われていたので、ギター以外にカミソリを持ってきていた。


 演奏開始の時刻は大体午後7時半くらいらしいから、まだ一時間半もある。「らしい」と言うのは、例のパフォーマンスで他の参加者がどれくらい時間をかけるかわからないからだという。


 で、早速この神社の奥にある大きな社の近くにある「参加者控え室」と記入された札のついた小さな部屋の一つに入った。一応、参加グループごとに割り当てられているらしい。


 麻弥姉は先に衣装を受け取りにどこかに行っていたが、間もなくこの小さな楽屋に戻ってきた。


「お待たせ。これが衣装だよ」

 彼女が持ってきた「衣装」は、ひらひらのフリルのついたミニスカートに、丈の短いTシャツだけの丸きりアイドルみたいな衣装だった。それが赤、青、黒、白、黄と五色ある。


「こ、これを着るのか?」

 目を丸くする黒田先輩。まあ、彼女はこういうのをまず着ないだろうしな。ただでさえ男っぽい人だし。


 一方、反対に目を輝かせていたのは、白戸先輩と金山さんだった。


「かわいい!」

「かわいですね!」

 二人とも同じことを口走っている。


 が、俺はある重大なことに気づいた。五着ある。いや、むしろ五着しかない。

「私は絶対こんなの着ないぞ」

「まあまあ、さおりん」

 麻弥姉と黒田先輩のやりとりに割って入った。


「麻弥姉。俺のは?」

 すると、彼女はその猫のような口元に薄ら笑いを浮かべ、

「言ったでしょ。あんたには特別衣装があるって」

 と、言って五着のうちの一つ、赤い衣装を指で示した。


「な、何を言っている?」

「まだわかんないの。つまり、あんたには女装をして、ステージに立ってもらうってわけ」


 ……えっ。今、とんでもなく恐ろしいことを聞いたような。

「冗談だろ?」


 麻弥姉は、明らかに楽しんでいるように、ニヤニヤしながら、

「冗談? 何のこと? そもそも衣装はこれしか借りられなかったの。あと、カミソリ持ってきてるでしょ。それで髭とスネ毛を剃って。化粧はあたしたちで何とかするから」

 とおぞましいことを言ってきた。


 つまり、こいつは最初からそのつもりだったわけだ。俺は完全にハメられた。


 気がつくと、何だかんだでもう演奏までの時間はそんなに残っていなかった。チューニングをすることを考えると、ここで躊躇していても始まらない。


「……クソッ! わかったよ。ただし、俺はもう二度とやらないぞ、こんなこと」

「わかってるって。じゃ、まずはあたしたちが着替えるから」

 というわけで、俺は控え室を追い出された。


 中から響く女性陣四人の甲高くはしゃぐ声を聞きながら、俺は神に祈っていた。


「どうか、知り合いが見ていませんように」

 と。

 しばらくして、控え室のドアが内側から開かれた。


 そこにいたのはそれぞれ苗字の一字の色に呼応するように青、黒、白、黄色のアイドル衣装に身を包んだ四人だった。即ち、麻弥姉は青、黒田先輩は黒、白戸先輩は白、金山さんは黄色だ。


「おお」

 普段は、どちらかというと男みたいな連中ばかりだから、驚愕の声を上げ、まじまじと四人を見ていると、

「何じろじろ見てんのよ、バカ」

「変態」

「もう、赤坂くんったら」

「見ないで……」


 四人ともそれぞれ違った一言をぶつけてきた。どうでもいいが、黒田先輩の「変態」と金山さんの「見ないで……」は酷いと思う。


「じゃあ、次はあんたの番ね。ほら、さっさと入る入る」

 麻弥姉に強引に背中を押され、俺は控え室に入る。


 こうなったらもう覚悟するしかない。

 俺は一通り服を脱ぎ、例の真紅の衣装に身を包んだわけだが。


 サイズは不思議と合っていたが、上はともかく、下が気になって仕方がない。何しろフリフリのミニスカートだ。女の子はよくこんなスースーするものを着ていられるな、と感心する。


