第2話 父さんの告白
自分で言うのも変だけど、結構家庭円満な家族だと思う。父さんは、真面目で物静かな人だ。家では、読書をしている姿をよく見かける。母さんは、いつもニコニコしていて、穏やかな人だ。両親が怒った姿を見た事がない。僕も、どちらかと言うと、おとなしい方だろう。ウェイウェイしている人を見ると、距離を取りたくなってしまう。そう考えると、我が家で一番喧しいのは、五歳下の妹の結衣だ。我が家の会話の中心は、いつも結衣で、僕と父さんと母さんの三人は、聞き役に徹している。今年、無事成人を迎えた妹は、大学生だ。僕と妹は、実家からそれぞれ会社と大学に通っている。これまでの人生で、良い悪い共に、特別な事はなく平穏な生活を送ってきた。平穏な生活なんか退屈だ。そんな事を言っていた同級生はいたけれど、僕は静かに穏やかに過ごせれば良い質だ。
平和が一番。安全第一、家庭円満、皆仲良し。
仲良しと言うと、首を傾げざるをえないが、争い事がない家族であった。
そんな生活を送って、二十五年が経過した時であった。この日は、父さんが仕事で帰宅が遅いらしく、父さん以外の三人で食卓を囲んでいた。もちろん、家族全員で食事を取る事の方が珍しい。僕にも結衣にも予定がある。母さんと結衣が並んで座り、僕は結衣と向かい合う形だ。これが、食卓でのポジションになる。
僕が、好物の唐揚げを咀嚼していると、母さんがゆっくりと箸を置いた。
「翔太、結衣。明日の夜なんだけどね。真っすぐに帰ってきて欲しいの。できれば、皆で晩御飯食べましょ」
「え? どうしたの急に?」
真っ先に食いついたのは、結衣だ。僕も結衣と同じ疑問が浮かんだ。明日は、何かがあっただろうか。誰の誕生日でもないし、特別な事はないはずだ。そもそも、もう何年も家族でお祝い事をした記憶がない。誕生日やクリスマスや年越しなど。僕と結衣は、高校生くらいから、独自の過ごし方をしている。
「お父さんがね、『大切な話』があるそうなの」
「ひょっとして、リストラ!? 勘弁してよ! まだ大学の学費があるんだよ!」
結衣は、米粒を飛ばし、テーブルに落ちた米粒をつまんでいる。
「まさか、病気とかじゃないだろうね?」
僕が身を乗り出すと、母さんは首を傾げた。
「内容は、聞いていないのよ。もしかして、離婚とかだったりして?」
母さんは、ケラケラ笑っていたが、僕と結衣は互いに見合い、苦笑いだ。
「明日は、友達とカラオケに行く約束があるから無理!」
結衣がプイッとそっぽを向いて、唐揚げに箸を伸ばす。すると、母さんが結衣の手を掴んで引いた。母さんと結衣が向かい合っている。
「結衣。明日は、真っ直ぐに帰ってきてね。お願い」
母さんが、真っ直ぐに結衣を見つめる。結衣は、分かったよと渋々受け入れた。母さんに、これをされると何故か反論ができなくなる。『結衣ドンマイ』と心の中で、手を合わせた。
大切な話とは、いったいなんだろう?
良い予感は、まるでしない。
「父さんは、卒業します」
「・・・」
次の日、久し振りに家族全員で食卓を囲んでいた。食事を終え、お酒やらお茶やらコーラやらを各々が飲んでいると、父さんが頭を下げた。僕達三人は、訳が分からず、絶句していた。
「どういう事?」
やはり真っ先に飛びついたのは結衣で、僕は麦焼酎の水割りをチビリと舐めた。昨夜から今まで、色々な事を想定していた。しかし、何一つ思い当たらなかった。それならばと、心穏やかに黙って父さんの話を聞く事に決めていた。
「お前達が見てきたお父さんの姿は、世を忍ぶ仮の姿だ。そして、結衣は成人した。父親の責務を全うしたと言っても良いだろう。ならば、お父さんは、自分の道を歩こうと思う」
「・・・だから、どういう事?」
「長年心に秘めていた想いを・・・夢を叶えたいと思っている」
父さんの夢。そんなものがあったのは、初耳だ。世を忍ぶ仮の姿とはなんだ。僕は、テーブルの上で腕を組んで、身を乗り出した。小さく頷き、話の続きを促す。
「お父さんは、女性が大好きなんだ」
「はあ!? なにそれ!? 不倫してたって事!?」
怒鳴り声に近い声を上げた結衣が、勢い良く立ち上がった。結衣の大声に驚いたけど、それよりも母さんが気になった。しかし、母さんはいたって冷静な表情で、結衣を宥めて椅子に座らせた。
「すまない。そうではない。女性に憧れている。女性は、素晴らしい。化粧や衣服で、キラキラ輝く事ができる。それは、男の比ではない。ずっとずっと、女性に憧れ羨ましく思っていた」
父さんは、冗談を言うタイプの人間ではない事は、ここにいる皆が理解している。案の定、父さんの表情は、真剣そのものだ。
「それで?」
僕が、隣に座っている父さんの方へと顔を向ける。父さんは、ここで初めて照れくさそうに俯いた。
「お父さんも、女性のように化粧をして、美しい衣服を身にまとい、キラキラ輝きたい。そして、お父さんのように、女性に憧れる人々が、何の気兼ねなく集まれる憩いの場所を作りたい」
顔を上げた父さんの表情は、一切の迷いがなく凛としていた。
「仲間とスナックを作りたいんだ」
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