第10話 人事と誤解



 天沼の手首を握り締めながら尋ねた。


「あの男、なんなんです?」


「え? あ、あの男って……?」


 見開かれた鳶色とびいろの瞳は、困惑しいていた。乱暴な十文字じゅうもんじの態度に、少し恐怖を抱いている目だ。だけど、やめられない。


廣木ひろき課長ですよ」


「え……? 課長が、なんで?」


「今日、食堂で楽しそうに食事していましたよね?」


「あれは」


「この前の居酒屋でも課長あの人からの電話の後に、急に帰っちゃったじゃないですか」


 答えられない天沼あまぬまがもどかしい。


「おれたち、友達って言ったじゃないですか。話してくれないんですか」


「それは……ごめん、そんなに気軽に話せることではなくて……」


 はじめて? 彼から拒否されるのは初めて。十文字は、心臓が跳ね上がり動悸に襲われた。


「どうして?」


「どうしてって、だって。そんなこと、君には話せない」


「天沼さん」


 自分よりも背の低い天沼が俯くと、表情がわからない。––––どんな顔しているの? どういうことなの?


「おれに言えないって、どういうことなんですか? それって。おれが信用できないってことですか」


「信用しているとか、していないとかの問題ではなくて」


「じゃあ、なんなんです? あの課長となにかあるんですか」


「課長は、関係ないしっ」


 天沼は珍しく声を荒上げて十文字を見据えた天沼の目には、いっぱいの涙がたくさんたまっていた。十文字は、思わず言葉を飲み込んだ。


「天沼さん……」


 天沼は、軽く息を吐いて、何かを決めたような瞳の色を見せてから、口を開いた。


「おれ、ダメだったんだって」


「え?」


 天沼は、十文字に掴みかかってきた。油断していたおかげで、思わず受け止めきれずに、廊下の壁に追いやられた。彼はぎゅーっと十文字の上着を握りしめてくる。


「ダメだった……っ」


 嗚咽混じりの声に、十文字も胸が締め付けられる。優しくそっと肩を引き寄せて抱きしめると、彼はいつも見せることのないような悲痛な表情だった。


「落選。異動だよ。おれ……」


「え? あの。ちゃんと話して。おれ、意味わからないから」


 なんの話なのか、さっぱりわからない。自分が廣木に嫉妬していた話だったはずなのに、天沼が口にする話題は、全く別のことのように聞こえたからだ。目を瞬かせて、だけど、目の前で泣いている天沼を優しく抱きとめて、そっと話を促した。


「十文字と赤ちょうちんにいた時に、課長から電話があったのは、人事の件だったんだ。内示も出る前だし、本当はこんなこと言えないんだけど、君の異動先は過酷な場所になるから、先に教えておくねって」


「あ、ああ。そういうこと……」


 よほどショックな部署ってどこだかわからない。左遷でもされるのだろうか。そうは思えないが。


「課長って、あんなんだけど、根はいい人でね。今日は話を聞いてくれたんだよ。異動先での不安なことはないか? とか、残務処理の件とか……」


「それだけ?」


「な、何? それだけって、それ以上になにがあるって言う訳? こっちにとったら、死活問題なんだけど」


「そ、そうですよね。それはそうだ……」


 バカみたい。男と男が一緒にいてなにが悪い。それを見て、「怪しい」と思う自分がバカだろうと後悔しても遅かった。






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