 いや、その前に下着がトランクスだし、胸だってない。これじゃ、ただの女装変態男だ。警察に見つかったら間違いなく捕まる。

「はあ。しかも何で赤だよ。一番目立つじゃないか……」


 一人愚痴をこぼしながらも、ドアを開けると。

 麻弥姉が厳しい表情でこっちを睨みつけていた。


「ちょっと、あんた。髭とスネ毛剃れって言ったでしょ?」

「ごめん。忘れてた。あと、下着ないの? さすがにこのトランクスじゃ……」


 そう言うと麻弥姉は不敵な笑みを浮かべ、

「どうせそう言うと思って、コンビニで買っておいたから。ほら、さっさとコレ履いて、髭とスネ毛も剃る。あと、終わったら必ず下着捨ててよね。気持ち悪いから」


 と、俺の手に女性用の下着、つまり純白のショーツを手渡した。

 もう滅茶苦茶だ。


 俺が観念して、もう一度控え室に入り、ショーツを履き、髭とスネ毛を剃り終えて、外に出ると。

「じゃあ、後は化粧ね」

 という麻弥姉の合図と共に、一斉に四人が俺を取り囲んで、控え室に連行し、化粧を始めた。


 こういう時、女の子は活き活きとしている。それぞれ自前の化粧品で、俺の顔をいじくり回し、最後に胸パットを入れ、金色のウィッグを頭に被せられた。


「おお」

 今度は逆に女性陣から感嘆の声が上がった。俺は今の自分がどういう顔しているかもわからない。


「悔しいけど、こいつかわいい……」

「ああ。女としては複雑だな」

「赤坂くん。かわいいですよー」

「かわいい……」


 麻弥姉、黒田先輩、白戸先輩、金山さんの四人がそれぞれ口に出す。


「はあ。みんなしてからかって」

 と俺は嘆息するが、

「そんなことないって。ほら、見てみなよ」

 麻弥姉に渡された手鏡に映った自分の姿を見てみると。


 確かに、決して美少女とは言えないが、それなりに女には見えるようだった。少なくとも知らない人が見ても、男とは思わないだろう。もちろん、だからと言って嬉しくもないが。


 まあ、少なくともこれで男だと思われなければ、俺としては助かるが。

 その後、俺の女装姿を携帯電話のカメラで撮ろうとする麻弥姉を必死に押し止め、チューニングを終えると、


「ハードロック同好会さん。そろそろ準備して下さい」

 祭りのスタッフから声がかかった。


 仕方がないので、各々楽器の準備を始める。

 しかし、こんなアイドルみたいな格好で、これからバリバリのロックを演奏するなんて、変な気分だ。


 ちなみに今日の持ち歌は二曲。

 一曲目は、最近よく練習していた『AC/DC』の『Highway To Hell』。この曲は『AC/DC』が好きという白戸先輩のリクエストに麻弥姉が応えたのだ。


 二曲目は、我がハードロック同好会初のオリジナル曲『Rush Up』だ。ステージの袖で出番を待っていると、前の出演の漫才師がそろそろ切り上げようとしているのがわかった。


 そこで、俺は麻弥姉に声をかけた。

「リーダー。初ライヴを前に一言よろしく」

「えっ、あたし?」

「お前以外にリーダーがいるか?」

「でも、何かリーダーって言われるのは、照れるなあ」


 そんな柄か。そもそもハードロック同好会の会長だから、リーダーでも間違いじゃない。


「じゃあ、少しだけ。本当はこんなアイドルみたいな衣装じゃなくて、ロックっぽいのがよかったんだけどね。祭りのスタッフに聞いたら、時間もなくて、コレしかないって言われたんだ。みんな、ごめん。でも、全然楽器ができなかったあたしたちにとって、これが初の晴れ舞台だから、精一杯がんばろう」


 そう、何だかんだ言っても、リーダーっぽいことは口に出している麻弥姉だった。

 メンバーは俺も含め、一様に頷く。


 そして、ついに。

「ありがとうございました。では、次の方どうそ」

 ステージから声がかかり、俺たちは各々の楽器を持って、ステージに上がる。


 そして、檀上から客席を見て唖然とした。

 客が少ないのだ。圧倒的に。


 それも当然と言えば当然で、所詮は東京と言っても郊外の、つまり地方の小さな街の夏祭りに過ぎない。そんなに人も集まらない。


 その上、さらに客層が年配のおじさんたちが多く、若者の姿はほとんどいなかった。

 そのことにショックを受けた俺だったし、さらに言うと、酒を飲んですっかり出来上がった中年のおじさんの一人から、


「姉ちゃん、脱げー」

 などと下品な野次が飛んでくる。


 だが、ドラムセットを整え終えた麻弥姉は、マイクの前に立って、唖然としている金山さんに代わってマイクを手に取って、毅然とした態度で言い放った。


 元々は金山さんがMCをする予定だったが、立ち尽くして言葉を失っている彼女に気づいたんだろう。


「こんばんは。東帝音大付属高ハードロック同好会です。あたしたちは、まだバンドを結成して半年ほどですが、ここまでがんばって練習してきました。今日はこの暑さを吹き飛ばすくらい、精一杯演奏します。よろしくお願いします」


