第38話 快気祝いは盛大に
よそ様の家庭の問題に首を突っ込み、可愛い後輩の父親に暴言を吐いた日から、数日が経過した週末。本日は、最近退院を果たした矢剣星矢さんの退院祝いをマーブルで行う事になっている。発起人は一応僕だという事になっているが、本当の意味では違う。僕が、星矢さんが退院する前日に病院に訪れた時、患者直々に仰せつかったのだ。
俺の快気祝いは、盛大に頼むぜ。
頼むぜと言われても正直困る。これまでの人生において、幹事的役割を担った事がない。悶々としながら仕事をこなし、隙を見ては幹事たらしめる姿を検索していた。とは言え、いくら知識を得たとしても、やはり自信はなく、肩を落としてマーブルへとやってきた。
いつものように小百合ママが、満面の笑みで出迎えてくれて、ビールを流し込んだ。完全に白旗を振っている僕は、小百合ママに相談した。
「星矢君の快気祝いね。聞いてるわよ。楽しみましょうね!」
「楽しみたいんですけど、自信がなくって」
「え? どうかしたの? 何かあった?」
目を丸くした小百合ママが、カウンター越しに身を乗り出してきた。その勢いに押されて、思わず体を引いて距離をとった。
「いや、ただ星矢さんから、幹事を頼まれてまして」
「なあんだ、そんな事か。ビックリしたわよ。私はてっきり、星矢君と何かあって、楽しめる自信がないのかと思っちゃったわよ。もう、紛らわし子ね」
小百合ママは、安心したように笑って、手首を縦に振った。僕は、首を突き出すようにして、会釈をする。
「でも、翔ちゃんが幹事って言うのは、聞いていないわね。星矢くんから連絡があって、日取りも決まっているし、当日の全ての飲食代は、星矢君が支払うって言っていたから、幹事と言っても、やる事ないわよ」
「え? そうなんですか?」
テーブルに両手をついて立ち上がった僕は、小百合ママを見つめた。そっと目を閉じて唇を突き出す小百合ママを見て、逃げるように椅子に座る。
「そうよ。星矢くんが、幹事宜しくって言ったの?」
言われていない。僕は、壊れかけの玩具のように、ぎこちなく顔を左右に振った。星矢さんの『頼むぜ』は、『幹事をやってくれ』ではなくて、単純に『盛り上げてくれよ』とか、『楽しんでくれよ』と言った意味だったのか。それを勝手に拡大解釈し、勝手に追い詰められていた。まだまだ酔う程お酒を飲んではいないのに、顔中に熱を帯びてきた。顔から火を吹くとは、まさにこの事なのだろう。勘違いも甚だしい。
それにしても、全飲食代を負担するとは、まさに豪傑のなせる所業だ。星矢さんの大きいのは、胸だけではない。祭り好きは勿論、迷惑をかけたお詫びも含まれているのだろう。ならば、遠慮なく、甘えさせてもらう事にする。当日が楽しみだ。
なんだか、体の力が抜けて、ビールの味が濃くなったように感じた。飲まずにはいられない。少々やけ気味に、ビールを流し込んだ。
「未来ちゃんの様子はどう?」
他のお客さんの注文を受けている小百合ママの代わりに、ミッチャンママがビール持ってきた。
「会社では、いたって変わったところはないよ。ちゃんと話せていないから、装っているのかどうかは、分からないけど」
「そう。確かに心配だけど、あまり根掘り葉掘り聞くのも申し訳ないしね。もどかしいわ」
眉を下げるミッチャンママに、僕も同じような表情で小さく顎を引いた。力になってあげたいけれど、力になってあげられる方法が分からない。手を差し出したいけれど、差し出し方が分からない。ミッチャンママが言うように、実にもどかしいものだ。見守っていると言うと聞こえは良いが、実の所何もしていない。僕達ができる事と言ったら、いざ浅岡君が手を伸ばしてくれた時に、しっかりと掴んであげる事くらいだ。いつでも手を握れるように、心の準備をしておく。
星矢さんの一件で、悶々としていた気持ちが晴れたと思ったら、次は浅岡君の件で悶々としてきた。いや、浅岡君の事はずっと悶々としていたのだが、星矢さんの事で上書きしていた。浅岡君の事で、ずっと気になっている事があった。
浅岡君は、どうして家族(父親)にカミングアウトをしようとしたのだろう。
あのお父さんなら、最初から結果は分かっていたような気がする。当然、僕よりも断然付き合いは長い訳だし、どういう性格の人かは分かり切っていただろう。言い方は悪いけれど、自ら死にに行ったような感じだ。それと同時に、あの父親と共に暮らしていた人生は、とても息苦しかったに違いない。もしかしたら、真剣に説得したら、理解してもらえるという期待があったのだろうか? もしかしたら、理解してもらえない前提で、父親を排除する為の口火を切ったのだろうか?
