誰か来た

河童

自己の所有権あるいはそれ自体の所在に関する考察

 引っ越して半年がたつ頃には、この家も案外住み心地のいいものになっていた。山がちな土地で人は少ないが、むしろそのほうが俺には合っていた。人と顔を合わせるのが嫌で、近所付き合いが自然と増える場所よりもこんな田舎のほうが安心する。もちろんそれだけじゃなくて、例えば二階の窓から見える広大なレタス畑はみずみずしい空気を運んでくる。それに、ベランダから見える星空なんて最高だ。


 もし最近の生活の中で不満だと思うところを挙げるとするなら、少し退屈だということくらいか。一人暮らしで友達もいないし、今やっている王道RPGも二周目だ。同じような時間に起きて、同じようなものを着て、同じようなものを食べて、同じような時間に寝る。前に買ったプラモも作り終えたところだし……最近覚えた男の趣味も一通り済んでしまった。家を出る必要のない遊びなんて少ししかないわりに、俺はそれに釣り合わないたくさんの時間を持っている。前の仕事の稼ぎがよかったから、まだ当分はこうして遊んで暮らせるのだけど……そろそろ仕事しないといけないかもしれない。そうは言っても、俺は仕事するのがあんまり好きじゃないし……。


「ガタッ」

 変な音がした。玄関のほうだ。俺は嫌な予感がして、いつも横に置いてあったかばんを手にする。


「おい、お前は裏回れ! 人がいないか確認しろ!」

 仕事柄か耳のいい俺は彼らの声と気配をいち早く察知した。男が二人、さっき指示を出した男が玄関の前で、もう一人は……足音が聞こえる、庭から裏口に向かっている。


 空き巣だ、間違いない。さっきから部屋の電気をつけないまま静かにゲームをしていたものだから人がいないと勘違いされたのだ。


 まずいことになった、玄関のカギは壊れているからチェーンはしてあるけど……ガラスを割って入られるかもしれない。もし奴らと鉢合わせしたら一対二だ。居直り強盗なんてこともあり得る。奴らに見つかるのはなんとしてでも避けなければならない。


「早くしろって、ここを割れば入れる!」

「人は……いないようだな」

「大丈夫だろ、ここの住人は夏まで帰ってこないはずだ」

 俺はとっさの判断で一階のトイレに駆け込んだ。本当はすぐにでもここから出たかったが、今すぐ飛び出すにはリスクが高すぎると思った。外は二人に囲まれているだけではなく、三人目の見張りがいる可能性も脳裏をよぎった。


「ガシャン」

 何かが派手に割れた音がした。ガラス窓を割って部屋に入ろうとしているようだ。すぐに足音が聞こえる。


 この地域は夏でも比較的涼しい気候であるため、周辺にはいくつか世間でいう別荘が建てられている。つまり今日みたいな、少し肌寒い四月中旬の昼間は別荘狙いの空き巣にとっては都合のいいタイミングなのだろう。そんなことを考えながら、俺はトイレのドアをしめ切って息を殺していた。


「その棚は?」

「さっき見た、何もなかったがな」

 どうやら金になりそうなものを物色しているようだが、その点は大丈夫だろう。大事なものはこのかばんの中に入っている。それよりも問題なのは、ここにずっと隠れていていいのかということだ。奴らがこのドアを開けようものなら、鍵をかけていたとしても危ない。もし奴らがこのトイレの中にいる人間に顔を見られたなんて勘違いしたら、無理やりにでもこのドアを開けて口封じされるなんてこともあり得る。無言で鍵をかけるのは危険だ。


 となると、脱出すべきか? しかし、……二人が今ちょうど一階にいるのだからそれも危ない。どうする?

「俺は二階に行く。もう何も出なかったら、車に戻れ。アイツが待っている」

 そう考えていると、俺にとって都合のいい会話が聞こえた。階段を上る音が聞こえる。


「くっそ、なんにもねーぞ」

 もう一人の男の声だ。こっちに近い。ダイニングにあるものを物色しているのか?


「こっちは……」

 男の足音がさらに近くなる。これはもうやるしかない、ドアが開いた瞬間にこれを食らわせてやる。

 俺はカバンから取り出したスタンガンを握りしめた。護身用に買っておいたものだが、まだ一度も使ったことはない。二階に上がった男に気づかれないようにやることを考えると、握る力が自然と強くなる。本当にいけるのか?


「ガタッ」

 勝負は早かった。空いたドアの向こうにすかさずこれを押し込むと、強烈な電撃が男をすぐに気絶させた。すぐに男は倒れ込み、気を失った。おそらく、顔は見られていない。


 男が倒れる音を不審に思うか心配だったが、二階の男は反応しない。まだ金目の物がないかあさっているようだ。

 これをどうしようものか? すぐここから出ようとも思ったが、さっきの「アイツが待っている」という言葉が引っ掛かった。やはり、見張りがいるのか? そうであれば、この家から出たとしても今度はその見張りに追われるかもしれない。


 仰向けの男を見た。帽子を深めにかぶって、一般的なマスクをしている。それらに顔の大部分を覆われていて、近づいてもどんな顔をしているのかよく分からない。それから俺が言うのもなんだが、こんな危ない仕事をしている割には小柄だ。身長は165cmといったところか……。これくらいなら……いけるか?


