第16話 ただいま人間界

リムさんを介抱しようと近づくと、明の隙をついて飛んできたフェイズさんが、リムさんを両手で抱え、俺の襟を口でくわえて、そのまま凄い速さで飛び立った。


どうやら、このまま俺とリムさんを連れて逃げるつもりらしい。


「待てーーーーー!!鈴木を置いてってっ!!」

「明ーーーー!!彼女達は敵じゃないんだ!!」


ズギューーーーーーーン!!

ドガーーーーーン!!!


角を失って泣き崩れていたユニコーンが、俺の左側をかすめていった。

ペガサスにでも転生したかのような飛びっぷりだったが、派手に壁に突き刺さる。

明に投げられたんだろう。

リムさんの次に不運な馬だ。。


フェイズさんと明の距離が徐々に詰まってきた。

俺とリムさんの重量分、フェイズさんの速度が落ちているからだ。


「はぁはぁ!!ぜぇぜぇ!」

「はぁはぁ!!その翼!むしり取ってやるっ!!」


ポタッポタッポタッ!


フェイズさんは汗だくで、リムさんを守るために気力で飛んでいる。

どっちが悪魔だか勇者だかわからないな。


「キャッ!!フェイズ!何事なの!?」

「いいがら!!はぁはぁ!リムは!ぜぇぜぇ!白目してなさい!!」

「白目なんてできないわよ!!」


翼を奪おうとする勇者から、気力を振り絞って逃げている最中でも、彼女達の会話の内容は変わらない。これはフェイズさんの異常な精神力の強さがそうさせるのだろう。


「ヒャッラララララララ!!クソッたれがっ!!うちの女王の勝ちだっっ!!」


明の手がフェイズさんの足に届く瞬間、キャシーが現れて暗闇のように黒いマントを空中で広げた。


そのマントに触れた瞬間思い出した。

この重力のように強い引力は、下駄箱を通って魔界に連れてこられた時の感覚と同じだ。

だが、冷たく暗い空気は、お酢を発酵させたような異臭に満ちている。


「やっぱり…フェイズの下駄箱…お酢臭い…」

「臭いって言った方が臭いのよ。はぁはぁ…」


異臭を抜けると、一筋の光が見えた。

飛んで火に入る夏の虫のように、その一点の光を目指して体が引き寄せられる。


「なんか汗臭くない?」

「フェイズでしょ…?」

「私じゃないわよっ!!」


その光に近づくにつれて、汗の臭いは濃くなる。

まさか…この身に覚えのある臭いは…


暗闇を抜けて光に包まれると、すぐに暗闇でもなく白い光でもない。

色合いのある世界に放出される。


ズドーーーーーーーン!!!


嫌な予感は的中した。

俺の下駄箱から、吹き飛ばされるように全員放出され、向かい側の下駄箱にぶつかる。


春の乾燥した空気はドライアイの俺には辛いが、ほのかに暖かい空気、風に揺らめく樹々、星の光る空、住み慣れたはずの人間界が、凄く優しく、心地良い場所に思えた。



「こ、ここが人間界?…はぁ」

「うん。フェイズさん。ここは人間界だよ。」

「はぁはぁ…なら、よかった…」


バタン!!


目的地について、張り詰めていた糸が切れたかのように、フェイズさんは学校の昇降口で倒れた。


「フェイズ!?どうしたの!?」


リムさんが慌ててフェイズさんを抱き起こすが応答はない。


「すーぴーすーぴー」

「ヒャッララララ!!これが世界一可愛い寝顔だぜ!」

「フェイズったら、無防備なんだから〜」

「アンタには言われたくないと思うぜ!?」


どうやら、フェイズさんは目的地につき、安心して眠ってしまったらしい。

明との戦闘は、過酷な魔界を生きる悪魔の女王でも、疲労困憊するほど激しかった。


そういえば、明はどうなったんだ!?

もしかしたら、暗い魔界で一人佇んでいるのだろうか…


「鈴木臭いな〜〜」


後ろで、脳みそをまるで使っていない人の声がした。


「今度足の洗い方教えてあげるよっ!」


振り返ると満面の笑みで、俺に近づいてくる明がいた。


「そういうのは、人間に成り立ての人魚にでも教えてやれ。」

「魚の目できてそうだから嫌だっ!足の臭い凡人の方が助けてあげたいっ!!」

「ははっ」


悪魔から無事に俺を取り戻せたことが嬉しいのか、明は俺の両腕の袖を掴み、楽しげに左右に振りながら話している。

こいつの楽しげな笑顔につられて俺も少し笑ってしまう。


「一緒に帰ろっ!」

「え!?お、おう。」


明は俺の回収という目的を果たしたので、悪魔にも魔王にも敵意を示さない。

というより、眼中に入っていないようだ。

落ちていた俺のカバンと自分のカバンを両手で持ち、頭で俺の背中をゴリゴリと押しながら、学校から出ようとする。


「ちょっ!ちょっと!待って!!鈴木を連れてかないで!」

「お、おい、、リムちゃんよー、相手がわりーぜ…」

「だ、だって、鈴木を取られたらフェイズが困るもの!!」

「リムちゃん…そこまで女王のことを…」


唯一の友人の為に、この世で一番恐い勇者に立ち向かう臆病な魔王は、震える漆黒の翼を大きく広げ、周りの下駄箱を吹っ飛ばした。


「あ!そうだった!…せっかく忘れてたのに…アナタお馬鹿ね。」


ズカン!ズカン!


ドミノのように下駄箱が倒れる中、ゆっくりと振り返る明は、既に焼き付けるような灼熱のプレッシャーを放っていた。


「はぁはぁ…私はやってやるわ…フェイズ見ていて!!」

「いや、リムちゃん。女王は爆睡してるぜ?」

「すーぴーすーぴー」


リムさんは右手を明に向かって上げる。

半分凝血した血の色をした赤黒い瞳が、新鮮な真っ赤な血の色に変わり、上げた右手に禍々しい黒い風が取り巻く。


「私は誰かを傷つけるなんてことしたくない。でも、フェイズの為なら、私はどこまでも残虐な魔王になれるわ。」

「私も鈴木の為なら、負けるはずがないんだよっ!」


バリン!バリン!!


魔界のように凍てついた殺気を放つリムさんと、灼熱の殺気を放つ明の寒暖差により、周囲のガラスが割れ始めた。


ズガーーーーン!!!


空間が割れたかのような音が鳴り響き、勇者と魔王の戦いが始まった。


…かのように思ったが、昇降口は静寂に包まれていた。


「はぁ…これだからウチの女王が、ほっとけないんだよな~…」

「あっははは!」

「…リムさん。」


静寂を破ったのはキャシーのぼやきと明の笑い声だった。

キャシーの前には下駄箱の下敷きになり、白目をむくリムさんの姿。

先ほどリムさんが翼で倒した下駄箱は、ドミノのように倒れていき、何故かリムさんの後ろの下駄箱が倒れたのだ。


「あっ!鈴木お腹すいたっ!牛丼食べ行こっ!」


先程まで灼熱の殺気を放っていた明は、何事もなかったかのように、俺の手を掴んで笑っている。


世界が変わっても、不運と馬鹿は治らないらしい。

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