第8話 堅忍と朋友
「あれ……なんで……?」
ソファに座って、ノートパソコンで企画書の作成を行なっていると、そんな声が聞こえた。
「起きたんだ」
手を止めて視線を向ける。目を擦りながら寝癖いっぱいの天沼は、リビングの入り口で不思議そうに視線を向けてきた。目が開いていない。眩しくてなのか、眠くてなのか、くりんとした目は半分だ。
「仕事休んだ」
「え……あれ? 今日って日曜日?」
「違うよ」
「土曜日?」
「それも違うね」
「んー……」
ぼんやりとしたままの天沼のところに歩み寄る。
「水曜日。たまにはいいじゃない?」
「たまには……? よくわからないな……」
「まあ、いいじゃない。そのうちわかるよ。それより風呂入りなよ。おれが洗ってあげようか?」
「お風呂……?」
ぼけぼけとしている彼の背中を押してバスルームに連れて行く。いつ起きてくるかわからないので準備していたのが正解だったか。
――ふらふらとして、本当にお疲れなんだから。
十文字は苦笑する。
しかし、その内に我に返ったのか。天沼は変な声を上げた。
「や、ややや、」
「なに? その反応は?」
「いや! 一人で入るから大丈夫!」
――急に我に返るとか有り得ない。
ワイシャツのボタンに手をかけていた十文字の手を振り払うと、天沼は頬を赤くして後ろに向く。
「ちぇ、もう少しだったのに」
「いい! 大丈夫!」
走り続けていた彼が、久しぶりに休んですっかり元気になるとは思えない。むしろ休んでしまったからこそ、こうしてどっと疲れが押し寄せているに違いないのだ。
本当だったらいじめてやりたいところだけど、あまりにも見ていられなくて、十文字は素直に廊下に出た。
一緒に住み始めたって、朝のほんのひと時しか一緒に過ごせないし、それになにより、彼の様子を見ていたら自分の欲求を押し付けることなんて難しいと言うことはよくわかる。
正直なところ一緒に住み始めてから一度も寝ていない。
プラトニックラブみたいになってしまっている関係性だけど、それでもいいと自分では思っている。身体の関係が無くても、天沼が自分のことを好きでいてくれることは理解しているからだ。
「だけど、そろそろいいよね……」
シャワーの音を耳にしながら十文字は出かける準備をし始めた。
***
さっぱりしたところでリビングに戻ると、十文字は出かける支度をしていた。
「どこいくの?」
「もう夕方じゃない。ちょっと早いけど、朝からなにも食べてないし、お腹空いたでしょう?」
「え。うん……確かに」
意識した瞬間。天沼のお腹が「ぐ〜」と鳴った。彼は赤面しておたおたとする。
「は、恥ずかしい」
「恥ずかしくないじゃん。お腹空いたら鳴るものなの。夕ご飯食べに行こう」
「どこに?」
「天沼さんのこと、まだ連れて行ったことなかったからな〜……」
「?」
「おれの友達のとこ」
天沼は首を傾げながら、急かされて慌てて準備をした。それから十文字の運転する車に乗ってやってきたのは駅の近くの下町だった。時計の針は午後4時を過ぎたところ。夕飯には少し早い時間だし、平日ということもあって、周囲は人の通りが少ない。
だが、そろそろ夜の街は目覚める時間だ。仄かに灯り始めている色とりどりの照明を眺めながら、十文字に付いていくと、彼は古びた白い木の扉を押し開けた。昭和の匂い。カランカランと鈍い鐘の音が耳を突いた。
「いらっしゃ……っつか。平日にサボり?」
店内には、おばちゃんが数名お茶をしていたり、高校生たちが何やら話し込んでいたりする様子が見て取れた。
天沼は初めてで、興味深そうに周囲に視線を巡らせるが、カウンターに居た男は目を細めて悪態をつく。
「サボりじゃないよ。今日は有休だし」
「有休もサボりの一種だろうが」
「違う!」
そんな二人のやり取りに、天沼は小さく笑った。
「笑わないでくださいよ」
十文字は恥ずかしそうに天沼を見下ろす。不本意なのだろうとは思っても、なんだかおかしかった。
「幼馴染の会話みたい」
「幼馴染とか、一緒くたにするのはやめてください」
この店の店主らしき男も抗議の声を上げた。
「ごめん……」
相変わらず笑顔でいるものの、言葉が続かないのは、疲れているせいだ。今日はずっと眠っていたとはいえ、疲れは抜けていなかったのだ。体が鉛のように重かった。
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