おれの振興係

第1話 無茶と冷遇


 新年度が始まって、一ヶ月が経とうとしていた。


 だんだんと仕事のことがわかってきた。副市長の職務は多岐にわたる。議会対応、市長代行の外勤、マスコミ対応、庁議への参加、各部局から上がってくるお伺いの対応……。


 澤井にくっついていると、人前に出ることが多い。毎日同じような格好もしていられないし、身だしなみにすごく気を使うようになった。ネクタイをしめ、6時半には自宅を出る。目の前の道路を横切り、職員玄関から中に入る。


 夜勤の警備員や警務員に挨拶をして、IDをかざしてから二階へ。澤井が出勤してくるのは8時。いつもその時間。それまでに昨日の仕事のまとめや、今日の日程に合わせた書類の作成を行う。


 まず部屋の換気をしてから、ポットの準備をする。澤井はコーヒーしか飲まない。それもインスタントコーヒーが好きなようだ。お茶を出したら不機嫌になられたことがある。それからというもの、コーヒーしか用意しない。室内の掃除は9時に掃除の委託業者がくるので手を付けない。無駄なことはしないのだ。時間が少しでも惜しいから。


「今日は……」


 朝から会議の連続か。上から順番に資料を準備する。会議担当部署から上がってきている資料を再度チェックし、抜けの確認を行う。ざっと目を通して、あまりにも酷い資料については、知りうる限りの補足をつけることもある。そうしないと、会議中に澤井が怒り出して話にならないからだ。


 今までに蓄積されているパソコンのデータを駆使して行う仕事は多岐に渡る。自分が所属したことない部署の資料まで目を通すことは、なかなか高度な技が必要だった。細かいところまでは補足できないので仕方がない。あとは担当者に頑張ってもらうしかないのだが……。


 資料の整理をし終わると、応接セットの上の書類に手をつける。決済されたものばかりだ。澤井の判子を決済欄に捺印し、各部署に戻るようにボックスに入れる。ここに入れておくと、金成かなりのいる部屋の職員がきて、各部署に返却してくれるのだ。


 澤井と同行して一日の大半を過ごすのに、書類の振り分けまでは正直言って難しい。金成の配慮だ。ありがたい。


 一ヶ月かけて、ほぼ書類は片付いた。最後の一枚に判子を押し、ほっとため息を吐くと、澤井が出勤してきた。


「おはようございます」


「なんだ。小綺麗になったな」


「書類、片付けさせていただきました」


 彼はテーブルに一瞥をくれると、なにも言わずに椅子に座った。


「副市長。本日の予定ですが……」


 天沼の読み上げる予定を聞きながら、彼はパソコンを立ち上げる。


「今日は水曜だろう。推進室との打ち合わせはどうした」


「その件ですが。人事課長の久留飛くるびさんから、早急にご相談したことがあるとのことです。推進室との打ち合わせを明日以降に延期してもよろしいでしょうか」


「だめだ」


「え?」


 澤井は顔色一つ変えずにパソコンを見つめながら続ける。


「推進室との定期打ち合わせはやる」


「は、はあ」


「他のものを後回しにするか、人事の話を後回しにしろ」


「承知しました……」


 ——無茶言ってくれる。


 天沼は自席に戻り、スケジュールと睨めっこだ。いくら副市長直轄の部署とはいえ、定期報告だ。緊急の案件よりも優先すべき会議ではないはずなのに。天沼は軽くため息を吐いて、別な部署との会議を明日に調整することにする。


「困るんだよね。突然の変更とかって」


 案の定、嫌味を言われながらも、相手は承諾してくれる。副市長からの申し出では、受けないわけにもいかないからだ。副市長自身には言えなくても、一般職員の天沼には言いやすい。彼への苦情や文句は、結局は天沼が引き受けている。そういう意味でもしんどい立場だ。ため息を吐いてから澤井を見る。


「調整つきました。予定通りですが人事課の案件、よろしくお願いいたします」


「ああ」


 天沼の苦労なんて、微塵も理解してくれるような人ではなさそうだ。興味もなさそうに、今日の会議の資料を眺めている澤井を見て、またため息。優しくしてほしいなんて思ってもいない。だけど自分の仕事が報われることはなさそうだ。首にならないでこの席に座れていることだけがよしとしなければならないのだろうけど、精神的にもしんどくなってきているのは確かだった


「時間か。いくぞ。てん


 一ヶ月が経ち、澤井は「あまぬま」と言いにくようで、「てん」と一文字で呼ぶ。まあこれは、自分のことを少しは認識してくれている証拠だと受け取ってもいいのだろうか。


「はい」


 先ほどまで準備をしていた資料を抱え上げて立ち上がる。これから三時間。

会議の連続だ。




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