第40話 ハンプティ・ダンプティ
仰ぎ見るは赤き空。
翼広げ飛び立つ姿を目に焼き付け。
第八星詠1702年
ファーストクオーター
180日
『星ノ海に旅立つその背中二
2度と帰ラヌ面影を見出シながら』
火星強襲から49時間
「必ず戻るから」
そう言って塚ノ真ユメはアマテラスで振り向く。天を覆うのは無数に舞う竜のウロコ。煌きながらも不気味な肢体を伸ばす。
そして黄金の巨人
アマテラスが正面に捉えるのは竜。
差し渡し40キロメートルを超える巨大さで、我々の木星に肉薄する。
「ユメちゃん!」
私は叫ぶ。私のアルテマキナ・マガツでは歯が立たない。他の皆もいなくなってしまった。
「絶対戻るから。忘れないでね、アリス」
ユメはもう一度言うと、アマテラスの刀を竜の喉元に突き立てる。竜の叫びと共に眩い光が巨大なそれらを包んでいく。
あまりの眩しさに目を閉じそうになるが、私は見なければ。この戦いの行く末を。
甲高い音が辺りにこだまする。
彼女の神話模倣器が唸りを上げる。
「これで、さよならだ」
誰にともなく言うと、一瞬の爆音。
静かさの後に空気の爆縮。
私は瓦礫と土煙が
辺りに立ち込めるのを見た。
天の雲が円を描いてえぐれている。
そこから覗く二つの月。
そして、そう、
目の前には何もいなかった。
竜もアマテラスさえも。
微かな黄金の粒子が飛来する。
雲の向こうに星雲が淡く光っている。
そうか、ユメちゃんは
星の海に飛び立ったんだ。
私がそう理解するのに
暫しの時間がかかった。
私はただ、
無力感と共に空を見上げていた。
それが少なくとも千年前の出来事だ。
詳しい年数はもう数えてはいない。
私はマガツで瓦礫の中を漂う。
数百年前までは散発的に聴こえていた誰かの声も途絶えて久しい。おそらく私はこの星の最後のヒトとなったのだろう。
私はまたも上を仰ぎ見る。赤い空に黒い雲。今日もユメちゃんは帰ってこない。私はわずかに焼け残った灯台にマガツの身を寄せる。
「この灯台だけは守らなくちゃ。ユメちゃんが帰ってきた時に、帰る場所がなくなっちゃう」
そう呟き辺りを見回す。
"竜のウロコ"は今日は鳴りを潜めているようだ。私は所在なさげに自分の名前を何度か呼ぶ。今では口癖のように、歌のように、祈りのように。
思えばクラゲは生まれてから常に誰かを感じて生きていく。これほどまでに孤独を感じたクラゲはいないだろう。自分の名前を呼んでいなければ、私が誰だか忘れてしまいそう。
「会いたい」
ポツリと弱音が出てくる。こんなんじゃダメだ。私は必ず彼女を待つって決めたのだから。
私は涙を振り払うと、滲む視界で本日何度目かわからないが、それでも空を見る。
と、私は奇妙なものに気がついた。
黒い雲の切れ間に紛れて気がつかなかったが、あれはなんだ。空に黒い切れ目があるように見える。私はマガツで大地を蹴り宙に浮く。意外な事にスピードを出してもなかなか近づけない。やけに遠い。
「アレは何?」
いつのまにか私は夢中で光速近くまで機体を加速させていた。
「昨日は無かったようにも思うけど」
私はそれに近づく。
細いわずかな亀裂。
それは空に開いた空間の穴。
「触れるかしら」
マガツの手を伸ばすと意外な事に金属の感触。私は思い切って穴をこじ開けてみる。
するとそこにはここではないどこかの空間が広がっている。倉庫?街?まるで今までの世界が箱庭であったかのような錯覚。
そんな馬鹿な。ここは一体どこなのだ。
「大気は完全に木星の大気ね。でも少し薄いかしら。いえ、これは地下だから?」
私はマガツのセンサーで分析しながら恐る恐る亀裂を潜り抜ける。人の気配らしきものはないが、どうやら放棄された街のようだ。
埃と建物の損傷が激しいが、建物の中にはもしかしたら人がいるかもしれない。私は意を決してマガツを降りてみる事にした。
無理に光速を出したからか私のアルテマキナも限界を迎えつつあった。建物を支えに自立させるとコアを開く。
タラップを垂らして地面に足をつける。すると途端に目眩。目の前が暗くなる。どうしたと言うのか。大気も問題なかったはず。私は前後不覚に陥りながらも息を整えようと努めたが、結局訳もわからずその場に倒れ込み意識を失った。
目を覚ましたのは数時間後だった。私を照らす明るい光に目がくらむ。そこで私は千年ぶりの人の声を聞いた。
「あなたは、だれ?」
その声に私はうまく喋れるか不安になる。
「わたし?」
周りを見回すが私しかいようはずもない。私は自分以外のヒトの存在に嬉しさで泣き出しそうになりながら笑顔がこぼれた。
「私はヒメ。有栖ヒメよ」
そう言って彼女の身体に手を回す。
「やっと会えたわ」
これが私、有栖ヒメが
2番目の木星で最初に出会った彼女の話だ。
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