終わりの絵空
猫に鬼灯
終わりの絵空
別にそうなってしまえとは微塵も思っていなくて、要はたらればの一種なのだ。もしこうなったら、ああなればと、脳内に想いのままに描いてしまうことが偶にあるのだ。もう少し生きていたいしなんなら死にたくはない。それでも考えてしまうのだ世界の終わり方というのを。
この不謹慎極まる悪癖は僕自身が幼少の頃に遡る、その頃はまだテレビは箱の形をして妙に掠れた映像を流していたときである。その日、父だったか母だったかどちらかは忘れたのだが適当にテレビを付けたにも関わらず、父は本を読み進め、母は手芸店で買ったらしいビーズのアクセサリーを作れるキットを広げ手際良く何かを作り、僕は積木を組み立てては崩しを飽きることなく繰り返していた。そんな中でBGMのような扱いを受けているテレビは、いじらしく音を出し、映像を流し、私を見てよ気づいてよと一人で騒いでいた。
黙々と積木を組み立てていると、視界の端にあったテレビがアニメ的な絵を映し出した。大体の子供ならそれに反応するだろう、幼かった僕も例に漏れず反応しようやくテレビに視線を送って、初めてどんな番組が流れていたのかがわかった。随分とくだらないオカルト特集の娯楽番組、映し出された絵はおどろおどろしい魔物を描きたかったのだろうか、兎に角暗い色をふんだんに使った子供騙しレベルの恐ろしい人外の絵だった。残念ながら僕はそれに動じず、どちらかというと童話に出てくるような野臥せりが似合いもしない上等な服を纏っているようにしか見えなかった。
しかしその野臥せり風の魔物の絵になぜか目を魅かれ暫く箱型テレビをジッと見ていた。映像と共に恐ろしさを駆り立てるための演出だろう、馬鹿みたいに慎重に無駄に低い女性の声音で「1999になる頃に人はいなくなってしまう」なんてことを言い放った。幼かった僕はその時は大変そうだなんて随分呑気なことを考えながらも、次々写し出される映像だけに何故か夢中になった。ビルがボロボロと崩れていく絵、顔を恐怖に引き攣らせた大勢の人が何かから逃げる絵、地面が割れて海がうねり狂っている絵。
怖がることはなく、かと言って面白がることもなく喰い入るように観ていた。次はどんな絵が出てくるだろうと夢中になっていると、1999にまつわる内容をすっかり話してしまったのか、画面は明らかに別の内容に移る前振りの大袈裟な煽り文句が書かれた文字ばかりの画面に切り替わってしまった。
それにはさして興味が湧かずまた目線を積木に戻した。目の前にはしっかりと建ってはいるが、いま一つ格好がつかない中途半端な積木の塔が己の完成を静かに待っており、僕の右手めては三角柱に削り出された積木をしっかりと握っていた。「嗚呼そうだ、最後にこれを屋根として積み上げたかったのだ。」と思い出し、間違って崩してしまわぬようにゆっくりと一番上に乗せ木の塔を完成させた。端から見たらただの不格好な木の塊だろう、それでも子供の僕にとっては最上の出来栄えの塔であり、完成した満足感に溢れすぐに崩してしまうなんて事をせずに眺めていた。惚れぼれと眺めていた時、どういう訳か先程まで心奪われていた映像の一つ、ビルがボロボロと崩れていく絵が脳全体に一瞬で広がり思考の全てを支配した。
-平生どうしたって崩れそうにない、あんなにも頑丈なビルが崩れるなんてどんな化物なのだろう。そして崩れてしまうのならどんな感じなのだろう、あの絵の通りになるのだろうか。-
考えたってどうしようもないことがグルグルと脳内を走る。元は様々な形をした木の玩具の塊はしっかり図太く建っている、壊さぬように丁寧に積み上げた僕の木の塔。だがこの時僕の幼い脳は大きな何かが崩れる様を見たいという思考に支配されており、目の前のそれは大きくは無いものの姿形はあの絵のビルにとても似ているなんて思った。後先のことなんか考えず、僕はゆっくりと左手ゆんでを小さく挙げ不格好なビルの中腹に向かって平手を撃ち込んだ。