 ちょっとした思いつきで、俺は男の着ていたジャケットを拝借して袖を通してみた。こいつの帽子と、それからマスクも付ければ……下は俺がいつも着ている同じようなジーンズをはいているから、悪くないのではないだろうか? 身長が少し心配だが、遠目にはこの男に見えなくもないだろうか?


 気を失った男をトイレの中まで引きずった。それが終わると、二階の足音に十分気を付けながら、すかさず外に出た。


 この家から少し離れて、見慣れない車が一台停まっていた。もし仲間がいるとするのなら、あの中だろう。

 俺は素知らぬ顔をして、車とは反対方向に歩いて行った。車は……追ってこない!


 頃合いを見計らって俺は走った。十分に大丈夫だと思えるくらいまで走った。

 走りながら、俺はもうあの家に帰ることはできないだろうと思った。








 すぐに流れていく景色を何をするでもなく眺めている、午後一時過ぎ。列車の中は俺一人で、とっくに冷えたのり弁を膝に置いたまま。いつものハーブティーは買わなかった。何となく食欲がなくて、ただぼーっと新緑と散り際の桜色を目で追っていた。桜もそろそろ終わりか。


 昨日はひどい目に遭った。窓ガラスは割られて、部屋の中を荒らされた。特に取られたものはなかったが、もし奴らと顔を合わせてしまっていたとしたら今頃どうなっていたか。


 そう、俺は家主だと殺されていたかもしれない。

 あれは俺の家ではないのだ。


 半年前、俺も昨日の奴らと同じように別荘狙いで家を探していた。時期は十月で、前に住んでいた避寒地の別荘に家主が帰る頃合いだったから、あわよくば避暑地の別荘に移ってしまおうと思った。暑い場所から寒い場所まであって、家のセキュリティも甘い、日本は俺みたいな暮らしをする人間にとっては都合のいい国だ。空き巣を生業とする俺にとって、セキュリティが鍵だけしかない無人の別荘なんて、俺の家みたいなものだった。


 それだけに、昨日の出来事は本当に運が悪かった。仕事柄耳のいい俺は、奴らの侵入にはいち早く気付けたし、何が起きてもすぐに出られるようにカバンに荷物をまとめていたから素早く逃げることができた。仕事で使うかもしれないと思って持っていたスタンガンがまさか仕事以外で役に立つとは思わなかった。それでも、窓を割られてしまった。昨日の下手な空き巣どもが目撃者を作ったかもしれない。そんなひどい状況を作ってしまった以上、あの家にはもういられない。


 そんなわけで、田舎の列車に乗って次の家の候補地に向かっている。前から調べはついていた場所だから、すぐに終わるだろうと考えている。今思うと、ちょうどいい機会だったのかもしれない。二か月もすれば、そろそろあの家にも家主が戻ってくる時期だろうから、早めに仕事を済ませるだけだと思えば、なんということはないのだ。


 列車はやがてトンネルに入っていく。四月の陽気が遮られて、ガタゴトという音だけが響く。視線を上にやると、車内上方の広告には「恐怖、再来」の文字。どうやらホラー映画の広告で、文字の横には暗い色を背景に化け物の画像が用意されている。


 化け物か……。

 俺は化け物なのかもしれない。昨日の一件は男の身に着けているものを盗んで、男に成りすますことで……化け物的に言うとすれば、あの男に擬態して車にいた奴を欺いた。


 しかし、それ自体は日ごろからやっていたことだ。いつもいつも、その家の持ち主であるかのような顔をして生活をしていた。そしてそれは、とうとう自分をも欺いているのではないかと思うのだ。その証拠に、昨日の男から奪ったジャケットも、帽子も、マスクすらも昨日からずっと身に着け続けている。


 もうずっと前から、俺自身が壊れていたのだ。あの家に住み着いた半年前から……いや、もっと前から自分というものを見失っている。ゲームをして、プラモデルを作り始めたのはいつだったか? 同じような服ばかり着るようになったのはいつだったか? 最後に自分のことを「私」と呼んだのはいつだったか?


 俺は最後に自分がを自覚したのはいつだっただろうか?


 この生活を始めてすぐに髪は伸ばさなくなった。だから、昨日は小柄な男のふりをして逃げることができた。ただ、顔が隠せるとはいっても、あの男と比べても俺は背が低いのだからそこだけが不安だった。


 自分を失っているからだろうか、この服を着ていると自分があの男になれたような気がして、はっきりとした自分というものをきちんと所有しているような気がして安心するのだ。化け物は何にでも化けられるから――どこの家の住人にも化けられるから、もはや自分が何であったかを忘れてしまう。


 ああ、分かっている。分かっているのにジャケットは脱ぎたくない。

 男に擬態して満足している俺は、やはり化け物なのだろう。


 トンネルに入る前の桜を思い出した。散りかけの桜……新緑と、あの桜色……。


 このトンネルを抜けるのは、いつだろうか? もう一度、あれが見たい。

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