第11話 口付と困惑



「人事の件なんて、内示も出ていないのに、十文字じゅうもんじに言えるわけないじゃん」


「それは、そうですね」


 そこを無理やり聞き出しているのだ。自分の方が悪い。


「でもって、なんです?」


 ここまで聞いたのだから、いいでしょう?

  そう思って尋ねる。


「どうやら、この前の十年目の職員研修はオーディションだったみたい」


「この前の、研修ですか?」


「市制100周年記念事業推進室のメンバーを見たら、あの時のメンバーで、おれだけ外されていたんだよね」


「あの時の?」


『市制100周年記念事業推進室』とは、来年度から発足する予定の新しい部署だ。

十文字は、詳しくは知らないのだが、三年後に控えた、梅沢市制施行100周年の年に開催されるイベントなどを中心的に引っ張っていく、華々しい部署だと聞いている。そんな大注目の部署には、一体どんな職員たちが配置されるのか?最近の話題は専らそんな話だったが……まさか、その部署に天沼たちの同期が選ばれたってことか?


 と言うことは、田口たぐちは異動だ。天沼が話しているのは、研修会でチームを組んだ四名の中で、自分だけが外されたと言っているからだ。


 嘘だろう?

 田口と自分は異動対象じゃないのに。

 それに、天沼あまぬまが外されるってどういうこと?

 十文字の目から見ても、彼はなかなか優秀なのに。


「おれは、やっぱり同期のみんなと、仕事してみたかったみたい。本当にがっかりしちゃって。赤ちょうちんの日から、気持ちがちっとも浮上しない」


「それって、田口さんと仕事ができないからってことですよね?」


 こんな時まで、なに嫌味なことを。そう思ってもやめられないのだから仕方がない。嫉妬心ばかり。しかし、天沼は首を横に振った。


「それだけでもないみたい。あれ? おかしいね。田口だけじゃない。みんなとだ。おれにとったら、あの研修は楽しかったみたいなんだよね。はは、やだな。みんなと仕事できたらいいな、なんて夢みたいなことばっかり言っているのは、おれだけだよな。子供じゃあるまいし」


 目元を拭って、軽く笑う天沼を見ていると愛おしくてたまらない。


 見た目だけで最初は好き。だけど、彼の中身も色々みた。いい子ちゃんぶって、嫌になる面もあるけど、そういうところも本当は好き。不器用で、係長に仕事押し付けられても笑顔でいる人のいいところも。人に遠慮ばかりしていて、結局はこうして貧乏くじ引くところも。一人で抱え込んで、踏ん張っているところも。それに、こんなにひねくれている自分に対しても、こうして真面目に向き合ってくれるところも。


 みんな好き。それに、もっと知りたい。心折れている彼の気持ちにつけ込むなんて卑怯だとは思っていても、この衝動は止められない。


 十文字は、天沼の頬に手を当てた。『またほっぺにキス?』くらいにしか思っていないのか、天沼は抵抗する様子もない。それをいいことに、今度は唇にキスを落とした。


「っ!?」


 初めてだって遠慮はない。我慢してきた気持ちを抑えきれない。無理やり唇を割って中に入り込むと、さすがに、天沼の腰が引けるのが分かる。だけど、逃さない。腰に回した腕に力を入れて、逆に引き寄せた。


「ん〜っ」


 バシバシと肩を叩かれてもお構いなし。終始、自分のペースでキスを進めて、それから唇を離すと、平手が飛んでくる。それをひょいと避けて、そのまま手首を捕まえると、腕を引っ張ってぎゅーっと抱きしめた。


「ば、ばかじゃないの!? お友達からだって……」


「そんな甘いことを、言っていられないってことですよね?」


「!?」


「異動先、どこなんです? 今より忙しいところじゃないんですか」


「そ、それは……。もしかしたら、週末も仕事かも」


「やっぱりね」


 十文字は、ため息を吐いて、彼の耳元に唇を寄せた。


「じゃあ、もう、待っていられない」


「な、」


「悠長なことしていたら、おれのこと忘れちゃうでしょう?」


「そんなことは……」


「ないって言い切れます? 会えなくなるのに?」


「……」


「どうせ、おれの名前、最初も覚えていなかったくせに。……いいじゃないですか。一晩くらい」


「な、なんなの? その一晩くらいって」


「そのまんまの意味ですよ」


 腰に回した腕に力を入れて、さっさと彼を持ち上げた。


「お、おい!!」


「おれのこと、嫌でも忘れないようにしてあげますから」


「十文字っ!? と、友達は!?」


「そんなこと信じるんですか? 男と女だって、『出会い』と『付き合う』の間に『友達』なんてことあるほうが少ない。違いますか」


「そ、それは」


「もういいです。面倒だ。黙って」


「面倒ってなんだよ? 面倒ってっ!」


 本気で怒り出す天沼を見ていると、愛おしさが溢れてきた。怒っている人は困っている人。確か、天沼はそう言っていた。そうか。天沼は、怒っているのではない、困っているのだ。

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