ビル基、木の塔は派手で鋭い音を部屋いっぱいに響かせてあっけなく崩れ落ち、いくつかのブロックが少し遠くの方まで飛んでいっただけだった。確か撃ち込んだ左手は若干の鈍い痛みがあった気がする。その光景を目にした幼い僕は「なんだこんなものか」ぐらいの思いで散らばった積木を冷たく見た。何故その視線を送ったかは残念ながら覚えていない。それぞれ自由に過ごしていた両親も音に驚き何事かと尋ねてきたが、ビルが崩れ落ちるとどうなるのかを見たくてやったとは恥ずかしくて言えず、二人に向かって僕はヘラヘラと笑い、間違ってぶつけてしまったと適当を吐いた。
それ以来、僕の脳が少しでも暇になってしまったらあの話の記憶が勝手に思い出されるようになった。ただ、物を壊して試すなんて幼稚なことには走らず、絵空に街を創りビルや家なんかを建てて人を住まわせては、何が襲ってくるのだろう、どう壊れていくのだろうと思いつく限り非日常を妄想して遊ぶようになった。
幼少の頃こそかなりの頻度で妄想してはいたが成人して数年が経った今、仕事に生活にと支配されている脳は余裕なく動き回っており、絵空を描くなんて精々年に一回あるかないか程度だ。そう未だに幼稚な悪癖は治らずにいる。心のどこか一箇所を小さな子供のままに成人し明朗快活と過ごしている。この日住み慣れた陋屋にて、盛大にすっ転び、一つだけしか買わなかったマグカップが割れた。またネット通販で買えばいいなんて考えたが、盛大に割れたそれ、画面で見た写真と実物とであまりにも違いすぎて落胆しかなり雑に扱っていたのだ。そして怠惰に走るのをやめてお店に出向き、しっかりこの目で見て気に入ったものを買おうと心に決めたことを思い出し、朝と昼の狭間の外へ出掛けた。
機嫌の麗しい空模様とまだ痛みのない眠たい陽の光とは裏腹、監獄の壁のようにびっしりと立ち並ぶ商業ビルと黒山の人だかり、点々と落ちる芥と細々とした泡のついた液体が散らばる街並みは、相変わらず鉛を流し込んだのように見えた。暫くぶりに足を運んだことで街の空気に若干気圧されながらも上手に人の合間を通り抜けて店に入る。己を選び取ってもらうのを棚に並んで待っているマグカップから一つ気に入った物を手に取り会計へ、割れぬよう丁寧に包装してもらい礼を言って店を出た。何の気も無しに仰ぐ、ビル群のおかげで狭くて遠くに思える機嫌良い青があった。視界一杯のそれが見たくなった僕は、複雑に入り組んだ路地へ足早に向かう。室外機が多く並ぶそこを順番通りに進む、生暖かくて滑りのある空気が肺に広がるのを我慢して歩けば人の少ない静かな住宅街へ出た。
散歩目的で何度か訪れたことがあるここは、各家庭の住みやすさやこだわりが垣間見える一軒家が多く並ぶ。その中には小さな雑貨店や花屋、一軒家に擬態した食事処もいくつか存在する。街と比べると人通りは皆無に等しく、目一杯の空からは白い陽がたっぷりと地面に溢れ、薄ら冷たい風が颯々としていて、時間が止まってしまう危うさが漂っていた。脳が暇であるにも関わらず珍しく絵空が浮かぶことがない。まぁそんな日もあるだろうと、のろのろと十数分ほど歩いたころ、中年の女性が一人気味が悪いほどの笑顔で近づいてくる。道聞きかなんて思ったが、女性の手には相当量の紙束。屹度碌なことではないと決めつけ空気のように扱った。
やはりというべきか碌なことではなく、厚かましく声を掛けてきた女性は袖にする僕を気にも留めず強い口気で宗教勧誘を始めた。歳の離れた男女、一方は懸命に口吻を弄しもう一方は耳を傾けることなく口を真一文字に引く様は、何とも奇妙なものであろう。女は紙束から一つ冊子を取り出して、進む方向を見る僕の視界に断りもなく入れ込んできた。
