第37話 罪悪感に苛まれた反省会
「ごめんなさい」
僕とミッチャンママと、浅岡君と衣麻さんの四人は、ほぼ同時に頭を下げた。マーブルに戻ると、小百合ママが奥のテーブル席を使わせてくれた。ゆっくり話したいだろうと、気を使ってくれた。小百合ママの細やかで、優しい心遣いが、ホッと一息つかせてくれた。まるで、小百合ママは味噌汁のようだ。きっと、隠し味は愛情だろう。先ほどまでの僕達には、欠如していたものだ。
竹内家と浅岡家が向かい合っている状態だ。お通夜のような、湿り切った雰囲気を察してか、小百合ママをはじめ誰も声をかけないでくれている。愛情深い酔っ払いの方々に感謝だ。
顔を上げた僕たち四人は、気まずさから誰一人目を合わせず、テーブルを見つめていた。事の発端である浅岡家の両名はもちろん、僕は役に立てなかっただけではなく、お父さんにブチギレる始末であった。一番の功労者であろうミッチャンママも、やはり思うところがあるのだろう。暫くの間続いた沈黙を破ったのは、ミッチャンママの咳払いだ。
「過ぎた事は、もう良いじゃない。取り合えず、飲みましょ。小百合ママお願いします」
ミッチャンママが背筋を伸ばして、スッと腕を真っ直ぐ上げた。小百合ママが返事をし、四つのビールジョッキが運ばれてきた。景気良くとはいかないが、ジョッキを合わせた。
「それにしても、強烈なお父様だったわね」
「・・・本当に、すいませんでした。ご迷惑をおかけしました」
「未来ちゃん。もう謝るのは、やめにしましょ。私達が勝手に首を突っ込んだのだから。それはそうと、衣麻ちゃんは大丈夫なの? 一緒に暮らしているんでしょ?」
ミッチャンママが、正面に座っている衣麻さんに視線を向けた。衣麻さんは、ジョッキに唇をつけ、静かにテーブルに置いた。そして、溜息を吐く。
「私は問題ありません。でも、今日の事で決定的ですね。今までも、あの人の意固地なまでの独断と偏見には、辟易していたんですけど、まさかここまでこじらせているとは、愛想が付きました。あの人を変える事なんかできっこないし、私達が合わせる気にもなれない。正直、無理をしてまで、家族で居続ける理由が見つかりません」
衣麻さんは、ビールを一気に飲み干した。すかさず、人数分の追加オーダーをした。
無理をしてまで、家族を続ける理由が見つからない。胸の奥の方へ重くて冷たい塊を、押し込められたような寒気を感じた。
「衣麻ちゃん、差し出がましいようだけど、決断を急ぐ必要はないわ。少し距離をとったり、時間をかける事も大切よ」
「もうこの際だからぶっちゃけますけど、実は未来には言っていなかったんですけど、お母さん、離婚を考えているんです」
「え? そうなの?」
浅岡君の首が心配になるくらい、素早く衣麻さんに顔を向けている。衣麻さんは、浅岡君を見つめ返し、小さく顎を引いた。
「まあ、考えてるって言っても世間話レベルかもしれないけどね。お母さんと佳子と私は、よくお茶してるからね。未来も社会人になったから、もう良いよね? って話はするの。みんなあの人には、色々思うところがあるのよ」
溜息混じりで零す衣麻さんは、お父さんと呼ばなくなっている。意識的か無意識的かは、分からない。呼び方で、距離感が露骨に現れている。愛想が尽きて、見限った印象だ。会話が通じない相手と、どのように意思の疎通を図れば良いのだろう。失礼は承知の上だが、まだ犬や猫の方が、可愛げがある分ましだ。衣麻さんが言うところの、独断と偏見の権化のような人だ。分かり合えるはずがない。そして、最も不幸な事は、そのような人が肉親だと言う事だ。そのことは、当然、長年ともに暮らしてきた衣麻さんや浅岡君も十分理解している。もう涙も出ないほど、骨の髄まで分かり過ぎてしまっているだろう。
「僕が成人して、社会人になるまで、我慢していたの?」
「そうね。その思いは、特にお母さんが強いわね。責任感というか意地というか。お母さんは、優しくて穏やかでちょっと天然なところもあるけど、弱い人じゃないからね。子供は、三人とも働いていてお母さんの味方だし、肩の荷が下りて気持ちが楽になってるみたい」
