野々村 その2

「やられちゃったね、お兄さん」


 あまりの出来事に茫然自失ぼうぜんじしつしていた野々村を、幼い声が現実に引き戻した。

 見ると、小学生高学年くらいの男の子が好奇心に満ちた目でこちらを見ている。


「上街の人には逆らわない方がいいよ。命が惜しかったらね」

「何だ、今の俺にはガキに構ってる暇はないぞ」


 今はとにかく自転車を探さなければ。

 野々村は服に付いた汚れを払いながら立ち上がる。

 しかし、一歩目をどこに踏み出したものか、まるで当てがない。


「何してるの?」


 していると、またあの男の子が語り掛けてきた。


「自転車を探してんだよ。さっきの女と言い争っているうちに、誰かにパクられた」

「ああ、あれお兄ちゃんの自転車だったんだ」


 今度の男の子の言葉には、野々村は飛び付くように超反応を示した。


「見たのか!? 俺の自転車」

「うん。帝辺の生徒が乗っていくのをね」

「帝辺?」


 男の子は説明する。


「帝辺学院。早い話がお坊ちゃま・お嬢様学校だよ」

「そりゃまた……あまり関わり合いになりたくねえ連中だな」


 野々村の心に嫌なものが沸き上がってきたが、自転車を取り返すためにはそうも言っていられない。


「その帝辺ってのはどこにあるんだ?」

「上街」

「上街……って何だ、地名か?」


 男の子は首を横に振る。


「地名じゃないけど、まあ大よその地域の特徴みたいな。繁華街とか歓楽街とかの仲間。ちなみにここは下街」

「ああ、お前最初に言ってたよな、『上街の人には逆らわない方がいい』とか何とか」


 野々村は周囲を見渡す。

 建物や服飾、食事。どれもこれも余りにみすぼらしいものばかりだ。

 あの黒塗りの車や女性が着ていたスーツとは雲泥の差である。


「で、ここが下街。なるほど大体把握した」


 野々村の中でとっととこの街からおさらばしたい気持ちが否応なく高まっていく。

 もし首尾よく帝辺とやら生徒を捕まえたとして、すんなり自転車が返ってくるかどうか怪しいものだ。

 野々村が頭を抱えていると、男の子は突然裏声で話し出した。


「上街では様々な苦難がお兄ちゃんを待ち受けるだろう」

「みたいだな」

「そこでお兄ちゃん。この僕がお兄ちゃんに協力してあげよう」

「どうした急に」


 ありがたいはありがたいが……どうにも胡散うさん臭いと野々村は思った。

 いや、果たして本当にありがたいのか?

 しばし迷ったものの、土地勘がない野々村には地元民の協力はやはりありがたいことだろう。

 特に断る理由も持ち合わせていない。


「…………じゃあ、まあよろしく頼む」

「うん。僕のことはシュンと呼んで。お兄ちゃんは?」

「俺は野々村」

「分かったよ、お兄ちゃん」

「意味ねえ」


 シュンの案内に従い、野々村は上街を目指した。

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