嫌でも見えてしまう冊子の表紙、ど真ん中には大きく印刷された男の写真があり、目を銭色に光らせて満面の笑みを浮かべていた。その周りにはなの知らぬ大振りの花が二、三個ほど飾り置かれ、男の下心をどうにか隠そうと一役買わされている。そんな男を心の底から敬慕しているらしい女は、未だに姦しく勧誘の決まり文句らしい言葉を壊れたレコードよろしく繰り返す。
どんなに空気として扱っても、足並み速く歩いても女は子鴨のように付いて来ながら何かをグァーグァー鳴いている。いや子鴨の方がまだ可愛い。床についた時に耳元を旋回する虫がお似合いだろう。変に突き離したら厄介になりかねない女を穏便に撒く方法を空気扱いそのままに考えていると、「滅びが来る」だなんて言葉を女は口にした。その時、僕の脳の奥の方がザワザワと蠢いた。
この女のおかげでとは口が裂けても言いたくはないが、頑として動こうとしなかった僕の悪癖がむっくりと起き上がったのだ。しかし今、どんだけ描きたくとも大きすぎる邪魔がすぐ隣にいる。急いで描かなければこの愛しき悪癖がまた眠ってしまうと焦った僕は、穏便という言葉を忘れ適当なところで立ち止まる。続いて女も立ち止まり何を勘違いしたのか喜色満面といった具合で僕に向かって更に話を続けようとした。が、女の行動よりも先に、僕は怒りと蔑みを込めて女を睨めるねめる、一つだけ小さく舌を打ち鳴らすおまけを添えて。女は気味悪い笑顔をすっかり消し去り鬼のような形相に変え、先程以上に強い口気で殆ど言葉としての形になっていない声をだらだらと吐き出した。気が済むまで吐き切ったのか、軽く僕を突き飛ばすと「お前のせいで滅ぶんだ」と漸く形になった言葉を一つだけ放って去っていった。
漸く一人になったところで足の疲れに気付いた。僕の脳は依然、奥の方で芋虫が蠕動しているみたく感じる。少しだけでも休憩できそうな所を。グルンと辺りを見回すと、進行方向の先に広くて遊具の充実した公園があった。先よりも遅いスピードでそこに向かうと、目と鼻の先にには自販機が立っており、ついでに喉も潤そうと水入りペットボトルを一つだけ買って公園に入った。
そこには数人の先客が既にいた。砂場には雛のような足取りの子供とその親、少し離れた所のベンチには仲睦まじい老夫婦、活躍の時間を待ちわびる遊具、何処も彼処も長閑な色をしている。空気を読まずに騒々しく踏み入った僕は、彼等からより一層離れているベンチに乱暴に腰掛け、水をペットボトルの半分ほどが無くなるまで一気に飲み干す。ほうっと息を吐いて、体を力を抜くと、足にこびりついた瞬間的な疲れは和らいだが脳の蠕動は益々活発になる。
「お前のせいで滅ぶんだ」という言葉が浅いところからズルリと這い出てきた。同時に奥の方からも、野伏せり然とした魔物の絵や低い女性の声音、期待外れに崩れた木の塔の映像がぐちゃぐちゃに引きずり出される。僕の脳内は暗雲が立ち込め新品の世界が積木よろしく不格好に積み上がり広がっていく。街が完成し、人が住み現実と同じように動き出す。あとはいつも通り壊すだけになる。
何にしよう。ぐったりとベンチの背もたれに寄りかかり必然的に上を向く。ビル群の空とは違い住宅街であるここは、遮るものがないおかげで凛とした青が素敵に広がっていて、絵空事を思いっきり描ける具合の良い白紙にしか見えなかった。
快哉を叫びたくなるほどの深青の空。時間はいつも通り進み、人は呑気に微温い日常に浸かっている。一つだけ可笑しなところがあるとするならば空気が妙に澄んでいてどこか静かなのだ。しかしそんなこと誰一人として感じ取ってはいない。大概の人は平穏は続くと勝手に思い込んでコロコロと笑って過ごしている。折柄、深青の空が音も無くぐんにゃりと歪み出す。視界の端にその光景が引っ掛かったのか、一人二人・・・と奇っ怪な異変に気付きあんぐりと口を開いて間抜け面で仰ぐ。