今回の件が、引き金になる可能性は大いにある。喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか。浅岡君にとっては、願ってもない事なのだろうけど。浅岡君のお母さんは、『離婚しても構わない』という、ジョーカーとも呼べる最強の手札を手に入れた訳だ。浅岡君のお母さんが、長年培ってきた努力の賜物だ。無償の愛を子供達に注ぎ続けてきた結果だ。もちろん、見返りなんかは求めていないだろう。それでも、こうやってはっきりと明暗が分かれた。
信頼を失った父親と、信頼を貯めた母親。
浅岡君と衣麻さんの様子を見て、父親の姿を目の当たりにして、最早修復は不可能だろう。今更、綺麗事を吐く気にもなれない。とは言え、隣に座るミッチャンママの横顔を見ると、複雑な心境だ。明らかに、ミッチャンママは、複雑そうな表情を浮かべていたからだ。
同年代で、共に子供を成人まで育て上げた父親同士だ。色々と思うところがあるのだろう。父親を切り捨てる算段に、耳を塞ぎたい想いなのかもしれない。しかし、打開策も見当たらない。そんな顔になって、当然だ。
僕は、前の二人に気づかれないように、ミッチャンママの背中に、そっと手を当てた。チラリと僕に向けたミッチャンママの疲れ切った顔に、胸が締め付けられた。
他とは一線を画す女装癖の持ち主だが、それでもミッチャンママが父親で良かった。むしろ、ミッチャンママになった今の方が、愛嬌があって好きだ。真面目で堅物だった父さんよりも、ずっと人間臭くて良い。
そう考えると、自己中心的な人だって、とても人間臭い。でも、浅岡君のお父さんは、決して愛せない。彼に足りないのは愛嬌で、愛らしさが微塵もない。残念だけど、救いようがない。正直、ザマアミロと思ってしまっている。
「あの・・・浅岡君? 実際問題、ご両親が離婚するってなったら、どうするの?」
「どうするもこうするも、止める理由が全く見つかりませんよ。止めない理由なら、それこそ吐いて捨てる程ありますけど」
真顔で即答する浅岡君に、僕の反応が遅れてしまった。結果は分かっていたけれど、その速さに面食らった。浅岡君の隣では、衣麻さんが静かに頷いている。僕とミッチャンママは、言葉が出てこなかった。浅岡君の顔には迷いがなく、多数決で多数派に入ったような安堵感を滲ませている。きっと、あのお父さんの性格から察するに、陰でこんな会話が繰り広げられているとは、夢にも思っていないだろう。だからこそなのだろうけど、なんだか惨めだ。きっと今頃、自分は正しくて、息子と娘が悪いと思っているのだろう。まさに 寝首をかかれる様相を呈している。ご愁傷様ですと、心の中で手を合わせた。すると、隣に座るミッチャンママが、大きく息を吐いた。
「これ以上、よそ様の事情に口出すつもりはないけれど、どうしても悲しい気持ちになってしまうし、不憫でならないわ。最近は熟年離婚が多いって話だしね。勿論、お父様のあの態度を目の当たりにすると、致し方ないとは思うけれど、それでもどうしても悲しくなっちゃうわ」
ミッチャンママは、独り言のように呟き、空中をぼんやり眺めている。何を考えているのかは、分からない。もしかしたら、あの日の自分と照らし合わせているのかもしれない。
僕達家族に、カミングアウトをした日だ。
僕達にしたって、父さんの夢を否定し、拒絶していたかもしれない。僕からしてみればそんな事ありえないのだが、父さんにしてみれば胸が張り裂けそうな程、不安だっただろう。ここでふと疑問が沸いた。しかし、今この瞬間に聞くべき事ではないだろうと踏んで、喉まで出かかった言葉をグッと飲み込んだ。
実際、あの日あの時、僕達が父さんを拒絶していたら、家族と夢と、どちらを諦めていたのだろう。
ミッチャンママの横顔を眺めていると、僕の視線に気が付いた。眉を上げて首を傾けたミッチャンママは、表情だけで『なあに?』と訪ねてきた。僕は慌てて手を振って、誤魔化すようにビールを一気に流し込んだ。
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