浅岡君の意図は計り知れないし、苦悩も計り知れない。傷ついているのか、逆にスッキリしているのか、やはり尋ねてみないと想像の域を出ない。
腕時計で時刻を確認する。そろそろ、浅岡君がやって来る頃合いだ。最近では、浅岡君と一緒にマーブルに来る事がなくなった。浅岡君は、仕事を終えると、一旦自宅に戻り、変身してからやって来る。その姿があまりにも生き生きしていて、これまでの人生で溜まった膿を出そうとしているようにも見えた。
まだ一人暮らしを始めた住処には、ご招待頂けていないが、その日を待ち侘びている。部屋の片付けがなかなか進まない原因は、マーブル来店にあるのだが、楽しい時間を取り上げるのは忍びない。僕は、まだかまだかと、首を長くしている事にする。
お決まりの乾いたベルの音が響くと、満面の笑みを浮かべた浅岡君が手を振っていた。
「ぶっちゃけ、自分でも良く分かっていないんです。でも、たぶん、今思うと、後者かなと思います」
浅岡君は、ビールジョッキに付いた口紅を指で拭った。
お酒が進み、時刻が深くなった時の事だ。浅岡君が言ってくれた。
「今週末は、星矢さんの退院祝いパーティーですね! 楽しみだなあ! パーティーを全力で楽しむ為にも、僕に聞きたい事があったら、何でも聞いて下さいね。今なら大サービス! NGなしです!」
僕の想いを察してか、単なる酔っ払いかは判然としない。しかし、浅岡君の方から、切り出してくれたのは、非常にありがたい。とは言え、免罪符を受け取ったように、大手を振って尋ねる事はできず、遠慮がちに口を開いたのだ。
「僕が壊れてしまう前に、それならいっその事家族を壊してしまえ! と言うヤケクソもあったと思います」
苦虫を噛み潰したような顔で語る浅岡君に、僕は静かに頷いた。今はただ黙って、浅岡君の想いを受け止める。
「確かに過信もあるかもしれませんけど、自分1人の力で生きていけると思っていましたから。実際は、モモちゃんや竹内さん、多くの方々に助けられました。ありがとうございました」
ウンウンと頷いた僕が、慌てて手を振った。僕は、浅岡君の為に、何もしてあげられていない。
想い通りにならないなら、いっその事壊してしまえ! と言う考え方は、極端過ぎるけれど、分からなくもない。聖人君子じゃあるまいし、そうそう綺麗事ばかりを吐いてもいられない。僕が、そういった破壊衝動に駆られた事がないのは、強く優しく器が大きいからでは決してない。ただ、衝動に駆られる程、追い込まれた事がないだけだ。爆発する程の抑圧を受けた事がない、平和な世界で生きてきただけだ。
爆発した人を肯定する訳ではないが、非難する事もできない。だからこそ、僕はウンウンと、頷く事しかできない。
「正直なところ、今の心境はどうなの?」
「うーん、完全体じゃないですけど、前にくらべたら、ずっと楽になりましたよ」
浅岡君は、ニッコリと微笑んだ。僕も笑みを返したが、ぎこちなくないか心配だ。サッパリしたやスッキリしたではなく、楽になったと表現した。怪我をした箇所に、絆創膏を貼った状態と同じだ。現在進行形で、痛いものは痛い。傷口が化膿してしまわないように、消毒が必要だ。症状によっては、縫わなければならない。その役目が、モモちゃんであり、僕であり、マーブルなのだろう。僕にその役目が務まるのか、甚だ疑問だ。
とは言え、モヤモヤを払う為に、浅岡君が気を回してくれたのだから、無下にする訳にはいかない。星矢さんの快気祝いは、全力で楽しみたい。
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