第36話 クイーンズ・ストライク(前編)
私が廊下に出ると、
1人の少女がピクリと肩を震わせた。
「ずっとそこにいたのですか」
赤い服を纏った少女は眠そうな目を擦った。
「ひ、姫様。失礼しました。お休みとは知りませんでしたので待たせていただきました」
私は彼女を自分の部屋に招き入れる。
「お召し物をお待ちしたのですが。御身も睡眠をお取りになるんですね」
彼女は眠気を我慢してにこやかに笑った。ローカルの年の頃を推測するのは苦手だが、私やユメに似ている見た目。セカイに言わせるなら12歳くらい、となるのだろう。
「ありがとう。私もあなた方よりは短いですが眠るんです。それにしてもやはり、マルスの夜は長いですね」
私は服を受け取りながら応える。
外は未だに暗い。その中で火星の街の明かりがポツポツと灯っている。
彼女の持ってきたのは白いドレス。私の黒髪に合うだろうか少し疑問があったが、ここではいつまでもセーラー服と言うわけにもいかないだろう。
「ユピテルの自転は10時間だったと聞いております。ここは24時間37分ですから、調整時を抜かせばほとんどマザーと同じですからね」
火星風の星の呼び名でそう話すと彼女は意を決したという顔でもじもじと身をよじらせた。
「その、わたくしお着替えを手伝うように言われたのですが」
その神妙な顔には決意と恐れ。
ああ、と私は理解する。
「結構ですよ。自分でやらせてください。あなたが指に怪我をするいわれはありません」
刺胞体クローンの肌は刺胞体。細胞レベルで見ると小さな毒針があり、ローカルのいたいけな少女が肌に触れようものならかぶれてしまうだろう。
彼女は私のために意を決してここに来たのだ。
私は彼女が逡巡を見せる間も無く手早くドレスに着替える。
鏡を見ると黒いおかっぱ髪に白のドレス。
やはり少し似合わないか。
「お似合いです」
そうかな、とも疑問を持ちながら私は礼を言う。彼女はリリィと言う。私に付き従ってお世話をしてくれることになった侍女だ。
私は彼女を伴って部屋を出ると廊下を歩く。
「"御母様"のご様子は?」
私の問いにリリィが応える。
「まだお目覚めになられてはいません」
「食事は取られているのでしょうか?」
少しリリィは暗い顔をする。
「ええ、問題なく。ローズ執政官がスケジュールを決めてらっしゃいます」
ローズ。
私はその名前を口の中で反芻した。
ここに来た時に挨拶に来た、背の高い男だ。赤の長い髪が印象的だった。
「ローズ殿がここ最近の執政を?」
「そうですね。5年ほどです」
私は考える。私からすればたった5年。火星のローカルはアポトーシス干渉によって寿命が200年ほどはあるが、せいぜいあと150年も捨て置けば勝手に死に絶える身。
「その悠長な考えが木星を滅ぼすのよね」
彼女に聞こえないように口の中でつぶやく。木星育ちの悪い癖は長期的に考えてしまうことだ。ローカルは短い寿命の中で電撃的に事を起こす。
私は廊下を突き当たりまで来て隔壁にぶちあたる。大きな、大きな隔壁だ。死球の蓋を思わせる。
私は扉のタイマーを確認する。
「まだ、封印は出来ますね」
「はい。大丈夫なはずです」
とは言うものの、
事態は予断を許さない。
もし本当に私の知る限りなら。
私はさらに歩くと、赤い絨毯の執務室にたどり着く。ノックをして中に入ると、そこにいたのは赤い髪のローズ執政官。そして口髭を蓄えた騎士のフラスコだ。
「フラスコ殿。先ほどはありがとうございました。気が立っておりました故の無礼を詫びます」
私がスカートを持ち一礼する。
「いや、こちらこそ気が昂っておりました。何せ姫様は永遠を生きる身。我が命尽きる前にこの番にあずかれる光栄に、心が奮い立ちましてな」
快活に笑う。確かに彼らは8000年の時を待った。一体何人の騎士たちが実戦を経験せず、姫である私の姿すら見ずに役目を終えたか分からない。
ローズ執政官も静かに笑った。
「改めて、この度はご帰還おめでとうございます。御母堂もさぞお喜びで」
私も適当な相槌を返す。
「早速なのだがフラスコ殿。ナイトタイプは出せますか?」
フラスコはニヤリと笑う。
「いつでも」
ローズはしたり顔だ。
「またお出かけになるので?」
「御母様のご様子が気にかかり、つい戻ってしまいました。しかしお目覚めの前に木星の地上は多少掃除した方が良いでしょう」
フラスコは破顔して笑う。
「これはこれは、やはり姫は伝説に聞く勇猛さ!感服いたしました。どこまでもお供いたします!」
リリィは困惑顔だ
「ひ、姫様自ら行かれなくともよろしいのでは?」
その様子をローズがじっとりと睨み付けるのを私は見逃さない。ローズにとっては私が火星にいない方が都合が良いわけだ。
「大丈夫ですよ、リリィ。あそこには私の忘形見も多いのです。少し整理をさせてくださいな」
私はその場を離れると廊下をドックに向けて進む。「フラスコ殿は信用できる方か?」
後ろからついてきたリリィが焦りながら応える。「は、はい!聡明な方です。きっと何にも代えて姫をお守り申し上げると思います」
「そう」
私は短く返すと振り向き、シルクのハンドドレスをしたその手でリリィの頬を撫でる。そしてイヤリングを一つつけた。
「私は貴方も信用に足ると思っております。少ししたらそこに連絡します。もし御母様の周辺で動きがありましたら」
リリィはうなずく。
「わかりました。必ずや姫にお伝えいたします」
小さいながらも強い瞳で私に応える。私は空を見上げた。最接近してるとは言え火星から見える木星はとても小さい。
「さぁ、行くわよシズル」
私は唇の内側で自分自身を鼓舞すると、
ドレスをひるがえし歩き出す。
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