第9話 謝罪と無防備



 もう我慢ができなくて、彼に会いたくて21時まで粘った。保住ほずみには「帰れ」と言われたが、それでも仕事があると押し通して粘ったのだが、そろそろ限界だ。


「さっさと帰れよ」


 さすがに怒られて追い出されたので、仕方がないと観念する。


 きっと天沼あまぬまは、まだ残業しているに違いないのだから。彼になんと言うのか、正直、考えは一つもない。しかしもう我慢の限界だったのだ。


 ––––あの男はなんだ?


 仲良くなんかしちゃって。いてもたってもいられないというのは、こういうことだ。十文字じゅうもんじは再び天沼の部署を訪れた。やはり彼はいた。しかし今日は彼しかいなかった。


「やっぱり、いましたね」


 十文字が声をかけると、彼は弾かれたように顔を上げた後、表情を和らげた。


「びっくりした。十文字じゃない」


「また残業ですか」


「うん……やることが結構あってね」  


「係長の仕事」


「違うよ。今日は自分の仕事」


 彼は疲れた顔をしている。目の下には隈が浮かび、疲労の色も濃い。先日会った時とは明らかに違った様相だった。


「明日できることは、明日やる」


「え?」


「うちの上司の言葉ですよ。どうせキリがないんでしょう」


「それは」


「仕事なんて、いつまでやっても終わらないんです。帰りましょう」


「でも」


「この前、途中で帰ったんだ。あの時のお詫びしてくださいよ」


「……ごめん。でも」


「いいから」


 少し苛立ったような強引な口調に天沼は折れたのか。パソコンをシャットダウンした。


「ごめん。この前は」


「別に。怒ってますけど」


「そうだよね」


 天沼はコートを着込んで荷物を抱えると、部署の消灯をした。真っ暗になった廊下を二人は連れ立って歩いた。


「今日は……夕飯……」


「天沼さんの家でいいですよ」


「でも、食べるものないし」


「これ」


 十文字は近くのコンビニで買ってきたおにぎりやパン、お弁当を持ち上げた。


「あ、」


「この前の一万円の残りです。天沼さんのおごりですからね」


「別にいいけど……」


 悪態をついて見せても、彼は怒らないのか? 本当に嫌になる。


 なにを考えているのだ?


 ––––あの男は何?


 そして無防備。先日あんなことがあったばかりなのに、自宅に自分を招き入れる天沼は無防備すぎると思った。だからつけいられるのではないか。に。


 男の嫉妬は醜いってわかっていても、止められないのだから仕方がない。ずっと聞きたいことを我慢していたおかげで、玄関を入るとすぐにそれが溢れてしまう。パーソナルスペースに入った安心感からなのだろうか。ここなら大丈夫って、頭のどこかで思っているのだろう。


「どうぞ……っ?」


 招き入れてくれた天沼の手首を掴み、そのまま引き寄せてから壁に押し付けた。


「な、なに?」





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