 金山さんにマイクを返し、ドラムセットの前に座る麻弥姉。こういうところはやはりリーダーらしい気概を持っていると思う。


 そして、いよいよ一曲目の演奏が始まった。


 『AC/DC』の『Highway To Hell』だ。

 『AC/DC』はオーストラリア出身のハードロックバンドで、この通称『地獄のハイウェイ』とも呼ばれる名曲は1979年に生まれたという。


 イントロのギターのソロに始まり、徐々にヴォーカルの声が曲を盛り上げていく。そして、サビの「Highway To Hell」のところで、ヴォルテージが最大に達する。


 曲としては、どちらかというと王道的な作りながら、非常に疾走感のあるナンバーだ。

 中盤以降は特にギターの演奏が目立つ。


 俺は、自分がとても恥ずかしい格好をしているのも忘れ、演奏に集中していた。

 そして、無事に演奏を終えて客席に目を移すと、そこでは意外なことが起こっていた。

 客が増えていたのだ。それもかなり。


 その客席からは大きな拍手と共に、

「懐かしい!」

「俺、この曲知ってるよー!」


 などと、今度は喜びの声が溢れていた。

 そう。1979年というかなり古い年代の名曲ゆえに、かえって中年以降の年配の客層の心を掴んだのだ。


 しかも、こんなアイドルみたいな格好をして、バリバリのハードロックを演奏するとは誰も予想していなかったのだろう。


 若者、女性、子供たちまで集まって、ステージの周りは大きな拍手に包まれていた。

 俺たちはそれぞれの顔を見て、自然と笑顔になった。


 続いて、いよいよ俺たちのオリジナル曲が、世に初めて出ることになる。


「ありがとうございました。次は私たちのオリジナルの曲です。聴いて下さい。『Rush Up』」

 ようやく気を取り直したヴォーカルの金山さんの合図で、会場が再び静まり返り、代わって俺のギターリフが始まる。


 『Rush Up』は、前奏から激しいギターリフが入る。それに合わせるようにヴォーカルが激しくシャウトし、ドラムが爆音を響かせる。


 特に、サビからはギターとドラムの音が重なり合うように、激しく鳴り響くのが特徴で、キャッチーなメロディと相まって、会場はちょっとした興奮に包まれているのがわかった。


 徐々に人が増えてきて、演奏途中から会場は一杯になり、本来ならこんな大勢の人の前で演奏したことのない俺は、緊張で固まってしまうところだったが、不思議とそうした緊張感は感じなかった。


 むしろ心地よい高揚感に包まれていた。人前で演奏することがこんなにも楽しいことだとは知らなかった。野外の蒸し暑さも気にならないほどだった。


 もう、恥ずかしいとか、知り合いに会いたくないという気持ちよりも、演奏している楽しさの方が勝っていた。


 これがまさに音楽が人を惹きつける力なのだろう。

 演奏が終わると、会場からは先程よりさらに大きな拍手が降ってきた。


 さらに、

「いいぞー、姉ちゃんたち!」

 とか、

「ギターの赤い服の姉ちゃん、かわいい!」

 とか、最初にステージに立った時とは、明らかに異なる賞賛の声が上がった。


 どうでもいいが、男に、それも中年のおっさんに「かわいい」と言われても嬉しくない。むしろぞっとする。


 今回のステージは時間が限られており、俺たちはアンコールを受けることなく、そのまま挨拶をして、ステージから降りた。


 結果として、この日のステージは俺たちの度胸試しにも、また本番前のいいリハーサルにもなり、一定の成功を収めた。


 だが、俺はこの時、一つの事を心に決めていた。

(見てろよ、麻弥姉)


 こんな恥ずかしい格好をさせて、俺に恥をかかせてくれた麻弥姉に絶対に復讐することを。


 結果として、その俺の復讐心が、学校祭でいい方向に働くとはもちろんこの時は予想もしていなかった。


 ちなみに、もちろん麻弥姉から渡された下着は捨てた。二度と、女装なんてしたくなかったし、警察に捕まるのもごめんだからな。

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