第7話 虚偽と幹事



 眠れなかったおかげで頭が重い。


 サラリーマンとして、先輩としての責務を感じながらも、やはり自分の欲求には勝てなかった。


「もしもし。おはようございます。十文字です」


 電話越しに声を上げると、相手は冨田だった。


「おはようございます。あれ!? 十文字さん、どうしたんですか?」


「あのさ。悪いんだけど。今日、体調が思わしくなくて。……休みます」


「えええ! 嘘でしょう? 今日はおれの歓迎会じゃないですか。幹事は? 幹事は?」


 冨田の泣きそうな声に、笑いを堪えながら病弱な声を装う。


「お前やっておけ」


「な、なんで歓迎会されるおれが幹事なんですか」


「下っ端だから。いいか。有坂さん、羽交い締めにしても連れて行けよ」


「あの、十文字さ……っ」


 十文字は勝手に電話を切る。


 ――これでいい。これでいいのだ。たまにはいいじゃないか。自分だって、ずっと我慢してきたんだから。少しくらいサボってもバチは当たらないでしょう?


 そう自分に言いきかせた。


 スマホをじっと眺めてから天沼の寝室を覗き見る。


 結局昨晩は、夕飯を食べてから風呂もままならない。彼はそのままふらりと寝室に消えたかと思うと、死んだように寝入っていた。朝になっても起きる気配はない。カーテンが閉ざされて、合間からうっすらと朝日が溢れているというのに、全く動じることはない。横向きになって丸々ように寝入っている天沼を見て、なんだか微笑が零れた。


 ――どうしてだろう? なにをしているわけではないのに……。


 ただそこに、彼がいてくれるということだけで幸せな気持ちになる。


 仕事に取り組んでいる彼が嫌いなわけではない。だけど、こうして側にいて欲しいと思ってしまうのは十文字のエゴなのだろうか?


「もう少し寝かせてあげよう」


 そう呟いてから、自分は身支度を整え始めた。



***



「十文字が休みってどういう事なんだよ?!」


 ただ電話を受けただけなのに、怒鳴られても仕方がないではないか――という顔をして冨田は首を竦めた。いや竦めたつもりだ。元々首がないので、大した変化ではない。


「もう少し詳しく聞こうと思ったんですけど、切られてしまって……すみませんでした」


「あいつー……サボりか?! 幹事の」


 谷口はむっとした顔をしていた。それを見ていた渡辺はため息を吐いた。


「まさか。今まで有休すら使ったことのない奴だ。本当に具合悪いんだろう? 確か一人暮らしだって聞いていたが。大丈夫だろうか」 


「もう、渡辺さんは優しいんですから」


「優しいとかではない。部下の体調不良は気になる。昼にまた電話してみるよ。おれから」


 谷口と渡辺の会話を聞いていた有坂は喜びを隠しきれない様子で渡辺に意見をした。


「では、本日の歓迎会は中止がよろしいかと」


「なにを言う」


 谷口は「心外だ」とばかりに有坂を見た。


「課長も誘っちゃっただろう? 急に中止だなんて、ねえ? 係長」


「それもそうだな。まあ幹事なんていなくてもなんとかなる。十文字が予約は取ってくれているしね。あいつの分だけキャンセルできるのかな? それともおれが……」


 渡辺の言葉に、突然冨田が手を上げた。


「はい! おれ、十文字さんから幹事代行を仰せつかっておりますので、おれが連絡を取ります」


「おいおい、お前歓迎される側だろう?」


「大丈夫です。十文字さんは、おれに付き合ってくれて体調を崩したに違いありません。お任せください。――有坂さん! それでは一緒に幹事をお願いいたします」


「な、なんでおれが……」


 細い眉毛を動かして、彼は不本意である! と言わんばかりだが、冨田がそういう繊細なことに気が付くはずもない。


「お願いします。同期のよしみじゃないですか」


「なぜお前とおれが同期なんだ」


「え? だって一緒に四月からここに来たでしょう?」


「冨田、そういうのは同期って言わないの」


 谷口の突っ込みに冨田は首を傾げるばかり。渡辺は笑うしかない。


「まあ、いいじゃないか。十文字のことはおれが後でフォローしておく。冨田、有坂。幹事よろしくな。ああ、そうそう。課長って場所迷子になるから。有坂が連れてくるように」


「お、おれですか!?」


「だって、お弁当仲間じゃん」


「仲間じゃありませんよ!」


 不平不満を述べている彼を放置して、渡辺は「どれ、今日も一日頑張ろう」とのんきな声で仕事を開始させた。




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