第5話 電話と急変
「だから! いい子ちゃんは止めた方がいいですよっ、バカ見ますから」
先輩である彼に説教を垂れてどうする、と思いつつも、やめられないのだから仕方がない。カウンターで横に座る
「ああ、そう。だから怒っていたんだ」
「そうです。怒っています。なんなんですか、あの係長。おれ、嫌いです」
「そう、うんうん。ありがとう。おれのこと心配してくれているんだね」
なぜ車通勤の自分が日本酒で、すぐ近くの天沼が烏龍茶なのかは疑問だが、そんなことはお構いなしに彼は飲み進める。
「心配なんて、誰が」
「嘘だよ。怒っている人って、困っている人なんだって」
「は、はあ?」
「おれが雑な扱いを受けていると思って心配してくれているんだね」
「ば、バカじゃないですか? 自意識過剰もいい加減にしてくださいよ……」
図星で何も言えない。プイっと視線をそらすと、天沼は吹き出した。
「わかりやすいね。十文字」
「あのねえ」
言い返えそうと口を開くと、彼は突然に十文字を指差した。
「十文字
「な、なんですか。それ」
「調べました」
「それってストーカー行為ですけど」
「そう? 珍しい名前だもの。すぐに出てくるって。ほら、ちゃんと名前、覚えていたでしょう?」
クスクスと笑う天沼の横顔を見て悪い気がしないのは、彼が自分に少しでも興味を抱いてくれたということだからだ。相手を知りたいって心が、自分に向いてくれているということだと思えるから。
かくいう自分も、職員のデータベースで彼を検索したことは秘密にしておこう。だって自分がやったら、本気でストーカーだもの。気味悪がられて終わりな気がした。
「育ちのいいボンボンなんだねえ〜、そんな感じするな」
「そうですか」
「そうだよ。お洒落だしね。モテそうだよね」
カウンターに添えられている彼の指を見ていると触れたくなる。飲むと出てくる悪いクセ。すぐに人に触れたくなる。だけど、どこかで自制心が必死に稼働しているのだ。本気だからこそ触れてはいけない気がするのに、我慢できない自分もいる。
そっと指を伸ばして、その指を触れようとしたその時。カウンターに置かれていた彼の携帯が音を立てた。
––––こんな遅い時間に電話がくるのか? 家族か? それとも友人?
表示画面を確認した彼は、十文字に「ごめん」とだけ言って席を立った。
「お疲れ様です。課長。どうされましたか? こんな時間に……」
彼は古く
「課長?」
時計の針は23時近いのに、課長からなんて電話が来るものか?
十文字は自分の課長を思い浮かべた。自分のところの課長は、
「か〜、んなわけないっ」
独り言のように呟くが、気持ちはなんだか面白くない。グラスに残っている日本酒をぐっと飲み干して待っていると、天沼が顔を出した。戻ってきた彼はどことなしか様子がおかしかった。
「天沼さん?」
「……あの、えっと。ごめん。おれ。帰らなくちゃ」
「え?」
「ごめん。十文字。これ、お代。一人で帰れる? タクシー呼ぼうか」
何この雑な対応。呆気にとられている彼をいいことに、天沼は「おかみさん、タクシーお願いします」と声をかけてから十文字に一万円札を握らせた。
「ごめんね。今日は。楽しかった。ありがとう」
「ちょ、天沼さん?」
逃げるように去っていく彼を止めることができない。というか事情がわからないから、どうしたらいいのかも、わからなかったのだ。
「な、なんだよ。これ」
––––一万円なんて多すぎだし。意味わからないしっ!
突然の変わりように対応できていない自分も不甲斐ないし、課長からの電話の内容が気になって気になって仕方がない。
自分との飲み会を中断させるほどの内容なの?
呼び出された?
どういうことなんだ。
「お客さん、タクシーきたわよ。お会計しましょうか」
おかみさんの笑顔にさらに困惑しながら、十文字は会計を済ませてタクシーに飛び乗った。
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