別府 その1

「暇ですね~」


 別府べっぷ総合病院勤務の看護師――鈴奈すずなは大きく伸びをした。

 ナースステーションから見る限り、病院内は閑散かんさんとしており、待合室には一人の患者もいない。


「キリサキマのせいで皆さんお引きこもりですかね。まあ、今の上街で働いているのなんて警察と政治家くらいですからね」


 そう言って、鈴奈は目前の男をうかがう。


「ね、先生?」


 問われた男は椅子の背もたれを限界まで後ろに倒しており、今にも頭頂部が床に接してしまいそうだった。

 男の名は別府。この病院の院長である。


「って、先生。またそんな体勢……色々体に良くないですよ」


 鈴奈は別府の後ろに回り込み、彼を正常の体勢に戻す。 


「大丈夫ですか?」

「ああ、大丈夫大丈夫。心配いらないさ。いつも通りだから」

「確かにいつも通りではありますけど」


 医者でありながら今にも死にそうな別府の顔を見て、心配するなという方が難しい。

 半覚醒のような胡乱うろんな目で別府は言う。


「警察と政治家か……もう一つ働いているところがあるよ、鈴奈ちゃん」

「どこですか? 後はまあ、うちの病院も働いているといえば働いていますけど」


 それでも既存の入院患者の治療以外はほとんど何もしていない。

 それも別府と鈴奈の二人で何とかなる仕事量である。

 他の職員はと言えば『こんなときに外出なんてしていられるか、俺は家に引きこもらせてもらう』と、街ぐるみの死亡フラグの一端となっている。


「違うね。うちじゃあないよ」

「そりゃ先生と二人きりなのは嬉しいですけど、仕事は仕事としてけじめはつけているつもりですよ、私は。

 ちゃんと先生って呼んでますし。いや、どうしてもっていうなら少しなら構わないですけど。仕事にならないほどってのは」

「うん。たまに君は意味の分からないことを言うな。帝辺学院だよ」

「私と先生の子供は将来帝辺に通うんですかね」

「うん? やっぱり分からないな。人の話を聞いているかい。それに僕も君も中街出身だから、どっちも中街の学校だろう。世代一の天才なら別だがね」

「どっちもですか。二人欲しいんですね、子供は」

「まあ、そりゃあ二人いないと数が合わないだろう。最低ね」

「最低ですか。じゃあ頑張りますよ、私」

「頑張ってくれるのはうれしいけど、努力の方向性を間違えないでほしいな」

 

 先程引き起こされたばかりだと言うのに、別府はまた三十度ほど背中を傾ける。


「何の話だったか。子供……じゃない帝辺学院だ。普通の学校はどこも学級閉鎖しているのに、どうしてあそこだけ通常運営なんだろうね。

 それだけじゃない。通う生徒もほとんど欠席がないと聞くよ。親が休んでいる家でもだ」

「さあ。帝辺の人は教師も生徒もやる気があるってことじゃないですか。先生にも見習っていただきたいです」

「…………まあ、どこより働いているのはキリサキマ本人だがな」


 ギシギシ。

 背の角度が四十五度に達した。


「限界が近いな……」

「コーヒーれましょうか?」

「いや」


 別府は目を閉じ静かに言った。


「睡眠薬を飲む」

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