不規則に歪みだした空は次第に大輪の波紋の花を咲かせる、その様は奇妙ではあるがうねる青は海の波のような美しさだ。そのままジッと見つめると波紋の花の中心から何かが降りてきた。「はてなんであろう」とそれを睨めるように見つめる、それはつるりとしていてやけに青白い半球状の物体であった。いや半球状ではない。のろのろと降りてくるそれは、細長い棒状だと分かるようになり、一本だけではなく二本、三本と数を増やしていく。五本目が現れたところで全ての姿を見ずとも、降りてきているものの正体が漸く理解できた。幼子みたいにふっくらとした肉付きに、紅葉のような可愛らしい形をした人間の手である。しかしをの手を幼子のようだなんて言ってはいられない。空から降りてくる時点でもう既に奇っ怪さはあるのだが、それ以上に山を覆ってしまうほどの大きさという奇っ怪さの方が特段目立っているからだ。
青白い紅葉が全ての姿を見せ華々しく空を飾ると一切の動きを見せなくなった。仰ぐ人らは未知のそれに目も心も盗られ、生活を止め、言葉を発するのを忘れ、街全体を深閑とさせる。幾らか経った時どこからか軽いシャッター音が一つ鳴る、その音を合図に全てがまた動きだした。多くの者は我も我もとカメラを構えて音を鳴らし、ごく少数はカメラを構えるまでは同じだが、誰に話すでもない大きな独り言を喋り出す者もいた。動き一つ見せないそれはまた幾らか経った時、己の存在に沸く人々に呼応するかのように、地面に向けているたなごころの手先をゆっくり上へ上へと挙げ出した。「おお、動いた動いた。」と囃し立てる人等、一際大きく声が湧きあがった時、大きすぎる幼子のたなごころは地面に勢いよく叩きつけられた。
殷々として響き渡る破壊、のちにまた深閑となる。べったりと張り付いた手はすぐに、空から降りて来た時と同じようにゆっくりとした動きで地面から離れた。徐々に空に戻っていく手からは細かい何かがボトボト落ちていく、原型のわからない鉄片や瓦礫、ぺしゃんこに潰れた物と何かの液体。カメラ越しで、或いは自身の眼球でそれらを見届けた人々は、一斉に狂乱し泣き叫んで我先にと幼子の青白い手から、蜘蛛の子のように離れていく。誰かにぶつかっても、誰かを押し倒しても、倒れた誰かを踏み越えてもお構いなし、己が持つ命を一秒でも長く保とうとして必死に走る。
混乱の元凶はというと、どういうわけか小刻みに震え出した。がくがくと何かに動揺するように震えながら、柔らかい手を力強そうな拳に変えてゆく。完全に形作るとそのまま地面に向かって数度叩きつけ、腕までも使って辺り一帯を薙ぎ払う。払い切った先、まだ建物がびっしりと立ち並ぶところで止まると、今度はそこら一帯を辿々しい手つきで建物ごと地面を鷲掴んだ。鈍い音をたてながら抉り取ってしまうと、手中に収まったそれをずっと遠くの方にポイッと投げてしまった。
その姿はまさに手の造形通り幼子のよう。最初に地面に手を叩きつけた時の痛みに耐えきれず癇癪を起こし泣き喚いているように見えて・・・。
ぽん、と足に柔らかい何かが当たって僕は絵空から現実へ戻る。主な舞台になっていた空はすっかり陽が傾いて、白色と橙色が混ざった光が射していた。感触のあった足元を見ると、少々使い込まれ薄らと汚れている柔らかい素材でできたボールが転がっていた。両手で拾い上げ、遠くの方から謝まりながら駆け寄ってきた一人の少女に手渡しで返すと、溌剌とした笑顔の礼を受け、友達であろう子供らの輪に急ぎ足で帰っていくのを見送った。
ボールを拾った時に適当に傍に置いたペットボトルを再び手に取ると、僕の手の体温と気温のせいですっかり温くなっていた。試しに飲んでみても、最初の一口目に味わった清涼感はまるで無かった。その代わりにあれだけ騒ついていた頭は、もう何かが蠢いている感覚はまるでなくすっきりと晴れ渡っている。
「(随分と久しぶりに彼是好き勝手考え込んだものだ。)」
長く居座っていたベンチから立ち上がり、おおきく背伸びをして僕は公園を出て行った。
終わりの絵空 猫に鬼灯 @NekoOni
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