第8話 黒胡椒の甘い日々(前編)
目を開く。まだ暗い部屋に差し込む朝の光。
眠りから覚めたばかりで混濁する意識の中
私はもがく。
唯一の癒しである毛布の肌触りが心地よい。
少しずつ意識が覚醒してくる。今日はラボで第3次増殖試験。それにユウキの担当していたPRS試験のレポートについて2、3言いたいことがある。
私は仕事の流れを頭の中でシュミレートしつつ頭を少しずつ切り替える。よしもう大丈夫。
ベッドを出て、鏡の前に立つ。黒いボブヘアー。
「ああ、そうだ。私は塚ノ真ヤミ。ヤミだった」
恨めしげに鏡の中の自分を睨む。
夢を見ていた。
アルテマキナに乗って仲間と駆ける冒険譚。
友達がいて、大好きなお兄ちゃんがいて。
私は鏡の中をもう一度見つめて苦笑い。
さらにもう一度黒髪を触ってため息。
「でも主人公はあなたじゃない」
私は本来生まれるはずじゃ無かった個体。
塚ノ真ユメの代替品だ。
私が議会の望む仕事を完遂するには
ユメとしての今までの完全なノウハウが
丸ごと必要だった。
本来彼女がやるべき仕事だったのだから。
それ故に私には元来の人格だけでなく
本人死亡時と同様の処置が施されている。
すなわち
“分化”する直前ーーアルテマキナ操者になる前までーーの彼女の記憶がダウンロードされているのだ。
私は冷蔵庫を開く。
中には魚肉ソーセージはない。
缶入りの飲料があったので喉に入れながらニュースサイトをチェックする。
「これか」
目に留まったのは昨日のローカルパッケージによる巨大兵器テロの事件だ。
分化したあとも度々私は自分がユメであるかのような記憶の混同が止まらない。恐らく群体として“感じて“しまったいる時に記憶のリンクの結びつきからどうしても流入してしまうのだろう。別の端末から同じクラウドにアクセスしてしまうと言い換えても良い。今回の件もそれで意識が流れ込んできたのか。
それであんな夢を?
そこまで考えて頭痛が始まる。
いつものやつだ。
私は苦痛に顔を歪めながらその場でうずくまる。
アレを食べなければ。
どこに置いたっけ??
私は記憶を辿る。
ダメだ思い出せない。
机の上か?
私はもがきながら手を伸ばし、手探りでその黒い錠剤タブレットを掴み取る。あった、と思うより先に手が勝手に動き包装を壊すように剥ぐと口に放り込んだ。
頭から痛みが引いてくる。2、3呼吸を整える。
「少ない」
私はそのチョコレートの残りが少ないのに気がついた。この頭痛にはチョコレートしか効かない。
「またセカイに頼んで回してもらわないと」
私は手早く支度を整え仕事に出かける。
お気に入りの黒いパーカーにヘッドホン。ロックを聴きながらエレベーターを乗り継いでいつもの研究室へ。
「おはようございます主任」
見ると研究員の1人、塚ノ真ナナが新しく描いた絵画を壁に飾っていた。その一角は彼女のデスクで好きにしていい事になっている。彼女は趣味の絵画を作ってはそこに飾っている。時計をモチーフにした淡い青の色遣いが、とても目に清々しい象徴画。
「いいね」
私は短く感想を言いながら自分の席に座る。ナナはキョトンとした顔でこちらを見返した。
「あ、ありがとうございます」
他の面々は各々のデスクで好きに仕事を始めている、いつもの朝の空気。しばらくするとセカイが顔を出しに来た。
「やぁ、大変みたいだね」
私は声をかけた。
「ありがとう。今日周りから言われるのはそればっかりよ」
彼女は苦笑いを浮かべる。昨日の事件の事後処理はそれは大変だろう。
「労いというわけではないんだけど」
私は紙でできた素っ気ない箱を渡す。セカイはそれが何かすぐに分かったようで顔を明るくする
「"鮭とば"ね!ありがとう〜!ちょうど無くなっちゃってて!」
私は焦って手を伸ばしセカイの口元を隠す。
「もう、大きな声出さないでよ。皮付きのまま流通するのは禁止されてるんだから」
バタバタやっているのを塚ノ真の子たちが遠目でジトーっと見ている。私はコホンと咳払いをすると目を逸らす。言いづらそうにモジモジとしてしまうが
「その、チョコレートをまた分けてくれないだろうか」
と絞り出す。人にお願い事をするのは何回やっても慣れない。
「もちろんよー!なんなら私のデスクにくる?」「良いのか?」
2人でそそくさと部屋を出ていく。
「え〜と、良いんですかね?」
真面目な塚ノ真ユウキが汗をかきながらウメに声をかける。
「良いのよ、聞かなかったことにしてあげなさい」
とリーダー格のユイ がその場をしめた。
「あ!」
しかし最後にユウキが大きく声を上げる。
「そういえばPRS試験の結果で主任に注文受けたところ修正したんでした」
見てもらい損ねてしまった。
「あ〜あ」
4人は深いため息をつく。
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