第2話 仕事と責務



「もうおれの体型を見ただけで『お前、チューバね』って。おれ、トランペットやりたかったんですよ。なのに」


「指がもつれるだろう?」


「それ、図星なんで言い返せません」


 ふむと十文字は冨田をみる。


「なあ、お前のその吹奏楽系でなんかないの?」


「吹奏楽で、ですか」


「そうそう。おれはね。ずっと合唱部だったんだよ。だから合唱系の企画をしたんだ」


「なるほど」


「おれの前任の田口さんは、作曲家そのものに焦点をあてたみたいだし。お前の得意な部分で考えてみたら? 誰かの真似をしたって仕方ないだろう」


「……そうですね。確かにそうだ」


 冨田はなにか思い当たるところがあるのだろう。急に自分の世界に入ったのか、パソコンに向かい始める。


 ――邪魔しないでおこう。


 そんな中、有坂が顔を出す。


「おはようございます」


 無言で夢中になっている冨田が、挨拶をしないのが気に食わないのか、彼は一瞥をくれる。それを見て、十文字が説明を付け加える。


「今、企画書の件で神が降りてきているみたいですよ」


「ふん」


 有坂は冨田を随分下に見ているらしい。眉を少し動かしただけで、黙って腰を下ろす。


「冨田、吹奏楽部だったらしいです」


 雑談をしようとは思っていないが、彼と言葉を交わす機会はそうない。そのまま話題を振ってみようかと思った。


 ――この人に音楽のネタ投げてもな……。


 そんなことを考えていると、彼からの返答は意外なものだった。


「チューバか」


「へ?」


 思わず吹き出す。そして。


「有坂さんも音楽やるんですか? おれ合唱部だったんですけど、冨田が吹奏楽やっていると聞いて、同じこと言ったばかりです」


 彼は会話中も手を止めることなくパソコンを立ち上げている。


「おれは管弦楽部だった」


「へ~。なんの楽器ですか」


「……フルートだ」


「え! ……すごいですね」


 ――いや、この強面がフルートだって!?


「もう昔の話だ」


 話しが打ち切りになりそうな雰囲気に、十文字は慌てて次の言葉を投げかけた。


「有坂さんはどうしてそんなに仕事を覚えるのが早いんですか」


 ――答えてくれないかな?


 そんなことを思ったが、気まぐれなのか、それとも十文字の予測は外れていたのか。有坂は十文字に視線を戻した。


「別に早いとは思わない」


「そうでしょうか」


「給料をもらっているんだ。新しい職場で『わからない』というのは言い訳にはならない」


「はあ、正論ですね」


 有坂は眉間を潜める。そして十文字を見た。


「仕事は遊びでも楽しみでもない。ふざけた感覚で取り組むなんて市民のみなさまに申し訳が立たない」


 ドッキリとする。どこかで聞いた言葉。そして、どこかで感じ取った感覚。はっとして、有坂の手元のファイルに視線をやった。そう言えば、配属された初日から事業計画を読み込んでいた。彼の手元にあるグリーンの紙ファイルに挟まれている書類には付箋が貼られていた。彼は人にわからないような努力をしている。


 そしてそれは。


『期日ギリギリまで試行錯誤して最良のものを出したい。それだけは譲れない』


 田口の言葉を思い出す。仕事に対しての姿勢は真摯。真面目な男なのだな。ただの嫌味な悪い人ではないのだろう。


「見習います」


 妙に素直な反応を見せた十文字の対応が不思議だったのか。有坂は一瞬目を瞬かせた。だが特になにかを言うわけではない。黙ってパソコンに視線を向けた。


「十文字さん、これでどうでしょうか?」


「もうできたのか」


「だって、十文字さんからもらったヒントが良かったんですよ。ピピンと閃いちゃいました!」


 冨田の書類を眺めて内心思う。


 ――多分。この男は、やり方さえ教えれば伸びるだろう。


 自分が随分思い悩んで苦しんだ企画の案をこうして短時間で出してくるのだ。書類を書くのは苦手だ。書き方を教えられるか自信がないけど。田口から教わったことを伝えなくてはいけないのだ。田口や保住に赤ペンされた原稿はまだ残っている。それを思いながら十文字は気合を入れた。


 ここからが正念場。先輩としての腕の見せ所だ。結局、天沼にはメールを返せていない。彼の比ではないが、自分だって忙しい。天沼のことばかり気になるところだが、まずは目の前のことをしっかりこなさなくてはいけないのだから。それが自分の責任だ。


「冨田、書き方、一緒にやろうか」


「はい。お願いします」


 二人が仕事に取りかかり始めた頃、谷口と渡辺が出勤してきた。



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