第9話 合唱と憂患
「天沼さん。こっちはおれの高校時代の同級生の石田」
「はじめまして」
石田はぺこっと頭を下げた。
そして、にやっとした。意味は理解している。『お前の恋人か』という意地悪な笑みだ。十文字はおほんと咳払いをしてから今度は天沼を見る。
「石田、こちらは天沼さん。おれの……」
「はいはい。わかってるよ」
「え〜、ちょっと。中断するなよ」
「いいじゃないか。恥ずかしいことを公衆の面前で言わなくたって」
石田が二人の関係を承知しているということを理解したのか。天沼は少し頬を赤くした。
「あの……」
「大丈夫です。同じ穴の狢ですから」
「え?」
「こいつの趣味もおれと一緒だし」
「え?」
天沼は目をぱちぱちとさせた。
「こちらにどうぞ」
石田に案内されたのは、カウンターの隅だった。
「なんだか常連さんみたいな気持ちになるね」
「そうかな?」
慣れ親しんだ店なので大して意識もしていなかった。二人が着座すると、石田はコーヒーを入れる作業に向かった。それを見送ってから、天沼に視線をやると、彼はよそよそしい雰囲気で十文字に囁いた。
「ねえ、さっきのってなあに?」
「え?」
「趣味が一緒って……」
天沼は気恥ずかしそうに聞く。内容を理解しているということだが、確認しておきたいのだろう。
「あいつも男と付き合っているんですよ」
案の定、天沼は「あ、そう」と妙に納得した顔をした。元々、同性が趣味の男ではないから、自分の友人のことを話して大丈夫なのかと、一瞬不安になった。しかし彼は、大して気に留めることもなく店内を見渡していた。
「なんか大人のお店みたい」
「そう? 合唱バカが高じてるだけだよ」
「……確かに。合唱?」
店内に流れているのは合唱曲。今日のチョイスは『フォーレのレクイエム』。
ふと周囲を見ると、他の客たちはBGMとして流れている曲について「ああだ、こうだ」と語り合っている様子が見て取れた。一通り確認したのか、天沼は十文字に視線を戻した。
「ここって、結構コアなお客さんが多いね」
「うん。梅沢は合唱盛んですからね。合唱人口が多いんですよ。だから、あいつの商売も成り立つって訳」
「十文字と同じ年なんでしょう? 凄いね」
「そうそう。高校時代からズバ抜けて凄い奴だった。勉強もできるし、みんなを引っ張るリーダーシップもあって……。おれなんて、いつも面倒みてもらいっぱなし。大学卒業して喫茶店やるなんて言うから、意外って思ったんですけど、案外向いているみたい。ただ、自営業以外に声楽家としても活動しているんですよ」
「声楽家……歌、歌う人だよね? すごいな……どんな歌声なのか聞いてみたいね」
「石田のベースは痺れますよ。同級生のおれたちでも惚れ惚れしちゃうくらい」
「へぇー」
「部長もこなして、歌もばっちりで。本当、出来た奴ですよ。……おれと違って」
「そんなことないよ。十文字だって出来た奴じゃない」
天沼はにこっと笑う。
「褒めてもなんも出ないし」
「そういう意味じゃないんだけどな……」
天沼はそう言うと、ふと表情を緩めた。
「いつもお弁当作ってくれるし、おれのくだらない話も一生懸命聞いてくれるし、それに、いつも心配してくれているし。おれなんて迷惑かけ通しだね。夜も遅く帰宅して睡眠邪魔しているし、本当駄目な奴だ」
「……また、悪い癖」
十文字は天沼を見つめる。
「え?」
「一人で抱え込むのって、天沼さんの悪い癖。自分さえ我慢すればいい的な自己犠牲の精神は褒められないよ」
「そんなつもりは……」
「いい子ちゃんぶってもダメ。こんなにボロボロになったら、みんな余計心配するものです。いい加減に自覚しないと」
「……そんなこと言われても、すぐには直せないよ」
「知ってる。おれの悪い部分だって直せないし。だけど走り過ぎていたら、おれが止めますよ? 今度は」
「十文字……」
十文字は天沼の手をそっと握る。
「潰れて欲しくないよ。天沼さんの好きだし、見守っていようって思ったけどさ。見ているのも辛いんだよ。……やっぱりダメだね。ごめん。限界になる前になんとか止めるから」
「……ごめん」
「謝るところじゃないし」
そんな話をしていると、石田がナポリタンを目の前に出した。
「ほらよ」
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