第3話 威圧と玩具


「こんなことがまかり通るか! 馬鹿者!」


 地の底に響くような怒声に、そこにいたメンバーが一人残らず、ぶちまけられた書類を見つめて呆然としていた。誰も声を上げないのだろうかと傍観者として立ち会っていた天沼が思っていると、その中から一人の職員が声を上げた。


「そう怒っても仕方がないことですよ。副市長」


 一般職員の身分では管理職と顔を合わせることはほとんどない。しかし澤井と一緒にこうして動いていると、顔を合わせるのは部長次長クラスばかりで、ずいぶんと見慣れた顔ぶれになってきた。


 ――財務部長の吉岡よしおか……。


 彼は立ち上がって、床に散らばった書類をゆっくりとした動作で拾い上げた。


「この件に関しては、もう少し時間が必要のようですよ」


「悠長なことを言っているな。おれは先週からこの案件について対応策を示すように言っているだろう? こんな子供騙しみたいな書類を出して、おれを愚弄する気か」


「そうではありませんよ。あなたもお気づきでは? 今のこれがだと」


「限界などあってないものだ。もっと考えろ。捻り出せ。お前は甘い。だから成長しないのだ」


「しかし、そう威圧的にされても、皆、萎縮するばかりですよ」


「これがおれのやり方だ。おれのやり方に異論があるなら、お前がやらせろ。来週までだ」


 澤井は椅子を蹴るように立ち上がった。


てん! 行くぞ」


「は、はい」


 天沼は慌てて彼に従う。ふと会議室を出る際、吉岡と目が合った。彼は微笑を浮かべて一瞥をくれた。その視線が意味ありげで。なんだか胸がざわざわとした。



***



 財務部長の吉岡。他にも複数部長が同席していたのに、澤井に対して意見を述べられるのは彼だけとは。


 一般職員の天沼からしたら、部長クラスは雲の上の人だ。みんな、そこそこの力ある職員だと思っていたのに。澤井の恫喝にすっかり萎縮してしまっている部長もいるのか。現実を見た気がする。


 部長だから、とも限らないのだ。そう。ただ年齢と共に持ち上がっている職員もいるということだという現実を知った。


 そして、その中で吉岡は別格と言う事だ。澤井とやり合えるのは彼だけだと言うことか。そんな事を考えながら澤井の背中を見る。


 ――副市長は、どうしてあんな態度をとるのだろう? 性格もあるかもしれないが、わざわざ反感を買うような態度をとる必要があるのか? あれは一つのパフォーマンス? なぜ? なぜ嫌われるようなことをするのだろう?


 ぼんやりとしていたのか、はっと気がつくと澤井がこちらを見ていた。


「あ、あの」


「次の予定は」


「本日は市長との昼食会議です」


「面倒だな」


 ――おれの心の内など気がついてもいないのだろうか? いや。この鋭い人には隠し事は意味がない気がする。


 特に触れてこないのだから、素知らぬふりをするのが賢明だ。


「私設秘書のまきさんからの強いご要望です。どうしても相談したことがあるようです」


「仕方あるまい。市長の相手もしてやらんとな」


 自室に戻って椅子に座るなり、澤井は書類を見始める。本当にせわしない。そして、パワフル。五分も眺めると、今度は立ち上がった。時間よりは少し早いので、意表を突かれて天沼は出遅れた。


「行くぞ」


「もうですか? 少し早いのでは……」


「寄るところがある」


「はい」


 書類作成の手を止め、途中だが席を立つ。澤井に「待つ」という言葉はない。

彼が「行く」と言ったら行くのだ。それだけ。急いで保存ボタンだけを押して、副市長室を後にする。天沼の一日は、終始こんな感じ。午前中が終わる頃にはクタクタだ。体力がついて行かない。少し息を切らしながら後を追う。歩くのも早いから。少しでも出遅れると追いつけないのだ。


 階段を降りて、どこに行くかと思えば。観光課をすり抜け、とあるカウンターで立ち止まる。


「おい、この前の書類。まだか」


 ――まさかの、自分で書類の催促?


 やっと追いついた天沼は、そこが市制100周年記念事業推進室だと認知する。


「締め切りなんて聞いていませんけど」


 カウンター越しに対応する男はこの室の長だ。毎週決まった時間に定期報告にくる男。どんなに他の仕事が立て込んでいても、――保住だ。


「それに、突然来るのはやめてください。迷惑です」


「上司に対して迷惑だなんてよくも言えるものだ」


「迷惑に決まっているじゃないですか。他の職員たちが嫌がります」


「どういう意味だ? それは」


 澤井の不躾な態度に、他の部署の職員たちは手が止まっている。それを見兼ねて顔を出したのは観光課長の佐々川だった。


「副市長。いかがされましたか」


「こっちに用事だ。観光課には用はない」


「また。そんなこと言って。遊びにきたんですね」


 澤井と対峙した人間は二つの反応を示す。


 一つは萎縮だ。大半の職員はこの反応だ。そして、もう一つがこれ。彼に対して臆することなく冗談をかましてくる人間。こちらのタイプは、吉岡や保住、そして佐々川もそうか。日ごろの邪悪な態度からして、冗談をかますなんてこと、普通は到底できそうにない。天沼もそのタイプだ。


 しかし澤井は案外と後者の人間が好きだ。案の定、彼は気分を害してはいないようだ。表情を緩めて佐々川と言葉を交わす。


「そうだ。おれにだって息抜きの時間くらいあったっていいだろうが」


「そうですね。副市長ほどお忙しい方はいらっしゃいませんからね。構わないとストレスが溜まる一方ですね」


 澤井と佐々川が笑い合う姿は恐ろしい。その間で保住は顔を引きつらせていた。


「そのおもちゃ的な扱い、やめてもらえませんか」


「そうか? お前は手頃で愉快なだろう? それ以外になんの使い道がある」


 人を人として扱わない発言は、受け取る側にとったらかなり衝撃だが、保住は「相手をしていられるか」とばかりに呆れた顔をした。


「どうぞご勝手に。なんとでも言ってください。しかし! 仕事の邪魔をするなら上司でもごめんです。さっさと立ち去ってください!」


 きっぱりと言い切った保住に佐々川は苦笑する。


「言われちゃいましたね。副市長」


「ちぃ、つまらん。無駄な時間を過ごした。昼食に行くぞ」


「はい」


 ふんと歩き出す澤井。だけど、口元が緩んでいる。彼にとったら「息抜き」と言うのは本当らしい。天沼は残された職員たちに頭を下げて澤井を追いかけた。心も体も休まらない一日は、まだまだ続くようだ。




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