第34話 その姿違和感あり
「あぁ! なんだか、すっごく久しぶりな気がしますう」
ハイヒールを履いた浅岡君が、ちょこちょこと歩み寄ってきた。ぎこちなく歩く姿が、生まれたてのヒヨコのようで可愛かった。僕の手前まで来た時に、『あ!』とけつまずいて、咄嗟に抱きかかえた。
「だ、大丈夫?」
「エヘヘ! こけちゃいました。ありがとうございます。竹内さん」
浅岡君の照れくさそうな笑みに、何故か胸を撫で下ろした。それはきっと、小百合ママと衣麻さんも同じ気持ちだったに違いない。お父さんと喧嘩をして、家を飛び出した浅岡君は、酷く傷ついていると考えていたからだ。
「小百合ママ! ビール下さい! あれ? お姉ちゃん? 何でいるの?」
僕の隣に座った浅岡君が、反対側に座っている衣麻さんを見て、目を丸くしていた。
「何でって、未来が心配だったからよ。全然、連絡よこさないんだから。って言うか、今気が付いたの?」
「ごめん、ごめん。慣れないヒール履いてきたから、視界がバカ狭いの」
ビールを受け取った浅岡君は、景気良く乾杯の掛け声を発し、勢い良く咽頭に流し込んでいる。その様子を見ていた衣麻さんは、呆れたような顔をしていたが、つられるようにビールを飲んだ。先ほどまで、衣麻さんを覆っていた陰鬱な雰囲気が掻き消えている。生存確認ができて、安堵しているのだろう。
「浅岡君、もしかして、家からその格好で来たの?」
「そうですよ! 超気持ち良かったです! 凄く人に見られました! 腹をくくったら、他人の視線なんか、屁でもありませんね!」
ビールを追加注文し、浅岡君はご機嫌に笑っている。その姿は、見た目以上に、僕の知っている浅岡君ではなかった。お父さんとの喧嘩によって腹をくくったそうだが、どうにも違和感がある。吹っ切れたとかではなく、開き直っているとか、やけくそになっているとか、そういった類に見えた。家から女装をしてやってきたそうだが、それはある種のお父さんへの当てつけのようだ。僕の思い違いなら、良いのだけれど。
「あ! そう言えば、浅岡君一人暮らしを始めたんだって? 良い物件は見つかったの? 片付け終わった?」
「はい、なかなか良い部屋ですよ。少し古いですけど、家賃安いですしね。まだ片付けの最中なんですけど、この服だけ引っ張り出して、遊びに来ちゃいました。部屋が片付いたら、遊びに来て下さいね」
届いたビールをすかさず飲み干し、追加注文だ。酒豪なのは知っているけど、明らかにいつもよりハイペースだ。その後も、何かを払拭するように、いつもより良くしゃべる浅岡君に、唖然としていた。見ようによっては、初めての一人暮らしで、テンションが上がっているようにも見える。浅岡君の真意を測れないでいた。部屋の家具や家電のレイアウトを考えるのが楽しいとか、生活用品を揃えるのが大変だとか、引っ越し後の話を嬉しそうに語っている。僕は、話を聞きながら、頭の片隅にずっと疑問が浮かんでいた。どのタイミングで尋ねようか考えていると、衣麻さんが口を開いた。
「未来? お金はどうしたの?」
そう、僕もそれを聞きたかった。僕は一人暮らしの経験がないから、詳しくは知らないけれど、賃貸物件を借りるには、敷金礼金や前金が必要なのではなかったか? それに、家具や家電を一式揃えるのにも、それなりのお金がかかるだろう。今年入社したばかりの新社会人に、それらをまかなえる貯えがあるとは思えない。新卒入社の給料なら、だいたい分かる。それとも学生時代から、コツコツと貯金をしていたのだろうか?
