第2話 再会と立場



「おい。できたか」


「はい」


 天沼が資料を渡すと、彼は確認する間もなく歩き出す。それを見送ろうとじっとしていると、澤井が振り向いた。


「なにをしている。お前もだ」


「は、はい」


 おれもですか? という言葉は愚問だと、先ほどのやり取りで理解したので、頷いてから澤井の後ろをついて歩いた。


 資料を眺めながら歩いているのに。澤井は、歩くのが早い。ついていくのがやっとだ。この人のサポートをこなせるのだろうか。自分のことを『今日から自分の秘書になる天沼』だと理解しているのだろうか。いろいろな疑問が胸を支配しかけた時。目的の場所に到着したようだ。


 澤井は、乱暴に扉を開いた。やってきたのは、一階にある会議室105号室だ。扉を開くと、中には見知った顔がいた。


「おはようございます」


 それぞれが挨拶を口にし起立する。天沼は澤井の後ろにそっと佇み控えた。


「天沼」


 顔見知りの男たちは、口々に自分の名前を呟くのがわかったが、ここで親しくするのは得策ではないと判断し、黙って頷いて見せた。


 田口たぐち銀太ぎんた安齋あんざい裕仁ひろひと大堀おおほりさとる。三人は同期で、十年目職員研修で同じチームメイトだった。

 

そして、もう一人。


 ——分からない。


 三人の中心にいる男を、天沼は知らない。しかし、澤井はその男のことしか見ていないようだった。


「こんな朝から、無茶するものだ」


「おはようございます。今日一日、この時間じゃないと捕まらないかと思いまして」


「正解だな。保住ほずみ。ここから夜まで予定が立て込んでいる」



 澤井は不躾に空いている席に腰を下ろすと、天沼が知らない男を眺める。澤井と保住と言う男の会話は、冗談なのか、本気なのか。意表を突かれて戸惑った。


 ——なんなのだ、この会議は。


「おい、資料」


 面食らっていると、ふと澤井が声を上げた。


「はい」


 天沼は、メンバーの前に資料を配った。


「これはこれは……」


「どうだ。とうとう始まるのだ。ご機嫌だぞ」


「地獄への観光ツアーですけどね」


「愉快、愉快。さぞや楽しい旅となるであろう」


 澤井は嬉しそうに鼻を鳴らす。対して、向かい側の保住は平然とした表情で詰まらなそうに視線を上げた。


「ずいぶん、ざっくりじゃないですか」


「お前たちが動きやすいようにしてやっているのだろう」


「よく言えばですよね。悪く言えば丸投げだ」


「そういうことだな」



 保住はさっと目を通してから感想を述べる。


「それはそうだ。お前たちが好きなことをできるようにしてある」


 他の職員は黙っている。副市長と直接面会するなんて滅多にないことだし、この二人の会話には、割って入る余地はないのではないかという雰囲気だからだ。


「田口」


「はい」


 保住が田口を見ると、彼は資料を取り出す。田口からそれを受け取ってから、澤井はしばらく読み込む。


「お前らしい言い回しだ。田口。こういう書き方をするなと言ってあるはずだ」


「申し訳ございません」


「まあいい。他の職員のクズな文章よりは読みやすい」


「ありがとうございます」


 澤井は資料を差し出してきた。ぼんやりと様子を眺めていたお陰で、慌ててしまった。天沼は、やっとの思いで資料を受け取る。


「持っておけ。保住。そのまま進めろ」


「承知しました」


 そして、時間が気になって腕時計を覗く。時間だ。


「副市長。初め式です」


「分かっている」


「ありがとうございました」


 もう終わりなのか、澤井はさっさと廊下に出て行った。自分も慌てて後に続く。

部屋を出る瞬間、みんなに頭を下げた。田口たちも、困惑した顔をしながらも天沼に視線をくれた。


 ——知り合いでも私語を交わすこともままならないのだな。


 自分の立場を思い知らされた。


––––この人の秘書になったのだ。


 どこに行くにも、この人のそばに従い、勝手な物言いはしない。常に控え目に。彼の仕事のサポートをしていくのだ。配置されて、たったの30分程度だが、理解できた。自分が置かれている立場を。


 廊下に出て、大股に歩く澤井を追いかけていくと、ふと彼が立ち止まる。天沼は、顔を上げて澤井を見た。


「お前の資料、見るに耐えない」


「申し訳ありません」


 天沼は、慌てて頭を下げる。


「使い物にならなければ、直ぐにお払い箱だぞ」


「はい」


 ——怖い。


 地の底から響くような重低音は、天沼を萎縮させるには十分だ。だが、彼から視線が外せない。じっと耐えて澤井を見つめ返すと、澤井がふと笑む。


「おれに睨まれて目を逸らさない奴は、お前で四人目だ」


「すみません。失礼いたしました」


 慌てて頭を下げる。


 ——じっと見返したことが失礼だったのだろうか?


 そんな事を考えているが、澤井は向きを変えて歩き出したので、天沼は再び、彼の後を追いかけた。


「今日からおれ付きなのだろう? 荷物をまとめてさっさとおれの部屋に来い」


「あれ? 怒っているわけではなさそうだ」と、天沼は軽く息を吐いた。


「は、はい! 承知しました」


「そんな面倒な返答するな。時間の無駄だ」


「はい」


 初日から無茶ばかり要求される。


 ——務まるのだろうか?


 不安ばかりが先に立つ。胃がキリキリするような気がしてきた。






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