第4話 電話と友達


 冨田の面倒を見て精神的に疲弊しているのがわかる。今朝、高校時代の親友のことを思い出したついでに、彼の店に寄って帰ることにした。彼――石田いしだ――は、十文字の高校時代の同級生だ。十文字は高校時代、合唱部に所属していた。


 石田はその時の部長だった男だ。当時から頼りになる男で、十文字たちも引き連れて全国大会に連れて行ってくれた頼もしい友である。声楽で音大を卒業し、今は声楽家として一面と、合唱喫茶の店主という一面を持っている。


 売上に貢献したい、純粋に友に会いたいという思いで、時々、こうして彼の店には足を運んでいたのだが、年度末や年度初めは、ともかく忙しい。こんなに長く彼の店に寄らなかったのは珍しいと思いつつ、古びた雰囲気のある喫茶店の前に立つ。それからガラスがはめ込まれている木製の扉を押した。カランカランと鈍い鐘の音が耳を突く。中に入ると見知った顔が二つ見えた。


「十文字〜!」

 

 一瞥をくれただけの男は、この店のマスターの石田。


 そして、もう一人。カウンターでナポリタンを食べているのは、四月から転勤で梅沢市に戻ってきた森合もりあいという男だった。


 彼もまた、合唱部の仲間だった男だ。高校教諭をしてる森合は、昨年度までは山奥の小さい学校を担当していたから、会うのはなんだか久しぶりな気がした。


「森合。お帰り」


「ただいま〜」


 小柄。栗色の髪。くりくりの目は彼を幼く見せる。それに引き換え、石田は長身で大柄。切れ長の目は冷たい印象を与えた。


「どこの高校に来たんだよ」


桃花ももか高校だよ」


 桃花高等学校は市内の南側に位置し、成績で言ったら中の上レベル。共学でデザイン系の学科があり、ここのところ人気の高い高校だった。


「共学なんて大丈夫かよ? 女子高生にいじられて終わりなんじゃ……」


 そんな会話をしながら、十文字は森合の隣に座る。


「失礼だな。おれだって大人の男かましているん


って」


「森合、背伸びするな」


 石田の言葉は冷たい。


「ひどいね。いしちゃん。おれ結構、必死なんだけどね〜……」


「桃花って合唱部あるけど名前聞かないもんな」


 そうなんだよね、と森合は十文字を見る。


「元々、部活やる気がない学校だしね。生徒たちにやる気出させるのって難しいよねえ」


「そうだな。おれたちがいた梅沢高校は環境が恵まれていた。一生懸命に歌ったっていい環境だったもんな」


「そうだね」


 森合と十文字の会話を、コーヒーをいれながら石田は黙って聞き入っている。


「それより。十文字、仕事忙しいんじゃない? 新年度になってから初めてだもんね。会うの」


「おれにも一応、後輩がいてさ。忙しい訳」


「嘘でしょう? 後輩なんて育てられるの? 十文字って後輩育てるのが、昔からだったもんね〜」


 森合は豪快に笑う。


「うるさいな。だから教師は選ばなかったんだろ」


「そうだった。後輩育てるのに必死で恋人の一人もいないんでしょうし……あれ?」


 森合の「十文字は恋人がいない」発言に反応したのは、石田。そして森合はそれを見逃さない。


「え。なに? なに? 石ちゃんなんか知ってるの?」


「いや」


「……一応できたんだよ。会えていないけど」


 石田のナポリタンを食べながら十文字は顔を顰めた。


「会えていないって? 遠距離なの」


「いや。遠距離どころか。すっごく近いところにいるんだけどね」


「はあ? 意味わかんないし」


 ――そう。その通りだ。意味わからないし。物理的な距離はすごく近いのに。心が遠い。


 森合に説明したくとも、なんと説明をしたらいいのかわからない。


「そうだ」


 ――メール返さなくちゃ。


 十文字はスマホを眺めてため息を吐いた。


「十文字、大丈夫?」


「ずっと会えてなくてね。さすがにきつくなってきた」


「それはそうだよ。……ねえ?」


 森合は石田を見る。石田も気の毒そうに十文字に視線を寄越した。手持無沙汰にスマホを撫でていると、天沼のところを表示していて、間違って通話ボタンを押してしまったらしい。


「やばい」


 ――止めないと。迷惑だ。仕事中に電話だなんて。


 通話ボタンを取り消そうとした瞬間。通話が繋がった。


「あ……天沼、さん?」


 慌ててスマホを取り落としそうになる。なんとかスマホを持ち直し耳に当てる。まさか出てくれるなんて思わなかった。心臓が急に破裂しそうなくらい動悸した。


「あ、あの!」


 森合と石田は顔を見合わせて苦笑しているのがわかるが、そんなことは知ったことではない。スマホの向こう側の天沼の気配に神経を集中する。少し間があってから、最愛の人の声を耳にすると、全身が蕩けてしまいそうになった。


「……十文字?」


「す、すみません。仕事中なのに」


「大丈夫。今は一人です。副市長はもうお帰りになられて……。一人で自分の仕事をしていただけです」


 他人行儀。なんだか遠い。


 ――副市長が帰ったなら、帰ってこられないの? 


 心の中の疑問をぶつけてはいけない。久しぶりなのに、がっかりさせたくない。自分の嫌なところを出してはいけない。そう心に言いきかせる。


「本当に頑張りすぎです。お休みないんですか」


「休み……いつ休んだか。もうわからない。いや、きっと3月の休み以来休んでいないかも」


「そういうところ。勘弁してください。呆れてものも言えませんよ」


「そうだね。十文字に怒られないと気がつかないみたい」


 声に精気がなかった。疲れている証拠だ。


『だめだね。おれ……』


「だめじゃないでしょう。でも、今度会った時は、がつんと怒ります」


「あはは……怒られるなら会わないほうがいいかな……」


 すぐにでも職場に戻ってぎゅって出来たらいいのに。言葉が続かない。


「昨日はごめんね。あんな夜中にメールして。でも、なんだか十文字に会いたくなって……」


 ――会いたくなって……。


 そんなこと言われたら。我慢できないじゃない。


「待ってて」


「え……?」


 スマホを切って、十文字は席を立つ。


「ごめん。おれ」


 事情を察知しているのか。石田と森合は顔を見合わせる。


「いいよ。おれ食べておくから」


 森合はそう言うと、十文字の背中を押す。


「行ってきなよ」


「ちゃんとしろよな」


「うん」


 二人に背中を押されて、十文字は店を飛び出した。




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