第44話 リトル・ラプソディ

12年間、生きてきた。


私は走りながら思いかえす。姫さまはいつだって私の憧れ。6才の時に見た"光来の儀"の時の姫さまは白いドレスが輝くように美しく、私はドキドキしながら言葉を失った。


第16王女であった私はほとんど王位継承には関わらない立場だが、それでも敵意がないのを示すために1年前に奉公に出される。その奉公先が回りに回って、正式な王族ではない“巫女姫"アリス様に決まった時は、落胆する周りを尻目に大層喜んだものだ。


そう思い出しながら私はアリス様の寝室に逃げ込みドアを閉める。約束の塔へは逃げられなかった。でもこの部屋は他の部屋よりはかなり丈夫に作られている。扉も頑丈だ。ここがダメならもう。


静かな部屋に私の荒々しい息だけが響き渡る。耳が慣れてくると外の阿鼻叫喚が耳に飛び込んでくる。悲鳴。破壊の音。折れる音避ける音食べる音。


あいつらはなんだ。なんなのだ。


あの時、隔壁から飛び出した“竜"と呼ばれる禍々しい黒体はそのままメインホールに躍り出た。そしてその身体を震わせたかと思うと背中から大量のウロコを放出した。そう、あれはウロコだ。黒い塊から手足が無数に生えた化け物。はいずるように宮廷中を食い荒らした。


虫のようかと言われればそれも違う。実験の失敗か悪趣味な制作物でもあるかのように獣やヒトや、いろいろなものの手足がごっちゃになってついている。私はそのおぞましい様相を思い出すだけで肩を震わせ、両手でそれを止めようと自分自身を強く抱きしめる。そして自分を慰めるかのように、震える唇で祈りを捧げる。


「大丈夫、姫さまが来てくださる。大丈夫、姫さまが来てくださる」


途端、背後の壁に振動。

私は恐怖で足に力が入らない。

部屋の中ほどまで必死に這う。


惨めだ。私はあまりに弱い。

誰も守れずにこうやって助けを求めるばかりで。


涙目で閉じた目の裏に私を逃がそうと前に出た女中たちが浮かぶ。壁を激しく叩く音の、明らかにヒトの力ではない所業に私は心を支配される。


怖い怖い怖い!

12年間生きてきた。

だけどきっと、ここで私は終わる。


そう確信したその時だ。窓ガラスが激しく割れ飛び、壁が引き裂かれる。そこから顔を覗かせたのはフラスコのナイトタイプの赤き目だ。


「間に合ったようですね、リリィ様」


フラスコの低い声が響き渡る。真紅の巨人の手に乗って私はコアの中へ。そして父にそうするように、泣きじゃくりながら彼に抱きつく。


「ごめんなさい、私取り乱してしまって」


浮上するナイトタイプの中でわたしは言いながら赤くなった目をこする。今までにない恐怖から解放された反動で泣き叫び尽くした喉に急激な痛みが帰ってくる。


「構いません。リリィ様も守るのは騎士として当然のこと」


高空まで登るとやっと宮廷の全体が見渡せる。酷いものだった。虫がたかるように蹂躙され今や屋上にも進出している。そしてその動きに例えるならアリの行列のように一つの流れのようなものがありその先に最も目立つそれは存在していた。


竜だ。暗き黒体は紫色にも似た艶を放ち、全体がヘドロを混ぜて作ったかのような醜い見た目。

その身体は、人を喰ったウロコを次々と飲み込み未だに大きく成長しているようにも見える。


「姫様の言っていた通りになりましたな」


フラスコの声に私は返す。

「シンシャ錆本第8節ですね。あれは禁書であったはず」

「それはそうでしょう。竜派はそうします」


私もうなずいた。

「ではやはりアリア文書も事実なのでしょうか?」

「第9の啓示ですか。わかりかねますが恐らく。姫さまはこのような事態を想定して8000年前から準備をしていたのでしょう。自分自身を神格化する事でこの星の"竜信仰"に対抗しようとしていた。このような惨禍を起こさぬために」


私はフラスコの手助けでサブシートに身を下ろす。フラスコとの会話を通じて私は確信する。


この人は心強い。根からの姫派である私は危険を賭しても古文書の禁書を読み解くのを辞めなかった。その時は孤独と罪悪感を感じたものだが、恐らくフラスコも同じ思いであらゆる禁書に手を出しているのだろう。


「こうなると、やはり姫が竜の娘というのは方便に思えますな」

「そう、ですね」


私の同意にさらにフラスコは言葉を重ねる。


「そして恐らく姫さまが歴史書を改竄しているという竜派の主張はある意味あたりなのでしょう」


フラスコの大人の受け入れ方に私は反発する。

「そんなまさか!」

「いえ、よく考えてご覧なさい。私たちの寿命は高々200年。8000年前、突如火星の歴史上に現れた姫さまが竜を打倒しようと思えば"そうする"でしょう」


私は受け入れがたい事実に驚愕した。

しかしこれはただの私の潔癖だ。

認めねばならない。


「では姫さまはやはり?」

「木星の方だと考えるべきでしょうな。あの人はアラヒトガミなどではない、クラゲだという事です」


私は言葉を失う。火星ではクラゲは知性を得る前に竜の餌にされるただの人肉製造機。ああ、わたしはなんて酷いことを。


涙がにじむ。

ローズ殿を止められなかったこと、やはり姫さまに謝らなければ。


「おお、これは!見てくださいリリィ様」


フラスコが珍しく声を上げる。わたしが見上げるとそこには黄金の巨人。そして白銀の巨人。双方空から舞い降りて竜に向かっていく。そしてその遥か上から現れたのは。


「姫様!」


蒼き薔薇の巨人。

アルテマキナ・マガツ。


「どうやら、姫様の計画は上手く行ったようですな」


私たちは見上げる。

私たちの姫を。


しかし一時のちその勇姿を見てもなお、わたしの胸の鼓動は収まらず、先程の不安が拭えずにいることに気がついた。


そう、私の12年間はここで終わる気がする。

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