「全財産を投入したら、なんとかなったよ」
しっかり貯金をしていたようだ。言われてみれば、合点がいった。実家の居心地の悪さを考えれば、学生の頃から、家を出る準備をしていても不思議ではない。この準備とは、つまり貯金だ。変な所から借金をしていないかと心配になったが、取り越し苦労だった。一安心してビールジョッキに口をつけた瞬間、体の動きが止まった。
全財産を投入した? 僕は、ジョッキを叩きつけるように、テーブルに置いた。
「ちょっと、浅岡君? 全財産投入って、当面の生活費は? ご飯どうすんの?」
真っすぐに浅岡君を見つめると、彼は目を泳がせ、視線を反らした。
「それに、賃貸物件の入居には、保証人がいるんじゃないの? それはどうしたのよ?」
追い打ちをかけるように、衣麻さんが身を乗り出した。僕と衣麻さん、そして小百合ママが浅岡君を凝視する。狼狽えていた浅岡君が、観念したように肩を落とした。
「・・・どっちも、モモちゃんが助けてくれた」
「モモちゃんって誰よ?」
衣麻さんの呟きに、マーブルの常連さんだと教えてあげた。浅岡君の説明によると、お父さんと喧嘩した直後、モモちゃんを頼ったそうだ。モモちゃんは一人暮らしをしており、何度も遊びに行った事があったからだそうだ。吉川探偵事務所とは別で、マンションを借りているとの事。そして、賃貸物件もモモちゃんの伝手で見つけてもらい、保証人もいらなかった。お金に関しても、十万円借りたそうだ。
「うっかり、お金が尽きた事を言ってしまったら、モモちゃんが引っ越し祝いにって、十万円くれたんです。でも、それは流石に申し訳ないし、これ以上迷惑かけたくなかったから、借りた事にしてもらったんです」
モモちゃんは、本当に面倒見の良い人だ。きっと、浅岡君を弟のように可愛がっているのだろう。妹かもしれない。安心したような、なんだか複雑な心境だ。やはり先輩として、僕も頼って欲しかった。とは言え、こんなところで拗ねても仕方がないので、小さな器を奥に押し込んだ。
「まあ、何はともあれ、いったん落ち着いたわけね? 未来ちゃんとモモちゃんなら大丈夫だろうけど、お客さん同士のお金の貸し借りは、今後は遠慮して欲しいわね。トラブルの元だから」
「・・・すいません」
「お代わりいる?」
小さくなって頷く浅岡君に、小百合ママがビールを持ってきた。大ジョッキを浅岡君の前に置く。
「これはサービス。引っ越し祝いよ」
小百合ママがウインクをした。その後、ミッチャンママやジェシカママ、他のお客さんが浅岡君に声をかけた。皆が皆、浅岡君の事情を知っている訳ではないけれど、久々に顔を見せた仲間に、皆嬉しそうだ。いつの間にか、浅岡君も笑顔を見せている。仲間内で和気あいあいと楽しんでいる浅岡君を見ていると、とても穏やかな気持ちになってくる。皆が浅岡君を受け入れ、心地良い空間を演出している。僕が衣麻さんに顔を向けると、目を細めている彼女と目が合った。お互い微笑み合い、小さく頷いた。
「浅岡君。今日は僕がおごるよ。好きなだけ飲んでね」
「え? そんな申し訳ないですよ」
「良いから良いから、僕にも少しくらい格好つけさせてよ」
「ありがとうございます。じゃあ、小百合ママ! 一番高いお酒下さい!」
浅岡君は、手を上げて立ち上がった。ギョッとして、つられるように僕も立ち上がる。
「ドンペリ入りまーす!」
「ちょっと、小百合ママ! 浅岡君も勘弁してよ!」
「冗談よ。ウチにドンペリなんか置いてある訳ないじゃないの」
心臓に悪い冗談だ。胸を撫で下ろして、椅子に座る。周囲では、笑いが起こっていた。すると、ミッチャンママが耳打ちしてきた。
「実は、星矢君用ならあるけど、男気見せる?」
驚いて振り返ると、ミッチャンママは高笑いをして、その場を去った。あのクソオヤジ。
気を取り直したのは僕だけだけど、皆でワイワイ盛り上がっている。談笑をしていると、お客さんの来訪を告げるベルが鳴った。店内が騒がしくなっていた為、ドアに近い僕達だけが微かに聞こえた。誰が来たのだろうと振り返ると、初めて見る年配の男性が佇んでいた。見た事ない人なので、新規のお客さんだろう。僕と一緒に振り返っている衣麻さんの呟きに、心臓をギュッと握られたような痛みが走った。
「・・・お父さん」
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